悪魔王の暗躍
イザベラの虚無感
皇宮の一室。イザベラは、流産の後、ベッドから起き上がれずにいた。
子供を失った悲しみ。
いや、それ以上に、アランを繋ぎ止める「切り札」を失った、という絶望感。
アランは、彼女の流産を「エリアーナの呪い」と断定し、「国賊討伐」の勅命を出したことで、政治的な興奮状態にあった。
彼は、イザベラの部屋を見舞いに来ることは来るが、その口から出るのは、
「イザベラ、見ていろ。今度こそ、あの女を、八つ裂きにしてやる」
「お前の子供の仇は、俺が必ず討つ」
と、エリアーナへの憎悪の言葉ばかり。
イザベラは、気づいていた。
(……アラン様は、わたくしを、見ていない)
(わたくしが、子供を失った悲しみを、慰めてはくれない)
(あの方が見ているのは、わたくしを『利用』して、エリアーナ様を討つことだけ)
イザベラは、アランにすら、裏切られたような、深い虚無感に襲われていた。
(子供さえいれば……)
(あの天使様は、なぜ、わたくしを助けてくださらなかったの……)
彼女の精神は、悪魔王の力の「代償」と「絶望」によって、限界まで追い詰められていた。
※※※※※※※※※※※※※※※
悪魔王の「真の姿」
その夜。
イザベラの絶望が、頂点に達した時。
あの「天使」が、再び彼女の夢に現れた。
だが、その姿は、光り輝いてはいなかった。
『……イザベラ。まだ、そんな顔をしているのか』
「……天使、さま?」
『貴様は、全てを失ったな。エリアーナに、アランの心も、子供も、全て奪われた』
「……あ……」
イザベラは、天使の言葉が、以前と違う、冷たい「嘲笑」を帯びていることに気づいた。
「……なぜ、助けてくださらなかったのですか! あなたは、わたくしの味方では……」
『味方? 俺が?』
天使の体が、ゆっくりと、本来の「悪魔王」の姿へと変わっていく。
光の翼は、禍々(まがまが)しい漆黒の翼に。
慈愛の笑みは、縦に裂けた瞳孔を持つ、冷酷で美しい笑みに。
『……勘違いするな、愚かな女。俺は、貴様の『憎悪』と『絶望』を、楽しんでいただけだ』
「……あ……あ……」
イザベラは、自分が、悪魔と契約していたという「真実」に、ようやく気づき、恐怖に震えた。
「ひ……っ!」
『貴様の子供は、貴様の『憎悪』が強すぎたために、俺の力に耐えきれず、消えた。……自業自得だ』
「……うそ……」
『だが』
悪魔王は、イザベラに、手を差し伸べた。
『貴様の『絶望』は、実に美味だ。……まだ、貴様には、利用価値がある』
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悪魔の「契約」
「……利用、価値?」
イザベラは、恐怖に怯えながらも、悪魔王の手を見つめた。
『そうだ。貴様は、まだ、エリアーナへの『復讐』を、諦めていないのだろう?』
「……!」
『アランの愛が欲しいのだろう?』
悪魔王の言葉は、イザベラの、心の奥底にある、醜い欲望を正確に突き刺した。
「……欲しい。欲しい……! エリアーナ様から、アラン様を、奪い返したい! あの女を、今度こそ、わたくしの足元に、跪かせたい!」
イザベラの虚無は、再び、狂気的な「憎悪」へと変わった。
『よろしい』
悪魔王は、満足そうに頷いた。
『ならば、貴様に、真の「力」を与えよう』
「……真の、力?」
『子供……。くっくっくっ……。あんなまがい物ではない。貴様自身が、エリアーナを殺せる、強大な『魔力』をだ』
悪魔王は、イザベラの心臓に、その冷たい指を突き立てた。
『契約だ、イザベラ。貴様の魂と引き換えに、貴様に「聖女」の仮面を被った「魔女」の力を、授けよう』
「……わたくしの、魂……」
『アランの愛を取り戻し、エリアーナに復讐できる。……悪い取引では、ないだろう?』
イザベラは、一瞬、躊躇った。
だが、エリアーナに全てを奪われた屈辱と、アランに顧みられなくなった絶望が、彼女の理性を上回った。
「……ちょうだい」
イザベラは、狂気の笑みを浮かべた。
「その『力』を、ちょうだい! あの女を殺せるなら、魂でも、何でも、くれてやるわ!」
『……契約、成立だ』
悪魔王は、イザベラの魂に、その「印」を刻みつけた。
※※※※※※※※※※※※※※※
偽りの「聖女」の誕生
翌朝。
イザベラは、ベッドから、一人で起き上がった。
流産で失ったはずの血色は、戻るどころか、以前よりも、妖しいほどに美しく輝いていた。
「……力が、みなぎるわ」
イザベラが、部屋に飾られていた花瓶に、手をかざす。
花は、一瞬にして、黒く枯れ果てた。
「……すごい」
イザベラは、恍惚とした表情で、自分の手を見つめた。
そこへ、アランが、慌てた様子で入ってきた。
「イザベラ! 大丈夫か、体は……」
「アラン様」
イザベラは、ベッドから立ち上がり、アランの前に、完璧な「悲劇のヒロイン」の顔で、跪いた。
「……わたくしは、大丈夫です。子供は、失いました。……ですが、わたくしは、エリアーナ様の呪いに、負けません」
「……イザベラ?」
イザベラは、顔を上げた。
そして、涙を流しながら(しかし、その瞳の奥は、悪魔の力を宿した冷たい輝きを秘めながら)アランに訴えた。
「わたくしは、『聖女』として、アラン様のお側に立ち、あの『魔女』と、戦います」
「……!」
「わたくしの、この『命』と『魂』に代えても、アラン様と、この帝国を、お守りいたします」
アランは、イザベラの「健気さ」と「神々しさ」に、心を打たれた。
(……そうだ。彼女こそが、俺の聖女だ)
アランは、イザベラを強く抱きしめた。
「……イザベラ。君こそが、俺の皇妃だ」
悪魔王の計画通り、イザベラは「聖女」の仮面を被った「魔女」として、アランの隣に、完全に返り咲いた。
そして、エリアーナとルシアンが、帝都に「帰還」するのを、今か今かと、待ち構えるのだった。




