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4話 ハルヴェルゲン王国の呪い

 アルリエータ王国からハルヴェルゲン王国までは、馬車でおよそ四日の距離だ。舞踏会会場を後にしたエステルはクレマン家の紋章の入った馬車に乗り込む。


「お嬢様、お疲れ様でした」

「ええ」

「本当にお屋敷に戻らなくていいので?」──『夜の移動は危ないけど、大丈夫でしょうか?』


 エステルの向かいに座っているベルナールが、下げていた頭を持ち上げる。彼が心配するのも無理はない。夜の移動は明かりも少なく、危険が伴う。


「街道を進めば明るいから大丈夫よ。三十分走れば、隣町までは進めるわ。一時間かけて屋敷まで戻るよりはいいでしょう?」


 クレマン家の屋敷は、西側の国境との境にある。そこまで一旦戻って明日の朝目的地へ向けて出発するよりかは、王都から少し北上して隣町に宿泊したほうが良いだろうという算段だった。


「わたくしの剣はこちらに載っているのでしょう?」

「はい」──『え、まさか』

「なら、大丈夫よ。何かあれば自分の身くらい自分で守ります」

「承知しました」


 ベルナールの頭がスッと下がるのと同時に、エステルの視線は彼女の手元に落とされた。


「父に挨拶も済ませて来たのだし……問題はないわ」


 クレマン辺境伯は、結局のところ最後まで娘の顔を見て会話をしてくれることはなかった。これが今生の別れになるというのに。



(……さようなら、お父様)



 最後だった。もしかしたら最後くらい、とほんの少しでも期待した自分が愚かであった。




 

 クレマン家の馬車は順調に走った。しかしハルヴェルゲン王国に近づけば近づくほど、エステルの顔は曇り、ベルナールの顔も同じように曇っていった。


 ハルヴェルゲン王国は、十七年前にエステルが呪いを受けた時に滞在していた国であった。


「やめましょう、お互い暗い顔をするのは」

「しかし、お嬢様……!」──『お嬢様が辛いことを思い出されるのは……悲しい』

「わたくしが魔女の呪いを受けたのは自己責任だもの、仕方がないわ」


 父クレマン辺境伯が外交で訪れていた先での事故であった。まさかこんなにも平和な国で魔女の呪いを受けることになるとは夢にも思わなかったが。



(……あの子、元気にしているかしら)



 エステルが思い出すのは、道に迷っていた彼女を助けてくれた幼い子供。真っ青な瞳に、きらきらと輝く髪の美しい幼子だった。彼の遊び相手をしていた時に、エステルは彼を庇って呪いを受けたのだった。



(一目でも、元気な姿を見れたらいいのだけれど)



 ハルヴェルゲン王国に滞在していた一ヶ月の間、外交の任を果たす父は忙しそうで、エステルは退屈していた。父に付き添って出かけることもあったが、それも毎日ではない。


 宿泊先をこっそりと抜け出して迷子になり、出会ったのが彼であった。遊び相手をするうちに仲は深まり、三日に一度は会うようになった。エステルがハルヴェルゲン王国を旅立つ日、別れを告げた路地で魔女に出会ってしまったのだ。



(わたくし一人を呪ったくらいでは、満足できなかったのね。だからって国民全員を呪うことなんてないじゃない)



 魔女の卑劣な行いに、エステルは奥歯を噛み締めた。


「お嬢様、お顔が怖いです」──『まあ、そんなお顔も美しいけれど。僕のほうが美しいけれど!』

「ごめんなさい、色々と……思い出してしまって」

「いつか呪いが解ければいいですね」──『どうやったら解けるんだろう?』

「……そんなこと、考えたこともなかったわ」


 ──魔女にかけられた呪いを解く。


 自分一人のことならばこのままでも仕方がないと諦めてはいたが、国民全員が呪いを受けたこの国は、一体この先どのような運命を辿るのだろう。


 いつまでも自分が通事を果たせば良いという問題でもない気がする。


「わたくし一人で考えても仕方がないことよね」

「都合よく魔女に呪いを解いてもらうなんて、そう簡単ではないでしょうしね」──『魔女がまだハルヴェルゲンにいれば、チャンスはあるかもしれないけれど』

「まあ……その辺りはあちらの国の方と話してみようかしらね」

「いいと思いますよ!」──『僕も力になります!』

「フフッ、わたくしの騎士は本当に心強いわ」


 馬車は順調に走り続けた。


 予定通り四日目の午後になってハルヴェルゲン王国に無事到着し、巨大な城門が見えてきた。門の前で馬車が止まり、御者が通行の許可を求める。


「……変ね」


 正式な通行証を持っての入国だというのに、馬車は一向に前に進まない。それどころか控え目に窓がコツコツとノックされ、剣を手にしたベルナールが腰を浮かす。


「どうしました?」

「それが……」


 扉を少しだけ開けたベルナールは、馬車の外で飛び交う言葉に耳を疑った。扉を更に開くと、エステルの耳にも同じ音が届く。


「にゃ にゃにゃん にゃん にゃーん!」

「にゃおん にゃっにゃー!」

「……え?」


 耳を疑いつつも、エステルはベルナールの陰に隠れながら馬車の扉の隙間からひょっこりと顔を出した。



(人っ……! 二人も……!!)



 エステルはいつもの癖で、腹のあたりを見つめた瞬間パッと首を引っ込めた。


 エステルの顔を見て、恐怖で顔を歪める侍女たちのことを思い出すと、ここで二人同時に人を視界に入れるなど、難易度が高すぎた。



(わたくしが顔を見ると、皆心を覗かれると思って……怖がるもの)



 胸の前でギュッと手を握る。滴るのは冷たい汗だ。


「お嬢様、大丈夫ですか?」

「大丈夫……大丈夫……」

「顔をお上げ下さい。きっと大丈夫です」

「きっと?」

「ええ。あそこにいるのは、人の言葉を話さず、姿も人ではない方たちです。恐らく、見える心は別の物かと」


 ベルナールが言うように、聞こえてくるのは相変わらず不思議な声だ。エステルは意を決してゆっくりと顔を上げて馬車の外を見た。


 馬車の前に二人の衛兵が立ち塞がっているが、その姿にエステルは目を丸くする。


「これが……魔女の呪い?」


 衛兵の頭の上には、動物の耳のような──三角形のふわふわが二つくっついていた。片方の衛兵は、左右の頬にピーンと張りつめたヒゲが十数本横に伸びている。


 驚くべき光景は更に広がる。腰の部分からは耳と思しき三角形と同じ色の尾が生えているのだ。そんな姿の大人の男が、にゃおにゃおと意味不明な言葉を発している。


「にゃ、にゃにゃん にゃん にゃーん! みゃおん」──『だから、馬車を乗り換えろと言うのだ! 通じないよなあ』

「にゃおっ! うにゃっ! ……にゃにゃん、にゃ」──『そうだ! 何度言えばわかるのだ! ……わかるわけもないか、困ったな』


 このような耳と尾を持った動物、エステルは何処かで見たことがあった。生まれ育ったアルリエータ王国にはいない生き物だ。


「ベルナール。あなたの言う通り、見える心が違うわ。これなら……もしかしたら、大丈夫かもしれない」

「あっ、お嬢様!」


 ベルナールの制止も効かず、エステルは馬車を降りた。衛兵の顔を見みると、精一杯の笑顔を張り付けつつ口を開く。


「アルリエータ王国から参りました、クレマン辺境伯の娘エステルと申します。馬車を乗り換えるのですか?」


 エステルの言葉に、二人の衛兵は目を見開いた。


「みゃあっ! にゃおっにゃーん!?」──『驚いた! この言葉が通じるので!?』

「少し違いますが……会話は成り立ちます」


 むやみやたらに「心が読めるんです」などと口にするものではない。この国の役に立つための輿入れだというのに、悪用されるわけにはいかない。


 それにしても、ベルナールとエドワード以外の人の顔を見て会話をするなど何年ぶりだろう。恐怖と緊張がせめぎ合って、心臓が駆け足になる。慣れない感覚だが、ここで引くわけにはいかなかった。


「ところであの、それは何の動物の耳なのでしょうか?」

「にゃにゃ?」──『これですか?』

「ええ」

「にゃにゃん、にゃおにゃん」──『これは、猫です』

「……猫?」


 衛兵はふわふわでもふもふな灰の耳を指で撫でると、心地よさそうに目を細めた。


 エステルの故郷アルリエータ王国には、犬はいるが猫という生き物はいない。あまり興味がなかったので、動物の図鑑はさらっとしか手を付けたことのないエステルには、猫本来の姿がいまいち想像がつかなかった。


「にゃ、にゃんーにゃ、にゃおっにゃんにゃ」──『あ、お嬢様、あれが猫です』

「どれかしら?」

「にゃーにゃんにゃ」──『あちらです』


 衛兵の指差す方を見ると、人の足元をすり抜ける小さな動物の姿。真っ白な体に青い瞳の美しい猫であった。


「あれが……猫?」

「にゃ、にゃんにゃーん」──『ええ、そうですよ。とても愛らしいでしょう?』

「か……か……かわいい……!」


 白猫はエステルの方に歩み寄ってくる。触れてみたくなり腰を屈めたが、猫はふい、と方向を変えて他所へと行ってしまった。


「みゃみゃっ、にゃおにゃー。にゃんにゃーん」──『ははっ、猫は気まぐれなのですよ。そう簡単に触らせてはもらえません』

「難しいのね」


 いつかあのふわふわもふもふに触れてみたい、とエステルは名残惜しげにその姿を見送った。よくよく見ると、少し離れた場所にも猫がトコトコと歩いている。


「あの猫たち、自由に歩いているけれど大丈夫なのかしら……」

「にゃお、にゃん にゃにゃ にゃっ にゃおにゃ。にゃにゃっ にゃん」──『ええ、猫は自由に歩き回る生き物なのです。飼われている猫はまた別ですが』

「猫にも色々あるのね……」


 ヒゲ猫の衛兵と話し込んでいると、ヒゲなし猫の衛兵が「に゙ゃに゙ゃ」っと喉を鳴らした。


「にゃんにゃにゃん、うにゃ。にゃにゃっ、にゃおにゃ、にゃん」──『話は陛下より聞いております。ささ、お嬢様、あちらにお乗り換えください』

「ええ、ありがとう。ごめんなさい、話し込んでしまって」

「にゃお!」──『いえいえ!』


 あちらといって案内されたのは、ハルヴェルゲン王家の紋章の入った豪奢な馬車だ。一台目にエステルとベルナールが乗り込み、二台目には荷物を押し込む。


 クレマン家の馬車とはここでお別れだ。来る途中でエドワード宛にあらかじめ書いておいた、無事到着したということを知らせる手紙を御者に預けると、エステルは馬車を乗り換えた。



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