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以前にも述べたような気がするけれど、しっかりとした縁を結べれば、先輩というのは学校生活を送る上で、非常に優秀な相談相手だ。
何故なら彼、彼女は、僕らが歩む道の先にいて、どこが躓き易いかといった、経験に基づく情報を持っていた。
また何より重要なのだけれど、先輩というのは、先生とは違ってあくまで学生なので、僕らと同じ学生の立場からのアドバイスをくれる。
「林間学校で大切なのは、一緒に行くメンバー達がどういった相手なのかを把握して、事前に準備しておく事かな。殆どの場合は、授業で組んだのと同じ相手と、林間学校でも一緒になるよ」
慣れた手つきで素材の入った鍋を火にかけながら、シールロット先輩は僕にそう教えてくれた。
彼女曰く、事前に自分で準備をしておけば、林間学校に魔法薬等の道具を持ち込めるらしい。
その手の道具を使う事も、魔法生物との戦い方の一つであるからと。
「例えば、女の子が多いなら、大森林でトイレをどうするか、解決する道具は持って行った方がいいよね。……男の子の場合でも、匂いがそこに残っちゃうと、危ない魔法生物を引き寄せるかもしれないから、匂い消しは必要かな?」
シールロット先輩は、女子の口からは男子に伝え難いような問題も、躊躇う事なく教えてくれる。
……もしかしたら、彼女は僕を、男性扱いしてないんじゃないだろうかって思うくらいに、あっさりと。
だとしたら、少しばかり複雑だ。
でもそのアドバイスは、間違いなく有効だろう。
林間学校では、ジェスタ大森林の中で寝泊まりをする事となる。
少しの間ならともかく、一日以上の時間は、人は生きる上での三大欲求に抗えないのだ。
そして食事、睡眠、排泄は、人が大きな隙を晒す瞬間だった。
もちろん魔法学校側も、生徒を殺す心算でジェスタ大森林に放り込む訳じゃない。
魔法生物を遠ざける効果がある守りの魔法の道具は、幾つか貸し与えられると聞いている。
それを使えば、比較的だが安全に、休息を取る事はできるだろう。
しかしその魔法の道具も、無限に使える訳じゃなく、つまりジェスタ大森林の中で休息できる時間には限りがあった。
ならばその限られた時間を上手に使って、体力を回復させる必要がある。
食事、睡眠、排泄にストレスを感じないよう、高効率化する道具は、体力の回復に大きく役立つ筈だ。
「後は、大容量の鞄を持って行けば、沢山の道具を持ち込めるから有利になるよ。私の鞄を貸してあげるって訳にはいかないから、自分で作る必要があるけれど……、挑戦してみる?」
鍋の中身をかき混ぜながらのシールロット先輩の提案に、僕は迷う事なく頷く。
実は、錬金術を使った魔法の道具作りに関しては、二年生の授業でもまだ教わってはいない。
今はまだ、授業ではその前段階、魔法の道具をつくる為の、魔法の力を持った素材の作り方を、錬金術の授業では教わっていた。
錬金術で魔法の道具を作る際に使う素材は、そのまま魔法生物の身体の一部を使う場合もあるけれど、ごく普通の素材に魔法の力を染み込ませるやり方もある。
例えば専用に調整した魔法薬で満ちた大鍋に、真っ白な布地を浸け込んで、まるで染色するかのように、魔法の力を染み渡らせるのだ。
するとその布地は、水を弾いたり、火に燃えなくなったり、透明になったりと、使用した魔法薬の種類によって、様々な効果が備わった。
尤もそのやり方で移された魔法の力は永遠のものではないので、更に加工を施して、魔法の力がより長く布地に留まるように、様々な手間を加えていく必要はあるのだけれども。
でもそのように、授業の進行速度に合わせていては、当たり前だが高等部に上がってすぐに研究室を得るなんて事は不可能だ。
他の科目はともかく、錬金術に関しては、僕には明確な目標があるのだから、のんびりと与えられる事を待ってはいけない。
自分が望む物が遥か先にあるのなら、授業でそれを教わるのを待つのではなく、自ら手を伸ばして、他の手段で知識と技術を得なければならなかった。
その為の方法は、もちろん色々とあるだろう。
シールロット先輩に教わったり、図書館で錬金術の書を調べたり、クルーペ先生のところに押しかけて先に進んだ内容を教えてくれと強請ったり。
そして今、シールロット先輩は、新たな道具の作り方を僕に教えてくれようとしている。
返事を躊躇う理由は、どこにもなかった。
「うん、キリク君なら飛び付くと思ったから、もう素材の準備はしてあるんだ。でも、無料じゃないからね。ジェスタ大森林で採れる素材のお土産、期待してるから」
そんな風に言って、シールロット先輩が笑う。
僕は、その笑顔があまりに素敵で、胸が一つ、ドキリと弾んだ。
本当に、彼女には敵わない。
……少し思考を逸らして、違う事を考えるなら、実はジェスタ大森林に挑む為にあれやこれやと準備するのは、正直少し複雑である。
何故ならあそこは、僕とシャムの故郷で、心の底から危険な場所だとは思えないからだろう。
いや、もちろんわかってはいるのだ。
僕が知ってるジェスタ大森林はごく一部で、ケット・シーや、その他の妖精が支配する領域のみだった。
妖精達が他の危険な魔法生物を近付けないから、僕はあの森でシャムと一緒に鹿を追い掛けたり、好きに遊ぶ事ができたんだと思う。
でも頭で理解するのと、心が納得するのは少し違って、僕はあの場所を心の底から危険だとは、まだ認識できてない。
授業で、ジェスタ大森林の近くまで連れていかれて、魔法生物との戦闘を経験した今でも、尚。
むしろ危険だというなら、この魔法学校に来て一番危険な目に合ったのは、普段寝起きしてる卵寮の屋上だったし。
ちらりと視線をやると、椅子の上でシャムが丸まって目を閉じている。
彼には、今の僕らの準備や、ジェスタ大森林への警戒が、どんな風に見えてるんだろうか。
僕にはそれが、少しばかり気になった。





