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夏花  作者: 八花月
2.赤歯寺・回向
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06

 住職は、慌てて黒光りのする板張りの室内を見渡してみるが、誰もいない。


「最近何か変わったことはないか?」


「え? あ、あの、回向(えこう)様ですか?」


「そうだ」


 〝回向〟は、このご招来の日に赤歯寺に来訪するとされているモノの名である。現住職は、この儀式をもう五、六回は執り行っているが、こんなことは始めてだった。


 先代、先先代はどう言っていただろう?


 本当に何かが来てしまった場合はどう対処すればいいのか……。


「何か変わったことはないか?」


 見えない何かは、再び同じことを聞いてきた。


「と、特に何もありませんが……」


 誰かの悪戯だろうか? との思いも心の隅をかすめたが、住職は確かめる気にはならなかった。


「そうか……」


 声は、何かを思案しているようにしばらく発せられなくなる。


「赤歯寺だけのことではなく、この辺一帯、斧馬の地で考えても何も浮かばないか? 何でもいいんだが。例えば不吉な予感、といったようなものだ。ちょっと気になったようなことで」


 非常に漠然とした問いだが、何かの意図があって聞いている、ということは住職にもわかる。


 しかし、いくら考えてみても、何も出てこない。


「何か災害や犯罪の予兆、といったようなものでしょうか?」


 住職は生真面目に問い返す。


 声の主は、またしばらく沈黙していたが、

「……いや、違う。そうではない。もういい」

と、諦念を含んだ口調で答えた。


「ではな」


「あ、あの、お料理は?」


 帰りそうな気配を察し、住職は慌てて引き留めるような言葉を口に出した。折角用意したのだから、食べてもらいたい気持ちはある。


「いや、いい」


 声は、素っ気なく返したが、

「……酒は貰う」

と、後に付け足した。


 それきり、声は消えてしまった。呼びかけてみても、何の応答もない。


 住職は立ち上がり、部屋の内外を調べてみるが、何者の痕跡も発見出来なかった。


「んっ?」 


 終わった、ということだろうと解釈し、部屋を片付け始めて気付く。


 回向の側の膳に置いてあった、酒の入った徳利が空になっていた。料理は全く減っていない。


「ははっ……ははははは」


 住職は、誰もいない部屋で一人、哄笑する。


「なるほど、これが〝回向〟か。ははははは!」


 仏教語のそれとは違う、知っている者にとっては独自の意味を持つ言葉を口にし、住職は虚空に向かって笑い続けた。

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