目覚め
時は一日前の朝に遡る。
3月下旬。花桃の香りが風に乗る穏やかな天気の日だった。
「父さん!」
大君が目覚めて最初に聞いたのは中年男性の声だった。周りを見渡せばそこが病院のベッドの上であることが解った。
「父さん、大君父さん」
すぐ隣で中年男性が涙を堪えながら微笑みかけていた。
「昴流、か」
大君が声を発すると周辺でいくつもの声が上がり、大君は彼らを見渡した。
「宙光、明日葉ちゃん、瑞樹に熊ちゃん、御面さんまで……俺の大好きな人達が皆笑ってら。そうか、ここが天国というやつか」
「何を言っているんだよ父さん、父さんは死んでいないよ」
「ははは、そんな馬鹿な……いやしかし、何か皆老けたな」
「それはそうだよ。だってあれから、もう7年も経ったんだから」
「7年? 一体何の話だ……?」
「起こしてあげるのが遅くなってゴメン。頑張ったんだよ。僕も、宙光も明日葉さんも、みんな本当に頑張ったんだ」
昴流の目から大粒の涙がいくつも流れた。
「前もこんなやりとりだったよね。父さん、ここは20XX年。僕はもう、55歳になったんだ。父さんより、もう幾つ上になっちゃったのかな」
大君の表情は一瞬のうちに凍りついた。
「嘘だろ……まさか、お前まで死んでしまったのか」
「だから死んでないんだよ、僕も、父さんも」
「だからそんな訳ないだろう。お前あの重症で、臓器でも移植しない限り助かりはしないだろうよ。だから俺は……」
「うん。確かに父さんの臓器は今、僕の中にある。おかげで僕は助かったんだ」
「良かった……しかし、なら、それが全てだろう。俺は生きられない」
「父さん、まずは、鏡を見てごらん」
昴流が指し示すと宙光と明日葉が鏡を大君に向けた。するとそこに映ったのはどう見ても10歳程度にしか見えない少年の姿だった。
「これは……俺なのか? 子供の姿じゃないか」
「それは父さんのDNAにより一から作られた身体なんだ。この数年間で出来る限りの成長を促しはしたんだけれど、それが限界だった。でも、人は10歳で大脳の90%は作られるというから、父さんの脳だけは間違いなく搭載できているよ」
「だけど、俺は一度死んだはずだ」
「僕達を……守ってくれてね。でも、僕が臓器移植を受けている間、父さんの残された身体は御面さんが適切に保存してくれていたんだ」
「そうだったのか」
「ただ、ごめんよ。生命活動が停止してからホンの僅かだけれども、恐らく父さんの脳には酸素が行き渡らない時間が生じ、脳の一部、取り分け記憶を司る海馬には障害が生じていると思われる状態だった。だから起こすのに時間が必要だったんだ」
黙って言葉を聞く大君に昴流は何度も言葉を詰まらせながら再び口を開いた。
「どうか落ち着いて聞いて欲しい。父さんは……フューマンとして生まれ変わったんだ」
「……」
「普通は、一度失った脳の機能を取り戻すことは難しい。だから僕達は、その失った機能を機械によって補うことを考えた。それが機械と脳の融合技術。もちろんそれは従来のフューマンには存在しない技術。つまり父さんは、世界で初めての脳を持ったフューマンということになる」
「……」
「正直、不安が全くない訳じゃない。しかも、父さん自身がそれを望まないかも知れない。葛藤は僕達全員に色々あった。色々あったんだけれども……」
「もういい、解った」
「父さん」
「何も言うな。お前のことは信じている。状況も受け入れる。俺だって全く心配事を残さなかった訳じゃないんだ。お前達が心に傷を負うかも知れないとは思っていたからな。だから、俺がこうしてまた起きられたことで、少しでも皆の救いになるのならば、俺にとってこれほど嬉しいことはないんだよ」
それを聞いて昴流の声を出して泣き、頭を垂れた。
「父さん……父さん、ごめんよ、父さん……ごめん。ごめん……」
「いいんだよ、もう謝るな」
大君はぎこちない手の動きでそっと昴流の頭を撫でた。
それを見て、周りの誰が言い出すでもなく、二人を残して皆病室を出て行った。