私らしく好きに生きたこと
陽の光が途絶え、代わりに月の光が地面を照らす。
聖女を背負いながら歩く剣士は、その直後に背中から押し潰すような魔力を込められた威圧感に、咄嗟に魔王の城に振り向いた。
「馬鹿な! いくら魔王といえど心臓を潰されて生き残ることなんてありえない……!」
心臓は魔力の循環の要であり、この世界のすべての存在にとって生命活動を行うための臓器だ。
それが活動を止めればどんな存在でも死に至る。それこそ魔王でさえも例外ではない。
満身創痍だったとはいえ、刺し違えてでも魔王を確実に滅しておくべきだった、と歯噛みする。
尤も、彼が命を懸けたところで魔王に届く可能性は全くのゼロだったわけだが。
「くっ……」
皆の犠牲が無駄になる。戻って止めを刺すべきだ。理性はそう叫ぶ。
無理だ。片腕の俺だけでは何もできずに死ぬだけだ。本能は引き留めようとする。
「あ……」
そんな思考をする猶予など、許されてはいなかったのに。
城から放たれた闇が視界を覆うと同時に、視界が斜めにスライドし、その瞳は見開かれたまま二度と動かなくなった。
「これをもってお父様の成した事から決別する」
聖剣を変質させた魔剣を振り抜いた体勢から、自然体に戻りながら魔王ティルーンは呟いた。
父であった前魔王が逃がした剣士と聖女を、数キロ離れた城から放った魔力の斬撃で両断したのだ。
それこそが、ティルーンが父のやり方を否定し、人間を蹂躙するという道を進むと示した一撃だった。
「各地の魔物にも私の意思は届けた」
二度世界を軋ませた魔力の波動。一度目は制御できなかったものの、二度目は意思を込めた魔力として全世界に放った。
父ヘルムの方針に不満を持っていた魔物も、従っていた魔物も、すべての魔物がその意思を受け取り、また同時に、圧倒的な力の差をも知らしめた。
最早従わない魔物は、よほどの大馬鹿程度のものだろう。下らない野心も、侮りも、嘲りもすべてを押し潰した。
憎悪の力と、魔王の力。どちらも闇の魔力を大きく増大させるものだ。前魔王にはなかった憎悪の力こそが、父を超えたティルーンの力だった。
「いくぞ」
前魔王に付いてきていた魔物達を引き連れ、城を出て歩みを進める。
ふたつずつに分かたれた剣士と聖女の亡骸は魔力を振るうだけで塵すら残らず空気に溶けた。
それには最早一瞥すら向けず進んでいく。
やがて到達した、人の住む人界と、魔物の住む魔界を分かつ、一定以上の力を持つ魔物を隔離する結界を、魔剣の一振りで容易く引き裂いた。
少しずつ、新魔王のもとに魔物が集まっていく。それらは人間の住む町に到達する頃には、ひとつの軍勢と化していた。
「蹂躙しろ」
数日と持たずひとつの町が炎に包まれ、誰ひとりとして残らず魔物の腹に消えた。
災厄が意志を持って動くかのように、通った道のすべてが灰燼と化した。
元は人間が住んでいた町は、魔物達の住む荒地へと姿を変えていく。
その間、魔王は手を下していない。
そもそも、勇者が命を落とした今、パーティ全員が死力を尽くし、一撃しか食わらせることが出来ない強さを持っていた前魔王すらを、超えるティルーンと渡り合える存在など、最早残ってはいなかった。
とはいえ魔物も被害は出る。ティルーンに付き従っていた魔物達は軍勢から中隊程度まで数を減らしていた。その殆どが前魔王の時には従わなかった血の気の多い魔物達であり、ティルーンの眼には、被害が抑えられている前魔王派の一派以外は映っていなかったが。
尤も、ティルーンの元にいないだけで、各地で好きに暴れる魔物による被害も人間側には大きい。最早人間も戦力の温存など考える余裕はなかった。
「魔王! 魔王! よくも我らの民を、奪ってくれたな!」
「お父様を奪ったお前達が、ほざくな」
集められたのは人間界でも指折りの実力者達。本来いがみ合って手を組むなどありえない者共だが、人間の存亡の危機たる今に至っては、そんな過去は魔王が通ってきた道の様に炎に包まれて燃え尽きた。
ついに魔王が一歩前に出た。すべての魔物を下がらせ、自身が魔剣を構える。
「お父様、お母様。もう少しです。見ていてください」
魔王の額の紋章が輝き、ゴウ、と闇の魔力が吹き荒れる。魔法使い達が複数人、全力でもって魔力をぶつけ相殺する。その余波で魔力のぶつかり合う地点を中心にひび割れるような爪痕があらゆる方向に刻まれていく。
魔力の衝突が収まる。轟音が消え去り、それによって人間達の耳に届く静かな高速の詠唱。紡ぐと同時に父から継いだ杖が、タン、と地面を叩く。
直後、地面から無数に突き出る闇の槍が、その範囲を広げながら人間達に迫る。
神官達が闇の浸食を押さえるように祈りを捧げるとその勢いが僅かに弱まる。その間にそれぞれが回避行動を行うが、数人が槍に貫かれ磔になる。
そしてそれらは肥大化した闇の魔力によって呑み込まれ、魔力が収まった頃には存在していた痕跡すら消え失せた。
「貴様……!」
声を上げた騎士は、何もない宙から放たれた闇の槍によって鉄仮面ごと頭が抉り取られて倒れ伏した。
それを見て悲鳴を上げた神官が、飛ぶ斬撃によって上下半分になった。
戦意を失った魔法使いが、詠唱もなくただ放たれた魔力によって足首から下だけを残して消滅した。
同時に飛び掛かった幾人もの剣士達が、地面に魔剣を突き刺してドーム状に広がった闇の魔力によって削り殺された。
魔王の魔力に中てられた獣使いの騎獣が混乱して主を食い殺した。
最早それは戦闘ではない。ただの蹂躙のみがその場を支配した。
「……弱いな。勇者が特別なだけの弱い種族。お父様、やはりもっと早くこうしておくべきだったのに」
魔王程の闇の魔力に対抗できるのは、勇者のみが持つ光の魔力だけ。
それを失った人間が、魔王に勝てる道理などどこにもなかったのだ。
「もうすぐ終わる。私に続け」
その場のすべての人間が血の海に沈む。生きた痕跡を残せたものは半数もいない。
こうなっては挑みかかる人間はいなかった。すべての人間が人間の王が統治する王都に我先にと逃げ、そして受け入れに限界を迎えた王都はやがて門を閉じた。
前には閉じた門。後ろには魔王。彼らがどうなったのかなど語る必要もないだろう。
そして王都の門も、警護していた王国軍の騎士ごと切り裂かれた。
王都に足を踏み入れた魔王は、静かに王の住む城を見上げた。
「これで……」
脇腹に抱えて引き絞る様に握りしめられた魔剣の鍔の宝石が強く光り輝く。
宙に紋章が投影され、より一層強く輝くと、闇の魔力が刀身に凝縮されていく。
勇者の光の魔力の出力に耐えるように、魔力への親和性を人間界のあらゆるものより高められた剣が、許容量を超えてカタカタと震える程に圧縮された魔力は、甲高い音を立てて周りの風景を歪ませていく。
魔剣が、空気を、音を、光を捻じ曲げているのだ。
そして、もう限界だというように魔剣が斜めに振り抜かれた。
魔剣そのものを犠牲に、内側から爆発する様に放たれた闇色の刃が王都を呑み込むように均していく。
それは、動物も、人も、建物も、城さえも例外なく。
残ったものは、魔王と、魔物だけだった。
「おしまい。もう、終わりか」
魔王は杖を抱きしめて、無表情の仮面で呟いた。
「いや、まだだ」
魔王が通った道は王都への道筋でしかなかった。なればまだ生きている人間がいる。
「すべて蹂躙する。私は、人間を許さない」
砕け散った魔剣の代わりに父の剣を抜剣し、杖を携えて、王都だった更地を歩いていく。
「お父様。これが、私の生きる道です」
月に向かって語り掛ける。無表情の仮面からはひとつの光る水が零れ落ちた。
「私は、好きに生きます。貴方の言葉の通りに」
だから。
「お母様と一緒に見ていてください。私が楽しいお話を届けに逝くその時まで」
魔王らしく。私らしく。
魔王は、歩みを止めない。
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