前世で面倒を見ていた可愛い年下騎士公爵は、生まれ変わった私を何が何でも捕獲したいようです。
レスティア・マクミランとしての最期の記憶は、やたら鮮明だった。
少数精鋭で組織された騎馬隊による夜襲。
悪天候をも味方につけ見事、敵将の背後を取ることに成功した隊長レスティアと旗下十数名の騎士たちは、ここを自らの死に場所と定めた。
無論、敵将の首を手土産にすることを至上命題として。
――没落貴族の出身で、女性。
そんな、おおよそ誉れ高きリーンヘイム王国の第二騎士団所属に似つかわしくないレスティア・マクミランだったが、剣才に恵まれ、鍛練を惜しまず、齢二十四にしてこの奇襲作戦の隊長にまで登り詰めた。実力主義を掲げる王国だからこその人事。レスティアは王国の寛容さに深く感謝を捧げた。
当然ながら騎士として散ることに悔いなどない。
国境付近であった故郷は敵国によって既に焼かれた。帰りを待つ者もいない。
「レスティア様、道は我らがッ!!」
「任せた!」
部下にも恵まれた――ああ、なんといい人生だったことか。
「クルーシアの英雄、バロール中将とお見受けする! 我が名はリーンヘイムの騎士レスティア! その首、貰い受ける!」
「ッ女ごときが舐めた口を! 貴様にくれてやる首など――あると思うてか!!」
怒りの中に微かな焦りを滲ませた敵将の剣筋を、レスティアは冷静に愛刀で受け止める。
と同時に、意識を研ぎ澄ませて周囲を警戒する。
――手出ししてくる様子は皆無。そのことに内心で安堵する。
将同士、一対一の構図となってからの横槍はご法度。
そんな騎士の矜持を敵国も有していたのは幸いだった。
所詮は奇襲、人数差は覆せない。圧殺されたらそれで終わりだ。
そもそも馬上の鍔迫り合いで相手に分があることは体格差からも明らかだった。
先ほどから雨とも汗とも判別不能の雫で視界がぼやけるが、繰り出される剣の膂力を受け流すのに必死で額を拭う暇もない。
長期戦ではこちらの首が飛ぶ――ならば、
「ッハァ!!!」
一気呵成とばかりに、レスティアは巧みに手綱を操ると敵将の右側を抜けた。
敵将は右を選択したこちらの手に一瞬、わずかだが気のゆるみを見せる。
しかしそれこそが狙い。右利きであるレスティアがわざわざ右を選択した時点で、こうなることを敵将は予測すべきだった。
レスティアは、一分の迷いもなく、自馬を捨てた。
「な、……あ?」
手に持った愛刀を放り、長年連れ添った愛馬の腹を蹴り、敵将へと組みついたときには勝負が着いていた。
腰から速やかに抜いた短剣で相手の喉を引き裂く。
首を落とすまではいかないが、即死の手触りはあった。
その時、敵将の絶命を嘆くかのように、足下の馬が大きく前足を上げて嘶く。
実際は敵兵による流れ矢を脚に受けての行動だったが、それを知覚したときには既に手遅れだった。
ぐらりと後ろに傾く身体。立て直そうにも、敵将の死体が邪魔で回避行動がとれない。
「グッ……ハ……ッ!!!」
背中から地面に身体が落ちる。咄嗟に身体を捻ることで敵将の下敷きになることを避け、細い身体が地面を舐めた。
しかし痛みを感じる間もなく、己に降り注ぐ無数の弓矢をレスティアは確かに見た。
反射的に急所を守るが、肩、腕、太腿、脹脛と弓矢は鎧の隙間を縫って確実にこちらの生命を削っていく。
そして止めとばかりに、レスティアの脇腹へめり込んだ矢は、そのまま内蔵にまで到達した。
レスティアの口から夥しい量の血が零れる。急激に冷えていく身体の感覚に、致命傷だと悟る。
近づきつつある終わりの足音に、レスティアはある種の満足感を覚えた。
敵将――それも英雄と名高きバロール中将の死が知れ渡れば、ただでさえ疲弊している敵国の士気が大いに下がることは自明の理。
八年以上も続くこの戦いも、戦線が維持できなければやがて終焉を迎えるだろう。
(そうなれば、あの子の未来も安泰――その礎となれるのならば本望だ……)
死にゆくレスティアの脳裏に浮かぶのは、まだ年若い少年の姿だった。
女性の自分に対して偏見なく実力を評価し、隠すことなく憧れの眼差しを向けてくる、優しくて愛おしい存在。
彼が成長する姿を見れないことは残念だけれど、きっと立派になるだろう。
レスティアは目を閉じる。もはや指先を動かす力はなかった。
しかしレスティアの死を阻止せんと、
「……ッ…………レスティア様ッ!!!!」
遠くから、悲痛な声がレスティアの耳朶を打った。
それが愛しい者の声だと気づいたのは、レスティア自身の願望に他ならない。
――もし、分不相応にも己の最期の瞬間に誰か立ち会ってくれるのならば、その相手はあの子がいい。
レスティアがそんな感情を持ったばかりに、神は彼を戦場へと駆り立てたのではないか。
であれば、レスティアは神を呪うしかない。
こんな、人の命が蝋燭の灯がごとき苛烈な戦場に、まだ年若いあの子の姿があっていいはずがない。
「っぁ……! ……かっ……ひゅー……っ……」
レスティアは来るなと叫ぼうとしたが、漏れるのは醜い呼吸音だけだった。
あまりの悔しさに、死を覚悟したときですら出てこなかった涙が滲む。
やがて、レスティアの周囲の空気が変わった。
まるでそこだけが戦場とは不釣り合いな、雨の音だけが、やさしく降り注ぐ。
「レスティア様! 目を開けてください! レスティア様!!!」
誰かが――いや、あの子が。自分の手を握ったことだけが、確かに伝わった。
レスティアにそれを握り返す力は残されていない。落ちた瞼をあげることすら難しい。
頬に感じる雨粒に交じる温かな雫はきっと、あの子の涙なのだろう。
(ごめんね……ごめん、ディー……なかないで……)
それが、レスティアの最期の記憶。
この日はのちに【グラーツ渓谷の夜】と名付けられ、八年半にも及んだリーンヘイム王国とクルーシア王国間の泥沼とも呼べる戦争に終止符を打つ歴史的転換点として、語り継がれることとなった。
◇◆◇◆◇◆◇
孤児の少女アルマがレスティア・マクミランとしての前世を思い出したのは、七歳の誕生日の時だった。
貧民街の中にある孤児院で育ったアルマは誕生日(とは言っても孤児院に捨てられていた日を便宜上そう呼んでいるだけだが)の当日、この日にしか与えられない特別な焼き菓子を食べた途端に割れるような頭の痛みに襲われ、そのまま失神した。
そうして丸一日意識を失った後、目が覚めたアルマは悟った。
自分の前世が女騎士レスティアであったことも、この国がかつて自分が仕えた愛すべきリーンヘイム王国であることも、何もかもを。
自覚した際に最初に思ったのは、当然のごとく己の最期を看取ったであろう少年のことだった。
「ディー……ディートハルト」
王国の誉れある第二騎士団。そこに最年少で入団した若き公爵令息。
それがレスティアがもっとも気に掛けていた少年、ディートハルト・アメルハウザーであった。
当時、十二歳という年齢だった彼はどうしているだろうか?
アルマは体調を心配する院長に甘えて数日間、療養(という名目の記憶の整理)に努めた。
そして気づく。
今の自分は幼少期のレスティアにそっくりだ。
顔立ちも目の色も髪の色も何もかも。
レスティアが七歳だった頃の記憶は曖昧なので正確なところは分からないが、身体能力も前世に準拠しているかもしれない。この辺りは要検証だな、とアルマはベッドの中で一人頷いた。
しばらくして完全に体調が元に戻ったのを確認すると、アルマはさっそく現状把握に乗り出した。
まずはお手伝いの合間を縫って街中を駆けずり回り拾った新聞や、院長室の書物をこっそり漁って片っ端から目を通した。幸い、前世の知識により読み書きに不自由はない。だが、誰かに見つかると説明が面倒だったため、すべて一人で秘密裏に事を進めた。
「……ああ、やっぱり戦争は終わってたんだ。良かった」
ある程度は予想していたが、今はレスティアが死んでから七年ほど経っているようだ。
終戦はレスティアの死後半年ほど経った頃らしい。無事に勝利できたようで何よりである。
つまりレスティアは死んですぐに生まれ変わったことになるが、そのことをアルマは僥倖だと感じた。
数百年後であればディートハルトも死んでいるだろうが、七年であれば存命である可能性は非常に高い。
「っ! あった!」
やがてアルマは新聞の中から、ディートハルトの名前を見つけ出した。
現在は爵位を継いで公爵家の当主になっているようだ。生きていたことに安堵し、思わず涙が頬を伝う。
他の新聞記事などとも照らし合わせた結果、彼は現在レスティアも所属していたあの第二騎士団の団長も務めているらしい。
当初は公爵家当主との両立が疑問視されていたようだが、前騎士団長が補佐に就いたことで丸く収まったようだ。
「しかし十九歳で公爵家を継ぐなんて、ディーはやはり優秀だなぁ……」
思い返すのは騎士団での輝かしい日々のことだった。
初対面は彼が十歳の頃のこと。
利発な笑みを浮かべる少年の姿をアルマは昨日のことのように思い描けた。
ディートハルトは大変礼儀正しく、勤勉で、そして何よりも可愛らしかった。
そう、顔が。
「最初、女の子かと思ったもんなぁ……」
正直、女であるレスティアよりも顔立ちが美人のそれだった。
切れ長の美しいタンザナイトの瞳に、柔らかな金糸の髪。その外見はまるで絵画に登場する天使のようだった。
子供ながらに骨格はしっかりしており、幼少期から鍛錬をしていたことが最初から見て取れた。
だが、それでも所詮、子供は子供である。
レスティアをはじめ、女性騎士も多少は存在するが圧倒的に男性社会である騎士団に飛び込んできた、見目麗しき子羊。
公爵令息であるがゆえに不埒なことをする輩は滅多なことでは出ないだろうが、それでも万が一は存在する。
「だから私が教育係を仰せつかったわけだしね」
うんうんと、アルマはひとり腕組みをして納得した。
当時のレスティアは二十二歳という年齢で異例の出世をしており、その実力は騎士団内でも有名だった。
特に剣技においては第二騎士団の中でも一二を争うほどで、剣筋の鋭さと回避からの反撃の的確さには定評があった。
まだ身体が出来上がっていない少年の指導役として、力ではなく技術面を指南するという意味でも適役だったのだ。おまけに没落したとはいえ元貴族の令嬢。これほど打って付けの人材はいなかった。
「もともと基礎がしっかりしてたのもあるけど、呑み込みも早くて教えるの楽しかったな~」
当時のことを思い出すと、自然と口もとがほころんでしまう。
同じ訓練メニューをこなし、同じ食事をとり、時には夜遅くまで話し合いに興じた。
辛く厳しい指導にも一切の弱音を吐かないディートハルトが誇らしかった。
非番の日には二人だけで街に出て、戦時には貴重な甘味を一つ買い求め、分け合って食べたりもした。
弟にするように頭をなでると、嬉しそうな、でも少し複雑そうな顔をするのが、可愛かった。
また当時は書類仕事が大の苦手だったレスティアに対して、根気よく付き合ってくれたのもディートハルトだった。
おかげで書類の処理能力は劇的に向上し、ディートハルト自身も助手として優秀な働きをしてくれた。
十二歳になる頃には、百六十の身長であったレスティアに並ぶ勢いで背が伸びていた。
もう少しでレスティア様を追い越せますね、と無邪気に笑った顔が忘れられない。
レスティアという女性が過酷な人生を生きてきたのは間違いない。戦争の最初期に猫の額のような規模の領地と屋敷を不運にも焼かれ、命からがら逃げ延びた先で泥水を啜る生活を送り、なんとか辿り着いた王都で騎士団の門を叩いた。
戦争がなければ、きっとレスティアは剣を握ることもなく、あの小さな、それでも長閑で秋になると一面の小麦畑が美しい領地で、親が薦めた誰かと結婚して子供を産み育て、生涯を閉じただろう。
それはそれで幸せだったかもしれないが、もしもを語ることに意味はない。
大事なのは現実であり、レスティアはディートハルトと共に過ごした約二年間を何よりの宝物と思っていた。
「……会いたい、な」
思わず、声に出ていた。
あの可愛らしかった少年はきっと、立派な大人になったことだろう。
対して、今の自分は何もできないただの幼女である。
しかも貧民街の孤児院に暮らす孤児である。公爵家当主となったディートハルトと対面することなど、普通に考えればほぼ不可能だ。しかし、アルマは決意した。
「……うん、そうだ。会いに行こう」
アルマはレスティアの頃から変わらない自分の銀色の髪を払うと、勇ましく立ち上がった。
ちょうどその時、アルマを呼びに来たらしい一つ年上の少年ガルムが部屋に入ってくる。
「おいアルマ! サボってないで夕飯の準備手伝えよ! お前も七歳になったんなら戦力なんだぞ!」
「うん、わかってるよガルム! 芋の皮むきでも皿洗いでも煮込みの火の番でもなんでもやる!」
「……お、おう? なんだよ無駄に元気で気持ちわりぃな……」
「その代わり、お願いがあるんだけど」
不審そうにこちらを窺うガルムに対し、アルマは満面の笑みで言った。
「わたし、将来は騎士団に入ることにしたから、稽古に付き合って!」
「…………はぁああああ!?!? 騎士ぃ!? お前が!!??!」
ガルムが素っ頓狂な大声を挙げるのを横目に、アルマは今後の予定を頭に描きながら炊事場へと向かったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
アルマの意志は固かった。それはもう、金剛石よりも硬かった。
七歳での決意表明から二年――
「アルマ……どうして貴女は騎士になりたいの……?」
朝の日課である素振り五百回を続けるアルマに、孤児院の院長が声を掛けた。
心配性の彼女は女であるアルマが剣を握ることを良しとせず、時折こうして様子を見に来ては、アルマに騎士を諦めさせようと話しかけてくる。
アルマは素振りを止め、院長にニッコリと笑いかけた。
「院長先生、何度も言ってるけど、わたしには才能があるんだよ! その証拠に、ゼム先生からの太鼓判も貰ったし!」
ゼム先生とは、この孤児院へ定期的に慰問にやってくる貴族の護衛を務める男である。
ガルムを巻き込んで地道な基礎体力作りを行なう一風変わった幼女のことを知ったゼムは、興味本位でアルマに木剣を与えた。
するとアルマが子供ながらに見事な剣筋を披露したものだから、彼の方もつい指導に熱が入り、今では師弟関係を結ぶ間柄となっている。なお、負けず嫌いのガルムも一緒に稽古を受けており、こちらもアルマほどではないが、筋は悪くないとゼムから将来性を見込まれていた。
「それは分かってるわ……けどね、もう戦争も終わったし、何も女の子の貴女が身体に傷を作ってまで騎士を目指すのは勧められないわ。それに、身分のこともあるのよ……」
「身分については、まぁ実力で何とかするよ! この国、実力至上主義だもん!」
アルマの言葉には確信めいたものがあった。というよりも、前世の経験から確信していた。
何せあの八年の戦争の終盤まで生き残り、敵将を討ち取った実績もある。
一般市民が騎士団の入団試験を受けられるのは十二歳から。
あと三年もあれば、前世の全盛期とまではいかなくとも、十分合格圏内の実力が示せるはず。
それに騎士になれば当然俸禄も出る。孤児院には大変お世話になったので、少しでも早くひとり立ちをして恩返しがしたいという希望もあった。
「試験を受けられるのは三年後だよ! だから心配しないで、院長先生! わたし頑張るから!」
「……はぁ、くれぐれも怪我には気をつけるのですよ」
「はーい!」
元気いっぱいに返事をしたアルマは知らなかった。
三年どころか一週間も経たないうちに、アルマの運命が大きくねじ曲がってしまうことを。
そのきっかけをもたらしたのは、アルマとガルムの稽古を付けに来てくれたゼムだった。
「お前ら、本物の騎士団見てみたくねぇか?」
「み、見たい!!!」
休憩中に突然話を振ってきたゼムに、アルマは即座に飛びついた。
もしかしたらかつての仲間の誰かしらと会えるかもしれない。そう思ったのだ。
ガルムはそんなアルマの隣で「俺は別に……」と言いつつ、チラチラとゼムを窺っている。
相当興味があることは傍目からでも十分に分かり、アルマは十歳の頃のディートハルトを思い出してニヤニヤしてしまった。そんな中、ゼムが話を続ける。
「明日、この貧民街の外で騎士団のパレードがあるんだよ。お前らが行きたいって言うなら連れてってやろうかと思ってな」
「~~~~!!!! ゼム先生最高!!!! ぜったい行く!!!!」
アルマは大はしゃぎでゼムに飛びついた。
若干汗臭かったがそれでも嬉しさが勝った。
「……アルマ一人じゃ心配だから、オレも行く」
「よし! じゃあ明日の朝に迎えに来るから遅れるなよ! 院長先生には俺から話付けといてやるから」
「わーい! ありがとうゼム先生!!」
アルマはこの時、聞きそびれていた。
パレードを担当する騎士団がどの騎士団であるかを。
◇◆◇◆◇◆◇
翌日、快晴の空の下。
アルマはゼムとガルムと共にパレードのルートである大通りへとやってきていた。周囲は人でごった返しており、まさに芋洗い状態だが、アルマはまったく苦ではなかった。
子供の体格を利用して人波を縫い、最前列へと躍り出る。そして騎士団がやってくるのを今か今かと待っていた。
逆にガルムは既に辟易しているようで、早々に人が少ない方へと流れて行ってしまう。ゼムはアルマの行動を止めることが出来ず、少し後方からアルマを見守っていた。
そして、大通りに騎士の一団が姿を現した。
悠々と闊歩する白馬を先頭に、見目麗しい騎士が数十名、一糸乱れぬ隊列を組み、方々からの歓声に応えて手を振ったり笑顔を向けたりしている。
まさに壮観と呼ぶに相応しい光景だが、それよりもアルマは先頭の白馬の騎士から目が離せなかった。
アルマがポツリと零す。
「…………ディー……」
第二騎士団の色である濃紺を基調とした軍礼装に身を包む美貌の青年。
それは間違いなく、レスティアと二年を共に過ごした少年ディートハルトその人だった。
彼は涼やかな表情で真っ直ぐに前だけを見つめている。あの頃のような愛らしさどころか愛想笑いの欠片すらないが、周囲からはその浮世離れした美しさに溜息を漏らす者が男女問わず後を絶たなかった。
アルマは混乱したが、それでも次第に嬉しさが込み上げてきた。
まさかこんな風に会えるだなんて思ってもみなかったのだ。感極まって思わず涙ぐんでしまう。
あの頃の面影はほぼなくなってしまうくらい、眼前のディートハルトは成長していた。
恵まれた長身に、服の上からでも鍛え抜かれていることが分かる体躯。
顔も少年特有の柔らかさは既に失われ、代わりにしっかりとした大人の目鼻立ちになっている。
あの頃と変わらないのは眩い金の髪と、タンザナイトの瞳くらいだろうか。
アルマはただひたすら、ディートハルトだけを見つめていた。
こんな機会、早々巡ってくるはずもない。ならば出来る限り焼き付けておこうと必死だった。
すると、その熱視線に気が付いたのか、今まで頑なに前だけを見ていたディートハルトが、アルマの方へと視線を動かした――瞬間、爆発するようにアルマの周囲から「きゃあああ!!!」と歓声が上がる。
と、同時にアルマは小柄なのが災いして不意に強く突き飛ばされ、本来入ることを禁じられたパレードの内側まで侵入してしまう。
しかも丁度その進路上にはディートハルトが操る白馬が迫っており、突然の事態にアルマは回避行動も取れず固まってしまった。頭が真っ白になる。
――ぶつかるッ!!! 誰もがそう思った瞬間。
白馬が前足を大きく上げて嘶き、急停止した。
アルマとの距離はまさに目と鼻の先だったが、奇跡的に衝突は回避され、双方事なきを得る。
未だに立ち竦むアルマに、颯爽と白馬から降りたディートハルトが近づいてきた。
「君、怪我はなかったか? どこか痛めたのならばすぐに手当てを――」
「……あ、ああ……だいじょうぶ。心配しないで、ディー」
まだ混乱していたアルマは、無意識のうちに前世のディートハルトにするような口調で返事をしていた。
途端に、ディートハルトの顔色が変わる。
彼はアルマを凝視しながら、恐る恐るといった様子で再び声を掛けた。
「…………レスティア、様……?」
「へ? あ、うん。本当に大丈夫だよディー、怪我はなかった……か、ら……」
そこでようやく、アルマが正気に戻った。そして自分が口走っていた言葉を思い出し、顔を真っ青にする。突然、謎の幼女が親し気に話しかけてくるなど、不審以外の何物でもない。
しかも今はパレードの真っ最中だ。
式典を邪魔した罪に問われたら……と、アルマが肝を冷やしていた時、
「……――レスティア様ッッ!!!」
「ふひゃあ!?!?!」
こともあろうに第二騎士団を統括する美貌の公爵は、幼女をぎゅうぎゅうと抱きしめていた。
あまりの事態に周囲が騒然とする中、アルマは慌ててディートハルトの背中を小さな手で叩く。
「ちょ、やめ! やめて! 痛い痛い!! あと恥ずかしいってばディー!!」
「ああ、本当にレスティア様だ……っ! どうしてこんなところに? いやそんなことどうだっていいや。レスティア様、レスティア様、レスティア様……ッ!!!」
「ひぇええええ!!! ディ、ディーが壊れたああああ!!!!!???!?」
先ほどまでの美しくも冷淡な印象の青年は一転、幼女に縋りついて離さない不審者へと成り下がった。
周囲が一層どよめき、華やかなパレードは完全に機能を停止する。
アルマはアルマでなんとかディートハルトの腕から抜け出そうと試みるも、万力のように締め上げられているため、どうすることも出来なかった。
とそこへ、困惑する騎士団内から一人の男がすっ飛んでくる。
「だ、団長!? 何やってるんですか!!!」
「あ!! ダグラス!!!」
「え!? なんで俺の名前を……!?」
アルマは駆け寄ってきた男がかつての同期だった騎士ダグラスだと分かり、思わず名前を叫んでしまう。当然、見知らぬ幼女に呼び捨てにされたダグラスはアルマを警戒するが、それよりも先にディートハルトが動いた。
彼は唐突に立ち上がると、ひょいとアルマを片腕で抱えるように持ち、ひらりと白馬に跨った。
あまりにも淀みない洗練された動きに、アルマは目を白黒させる。
気づいたときには再び腹部を片手でホールドされていたアルマは、上体を大きく反らして背後のディートハルトに抗議の声を上げた。
「ディー! なんでわたしまで乗せてるの!? おかしいよ!?」
「いえ、全然おかしくありません。それよりレスティア様、聞きたいことは山のようにあります。こんなことしてる場合じゃありません。とりあえず僕の家に行きましょう。ええ、今すぐに!!」
「おいコラ待て騎士団長!!! アンタいきなり幼女連れ去ろうとしてんじゃねぇ!!!」
「……ならばダグラス、この場の指揮権は今よりお前に一任する。僕は帰るから後は任せた」
ダグラスのもっともな物言いに対して、ディートハルトは淡々ととんでもないことを宣った。
パレードの先頭、民衆が最も注目する騎士団長が途中退場など許されるはずがない。
それはディートハルトも重々承知しているはずなのに、彼はノータイムでアルマの捕獲と尋問を優先すべく行動を移そうとしている。
普段の冷静沈着で非の打ちどころのない彼を知る人物ほど、その奇行に対する衝撃は計り知れなかった。
例に漏れず絶句するダグラスがあまりにも不憫だと感じたアルマは、小さな両手を思いっきり上へと伸ばし、ディートハルトの頬を両側から強めに包む。
「ディー、今は任務の最中でしょう? 無責任なことをしてはダメ」
「ッ……レスティア、様……」
主人に叱られた子犬のように、ディートハルトのタンザナイトの瞳が不安げに揺れる。
既に彼の中でアルマ=レスティアという図式が成り立っている以上、アルマも開き直って前世と同じように接することにした。その方が話が早いと思ったからだ。
いくら髪の色や目の色といった外見的特徴が同じとはいえ、ほんの少しのやり取りだけで、ディートハルトはアルマの正体を見抜いた。
それ自体は嬉しいことだが、だからといって他人に迷惑を掛けていい理由にはならない。
「わたしは逃げないから、大丈夫。立派に成長したところ、見せて欲しいな」
「…………分かり、ました」
ディートハルトは苦渋の決断を迫られたような顔をしつつも、アルマの要求を呑んだ。
やはり外見が幼女だとしても、仲が良かった先輩の言葉には反応してしまうものなのかもしれない。
しかし膝から降ろされる気配は一切なく、彼はダグラスに「パレードを再開する。お前も隊列に戻れ」と指示を出すと、そのまま白馬の手綱を引いて前進を始めた。
当然焦ったのはアルマである。
「ディー、再開はいいけど、その前にわたしのことは降ろして欲しいんだけど……」
「絶対に嫌です。終わったらそのまま僕の家に連れて行きますから」
「ええ~……?」
アルマは妙なことになったものだと溜息をつきながら、周囲に視線を走らせる。
どうやら民衆は接触事故が回避され、騎士団長に助けられた幼女がそのまま馬に乗せられたことを一種の罪滅ぼしとでも思っているようだ。
時折女性からの「羨ましい」の声が聞こえてきて、なんともむず痒い気分になる。
その時、アルマはこちらを睨みつけてくる視線に気づいた。誰あろうガルムである。
隣のゼムは状況がイマイチ掴めていない様子で不安そうな表情をしていたので、アルマは心配ないということを知らせるために二人に向かってぎこちない笑みを向けた。ついでに手も振っておく。
そんなアルマの態度にガルムが何やら怒って叫んでいたが、群衆の歓声に紛れて聞き取ることは出来なかった。
アルマはなんとかガルムの声を拾おうと、身体を少し傾けようとする。
が、それはあっけなく阻止された。
「レスティア様、こっち見てください」
何故か拗ねたような声が頭上から降ってきた。
自然と首を後ろへ反らせば、酷く悲しそうな顔をしたディートハルトと目が合う。
「僕の成長が見たいんでしょう? なら、僕から目をそらさないでください」
アルマは「ディーってこんなに子供っぽかったっけな……?」と思いつつも、まぁ衝撃の再会で情緒が不安定なのかもしれないと適当に納得して、こくりと頷いて了承の意を返した。
途端にディートハルトの表情はパッと明るくなり、手綱を持っていない方の手は大事そうにアルマの腰をさらに自分の方へと引き寄せる。
そんな風に抱きしめなくても落ちないのに、と思いつつ、アルマはされるがままになっていた。
「レスティア様、苦しくないですか?」
「ん? いや、別に大丈夫だけど……それより本当にパレードが終わったらわたしを連れてく気?」
「当然です。というか、今日から一緒に暮らすので、これからはずっと一緒ですよ」
「…………はぁ??????」
アルマが素っ頓狂な声を上げる一方で、白馬の王子様もかくやな騎士は、大変上機嫌だった。
――この日のパレードは、ある意味で伝説となった。
たとえ王族相手にも愛想笑い一つ浮かべない美貌の騎士公ディートハルト。
彼はその日のパレードで、誰もが魅了されるほどに輝かしい笑みを無差別に振りまき続けた。
そんな彼の表情を引き出したのは、貧民街で暮らす平凡な孤児の幼女であり。
のちに彼女は【騎士公の最愛】として国では知らぬ者がいないほどの有名人になるのだが、当の本人はその事実をもちろん、まだ知らない。
※2022年2月5日より、連載版を開始させていただく運びとなりました。
こちら→ https://ncode.syosetu.com/n7591hl/
1~3話まではこの短編の内容そのままで、4話以降が完全新作になります。
もし本作を少しでも気に入ってくださいました方は、ぜひお立ち寄りいただければ幸いです。