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薬子は、袖から何かキラキラ光る物を地面に落とした。
「辺津鏡」
何か薬子が呟いた、ということを乙女が何となく認識した瞬間、身体全体に甚大な負荷がかかる。
『な、なんだこれ』
乙女が片膝をつき、薬子を掴んでいる手が離れそうになった瞬間、薬子がその薄い唇を再び開きかけた。
『やべえ。なんかやる気だ!』
乙女は、また謎の力で何かされると気付き反射的にする。目前の薬子に思い切ってタックルをかましたのだ。
〝ぐぅっ〟と薬子はくぐもった声を上げた。二人はもんどり打って丘を転げ落ちる。
「沖津鏡」
辛うじて発した薬子の呟きがまたもや謎の力に変換され、乙女の身体はくの字に曲がった。遠くまでは飛ばされずにすみ、丘の急な斜面に叩きつけられる。
『痛ってぇ……。内臓ぐちゃぐちゃになってねえか、これ』
乙女が普通の人間のままであれば、骨格も合わせてそうなっていたであろう。
薬子はヨタヨタと起き上がり、乙女に向けてまた何かしようとしている。
乙女は瞬間的に脳が沸騰してしまう。
「てめえ、いいかげんにしやがれ!」
ただ、一片の理性は残っていたのか、乙女の攻撃は平手で薬子の頬を張っただけに止まった。
手加減はしたのだが、それでも今の乙女の力は半端ではなく、薬子は紙人形のように吹っ飛び地面に横たわる。
「わ、悪ぃ。大丈夫か?」
それきり動かない薬子を見て乙女は不満になり、恐る恐る声をかけるが返事が無い。
「殺す!」
疾風のように、ミラが戻ってきた。文字通り鬼のような形相でキョロキョロしている。薬子と乙女を探しているようだ。
「おい、ちょっと落ち着けよ」
乙女はうっかり声をかけてしまった。すぐにミラが駆け寄って来る。
「オトメ! あいつどこにいるの?!」
ミラは牙を剥き出しにし、瞳に殺意を漲らせていた。
「いや、あの、お前ちょっと向こう行っててくれよ。今あいつと話してんだからさ……」
実際には話すどころではなく、薬子は地面にのびている。
「この手でギタギタにしてやらないと気がすまないのよ!」
「ミラちゃ~ん! 一人で先に行ってはダメですわ~」
雅樂のどこかのんびりした声がこだました。だんだん近づいてくる。
「オトメ! あいつに私のことどう伝えてるの?! なんか子供扱いしてきて調子狂うのよ!」
「どうって別に。なんも言ってねーけど……。でも多分人間だとは思ってないよ。お化けだと思ってるんじゃない? お前雅樂ちゃん脅かして遊んでたじゃん」
「だから! あの時あんなに怖がってたのに、なんで今はあんな親戚のオバちゃんみたいになってんのよ!」
「さあ……。慣れたのかな?」
乙女が頭をポリポリ掻いていると、夜のしじまを揺さぶるような、低い声が地を這い響き始めた。




