ー#8 二人の少女
学校に着いて車を止めるなり蘭は小さな機械を俺に渡してきた。
「なにこれ」
「通信機。耳に付けて。映像は確認できるけどこっちで会話も把握したい。」
通信機を付けると有綺さんの声が聞こえた。
「泰雅君、聞こえる?」
「は、はい」
それを確認した蘭が俺の髪をいじって通信機が見えないように整えた。
「よし、いってらっしゃい」
俺が車を出ようとした時だ。
「一つだけ忠告。対象にあんまり情を入れない方がいい。ミモザにも、ハルにももちろんシイナにも」
「…わかった。」
その会話を最後に車から追い出された俺は校舎の階段を駆けあがって何とか屋上の扉の前までたどり着いた。
通信機から蘭の声が聞こえる。
「真野ミモザは屋上のへりに立ってる。とにかく刺激しないように」
「…了解」
初任務にしては重たすぎやしないか…
うるさくなる心臓をぎゅっと押さえて扉を開けた。
するとその瞬間扉の音に気付いたミモザと目が合った。
彼女は落下防止用のフェンスの外側に立っている…。
…やばい。なんて話しかけるか考えてなかった…!
「…………何してるの?」
「…そっちこそ何してるの?」
…ですよね。
「忘れ物取りに来たら下から君が見えたから…」
これで通せるか…?
「ふ~ん。」
「そんなところ立ってると危ないよ」
彼女は少し俯いて何かを考えているようだった。
月の明りだと表情までは見えない。
でもよく見ると制服はボロボロで髪の毛も崩れている。放課後図書館で見た姿とは全く異なっていた。
「わかった。まぁいいや。」
そういうとフェンスを開けてこちらに近づいてきた。
俺とすれ違うその瞬間、彼女の目に涙が見えた。
「ちょっと待って」
思わず手を取った。
驚いた彼女が振り返る。
「…なんで泣いてるの?」
「…泣いてない」
「泣いてるよ」
「…今日ここに来た転校生にはわからないよ」
「話、聞くから」
「優しくて腹立つ。…それとも何?音楽家の息子だから?」
そういってミモザは俺の隣に座った。
どうやら引き留められたようだ。
「前好きだった人に裏切られた。」
前好きだった人…例の家庭教師だろうか。
「急に会いたいって言うから、びっくりして。なんで待ち合わせ場所が学校なのかちょっと不思議だったけどなんでかすぐに分かった。…シイナと手を組んでた。」
ミモザは眼鏡をはずして髪の毛を結びなおした。悔しそうに唇をかみながら…。
「…明日が怖い。」
小さく、彼女はそう言った。ハルと同じことを。
「だからあんなところに立ってたの?」
「転校生は容赦ないね。」
ミモザはそれ以上何も言わなかった。
俺も、何も言えなかった。…というか何を言っていいのかわからなかった。
変に知っている情報を話して不審がられてもよくないし、初対面のくせしてフォローしすぎてしまうのもおかしいなと、この時は思っていた。
ミモザはすっと立ち上がって屋上を後にした。
「転校生も早く帰った方がいいよ」
ミモザが去ると通信機から有綺さんの声が聞こえた。
「お疲れ様。あとは私がちゃんとミモザが家に帰るか見張っておく。何かあったら連絡するよ」
続けて蘭の声が聞こえる。
「泰雅降りてきて。一回拠点に戻ろう」
アリアケ大学の地下にある拠点に戻ると、そこには雄馬もいた。
「雄馬、来てたんだ。」
「うん、まだアレン・リューの任務はどうするか決められないけど泰雅が任務を遂行してるなら巻き込んだ俺もそれを見にきた。そしたら、有綺さんにシイナ・フォークナーについての任務で手伝ってほしいことがあるからって」
「そう、雄馬君にはシイナが中学生の時にいじめてた相手の子について調べてもらってたの」
「調べるってどうやって?」
「ニューリドルの旧警察署にあった資料とか中央政府の資料がデータ化されててそれで調べてもらったの。そしたらちょっとだけわかったことがあった。
どうやらシイナの親とそのいじめられている子の親の職場が一緒だったらしいのよね。それが関係してるかもしれないって」
学園のいじめも半分が親の、半分が私怨のとハルが言っていた。
「今日、協力者との任務をやってみて、こうやってレベル2の対象をレベル3にしないようにする作戦の落とし穴に気づいた。」
有綺さんが蘭に言った。
「こうやって自殺を止めて、レベル2の子を守ろうするにしても監視カメラの関係で家の中で自殺をしてしまう可能性がゼロにできない分、この作戦の成功率はもしかしたら低く出るかもしれないということ。
あと、もう一つ。このコンピューターが実行犯の学生じゃなくてその子たちに支持を出しているシイナに目を付けてレベル2の判断をしたということは、どのケースにおいても問題の根幹を追わないとレベルが付いた対象を救うことは難しいという事。」
つまり有綺さんは今日始まったばかりのこの作戦でシイナを救うことは難しいということを言っているのか?
あの学園のゆがんだ学生の感覚はおかしいとは思うが、それはもはや代々伝染しているようなものに感じた。
それをこの瞬間にけじめをつけていいのか?…いや、まだ決着がついたわけじゃない。そうだ、まだ。
「蘭、まだ出ないの?」
凛奈がモニター―ルームの入り口から声をかける。
時計の針は9時を回っていた。
「だめだ。もう行かなきゃ。」
蘭はそれだけいってモニタールームを出た。
きっと、今日の執行に出るんだろう。
行ってらっしゃいと二人を見送った有綺さんが俺と雄馬に告げた。
きっと、深刻そうな顔をして蘭のことを見送ってしまったんだと思う。
「泰雅君、雄馬君。…あんまり思いつめないでね。」
有綺さんはゆっくりと優しい口調で話し始めた。
「ここに座ってると、一日何回もレベル2とレベル1をさまよっている人を見たり、レベル3にぽんと跳ね上がる人を見たりするのね。それって、その人は数日後にこの世からいなくなるって事じゃない。
でも、それは私たちのせいじゃない。
同じようにここでミモザが自ら命を絶っても、シイナが執行されても、それはあなたたちのせいじゃない。」
「それはわかってるんですけど…」
「そう、わかってるのよね。私だってそう。…わかってる。でも、心をから話せなのよね。
蘭や凛奈は私たちよりも“少し”心を切り離せてるからこうやってJUDGEの執行を直接できるだけ」
「すこし?」
「そう、私たちより少しだけ。あの二人だってきっと辛いことはつらいのよ。でも、だからと言ってネイヴの人にそれをやらせることができないって思ってる。」
有綺さんはそういうと、再びモニターの方を向いた。
「二人はもう帰りなさい。また明日、」
俺たちは有綺さんに言われた通り、その日はアリアケ大学を出た。
家に帰ると相変わらず母さんも父さんもとても心配してそうだったが、何よりも雄馬と俺が一緒に帰ってきたので特に多くを聞かれることもなかった。
その夜はとても長かった。
初めての任務が頭で整理できない。
何よりも、翌日の執行を告げるラジオが怖かった。
結局あまり眠らないまま雄馬とアリアケ大に向かうとそこには蘭が居なかった。
俺はそのままあの学園に登校した。
大きな校門を抜けて大通りを歩いていると後ろからものすごい勢いで俺を抜かす人がいた。
間違いない、ハルだ。
ハルは俺に目もくれず校舎に向かって走って行った。
…何かがおかしい。
俺も急いで校舎に向かうとすぐに異変に気づいた。
慌ただしい教師たちと学生。
噂話が校舎内に溢れてる。
その話の中に明らかに「3年s組」と聞こえた。
俺も慌ててクラスに向かうと、
それは悲劇の劇場だった。
黒板と壁いっぱいに写真が貼ってある。
…真野ミモザの写真だった。
服を着ていない、行為中を盗撮したような写真だった。
そして追いかけてきたはずのハルの姿がなかった。
周りの学生に聞く、
「あの、ハルがどこに行ったかわかりますか?」
「分からないけど、これ見て顔色変えて飛び出していったよ…」
そうだ。監視カメラ…!
JUDGEのモニタールームに電話をすると有綺さんが応答してくれた。
「もしもし、泰雅君?どうした?」
「シイナとハル、2人の居場所わかりませんか?」
「了解、有事なのね。シイナ…フォークナー…は、カフェテリアのVIP室でなにか言い争ってるみたい。そこにハルもいる」
「…ありがとうございます」
「あ、泰雅君、この電話切らないで。私も聞くよ。」
俺はモニタールームとつながったままの携帯電話を胸ポケットに入れ、教室を後にしてカフェテリアに向かった。
ガラス張りの入り口を抜けると東側、シイナが昨日居た方のVIPフロアの個室のドアが開いていた。
赤いカーペットを駆けあがる。
「この学校ごと、私が壊そうと思ったの!!!」
シイナの気高い雰囲気からは想像つかない叫び声に足がすくんだ。
個室の中に入っていけない。
「壊そう…って、それでもあんなこと」
ハルは嫌に冷静だった。
「学校の風紀が乱れるって…?そうよね。ハルはいつも『事なかれ』って、私がかき乱すのを落ち着かせるように。…ほんと器用。」
「わかった。シイナの話ちゃんと聞くから。」
「…何が『わかった』よ。同じ役でもハルと私は最初から違うの。あなたはフレックスじゃなかったら階級なしの生徒かもしれないけど、私は階級が無かったらジャック。階級が無い人よりも階級がある人の方が上とのつながりが強いのは当たり前じゃない。フレックスの役を持っていたってそれは私も例外じゃないのよ。それで中学生の時だって…もううんざりなの。私がなんで中学生の時にあんなことをしなきゃいけなかったか知ってる?」
「……」
ハルは黙ったままだった。
「その時仲良くしていたキングの同級生のペンを借りて、壊したの。…それだけよ。たまたまそれがその子が本当に大事にしているペンで、たまたまそれを壊したのが階級なしの子だった。
さすが旧王族よ。やらなきゃいけないことがわかってたのよ。私に命じてそいつをとことん陥れるの。その子の『やって』の一言で、私が必死に考えて喜ばせるようにしたわ。そうじゃないとお父様とお母様にも怒られる。
こんな気色の悪いことしたくなかったのに。それが高等学園の人の評価されてしまったから。
今だってやりたくてフレックスをやってるわけじゃないのよ。あなたがほかの学生にどうみられているかに興味なんてないけど、少なくとも私は『悪魔の女王』か何かよ。
私はそんな思いで学校に毎日毎日通ってるのに。
あの子は、ミモザは…。
あの時本当に好きだった人を取られて、あっという間にあの子は振ったの。
そしたら今になってのこのこ現れて『やっぱり君がいい』って下心しかないような目で言ったわ…
なんで私ばっかり周りに振り回されて嫌な思いをしなきゃいけないの?
どうせこの先も中央政府解体の影響がこの学園に出てきて、それを掃除するかのように私が何とかしなきゃいけないのよ。
汚いことばっかり上手にさせられちゃったんだからそれを使ってやり返しても罰当たりしないと思わない??」
彼女の言う罰当たりがするのかどうか、それは旧中央政府だと答えはNoだろう。
「泰雅君…。聞こえてる?」
胸ポケットのスマートフォンから有綺さんの声が聞こえた。
「…はい。」
…ただ、JUDGEのコンピューターはすでに彼女をとらえてしまっていたのだ。
「真野ミモザの死をコンピューターが検知した。
…それと同時にシイナ・フォークナーがレベル3、執行対象になった」
俺は目をつぶって大きく息をはいて、その場から立ち去った。
…今は、彼女と顔を合わせることはできなかった。




