11 新しい理(ことわり)?
裂け目の中心――アリスが創り出した“第三の道”は、もはや一人の存在の選択を超えて、
街全体を覆う新しい理の波となって広がっていった。
◆
まず空が裂けた。
青空は砕けた鏡のようにひび割れ、無数の“別の空”が重なり合う。
昼と夜、晴天と嵐、星空と砂嵐――矛盾する情景が一枚の天蓋に共存し、
街に住む人々はその光景に悲鳴を上げた。
次に大地が揺れる。
石畳の道が海の波のようにたわみ、建物の影から「もう一つの建物」が透け出す。
現実の街と、別の時空の街が重なり、同じ場所に“二つの存在”が押し込められた。
ナツメは目を覆い、声を震わせる。
ナツメ「これ……まさか、“多重世界”の干渉……!?
一つの都市に無限の可能性が重なってる……!」
ギンの額に冷たい汗が伝う。
彼の瞳には、すでに“人の輪郭を失い始めているアリス”の姿が映っていた。
ギン「アリスの新しい理が、世界に投影されている……
このままでは街そのものが観測の対象になり、“定まらない現実”に変わる」
◆
街の人々の身体にも異変が現れる。
ある者は突然“未来の自分”と重なり、二つの人格が同時に語り始める。
ある子供は、影から別の子供が抜け出し、まるで双子のように存在してしまう。
兵士の剣は何度も“抜かれる瞬間”を繰り返し、敵のいない空を斬り続けた。
人々の悲鳴と祈りが混ざり合い、街全体がカオスと化していく。
ナツメ「これ以上広がったら……ただの異変じゃない。
この世界そのものが――アリスの“観測実験場”になっちゃう!」
ギンは低く唸った。
ギン「止めるしかない……だが、外からの干渉はすでに届かん。
アリス自身が、この“新しい理”を収束させねば――」
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その瞬間、裂け目から膨大な光がほとばしった。
アリスの声が街全体に響き渡る。
アリス『――これが……私の答え。
矛盾を抱えたままでも、“人”として世界を観測する』
しかしその声は、街の人々には救世主の宣言ではなく、
“神の声”にも似た恐怖の響きとして届いていた。
人々は震え、泣き叫び、祈りを捧げる。
その様子はまるで、アリスが新しい信仰の対象に“化け始めている”ようにすら見えた。
――街は、すでに「アリスが創る理」の中に取り込まれつつあった。
街が新しい理に呑まれ、人々の姿や時間が重なり合う混沌の中。
その裂け目から――圧倒的な“存在”が降り立った。
それは形を持たぬ。
光でも影でもなく、音でも沈黙でもなく、ただ「在る」という概念そのもの。
人々はひれ伏し、心臓を握られたように息を詰める。
“真理”の存在が響かせた声は、誰に向けられたものでもなく、
しかしすべての者の内奥に届くものだった。
真理の存在『――許されぬ。
観測者である人間が、自らの選択を以て“理”を上書きするなど。
この世界は均衡に基づき成り立つ。
おまえの介入は、その均衡を壊した』
声と共に、街の上空を覆う“多重の空”が震え、割れ、光の雨が降り注ぐ。
それは祝福ではなく、“裁き”の雨。
触れた建物は瞬時に崩れ、触れた人々は影となって消えていく。
ナツメ「やめて……っ! 彼らは何もしてない!」
ナツメが叫んでも、真理の存在は揺らがない。
真理の存在『均衡を破る者と、その影響を受けし世界は、一つに裁かれる。
それが宇宙の理。』
ギンは歯を食いしばる。
ギン「……アリス。お前の選択は、ここまで世界を敵に回すのか」
◆
裂け目の奥から、アリスの声が届いた。
その声は、すでに人間の声色から逸脱し、
深淵と共鳴する響きとなっていた。
アリス『……私が壊した?
いいえ、違う。
壊れたのは――あなたたちが“完璧な均衡”と呼んで押し付けてきた幻想よ』
街に残された人々の影が震える。
その言葉は、恐怖ではなく、奇妙な解放感をもたらした。
まるでアリスの理が、既に彼らの心に浸透し始めているかのように。
真理の存在はわずかに沈黙した。
だがすぐに、冷たく告げる。
真理の存在『ならば――おまえをもって裁きを完遂する。
アリス、人の身を超えて理に触れし者よ。
ここでその芽を摘む』
次の瞬間、裂け目全体が裁きの炎に包まれ、
街と異界、すべてが“終焉の光”に飲み込まれようとした。
審判の炎が街と裂け目を呑み込もうとする瞬間――
その中心で、アリスの姿が変貌を遂げていた。
◆
もはや彼女は“少女”ではなかった。
髪は光の糸となって宙に漂い、瞳は多重世界の星々を映し込む鏡。
輪郭は人の形を保ちながらも、その周囲には幾重もの影と光が重なり、
見る者ごとに“違うアリス”が現れる。
ナツメは震えた声を上げる。
ナツメ「アリス……っ、それ……もう、人じゃない……!」
だがアリスは笑った。
人間的な微笑みではない。
観測する存在、万象を測定し操る者の“確信”の笑み。
アリス『――人であることに、何の意味があるの?
この世界が私を拒むなら、私はこの世界を超えてみせる』
◆
真理の存在が再び裁きの声を響かせる。
真理の存在『冒涜者……。
その身を棄て、理を凌駕せんとする者。
ならばここで、存在そのものを削ぎ落とす!』
宇宙の律動が震え、炎は巨大な刃となってアリスを斬り裂こうと迫る。
だが――アリスは逃げなかった。
両手を広げ、その身に炎を受け入れる。
次の瞬間、炎は分解され、数式と記号の光に変わって消滅した。
アリス『裁き……? それはただの“観測の結果”よ。
なら私は、新しい観測を上書きする――!』
街全体が震えた。
人々の影が一斉に立ち上がり、アリスの姿に重なっていく。
未来の自分、過去の自分、可能性として存在した無数の“アリス”が折り重なり、
彼女は一人でありながら、無限の集合体となった。
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ギンはその姿を見て息を呑む。
ギン「……あれはもう、アリスではない。
いや……“人間”の定義すら、書き換えられている……!」
ナツメは必死に叫ぶ。
ナツメ「アリス! あなたが人じゃなくなったら……
私たちはもう、一緒に笑えないんだよ!」
だがアリスは振り返らない。
その眼差しはただ、真理の存在だけを射抜いていた。
アリス『――来なさい。
私はこの世界の“調停者”じゃない。
私は、新しい理そのものよ!』
裂け目が激しく轟き、街の空が二つに割れる。
アリスと真理の存在――
人智を超えた二つの存在が、正面から衝突しようとしていた。