研究テーマ
「ところでさ、俺もゼミメンバーにしてくれるのは有り難いんだけど、俺は皆ほど優秀では無いし、専門的な内容なんてちっとも理解できないよ?」
大君が疑問を投げ掛けた。
「ん~。ヒー君に限って、そんなこと無いはずなんだけどな~」
「そうは言ったって、俺はこの時代の技術を学習した訳じゃないんだよ?」
「ん~。それなんだけどさ、ちょっと考えてみて? 例えば目の前に赤くて、手の平に乗る大きさで、粒々が沢山付いてて、甘酸っぱい香りのするものがあるとするじゃん?」
「うん。……なんだろうね、それは」
「そ。それっしょ。知らないからそうなる。でも、イチゴと言う存在を知っていれば何のことはない、それがイチゴだって解るっしょ? それこそ考えるまでもなく瞬間で認識できちゃう。これがいわゆる心理学で言う認知ってやつ。……ところでヒー君とアタシの間に子供が出来たら認知はしてもらえるのかな?」
「エーナちゃん冗談は良いから続けて」
「たはは。で、肝心なのはヒー君がその知識を持っているかどうかなんだけど、ヒー君はフューマンなんだしさ、膨大な知識がその機械の中には記録されているんだよね。つまりはヒー君がその知識を上手く引き出せれば、それは当たり前のように理解できるはずなんだよね~」
「そうなんだよお爺ちゃん。それが出来るか否かがBCDにとっても重要なんだ。是非研究させて欲しいね」
そう言って宙光は複雑な数式や図の描かれた紙を一枚大君に差し出した。
「例えばこれ。お爺ちゃんの時代には無い技術なんだけど、ちょっと記憶を辿るようにして見てもらえない?」
「良いけど……」
大君は紙を受け取って暫くの間それを見つめた。
「嘘だろ、本当に理解できるぞ……? こんなの俺が知っているはずは無いのに」
「ありがとうお爺ちゃん、成功だよ。要するにそれが機械の記録を、知識や記憶として参照し物事を認知できているということになるんだ」
「凄いな……まるで俺、天才じゃないか」
「そう。そしてBCDはこれを人間においても可能にする。どう? 科学の力ってすげー! ってならない? お爺ちゃん」
「なるなる」
「悔し~よね~。それあと数年早ければアタシあんなに勉強しなくて済んだのに~」
「世の中に天才が溢れるでござるか?」
「いや、今のBCDが可能なのはあくまで知識の差を埋めるくらいだよ。今だって知識の差なんてネットで得られる情報で十分埋まるだろう? 確かに知識があれば認知できるものの範囲は広がる。でも僕の考えでは、結局それを使う側の差までは埋められないね」
「でも、瞬間に認知できる範囲が広がるだけでも凄い進歩ですよね。それだけにそれを毛嫌いする人達が出てくることも父は考えておりました」
「特に努力をして知識を身に付けてきた人はね。利権も絡んでくるし、面倒だよ」
「一つ一つ、乗り越えて行くしかないんですね」
「そうだね。でも、きっとそのうち実現するよ。なにせBCDは今、親父が特に力を入れている分野だからね。どうせゴリゴリやっていくよ」
「どうして昴流はBCDに力を入れているんだ?」
「ま、表向きは人間とフューマンをより近い存在にするってことになるけど、親父はあんまり本音を言わないからなあ……まあ、バレバレなんだけど」
「バレバレ?」
「そ。まあお爺ちゃんも見てればそのうち解るよ。親父が意外とシャイなんだってね」
「そっか……じゃあ楽しみは取っておこうかな」
大君は笑みを含んで数回頷いた。
「ところで……話を変えて変なことを聞くかもなんだけどさ」
「何だいお爺ちゃん?」
「実は前にも昴流に似たような質問をして笑われたんだけどさ。もし仮にフューマンやBCDを装着した人間がハッキングされたら、悪意ある第三者に操られるなんてことが有り得るのかなって思って」
それを聞いた4人は視線を合わせた。
「いや、俺のいた時代じゃ機械が操られるとか反逆するとか映画があったものだから」
「大君殿、流石にそれはナンセンスでござるよ」
「そうだよな、うん。やっぱ前時代的なのかな、俺」
「いや、それは仕方がないよ丁嵐君。何せお爺ちゃんはシンギュラリティ以前のことしか知らないんだから」
「シンギュラリティ?」
「技術的特異点。今はね、もうAIが人間の知能を越えているんだ。だから、その人をも凌駕するプログラムをハッキングして行動に影響が出るレベルで書き換える、と言うのは現実的に不可能なんじゃないかな? 確かにハッキングされる可能性は否定できないよ? 現に中華フューマンのハッキング事例が増えているのは事実だからね。でも実際、中華フューマンのハッキング事例においては個人情報の抜き取り被害等が最も多く、不審な動きを見せた等と言う報告は、僕が知る限りまだ無いはずだ」
「では、より優れた能力を持つAIを解して下位のAIに干渉するのは?」
「それはもう拙者が試したでござる」
「凄いな友親君」
「いやあちょっとハーレムを作りた……ゲフンゲフン」
「トモチー、それは無いわ~」
「友親さん、残念です」
「流石に冗談ですぞ」
女性達の視線から救いを求めるように見られた大君は一つ咳払いをした。
「それで友親君、ハッキングはできたの?」
「出来るには出来たでござるが……」
友親は宙光を見た。宙光は代わって説明を始めた。
「シンギュラリティ以降のAIに知能で劣る僕達が出来ることはね、人間を支えると言う使命を与えること、これに尽きるんだ。今のAIは自分達で進化を遂げていて、もう僕達にどうこう出来るものじゃないんだよ。そして先程お爺ちゃんが言った方法もね、出来なかった、と言うのが正しい。今の人間をも凌駕するAIはね、悪意を持って他のAIへの攻撃を命じられても、それが他の人間への間接的攻撃に繋がるとでも判断したのか、命令に従わなかったんだよ」
「そうだったのか」
「そして人間の脳もね。例えば海馬が記憶なんて言ったけど、他にも中心溝前後の皮質が運動や体性感覚、前頭葉後下部は話す機能なんて具合に関与が指摘されている部分は沢山あるよ? でもね、それら機能が必ずその部分と一対一で働いている訳じゃない。脳全体が複雑に絡み合って一人の人間を成立させているんだ。フューマンも同じことさ。だから、それを無理に書き換えようとして乱せば、ホメオスタシス、つまりは生命の恒常性維持にまで支障が生じる可能性すらあると言うことなんだ」
「……結果的に、難しい、と言うことは確かなんだな」
「と言うより、不可能だった、だね。世界最強レベルのハッカーである丁嵐君でさえ」
「と言うからには人間にも、で良いんだよな?」
「当然、不可能ということになる。そもそも人間はプログラムなんてものじゃないしね」
「それなら安心だ」
「アタシもトモチーに操られなくて安心でござる」
「私もです」
「みんな酷いでござる……」
「更に言えば、BCDは知識のサポート程度と言っただろう? 言わば外付けハードディスクのようなものだからね。脳の働きにまで変更を加えられるような代物じゃないよ。場合によっては大事な個人情報を抜かれる恐れはあるけど、それを言い出したら今ある携帯端末だって同じことが言えるだろう?」
大君が頷いて言った。
「そこまで言われれば納得せざるを得ないな。でも逆にそれで安心か。操られるとか、思考盗聴のようなことが心配要らないんだから」
「浮気がバレなくて済むね、ヒー君」
「エーナちゃんはちょくちょく爆弾投げるの止めて」
「はーい」
ゼミは終始和やかに進み、宙光が結びを切り出した。
「じゃあ、どうだろうか? 折角だし、このゼミの研究テーマについて脳やフューマンへのアプローチにしてみては。目茶川さんは心理学的な観点から、那彩さんは医学的見地から、丁嵐君は直接ハッキングを試みてみるかい? 研究用フューマンなら僕が用意しておくし、幸いなことに最もサンプルにしたいお爺ちゃんもここにいる」
「俺なら喜んで協力するよ」
「アタシもサンセー」
「私もです」
「異論はないでござるよ」
こうしてゼミの研究は動き出した。






