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「あっ、キリクさん」
食事を乗せたトレイを持って、とある席に腰を下ろせば、対面に座っていた一人の生徒が、顔を上げて僕の名を呼ぶ。
彼の名前はアルティム。
エリンジ先生がこの魔法学校に連れてきた、今年の一年生の当たり枠とされる生徒だ。
「ここ、大丈夫?」
座ってしまってから聞く事でもないような気はしたけれど、僕は一応確認を取る。
肩の上で、シャムがひと声鳴いた。
それはアルティムへの挨拶か、それとも僕への呆れの溜息か、一体どちらなんだろう。
エリンジ先生に連れられたアルティムと出会って以降、僕は食堂で彼を見付けると、こうして相席をするようにしていた。
尤も食事のタイミングが毎回アルティムと被るって訳でもないから、頻度は時々ってくらいだけれども。
もちろん彼が他の誰かと相席してる時は、無理に割って入ったりはしない。
最初は僕に対して戸惑い気味だったアルティムも、今ではもう随分と慣れたみたいで、こうして笑顔で出迎えてくれるくらいになっている。
同じようにエリンジ先生に教わって、この魔法学校に来るのが遅かったって共通点が、会話の取っ掛かりにも、親近感を抱くにも、きっと丁度良かったのだろう。
「もちろん、嬉しいです」
僕の確認に、アルティムは少しはにかむように、そう答えた。
うぅん、やっぱり彼は、服装次第では女の子に見間違えられそうな顔立ちをしてるなぁって、改めて思う。
まぁ簡単に言えば華奢で顔立ちが整ってるって意味なんだけれど、それは必ずしもいい風に作用するとは限らない特徴だ。
線が細ければ、庇護欲を掻き立てる時もあるけれど、相手に侮られる場合もある。
見目の良さは、好意に繋がる事もあれば、嫉妬を買うケースだってある筈だ。
まして当たり枠であるアルティムは、秘める魔法の才能だって周囲よりも高いから、どうしたって余計に目立つ。
それを面白くないと感じる生徒は、決して皆無じゃない。
だが今のところは、その反感が表に出てる様子はなかった。
僕の友人のジャックスが、頼んだ通りに一年生の貴族の生徒に、ちゃんと声を掛けておいてくれたからだ。
貴族という身分は、良くも悪くも影響力がある。
魔法学校の中では、外よりもその影響力は小さくなるが、それでも決して皆無ではないから、貴族の生徒の行動に、他の生徒も倣ったのだろう。
具体的にジャックスが貴族の生徒に何と言ったのかはわからないけれど、アルティムは一年生の間で、妙な排斥を受ける事もなく、穏やかに過ごせてる様子だった。
ジャックスとは、最初の出会いこそあまり良いものではなかったけれど、今では本当に頼りにしている。
ただ、こうして食堂で食事をしてると、一部の一年生からは、畏怖の目で見られてるようにも思えるんだけれど……、一体ジャックスは、一年生に何を言ったのだろうか。
「そういえば、噂で聞いたんですけど、キリクさんが上級生と戦って勝ったって話は、本当なんですか?」
食事の合間に、他愛のない雑談に興じていると、ふと思い出したようにアルティムが僕に問う。
僕はその問い掛けに、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
噂。
噂かぁ。
僕の他に上級生徒の繋がりなんてあまりないだろうアルティムの耳に入る噂なんて、一年生の間に流れるものくらいだろう。
では一年生の間に、僕が上級生に勝ったって話が流れてるって事になる。
一体どこから?
初等部の一年生と二年生の模擬戦は、別に秘されてる訳じゃないけれど、だからって関係の浅い一年生にわざわざ教える程の事でもない。
もちろんアルティムにとっての僕のように、僕にとってのシールロット先輩のように、親しく付き合いがある上級生が居るなら、理由があれば話すとは思う。
だから知ってても、決しておかしくはないんだけれど、耳が早いなぁって驚かされる。
いや、でも、よく考えると僕の知り合いに一人、一年生と繋がりがあって、話す理由がなくもない者がいた。
そう、さっき名前を出したばかりの、ジャックスだ。
彼なら一年生の貴族の生徒に声を掛ける時、殊更に大袈裟に僕の話をしたかもしれない。
もしかして、僕が一部の一年生に怖がられてそうなのって、そのせいか?
怒ると上級生だろうと貴族だろうと殴り飛ばすから、僕が気に入ってるらしい生徒には手を出すなっていったとか……。
普通にありそうだなぁ。
「あぁ、そんな事もあったね。でも上級生には強い人も沢山いるし、あの時は運が良かっただけだと思うよ」
上手い言い回しが思い浮かばず、僕はアルティムにそう答える。
僕があの模擬戦で、上級生の大将であるグランドリアに勝ったのは紛れもない事実だ。
けれどもだからって、僕があの学年の上級生の誰よりも強いのかっていえば、間違いなく答えは否だった。
少なくとも、僕はキーネッツには勝てる気が全くしない。
だから誤解を招かぬよう、だが嘘にはならないように、僕の言い回しはどうしたって微妙なものになってしまう。
今は僕の膝の上に移動して、食事を取ってるシャムが、再び一つ鳴く。
やっぱりこの鳴き声は、呆れの溜息の方だった。
「あの話、本当なんですね!」
しかしアルティムは、僕の返事に嬉しそうに目を輝かして、無邪気に喜んでくれている。
そんなに喜んでくれるなら、まぁ、いいか。
他の一年生には、もしかしたらその話のせいで恐れられてるのかもしれないけれど、一人でも慕ってくれる後輩がいて、その子が平穏に過ごせてるなら、僕は十分だ。
尤も、そんな事を言っても実は、前期が始まってからまだ、二ヵ月と経ってない。
アルティムがこの魔法学校に来てからだと、一ヵ月と半分くらいだから、まだまだ学校生活はこれからなんだけれども。
今は平穏でも、この先も同じであるかはわからないし、僕の手が及ぶ範囲には限度がある。
一年後、卵寮から高等部の科の寮に移った後は、特にそうなってしまう。
この魔法学校での生活をより良いものにしようと思えば、アルティムは自分の力で周囲を味方に付けねばならない。
彼の未来は、彼自身の手で切り開く必要があるのだ。
成長と共に、今の容姿も少しずつ変わっていく。
誰もが認める一人前の魔法使いに、アルティムはなれるだろうか?
いや、後輩の心配をする前に、まずは僕が一人前の魔法使いにならなくちゃならない。
その為の努力は怠らず、でも可能な範囲で、後輩の学校生活にも少しは関わって……。
魔法学校で、二年生になった僕の生活は、今のところはそんな感じだ。





