Sシステム
その帰り道、空はもうすっかり暗くなっていた。大君は未来島へと続く長い橋の上を走る車の後部座席から、ぼんやりと島の輪郭を眺めていた。永遠の楽園とさえ思える未来島へと続く三本の橋は明るくライトアップされ、時折大君の目を狭めさせた。
「やはり、ずっと気にはなっていたけど、そろそろ確認する時が来たかな」
それは講演会で自分の経歴を語っている時もずっと感じていた違和感についてだった。
「俺の記憶のことを、昴流に聞いておく必要がある」
大君は昴流に電話を掛け、既に退社して島内にある自室にいることを確認した。
「すみません、行き先を変えていただけますか?」
大君は昴流の自室へと行き先を変更した。
車内に流れるラジオを聞いていると、こんなニュースが流れていた。
「衆議院が解散し、解散総選挙が予定されます」
「やあ父さん、久しぶり。すまないね、最近ちょっと忙しくて」
「色々な人から聞いている、無理もない。悪いなゆっくりしてるところに」
「良いよ、父さんの顔が見られて少し元気が出たくらいだ」
昴流はソファから手を上げて自分のフューマン、ナナに合図をした。
「あ、ナナさん。お茶でしたらお構いなく」
大君はキッチンに立つナナにそう声を掛けた。
「ナナさんか。あれから、調子は戻ったのか?」
「ん? まあ……ね」
「妙に歯切れが悪いじゃないか。ナナさん、相変わらず手際よく動いているのに」
「流石に色々あってさ。ところで父さん、今日はどうしたのさ」
「ちょっと昴流に確認しておきたいことがあってな」
「なんだい?」
「うん。実は俺の記憶のことなんだ」
「……そうかい。聞くよ」
昴流は少し声のトーンを落とした。
「ずっと気になっていたんだ。どうして俺は死ぬ直前までの記憶があるんだろうって」
「うん」
「最初に昴流は言ったな、記憶を司る海馬に障害が生じていると。今の技術水準がどれ程のものかは知らないよ。でも、死んで活動電位が途絶えた脳のデータを読み取れるものなのか」
「そう……だね」
「では、何故?」
「やっぱり、気になるよね」
「実は、聞くのが恐くもあったんだ……俺が、誰なのか」
「大丈夫。父さんは、間違いなく父さんだよ。父さんの脳がちゃんと生きている」
「では、記憶はどう説明する?」
「……そうだね、話すよ」
昴流は大きく深呼吸をした。
「実はね。良く解っていないんだよ」
「どういうことだ?」
「奇跡としか、言いようがないことが起こったんだ」
「奇跡?」
「ああ。その時僕は手術を受けていたから後で聞いた話なんだけど、あの時……父さんが病院で倒れた後、ナナがやって来たらしい」
「ナナさんが?」
「うん……僕と宙光が喧嘩をしたきっかけを作ったのは、僕の気持ちを邪推したナナであったことを覚えているかい?」
「ああ、それであんな事件が起きてしまい、自分のしたことにショックを受けて、確か深刻なエラーが発生してしまったはずだったよな」
「そう。それで責任を感じたんだろうね……病院に現れたナナは、倒れた父さんの額に、自分の額を当てていたと聞いているよ。そして、そのまま動かなくなってしまったと」
「どういうことなんだ?」
「そこが解らないところなんだ。でも結果、後からナナの領域に父さんの記憶が残っていることが判明した」
「どうやって」
昴流は首を横に振った。
「推測だけどね。フューマンは電気で動いている。その電気を父さんに流して、それをエコーのように読み取っていたんじゃないかな。当然、フューマンにそんな機能はないよ。でも、あの時発生した深刻なエラーの影響なのかは解らないけれど、フューマンの可能性を超えた何かが起きていたんだと思う」
「でも、そんな無茶苦茶な方法」
「だから、ナナは動かなくなってしまった……今、キッチンにいるナナは、ナナの姿をしているだけであって、当時の記憶を持ったナナではないんだ」
「そうだったのか……」
そこへナナがお茶を持って現れた。
「どうぞ」
ナナはテーブルに二つお茶を並べた。
「ありがとうございます」
「昴流様、有実様から頂いたお菓子をお出ししても?」
「ああ、そうだね。頼むよ」
「かしこまりました」
ナナは一礼して下がった。
「それじゃあ、前のナナさんは?」
「……」
昴流は目を閉じ、またゆっくりと深呼吸をした。
「この未来島のシステムはね。Sシステムと言う基幹システムによって万事上手く行くように制御されているんだ。そしてそのSシステムはそれぞれソーシャル、セキュリティ、サンクション、スペース、スタティクス、ストラテジー等と言った七つの柱で構成されている」
「社会、安全、認可、空間、統計、戦略……あと一つは?」
「Sシステムの柱の中で最上位となる総合システムさ……何だと思う?」
「S……シンセサイズ、とか?」
「まあ普通そう思うよね。でも違う」
昴流は少し間を置いて答えた。
「センチメント」
「……意外だな」
「そうかい? 父さんなら心当たりがあると思ったけどな」
「俺に?」
「うん。……じゃあ、今度セントラルタワーフロンティアへおいでよ。FHFを案内するからさ。父さんに見せたいものがあるんだ」
昴流は優しく微笑んだ。
大君は昴流の案内を受けてフロンティア内FHFを見学して回っていた。
「さて、これで主要部は一回りしたかな。最後に一番上まで上ってみようか。てっぺんから島を一望できるんだ」
「それは有り難いけど、昴流、お前忙しいんじゃないのか?」
「気にしない気にしない。たまには息抜きくらいさせておくれよ」
大君は昴流に背を押されるように最上階へと向かった。
「凄いな、これは」
大君は眼前に広がる光景に感嘆した。
最上階はドーナツ型に360度島を見渡せる構造になっており、島から続く三本の橋がそれぞれ本土に向かって伸びているのが良く見渡せた。太平洋側にある港湾部には大型船が幾つも並ぶ他、離陸用の滑走路も見える。
「居住区、商業区、工業区。こんな風になっていたんだな」
「そう。そしてここがこの島の中心だ」
「これは胸が高鳴るな」
「父さん、こっちに来て。見せたいものがあるんだ」
「この間言っていたやつか」
大君は昴流に案内され、最上階中央フロアへと向かった。中央フロアは広大な空間の中心にまるでDNAの二重螺旋を想起させる一対の螺旋階段によって更に一段高く上る構造となっており、階段を上がればそこは多くのコンピュータが立ち並ぶ空間となっていた。
「昴流、もしかしてこれが?」
「そう、Sシステム。そして……これは口外しないでおくれよ?」
昴流が中央にある台座に認証を行うと、そこに一つの箱がせり上がってきた。
「父さん、こっちへ」
言われるがまま、大君は箱に近づいた。
「ナナさん……なんだな」
「そう。Sシステムを総括する最上位システム『センチメント』、それはナナなんだ」
「そうだったのか」
「あの日、父さんの記憶を読み取って動かなくなったナナは、その後たった一度だけ僕にメッセージを伝えて来たんだ。僕達のことをずっと見守っている、と。……それはまるで、人間の最期の言葉のようじゃないか」
「……ナナさんは、そういう人だった」
「彼女は、確かに一度大きな失敗をした。でも、だからこそその経験が、彼女を大きく成長させたのだと、僕はそう思っている」
「だから、ここに眠らせたのか」
昴流は深く頷いた。
「この場所から、僕達を見守ってくれているんだ」






