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二年生の授業の中で、ある意味で最も過酷な科目は治癒術だった。
これは以前にも少し述べたと思うけれど、その理由は魔法を掛けるべき対象、魂の力によって書き換える世界の理が、人の身体であるからだ。
例を挙げると、人の腕には幾層かの皮があり、血管があり、脂肪があり、筋肉があって、骨がある。
腕を刃で深く切り裂かれて、治癒術で傷を癒す時、目に見える傷口を塞ぐ事ばかりに躍起になれば、その奥で血を噴き出してる血管の修復が疎かになってしまう。
或いは血を止める方にばかり意識がいけば、断たれた筋肉の修復が行われず、腕が動かなくなるかもしれない。
故に治癒術を使う場合、人の身体の中にそういった物があると知り、修復されるイメージを持つ事が重要であった。
もちろん、身体の中を正確に見られる訳じゃないから、治癒術のイメージはどうしたって曖昧になる。
そもそもこの世界の医学では、血管の中に血が流れてる事はわかっても、その血がどんな役割を果たすのかは、わかっていない。
人の身体が細胞の集まりだって言っても、治癒術の教師だって首を傾げてしまう。
そんな曖昧なイメージで治癒術を使って良いのかといえば、当然ながらあまり良くない。
しかしそんな治癒術でも、いざという時に人の命を救う役には立つのだ。
魔法でも、失われた命を取り戻す事はできないとされてる。
本当にできないのかは、わからないけれど、少なくとも簡単でないのは確かだろう。
だから後で身体に不具合を起こしてでも、その場で命を繋ぎ止められる治癒術は、習得しておくべき必須の魔法だ。
もしも前世で医者だった、星の世界の医学を正しく知る者が魔法使いになれば、多くの人を救えるのだろうけれど、残念ながら僕にその知識はなかった。
じゃあ一体、僕は前世で何ができたのかといえば……、……?
いや、僕は前世で、一体何ができたのだっけ?
あぁ、うん、ちょっと思い出せないけれど、少なくとも医学の知識はなかったと思う。
なので、治癒術の授業では、この世界なりに正しい人体の知識を教えられるし、動物や自分の身体を使った、厳しい実践が待っている。
そう、治癒術の授業の何が厳しいって、この動物や自分の身体を使うって部分だ。
……鋭く光る刃を前に、僕は大きく深呼吸を繰り返す。
気持ちを整え、意を決し、それから僕は手にした刃を左腕に当て、一気に横に滑らせた。
つまりは、自傷行為である。
当たり前の話だが、治癒を試すにはどうしても傷が必要だ。
だったら治癒の前には、その傷を作らねばならない。
でも自らの身体に治癒の為の傷を刻むのは、当然ながら痛いし、何よりも怖かった。
危険がない事は、頭ではわかってる。
すぐに治癒術で癒すし、仮にその治癒術に失敗したとしても、手足などの末端部分は切除して、強力な回復の魔法薬を使って元通りにすればいい。
その為の魔法薬が、この授業ではしっかりと用意されてる。
また、治癒術の教師であるシギ先生は、授業以外の時は医務室に待機してて、怪我人の治療をしてくれる人だ。
要するに、僕も一年生の頃から何度か世話になっていた。
もしも彼女を信じられないなら、そもそもこの魔法学校では、一つも怪我ができないだろう。
ただ、そうした事が頭ではわかってても、自傷は怖いし、気は進まないし、どうしたって痛い。
溢れ出て来る血に、気分が少し悪くなる。
いや、今はまだいい。
傷付けるのは自分の身体だ。
しかし腕や足といった末端じゃなく、もっと命に関わりかねない部位の治癒を練習する時は、動物を傷付けて使う事になる。
魔法で眠らせ、抵抗をしなくなった動物に、刃を入れて傷を癒す。
失敗すれば、或いはそのまま命を奪う事になるかもしれない。
だからこそ、人の身体ではなく動物を使うのだとわかってはいるが、好んでそれができるかと言えば、話は別だろう。
「傷よ、癒えよ。我が身よ、正しき働きを取り戻せ」
刃の代わりに杖を握って、僕はその文言を口にした。
自分で付けた傷だから、損傷の度合いは把握済み。
切れた血管、肉、皮膚と、全てを元通りに修復する。
それから僕は左の手を握って、腕を動かして、問題がない事を確認してから、大きく息を吐く。
違和感はないから、恐らく、成功だ。
後はその腕をシギ先生にも確認して貰う。
シギ先生は、四十代くらいの女性で、医務室に居る時はとても優しく、怪我の手当てもニコニコしながらしてくれる。
そりゃあ、あまり無理はするなと窘められる事はあるけれど、魔法学校の授業に怪我はどうしても付き物だから、強く叱られる事はない。
だが、治癒術の授業を行ってる時の彼女は、まるで別人のように厳しく、少し怖いくらいだった。
「ちゃんと治癒ができてますね。合格です」
故に、こうして合格の言葉を貰えれば、とても嬉しい。
治癒術は命に関わる魔法だから、シギ先生の態度が厳しいのは当たり前だし、正しい事だ。
だから僕は、この治癒術の科目を担当してくれる教師がシギ先生で、良かったと思ってる。
今日学んだ、それからこれから学ぶ治癒術が、僕や、或いは僕の周囲の誰かの命を救う機会は来るのだろうか。
もちろん、そんな機会はないに越した事はないのだけれど、それでも備える必要はあるだろう。
この世界では、一体何が起こるかわからないと、僕は冬期休暇に学んだばかりなのだから。





