好きに生きるということ
※二話目が書けてしまったので連載として再登校します。
※一話目は旧と変更なしです。
※二話目は15分後に投稿します。
青い空が見える。
今まさに闇色の雲が晴れつつあり、雲の間からは眩い太陽と広がり行くような空が半壊した城を照らす。
魔力でもって雲を維持していた、魔王たる私の命の灯が消え行くのとは対照に、青い空は留まることを知らないように広がっていく。
「最期くらい、もう少し穏やかに終わりたかったものだ」
ろくに力の入らない上半身を持ち上げ、周りを見渡す。
最初に見えるのは、私の心臓を穿ち、また同時に私に心臓を穿たれ、既に事切れている勇者と呼ばれていた少年の姿だった。
同時に、その勇者の亡骸に白い手を添え、両手や法衣を赤く染め、泣き叫びながら必死に治癒の魔法を行使している、聖女と呼ばれた少女が目に入った。
最早そんなものでは人は生き返らないというのに、無駄だとわかっていてもやめられないのだろう。彼女の眼からは希望の光が消えていき、やがて魔力切れを起こしたことで勇者に覆い被さる様に倒れ伏した。
次に目に入ったのは、片腕を無くした剣士だった。こちらを強い憎悪の瞳で睨みつけているが、彼も最早満身創痍だ。もう一度剣を持って私に挑んだとて、死にかけのこの身ですら吹けば消せる程度の灯でしかない。
これらがこの玉座の間に存在するすべてだ。こうなった経緯は、眼を瞑れば鮮明に思い出せる。
『終わりだ! 魔王!』
その言葉と共に扉が開かれた。つまり、道中にいたはずの私を慕っていた部下達は、皆敗れたことがわかった。
いずれこんな日が来るだろうと思っていた。溜息とともに立ち上がり、愛用の杖と剣を握り直す。
回復魔法を得意とする聖女から狙うのが賢いやり方だろうが、彼らは聖女をしっかりと守る形での戦闘に慣れていた。事実としてここに到達するまでにいくつもの戦闘があったはずだというのに、聖女には返り血ひとつ付いていなかった。
故にまずは遠距離攻撃でサポートが出来る魔法使いを狙った。彼女が放った炎の奔流を闇の魔力の奔流でもって呑み込み、勇者が庇うために魔力を切り裂き四散させた瞬間、魔法使いの背中を地面から形成された闇の槍で貫いた。
「あ……か、ふ」
即死は免れたものの肺が潰れたらしく呼吸困難に陥る。詠唱を封じた。その時点で魔法使いとしての生命は断たれたようなものだが、勇者に匹敵する実力の持ち主が、その程度で終わるとも思えなかった。
動揺した勇者と聖女よりも一瞬早く剣士が魔法使いのもとに走りその手を掴んで引き寄せようとしたが、既に魔法使いの両脚は付け根まで闇の魔力による浸食で床に縫い付けられていた。
ピクリとも身動きのできない魔法使いを、今度は単なる魔力の奔流ではなく、詠唱によって魔力を圧縮した闇魔法の一撃で塵すら残さずに消し飛ばした。
「ウルズラァァァァ――――!」
咄嗟に手を離してしまった剣士が叫ぶ。魔法使いはウルズラという名だったらしい。
「貴様ァ!」
勇者が光の魔力を灯した聖剣で切りかかってくる。こちらは闇の魔力を纏わせた剣で受け止めながら、詠唱を紡ぐ。
いくつもの闇の槍が地面から、天井から、空気中から現れるのを、勇者は果敢に掻い潜り、切り裂いて私に肉薄する。
剣士も加わり攻撃が苛烈になる。それでも私に攻撃は届かず、勇者達の傷は増えていく。
そして傷は聖女によって癒され、場面は膠着する。
私はダメージを負わず、勇者達は聖女の体内魔力が尽きればその時点で詰むのだ。
しばらくそんな状態が続き、聖女の顔色が悪くなり始めた頃に、剣士が意を決したような顔で雄々しく叫びながら突っ込んできた。
今までに比べて稚拙でしかないその動きが、だからこそ警戒を促す。
杖で剣を弾き飛ばし、剣で右腕を跳ね飛ばした。
だというのに、眼が死んでいない。右腕の肘までと、残った左腕で私を押し込むように動きを留められる。
なるほど。犠牲覚悟の特攻。となれば続くのは――
「これで、最後だ。魔王」
半壊しつつある玉座の間から空に立ち昇る光の奔流。勇者しか持ちえない光の魔力がこれ以上なく光り輝き、私の背中を焼くように照らす。
全身の魔力を絞り尽くし、息を切らしながらもしっかりと両脚で立ち、両手で聖剣を構えている勇者が視界の端に入ると同時、闇の魔力を暴発させ、剣士を吹き飛ばした。
すでに動き出した勇者に、振り向きざまの私が剣や魔法で間に合う道理はない。けれど詠唱を必要としない指向性を持たせた魔力を放出するには十分な時間だった。
結果として、勇者の聖剣は私の心臓を穿ち、私の魔力は勇者の心臓を穿った。
ここに、魔王は討伐されたのだった。
眼をゆっくりと開ける。
「……追撃はせん。私とて最早限界だ。聖女を連れて帰るがいい」
そう言うと、剣士はゆっくりと警戒を解かずに聖女を背負い、私から一瞬たりとも視線を逸らさずに扉から出ていった。
ふう、と息が漏れ、玉座にもたれかかる。
負ける、とは思っていなかった。勝てる、とも思ってはいなかった。ただ、退くわけにはいかなかったというだけのことだった。
私が退けば、すべての魔物は御しきれなかった無能な魔王であった私についてきてくれた者共の中でも、戦闘能力を持たない者達が危険に晒される。いや、なによりも――
「……お父様」
娘が危険に晒される。それだけは、私には許容できなかった。
まだ魔王を継ぐに足る能力は身に着けていないが、才気に溢れていた。
人間の年齢から見てすら未だ成人していない彼女と、自分の命を天秤に乗せた時に比重が大きいのは、言うまでもない。
「お父様」
ぱたぱたと駆け寄ってくる無表情の娘を、小さく口角を上げながら迎える。
「……魔王としても、父としても、上手くは……やれなかったな」
彼女が私のやり方に不満を抱いていたことは知っていた。
私は比較的に穏健派だった。各地の魔物を御し、人間との争いを極力減らそうとしていた。争ってしまえば、こうなることがわかっていたから。
尤も、それすらも満足にできず、私自らがそれらの活動を行っていたものだから娘に父として接してやれる時間も多くはなかった。母すらも、この闘争で奪ってしまった。
鉄仮面を張り付けたような無表情が、少しずつ崩れる。妻が討伐されたことを知っても歪まなかった無表情が、今まさに剥がれ落ちるように、水滴が私の顔に落ちる。
「……失敗、ばかりだったが」
緩慢としてしか動かない腕を持ち上げ、涙を拭う。
「最後に、魔王らしく、父らしく、しなければ、な」
魔王としての力のすべてを両手に抽出する。
魔王の力は代々継承されるものだ。私も彼女が立派に育てばこうして譲渡するつもりだった。随分と、早くなってしまったが。
「お父様……それは、駄目」
魔王としての力を失えば、今延命している力を失う。助かる見込みがゼロとなる。
だが、私がこの力を持ったまま命を落とせば、娘に渡る魔王の力は大きく減ってしまう。だから、駄目だと言われてもやめない。これが、魔王らしい最期というものだ。
「魔王になんて、ならなくても、いいが。力は、なくてはならない、ものだ」
そう。魔王になんてならなくていい。彼女が、好きに生きてくれればいい。それが最期に私が父らしく、教えてやれること。
やがて魔王としての力を全て両手に抜き出した。それを彼女の体内に、送り込む。
同時、世界が、軋んだ。
一気に力が抜けていく身体で、眼を見開いた。
ああ、そうか……。オレの知らない間に、これほどまでに大きくなっていたんだな。
「安心、した」
心の底から。これならば、彼女がこの先不幸な目に合うことはきっと少なくなる。
本人自身が一番困惑しているような頭に、手を乗せる。
「好きに、生きなさい。オレは、どこにいても、何をしていても、お前の、味方だから」
眠く、なってきた。まだ、駄目だ。最後まで、見届けろ。
新たな魔王の力を持つ者の門出を。愛しい娘の晴れの舞台を。
涙を拭った娘が片腕を指揮者の様に振るう。それだけで、城に差し込んでいた陽の光が消え去り、代わりに月の光が優しく差し込んだ。
その中央で立つのは、我が娘だ。長い黒髪をたなびかせ、魔王の証たる紋章を額に浮かべ、堂々と月を見上げている。
「あぁ……。綺麗、だなぁ」
最早心配はいらないだろう。もう、眠気に逆らうのも、限界だ。
今から、オレも、そっちに……。
「ヘルム様……」
魔王が移り変わったことは、すべての魔物が感じ取った。
玉座の間の奥、隠し部屋に逃れていた戦闘能力を持たない者達や、その護衛の者達が玉座の間へと歩み寄る。
眼にしたのは、事切れた勇者と、眠る様に魔王を全うしたヘルムと呼ばれる男の姿。そして――
「ティルーン様……これほどの、お力を……」
戦闘能力を持つものですら、一目見て悟った。『敵わない』と。
自然と身体が動く。平伏するように、ひとり、またひとりと膝を付く。
「お父様は、逝ってしまった」
静かに娘――ティルーンが口を開く。
「魔王としては、間違っていたのかもしれない。父としては、良い父ではなかったのかもしれない」
月から眼を離し、魔物達を一瞥する。
「それでも、私には到底許すことが出来ない」
魔力を宿した腕の一振りで、勇者の亡骸が塵と化した。
「人間達を、許すことが出来ない」
掴み上げた聖剣が、一瞬にして闇色に染まり尽くした。
「だから、私はお父様の成した事を無駄にする」
強く握れば、聖剣だった剣の鍔にはめ込まれた宝石に、魔王の紋章が刻み込まれた。
「魔物でもって人間を蹂躙する。皆、私に付き従え」
逆手に持ち直し地面に突き刺すと、再び世界が軋んだ。
「私が新たな魔王。ティルーンだ」
生き残った魔物達の歓声が、城を揺らした。
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