閑話 紫眼の悪魔
ここは人間達の住む地上世界とはまた別の悪魔界
また一人地上世界で殺された悪魔が送還された。
その悪魔の名前はセルジウス、建雷と一騎討ちをしてあえなく殺された悪魔である。
悪魔は悪魔界もしくは地上世界のいずれにおいても物理的に殺されても、魂を完全に砕かれるか、心の奥底から絶望して生を諦めない限り生き返る。
セルジウスもその事は何度か経験済みであるので、それに対する特筆すべきほどの驚きも感慨もない。
「おやおや、その様子だと殺されてきたのですね」
常闇の間から姿を現した紫眼の悪魔が言った。
彼はセルジウスにとって腐れ縁のような存在で悪魔界において何度も戦いを繰り広げて、今では交互に召喚に応じる遊びを行っていた。
ルールはお互いが交互に召喚に応じ、殺されるまでその悪魔が出番を続ける。死んだら、もう一方と交代して戦い依頼をこなして、どちらが早く悪魔としての格を上げられるかというものだ。
二人のような上位の悪魔がそのような遊びに興じているせいで、人間達への被害は相当なものとなっているが、彼等にとっては興味の範囲外の話である。
「ああ。魔力の最大値も少し減ったみたいだが、召喚者から受け取った魔力を足し合わせるとやや増加しているな。死んでも魔力量が減らないように多めにくれたことが幸いしたようだ」
生き返るとはいえ、もちろん代償はある。
セルジウスが言ったように保有最大魔力の減少及び悪魔としての格の低下だ。
悪魔としての格の低下は死の蓄積によって発生する。殺されたあとに一定時間以上再度殺されなければ、条件がリセットされるので、滅多に起こらない。
したがって、今回起こったのは魔力の減少。
しかしながらその変化は悪魔が戦意を喪失した場合や自分の意思で逃げた場合を除き極僅かであるため、常人が見抜くのは至難の技だ。
セルジウスと頻繁に会っていたとはいえ、その変化を読み取っていることからも紫眼の悪魔が観察力にも優れた上位存在であることがわかる。
「貴方が殺されたということは相手は相当の手練れだったのですね?」
紫眼の悪魔から見てもセルジウスは悪魔の王たちに比べれば劣るとはいえ、悪魔の中でも一握りの上位者の端くれであり実力は認めていた。
なので、セルジウスに大怪我を負わせて退却させただけならまだしも、殺すことができる相手には興味を持ったのである。
「まあな。今回のは召喚者を含めて面白い相手だった。本物の強さの真髄を見てきた気分だ」
「いつもは傲慢な貴方がそれほど言うとは。余程強い相手だったのでしょう。面白そうな所を見逃してしまいましたねぇ」
紫眼の悪魔は残念そうな表情を作りながら言ったが、セルジウスには彼が特に残念に思っていない、むしろどこか喜んでいることを見抜いた。
それもセルジウスの死で出番が回ってくること自体を喜んでいるのではなく、また別の、それこそ運命の巡り合わせ的なものを。
数千年の永き時を友人として過ごしてきたセルジウスには、彼がそのように感情を揺らすことが珍しいことだった。なので、セルジウスはその原因を追求するため、紫眼の悪魔の本心に気づいていないふりをした。
「見ていてくれなかったのか。お前もその強さを目に焼き付けるべきだっただろうに」
「そうしようと思ったのですが、昔の縁ある人の契約精霊を見つけたのですよ。当時から、地上世界で戦えば互角程度の精霊、上位精霊でしたが、今ではそれとは比べ物にならない遥か高みに至っているようですね。今の彼と戦えばこの悪魔界でも互角がいいとこでしょうか」
「ほぅ。その話を聞かせたまえ」
セルジウスは全力戦闘であれば自分よりも数段上手の紫眼の悪魔が敵わないと明言する相手がどれ程なのか気になり、目を輝かせて催促する。
「話しましょう。と、言いたいところですが契約の都合上詳しく口外することを禁じられているのですよ」
「······残念だが、仕方ないな」
悪魔にとって契約の内容は絶対的に遵守すべきものであることは当然の了解なので、セルジウスは聞きたい気持ちを圧し殺した。
「代わりに、貴方の話を聞きましょう。守秘義務などないのでしょう?貴方が守秘義務を契約に含む相手との交渉に応じるはずもないでしょうから」
「それはもちろんだ。俺は秘密にしろと言われるのがこの上なく辛いからな」
契約違反は最悪、存在を消失するほどの事態になることもある。自我もなく戦いに明け暮れるだけの下位悪魔ならともかく、上位悪魔は意思疏通が可能だ。
悪魔同士で自分の功績を自慢したりすることも多いので、セルジウスのように一定以上の守秘義務を盛り込まないことを召喚に応じる条件にしている悪魔も一定数いる。
かくいう紫眼の悪魔も何かに縛られることが嫌な性分なので、守秘義務を盛り込む契約に同意するということは、そうしてでも契約したいほど相手を気に入ったことになる。
紫眼の悪魔が相手を気に入ることなどあまりない。そういう点でもセルジウスはその契約者のことを少し興味深く思った。
「私も同感です。秘密を抱えて生きることがどれほど大変なのか人間たちを見て学びましたから」
「やっぱり、そうだよな!さすが俺の友だ」
セルジウスは共感してくれた紫眼の悪魔の背中を叩こうとしたが、すんでのところで避けられた。
つれないな、と思いながらも、友人は元々こんな奴だったなと思い直して自分の話を始めた。
「俺が見た中で強そうだったのは四人くらいだ。一人目は召喚者で、二人目は俺を殺した金髪の男だ。召喚者は近接戦闘は大して強そうではなかったが魔法の技術が尋常じゃなかった。何度か瞬間移動を前置きなしで使用していたんだ」
「そうですか」
並みの悪魔であれば瞬間移動の行使に驚くところだろうが、紫眼の悪魔はそれには反応しない。瞬間移動は上級の魔法ではあるが、事前に準備さえできれば彼の基準ではそれほど労せずして使えるからだ。
最もセルジウスがなんの前置きもないと表現するほどであるから、さらに上位の魔法使いであると推測出来るのでかなり高い評価はつけられている。
「そして、その他に強かったのは召喚者の上司らしき男と俺を殺した男の仲間だ。さっきの二人も大概な強さだったがこの二人は格が違う。本気を出して戦えば一秒と持たずに殺されることになっただろうな」
「一秒、ですか。私が戦っていた場合は?」
紫眼の悪魔は眼光鋭く問いかけた。一秒での決着とは守りに徹すれば余程の実力差か相手が一撃必殺の技を持たない限り成され得ないことである。
「お前の実力と能力を鑑みれば一撃はないだろうが、それでも一分以上全力の戦闘が続けばいい方だ」
「一分ですか。それは難儀な。出来れば戦いたくない相手ですね」
紫眼の悪魔は厄介そうな目付きをした。これがセルジウスの過大評価であればいいのだが、生憎セルジウスは戦力分析には長けている。なので、思い違いという可能性はほとんど残されていない。むしろ、セルジウスの目を誤魔化せるほどの能力があれば、分析以上に厄介だと言えよう。
「だろう。召喚者の仲間は戦いを見ていないからわからないが、俺を殺した奴の仲間は魔力攻撃を一刀で消滅させてもいたようだ。それに加えて隔絶的な近接戦闘能力と状況判断能力まで備えている。殺害に躊躇するところを突けば少しはマシだろうが、余りにも危険な賭けだな」
「それほどに······この話は終わりにしましょう」
紫眼の悪魔は話を切り捨てた。絶望というのもあるが、何よりのことは面倒くさく感じたからである。
悪魔は戦闘種族としての立場上、強いものに興味を持つが、紫眼の悪魔には関係ない。
目的が違うのだから
普段は暇潰し的に相手の戦力を骨の髄まで分析しきろうとする紫眼の悪魔がそれを切り捨てるなど珍しいことこの上ない。何しろ、悪魔にはその未来永劫的な寿命をもて余すものが多いのだから。
セルジウスは例に漏れず、珍しいと思っていたが、紫眼の悪魔の真意に気づく。
「お前、まだ真なる主を求めているのか?いい加減に諦めればよいのに······」
「イヤですねぇ。貴方のような中途半端な志ならば諦めることも厭わないでしょうが、私には堅い決意があるのですよ」
セルジウスはため息をついた。中途半端と言われたことも癪に障るのだが、名前を自分でつけようとしないことに呆れているのだ。
悪魔にとって、主と見定めた者から名前をつけてもらうことは主と深い絆で結ばれ、喜びを満たすものでもある。
一方で、そんなことは滅多に起こらない。
悪魔に名前をつけようとする馬鹿などそうそう居るものではない。強さもそうだが、なにより名付けた本人に同等以上の潜在能力がないと逆に死んでしまうからだ。
故に憧れよりも利便性を重視して、自分で名前を決めたり、同格の悪魔に名前を考えてもらうことも多かった。
セルジウスは呆れ果てながらも、紫眼の悪魔の右の掌に納められた水晶玉に吹雪に巻かれた人影が映り込んでいるのを見つけた。
「ああ、やっと見つけたのか」
再開の時から僅かに紫眼の悪魔の頬が上気しているように見えた理由がわかったような気がした。
「ええ。この方ならば、私の主君となるに相応しい方でしょう。ただの人間ではないようですし、名前をつけた程度で死ぬことも有り得ないでしょう」
紫眼の悪魔は物欲の薄そうな表情、立ち振舞いながら意外とロマンチストなのである。
ゆえに、名前はまだない。
彼は名前を下賜してもらうに相応しい相手と見えることを待ち望んむでいる。
たまの暇潰しに国をいくつか滅ぼしながら、幾万年も待ちわびた出会いの時
それはそろそろ成就されるようだった。




