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第7章:狂愛記憶画廊 ~大和への想い~(蓮視点)

 新緑の風が窓を揺らす中、僕はスケッチブックを開く。ページの中で、大和先輩は静かに微笑んでいた。何度描いても、何度観察しても、その美しさは僕の理解を超えている。


「先輩の影も光も、全て愛しているのに……」


 大和先輩との出会いは、僕の人生を変えた瞬間だった。僕の世界にカラフルな色彩が加わった日。それは単なる恋愛以上の、存在の再定義だった。


 半年前から図書室で過ごす時間は、僕にとって至福の時間になった。月二回、図書室で先輩に会えるというか、見れる時間だけは彼の近くに存在することが許されるからだ。何も会話を交わさない日が殆どだが、彼が本を探している時、困っている時だけは話しかけることが許される。


 先輩が本を読む横顔を盗み見ながら、僕は密かに興奮していた。集中している時の真剣な表情、ページをめくる指先の動き、時折見せる微かな笑み――すべてが愛おしくて、胸が苦しくなるほどだった。


 その月の二回の遭遇だけでは物足りなくなり、彼の剣道の朝練、放課後のバスケ部の練習をこっそり覗いたり、昼休みの過ごし方なども把握し始めた。そのうち、欲がでてしまい、もっと先輩に近づきたいと思うようになってしまった。


 最初に仕掛けたのは、体育館裏で不良に頼んで助けてもらうという、陳腐なシナリオ。優しい大和先輩は、計算通り僕を助けて、それから会うきっかけができ、顔見知りになれた。


 何度も偶然の出会いを装って、色んな場所で遭遇したが、全てが待ち伏せ。先輩はいつも優しく対応し、最近では僕にも少し好意を持っているように見えた。


 廊下ですれ違う時の会釈、購買でのちょっとした会話、放課後の何気ない立ち話。すべてが僕の計画の範囲内で、でもその過程で芽生える感情は、予想を超えていた。


 最初から、正々堂々向き合っていれば、と後悔したこともあったが、僕にはそれができるわけがない。彼は美しすぎた。僕が思う「美しい顔」そのものだった。


 いくら反省しても、この罪は消えない。先輩が許してくれるまで、謝り続けるしかない。僕の愛を受け入れてくれる日を願って。


 ◇


 そんな日々の中で、あの日が訪れた。僕の狂気が露見してしまった日。


 学園祭の準備中、先輩の指を舐めた、あの瞬間――。


 それは衝動だった。でも、ただの衝動ではない。


 その傷口から滲む赤い線を見た瞬間、僕の詩を思い出した。


「『私は美しい顔の中に全てを閉じ込めることができる――あなたの欲望も、絶望も、愛も』」


 血とは、生命そのものだ。体温を持ち、痛みを伴い、否応なしに”生きている”ことを突きつけてくる。


 その血を――先輩のそれを――僕は自分の舌で掬った。指先に、ゆっくりと舌を滑らせる。鉄の味が舌に広がる。けれど、嫌ではない。むしろ――。


 先輩の指は、僕が想像していたより温かくて、少しだけ塩辛い味がした。皮膚の表面には細かい傷があって、それが先輩の生きてきた証のように思えた。舌先で辿ると、先輩の身体が小さく震えるのを感じる。


「これで、やっと……」


 そう呟きたくなるほど、僕は安心していた。ああ、先輩は”本当にそこにいる”。僕の幻想ではない。夢でも詩でもない。


 指の皮膚のわずかな起伏。温度。震え。血の熱が、僕の中に入り込む。それは、詩の行間に差し込まれた、唯一無二の真実のようだった。


 先輩の息遣いが変わるのを、僕は敏感に察知した。少し荒くなって、胸が小さく上下している。僕の舌が指に触れる度に、先輩の喉が小さく動く。その反応が、僕の胸の奥を熱くさせた。


 止血ではない。誓いでもない。

 これは――“受肉”だった。


 僕の詩の中の”美しい顔”が、今こうして、痛みとともに”実体”を持って触れ合っている。


 舌に染みついた血の味が、僕を満たす。それは理性を溶かす悦びであり、永遠を一滴に閉じ込めるような行為でもあった。


「動かないでください」


 そう言った声は、震えていた。“逃げられたくない”――そう思った。この一瞬でさえ、壊れてしまいそうだった。


 先輩の瞳が、僕を見つめている。その眼差しには困惑と、何か別の感情が混じっていた。頬が微かに紅潮しているのを見て、僕は小さく興奮していた。


 ああ、僕はもう戻れない。この人の血を味わったこと、この人に触れてしまったこと。


 それら全てが、僕の中の”愛”を、よりいっそう――美しく、狂わせて、咲き誇らせる。


 この人は、僕だけのもの――。


 でも、それは――母の言葉と、どこか重なっていた。


「愛することは、壊すこと。支配すること。染めること」


 小さな頃、膝の上で聞いたその声が、鼓膜の奥で静かに囁いている。自分の行動が、彼女の足跡をなぞっていることに、うすうす気づいていた。でも、目を逸らした。


 僕は母のようにはならない。そう思っていた。でも、今こうして指を取って舐めた瞬間――その言葉の意味が、背筋を這うように理解できてしまった。


 美しいものに触れたくて、独り占めしたくて、傷の中にさえ自分の痕を残したくて。


「僕は……母と同じなのかもしれない」


 そう思って、ひどく怖くなった。けれど同時に、そんな自分が――愛おしくて仕方なかった。これは、ただの愛ではない。欲望と崇拝と祈りが混ざった、静かな狂気だった。自分の中に棘を抱いた薔薇が咲くような、痛くて甘い確信。


「先輩、全部見せてください……僕が全部、引き受けますから」


 心の中でそう呟いた言葉は、血の味と共にゆっくりと喉を流れていった。


 だからこそ、壊れるとわかっていても、嘘のままではダメなんだ。もう、告白するしかなかった。


 ◇


 先輩の笑顔を見る度に、複雑な気持ちになる。この笑顔は、嘘の上に成り立っているから。本当の僕を知ったら、先輩はもう笑ってくれないかもしれない。


「本物の愛にしたいなら、嘘を手放すしかない」


 僕は、あの教室で真実を伝えた。先輩の表情がどんどん曇っていくのを、そのまなざしが僕を”敵”に変えていくのを、ただ見ていた。その瞬間、僕の世界は色を失った。


 教室で告げた”真実”は、彼を遠ざけてしまった。それでも僕は、嘘のまま愛を語ることができなかった。離れていく姿すら、美しかった――それが、いけなかった。


「全て計算通りだった……はずなのに」


 告白後、誰もいない教室で僕は呟く。


「先輩に嫌われることが、こんなにも苦しいなんて……そんなの、計算外だ」


 窓に打ち付ける雨が、僕の告白に応えるように激しさを増す。窓際に立ち、雨に濡れる校庭を見下ろすと、遠くに、傘も差さずに歩く先輩の姿が見えた。先輩は濡れた制服が身体に張り付き、髪から雫が滴り落ちている。その姿は僕の胸を切り裂いた。


 先輩は、僕から逃げ出した……この想いから、目を逸らして……。


 でも、もう逃がさない。諦めない。これは始まりだ。本当の物語は、ここから始まる。


 告白したあの日、すべてが変わった。先輩との距離は広がったけれど、僕の想いは揺るがなかった。むしろ、より深く、より確かなものになった。


「でも、先輩への想いだけは……消えない」


 その言葉は、誰にも届かない。でも、それでいい。この想いは、僕だけのものだから。


 僕は、図書室に向かった。足取りが重い。ここで過ごした時間が、走馬灯のように蘇る。ここでの何気ない会話。すれ違う度に交わした視線。全ては計算ずくで、でも――その過程で芽生えた想いは、紛れもない本物だった。


 先輩がよく座っていた席が目に入る。そこには、もう先輩の姿はない。でも、その空間には、先輩の体温の記憶が残っているような気がした。


 図書室の沈黙の中で、僕は決意を固めた。もう、隠れて見つめるだけの日々は終わりだ。告白したことで、僕たちの関係は新しい段階に入った。拒絶されても、嫌われても、僕は諦めない。


 これが僕の愛し方だから。母から受け継いだ、狂おしいほどの愛し方。


「ごめんね……先輩」


 その言葉は、雨音に溶けて消える。でも、その想いは、僕の中に永遠に残る。血の味とともに、指先の感触とともに。


 ◇


 スケッチブックの中の大和先輩は、いつも静かに笑っている。だけど、実際の彼はそんなに微笑まないことを、僕は知っている。


 指を使って描いた唇の端、そのわずかなカーブを調整しながら思う。この笑顔は、僕が”見たいと思った大和先輩”なのか、それとも、彼が”僕にだけ見せた素の顔”なのか。わからない。でも、どちらでもいいと思えるほどには、僕の中でこの絵が真実になっていた。


 最近、少しずつ自分の変化に気づくようになった。


 以前は彼を記録する対象として見ていた。形、比率、色彩の温度、目の奥に宿る光の明度。それを忠実に写し取り、カンヴァスに封じることに喜びを感じていた。


 でも、今は違う。彼に、見つめられたい、触れられたいと思うようになった。言葉をかけられたい。怒ってもいい、拒絶されてもいい、それでも彼に”感情”を向けてほしいと思うようになった。観察対象から、彼の心の地図の一部になりたいと渇望する自分に、驚いている。


 僕は鏡ではない。彼の反射でもない。彼を映す存在でいようとしたのは、“彼のそばにいられる理由”が欲しかったから。でも、もう隠す意味も、理由もいらない。


 愛してる。歪んでいても、狂っていても、詩を書くように、絵を描くように、大和先輩の全てを求めている。それは母が言っていた「心の影まで愛する者」になろうとする僕の、ささやかな抵抗なのかもしれない。


 これは単なる芸術的観察ではない――祈りに似た感情が僕を満たす。母から受け継いだ「見えすぎる目」は、大和先輩という完璧な美しさを見出した。その美しさは、僕の心を根底から揺さぶった。


「先輩は僕の芸術であり、信仰であり、全て。彼のいない日々は、色を失った世界と同じ。それでも僕は、描き続けるしかない。それが、罰だとしても」


 僕は、大和先輩という「美しい顔」に、自分の全てを閉じ込めようとしている。欲望も、絶望も、愛も――全てを。


 そうして僕は、先輩への想いを重ねながら、少しずつ距離を縮めていった。計算の中で育まれた想いは、誰にも予測できない本物になっていく。


 だから今夜も、僕は彼を描く。


 誰にも知られずに、誰にも触れさせずに、僕だけの神話として。


「先輩……僕を愛してくれますか?」


 君がくれた「感情の色彩」が、僕の中で渦を巻いている。


 そして、その色が、もう戻れない場所まで僕を連れていく。


「先輩……君は、僕という鏡の中で、どんな顔を見せてくれますか?」


 水無月の陽が傾きかける頃、僕は今日も大和先輩を待っていた。若葉風に揺れるカーテンの向こうで、彼の姿を追う。一枚また一枚と絵を描き続ける。描くたびに、想いは深まっていく。


 先輩への愛は、もはや制御できない激流となって僕の心を支配している。美しいものを愛でるのは罪ですか?その美しさに執着するのは、狂気なんですか……?


 僕にはもう、分からない。


 ただ、愛している。君を。狂おしいほどに。


 告白は終わりではなく、始まりだった。本当の戦いは、これから始まる。僕は諦めない。この歪んだ愛も、狂った想いも、全て先輩に捧げよう。


 それが、僕の愛し方だから。




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