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クルーペ先生の研究室に行かない日に関しては、その過ごし方は様々だ。
走り込みやトレーニングをしたり、魔法学校の周囲の森、その比較的だが安全とされる場所で、木に登ったり、虫を取ったり。
その虫の名前が何で、どんな生態なのかを、図書館の本で調べたり。
別に何にもなしで、図書館で好きに本を読んだりしてる。
今日の気分は図書館だった。
ウィルダージェスト魔法学校の本校舎、その二階の一室に、図書館はある。
そう、別の建物って訳でもないのに、その広さ、蔵書量は、図書室ではなく、間違いなく図書館の規模なのだ。
恐らく中の空間が、歪んで捻じれて広くなってるんだと思う。
錬金術で用いる採取の鞄は、中の容量が明らかに普通の何倍もあるけれど、それを大規模に応用したものが、この図書館なんじゃないだろうか。
そもそも、二階の扉から入るのに、中はどーんと天井が吹き抜けになってて、立ち並ぶ本棚はとても高く、何故か別に階段を下る地下室もある。
普通に考えると、上の階と下の階は図書館に潰されてしまってる筈なのに、そうした話は聞いた事がない。
入り口付近の本棚には、魔法と関係のない蔵書が多い。
例えば国の歴史とか、普通の動物図鑑とか、お伽噺を纏めた本とか、そのような。
そこからもう少し奥に進むと、魔法に関連する書物が並ぶスペースだ。
動物図鑑は、魔法生物の図鑑へと変わり、お伽噺も魔法的に解釈された本になる。
もちろん、錬金術に関わる本も沢山あった。
魔法に関する書物が並ぶスペースも、基本的には入り口に近い方が、初等部向けで、奥に進めば高等部向けの本棚が増えて行く。
更に奥には、禁書の本棚が並ぶそうで、僕はまだ近付かないようにと、図書館の司書、フィリータという名の、恐らく若いんだろう女性に言われてた。
その言い付けは守ってるから、僕は禁書の本棚にはどんな本が眠ってるのか、そこから先、果てがないようにも見える図書館の奥には何があるのか、まだ知らない。
この魔法学校で、駄目って言われる事は、大抵は真剣に危ないから。
但しその危険を乗り越えられる知識と実力が身に付けば、やがては利用の許可も下りるだろう。
地下室への階段は、フィリータが座ってる席の後ろにあって、これも許可を取らなければ立ち入りはできない。
何でも、本ではない古代の遺物、資料等が収められているんだとか。
高等部で黄金科に進めば、入る事があるかもしれないなぁ、くらいに思ってた。
「あら、ようこそ、猫の少年。今日は何の本をお探しでしょう。また虫の図鑑かしら?」
司書のフィリータは、まさに図書館の主というべき存在で、彼女のところに赴けば、希望の本を出してくれる。
特に目的がなく、気になる本を探したかったり、本に囲まれた空間を歩き回る事でインスピレーションを得たいなら、自分で本棚を見て回るのも悪くはないが、目的があるならフィリータに聞いた方が圧倒的に早い。
今日は、一応は探して欲しい本があった。
「いえ、今日は、悪霊に関して調べたくって。何かいい本、ありますか?」
僕が要望を出せば、フィリータは何度か頷き、杖を手に取り、二度手前にクッ、クッと振る。
すると奥の本棚から、本が二冊飛んで来て、僕の前に重なった。
タイトルは、一冊はそのままズバリ、『悪霊とは』。
もう一冊は、『星の世界』と書いてある。
「一冊目が、ご希望通りに悪霊とは何かって書いてる本で、もう一冊は、直接的に悪霊を書いてる訳じゃないけれど、どうして悪霊が夜に動くのかが分かる本ね。他にも、娯楽の怖い物語とかあるけれど、そちらも興味はおあり?」
悪戯っぽく、そう言うフィリータに、僕は慌てて首を横に振る。
流石に、ホラー小説を読みに来た訳じゃない。
それから僕は、フィリータにお決まりの注意事項、本を汚さない、破らない、勝手に持ち帰らない等と、恐らく僕専用の注意事項である、猫に本を汚させない、猫に本を破らせない等を聞いてから、本を読む為の席に着く。
机の上の書見台に本を置き、ページを開けば、肩に乗ったシャムも、身を乗り出して覗き込む。
この本によると、悪霊とは何かを説明するなら、魔法の一種であると答えるのが、最も正解に近いそうだ。
魔法使いは、魂の力を用いて理を塗り替え、魔法を行使する。
普通の人と、魔法使いを分けるのは、この魂の力の強さだろう。
しかし普通の人にも、弱くとも、魂の力は存在していた。
そしてこの普通の人にも存在してる魂の力が、何かの切っ掛けで強く発揮され、理に影響を与え、魔法を織り成す事はある。
例えば、そう、非業の死を遂げた時とか。
悪霊とは、そうして織り成された魔法である。
世界に染み付いた、魂が焼けた跡、という言い方もできよう。
ただ悪霊の織り成され方は、様々だ。
非業の死を遂げた一人の力で悪霊が形成される事もあれば、大勢の民衆が彼、または彼女は悪霊になったのだと信じる事で、魔法が補強されるケースもある。
戦場で大勢が死んだり、賊に村が虐殺されたりした場合、多くの魔法が折り重なって、一つの悪霊という魔法になる場合もあるらしい。
多くの悪霊は、その誕生の経緯から、人を傷付けようとする事が非常に多い。
また人を傷付け、苦しめ、殺せば、自分が誕生した時と同様の魔法が発生すると知っており、自らを補強する為にも、人を襲う。
悪霊を倒す場合は、魔法を用いるのが最も効果的である。
理を染めている悪霊という魔法を、別の魔法で塗り潰すのだ。
もしも魔法を用いずに悪霊を倒す場合、新たな犠牲者を出させず、悪霊が存在するという噂を否定し、悪霊という魔法の補強を防ぐ。
そうすれば次第に、理は修復され、悪霊という魔法は消えるだろう。
悪霊は所詮、不完全な魔法でしかない。
その証拠に、悪霊は夜にしか活動ができなかった。
何故、夜なのかといえば、夜は星が空に輝き、異なる世界の理の影響を受け、世の理が揺らぐ時間帯だからである。
「……異なる世界か」
『悪霊とは』を読み終えた僕は、次に『星の世界』を書見台に置いた。
この本によると、夜空に輝く星々には、全てに別の世界があるそうだ。
それは灼熱の世界かもしれない。或いは凍れる世界かもしれない。
生き物なんて何もいないかもしれないし、逆に想像も付かない何かが住んでる世界かもしれない。
時折、この世界に、異なる世界からの来訪者があるという。
尤も、世界の壁は肉体を保持したままでは越えられず、魂のみが光に乗ってやってくる。
そうした魂がこの世界で肉体を持つと、異なる世界に生きた記憶、『星の知識』を持つ者が生まれるそうだ。
もちろん、星の知識を持つ者の全てが邪悪という訳ではないが、彼らは往々にして独自の理で動き、世界に混乱を齎す事が少なくない。
また世界の壁を越えられる程の魂は、当然ながら強い力を持っていて、その名は幾度も歴史に刻まれた。
大破壊の魔法使い、ウィルペーニスト、星の灯という宗教の開祖、グリースター……。
「なぁ、キリク。おいって、顔色、悪いぞ。本の読み過ぎで気分が悪いなら、もう出よう」
顔にべちべちと、いや、ぐにぐにぷにぷにと、柔らかな物が押し付けられて、耳元でシャムが囁くように、そう言ってる。
ふと気付くと、寒気を覚えて、身体が震えた。
あぁ、うん、確かに、気持ち悪い。
今日は、このくらいにしよう。
この本を読み切るのは、今の僕には無理だ。
ウィルペーニストに、グリースター。
その名前だけは何とか憶えて、僕はフィリータに本を返却し、図書館を後にする。
異なる世界、星の知識……。
僕も、もしかしたら、この世界に混乱を齎してしまうのだろうか。





