勝利の代償と虚無の影
戦火の後の沈黙
大聖堂の火災は完全に鎮火し、皇宮から立ち上っていた瘴気も消え去った。
戻ってきたルシアンは、血に塗れた剣を納め 私を抱きしめた。
「終わったよ。エリアーナ。憎しみの連鎖は断ち切った」
「ええ。ルシアン」
私たちは勝利した。
しかし 私の心に歓喜はなかった。
大聖堂跡地の瓦礫の上には、多くの負傷者が横たわり、救護活動が続いている。
民衆は歓声ではなく、静かな沈黙と恐怖を瞳に宿していた。
そこに駆けつけた父、リステン侯爵が私たちを見て涙を流した。
「よくやったエリアーナ!ルシアン公爵!帝国は救われた!」
父は私の手を握った。
その手の震えが、私の復讐の重さを物語っていた。
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憎悪の残滓
大神官が瓦礫の中から引き出された。
彼は重傷を負っていたが、意識は明確だった。
「エリアーナ嬢。貴女の復讐は終わりました」
「大神官様……」
「しかし、貴女の魂の奥底に悪魔王の囁きが残っています。憎悪は簡単に消えない」
大神官の言葉は私の心を正確に突いていた。
私はアランを討ち果たしたというのに、満足感どころか更なる冷たい虚無感に苛まれていた。
(アランは死んだ イザベラも倒れた。それなのに……。この空虚さこそが、悪魔王の残滓なのか)
私は勝利の祝杯を拒否し、瓦礫の山となった大聖堂の正面に一人座り込んだ。
ルシアンが静かに私の隣に座る。
私の肩に彼の重い腕が置かれた。
「虚しいか」
「ええ。ルシアン。私は憎しみのためだけに生きてきたのね……」
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ルシアンの責任と愛
「違う エリアーナ」
ルシアンは私の髪を優しく撫でた。
「お前は、憎しみだけで俺を助けたわけではない。憎しみに満ちた俺自身を愛し、共犯者になった」
「そしてお前は、帝都の民の命を救った。憎しみが終わったなら、次は愛と責任のために生きる番だ」
ルシアンは立ち上がり、私の手を引いた。
「今の帝都には、皇帝がいない……。秩序がない……。 貴族どもは誰が権力を握るか怯えている」
「だからお前が、憎悪の鎖を断ち切ったのなら、次は俺と共に憎悪を生み出さない帝国を 創るんだ」
彼の言葉は私の心に新たな使命を与えた。
私は復讐者ではなく、帝国の未来を担うルシアンの「伴侶」として 生きるべきだと悟った。
新体制の発足と悪魔王の決断
ルシアンは迅速に臨時政府を樹立した。
彼は帝国の政治権力を集中させながらも、エリアーナを筆頭に信頼できる貴族たちを登用し権力の分散も行った。
アランの独裁とは違い、ルシアンの統治は合理的かつ厳格だった。
帝都の治安は驚くほどのスピードで回復し始めた。
エリアーナはルシアンの「摂政公妃」として政治の表舞台に立ち、彼の唯一の相談相手となった。
二人は契約婚約の枠を超え、真の帝国再建の共同統治者となった。
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悪魔王は 帝都上空の雲間からこの光景を見ていた。
アランの消滅は、悪魔王にとって最大の憎悪の供給源を失うことを意味した。
「馬鹿なエリアーナめ。憎悪を愛で上書きするなど」
悪魔王は激しい苛立ちと共に、自分の力が人間界から消えかけていることを悟った。
このままでは契約が「愛による昇華」という形で破棄されてしまう。
それは悪魔王にとって最大の屈辱だった。
「許さぬ」
契約の代償として、彼女の魂と、彼女の愛する者の魂を奪い取ることを決めた。
「幸福を味わえば味わうほど、その後の地獄は耐え難い苦痛と憎悪に満ちるもの」
悪魔王は肩をゆすり静かに笑う。
それまで痛めつけて、最終的に、より深い絶望を憎悪に代えてやろう。
「見ているがいい……。小賢しさがいかに愚かしいか。思い知るだろう」
悪魔王はエリアーナとルシアンを見下ろして高らかに笑った。




