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ー#3 疑




「…!!どうしたのその傷?」



蘭の右の掌にあったのは3cmぐらいの深い傷だった。

掌だけじゃない、指の内側にもいくつも傷があった。



 「中学生の時にクマに襲われて、顔をかばった時に引っかかれてからずっと治らないんです。無様だからあんまり人に見せるのはどうかなって思ってずっと手袋してて」


 「そうなのね…。気にしてたのにごめんなさい。でも見せてくれてありがとう」


母さんがありがとうと言うと、蘭は不思議そうな顔をした。



 「どうしてお母さんが僕に『ありがとう』って…」


 「…え?…あぁ、可笑しかったかしら!」


と、母さんは明るく笑った。



 「蘭君が、出会ったばっかりの私たちのことを信じてくれたような気がして嬉しかったのよ。だからありがとうって言ったの。」


 「はぁ…」



母さんがそう説明しても蘭はまだ不思議そうな顔をしている。

…なんだ。思ったより可愛げのある青年じゃないか。



 「さ!冷めないうちに食べて。蘭君も早くお家に帰った方がいいから」



その後は6人で話をしながら夕飯を食べた。

菜都が大学で習った面白かったことや友達のことをお決まりのマシンガントークで繰り広げ、父さんも自慢げにこれまでどんな人に楽器を売ってその人がどんなことを成し遂げたかを話し、母さんは俺たち3人が小さかった時の話をした。

雄馬はいつもに比べてあまりしゃべらなかった。




夕飯を食べ終わると俺と菜都は蘭を最寄りの駅まで送ることになった。

菜都の話は蘭と別れる直前まで尽きることはなかった。


 「じゃあまた」

 「うん、また明日!」


蘭を乗せた電車は隣のマキノ市の方へ向かって走り出した。

俺と菜都も家に引き返す。


 「…はぁぁぁ。かっこよかった。…束の間の幸せね」

「束の間って、菜都、夕方からずっと蘭と話してたよ。」

 「それが一瞬に感じる位幸せだったの!」



…ちょっと待てよ。こいつさっき「また明日」って



「お前明日も蘭と会うのか?」

 「蘭、明日午前中で授業終わるんだって。私もそうだから一緒にユーロでランチすることになったの。」

「店番は!?」

 「お客さん全然来ないしお兄ちゃん一人いれば十分でしょ。お母さんにも言ったから心配しないで!」


こういう時の菜都の行動力は一周回って尊敬の域だ。



 「それにしてもなんで雄馬はあんなにむすっとしてんの?」

「あいつがJUDGEだったらどうするんだ!って疑ってるんだよ」

 「は??蘭に限ってそんなはずないでしょ!」

「俺に怒るなよ…!まぁ警戒して損することはないと俺も思いはするけど」

 「JUDGEって『殺人鬼集団』でしょ?…蘭は私と同い年よ!話しててわかる。あんないい人がJUDGEなわけない」

「俺だってそう思ってるし、さっき切符買うときに財布から学生証が見えた。アリアケ大学だって。」



アリアケ大学はウル市から見てユーロ市のもう一つ奥にあるアリアケ市にある大学だ。

菜都がユーロの駅でばったり会うことに不自然なところはない。



 「お兄ちゃんの無駄にいい目が役に立ったわね。もぅ、雄馬は心配性なんだから。お兄ちゃんから言っておいてよ」

「あいつが聞くかはわからないけど言ってはおくよ。」



―――――




「…というわけで、河田蘭ってやつはアリアケ大学の学生に間違いないから。」


俺は帰ってから雄馬に駅でみた蘭の学生証の話をした。



 「大学は公機関だぞ。学生証ぐらいすぐに偽物を作れる。あの人がJUDGEじゃないって証拠にはならない」


ここまで雄馬がやけになるのは珍しい。よほどあいつが気に食わないのか?…それとも



「どちらにしろこれ以上疑うのはやめた方がいい。もしお前が思う通り蘭がJUDGEなら殺されるのは雄馬、お前だぞ。


 それにこの家は商売で成り立ってるんだ。蘭は新しい客としてこの店に来た。そんな人を片っ端から疑うなんてやってられない。」


 「……」



返事もしない雄馬に少し腹が立った。

本当は俺だってこんなことを言いたくないけど…、




「……雄馬もこの家に住んでるんだからそれはわかってくれよ」



かたくなな雄馬に思わずひどいことを言ってしまった。

一度目の前のやつに言った言葉はもう戻ってこない。



 「…ごめん」



そういうと雄馬は部屋を飛び出した。



しばらくすると父さんが部屋に入ってきた。



 「どうしたんだ…雄馬が今日は自分の家に帰るって。」

「喧嘩した…」

 「…そうか。まぁ気が済んだら仲直りしろよ。雄馬はうちが面倒を見るんだ。でないと父さんが死んだとき、雄馬のお父さんとお母さんに顔向けできないよ。…泰雅だってそうだろ」

「わかってる。」


俺の返事を聞くと父さんはさっと部屋を出た。

雄馬は大事な幼馴染だ。…それに今日だって間違ったことは一つも言ってなかった。


すでに大事な人を失ってるからすこし言葉が強くなっただけだ。

俺が悪い、今日は俺が悪かった。



明日、ちゃんと謝ろう。雄馬の家に行ってうちに連れ戻そう。

一日頭を冷やしたら雄馬も許してくれる気がする。



俺はこの上ない位に不安だった。何が不安だったかは正直よくわからない。

このまま雄馬と仲直りできない事?それよりもっと大きなものな気がする…。

不安だったけどその日は足が雄馬の家に向かなかった。



翌朝、朝食を食べているとラジオから流れてくる言葉に背筋が凍った。



 『昨晩のJUDGEの執行はユーロ市で2件、ディノ市で3件、


 “ウル市で1件”


 当局調べではウル市で執行が行われたのはこれが初めてです。詳細は現在調査中です。続報をお待ちください』



思わず持っていたコップを落とす。


 「泰雅?」


「ごめん、ちょっと出る」


俺は食べかけの朝ごはんを置いて雄馬の家に走った。

昨日の不安の正体が、俺が想像している最悪の結末ではない事だけを祈ってとにかく走る。



「雄馬!!俺だ!泰雅だ!!昨日はすまなかった!出てくれ!!」



雄馬の家の一軒家のドアを何度も叩く。


…反応がない。

…嘘だろ。そんなわけ…。



 「庭か…」


俺は家の反対側に回って塀を超えた。

庭の窓からならガラスを割って家に入れる。



リビングに雄馬の姿はない。荷物を一掃したからすかすかで人気ひとけもない。



 「…しょうがない!」



―――ガッシャーン!


ベランダの窓を割って鍵を開け家に入る。


二階の雄馬の部屋を開けた。




 「…………いない。」






―――ピーンポーン

玄関のチャイムが鳴る。

気が動転しながらもなんとか玄関まで向かい扉を開けた。



 「あれ?泰雅君じゃない。…雄馬君は?」


玄関を開けると雄馬の家の隣にすむおばさんだった。



 「すごい音がしたから来たんだけど、何かあったの?」

「JUDGEが、…ウルで執行したって聞いて、…その…」


 「泰雅!」


声の方を見ると母さんの姿があった。


 「ウルでの執行、刑務所から解放された殺人犯だって。10年くらい前だから泰雅覚えてるかわからないけど、ウルで事件があってその時の犯人だよ。解放されて真っ先にこっちに向かってきたらしいわよ。」


母さんは雄馬の様子を見に来た隣の家のおばさんに頭を下げた。



 「昨日雄馬が泰雅の部屋から飛び出したからこんなことだと思った。」


「よかった…」


21にもなって久しぶりに母さんの腕の中で崩れるように泣いた。

…雄馬をまだ見ていないから安心はできないけど、とりあえず今夜殺されてはいない。



結局、割ってしまった雄馬の家のガラスを母さんにも手伝ってもらって応急処置して雄馬の家を後にした。

「雄馬はもう家に住むんだし、平気よ。母さんからも謝るから」と言ってくれた。




その後、俺は最寄りから雄馬の家の途中にある公園で雄馬の帰りを待つことにした。




気づくと辺りはめっきり暗くなり、道を歩く人はほとんどいなくなった。


雄馬に対する心配だけがどんどん大きくなる。


まだかまだかと、帰る時に雄馬が通るであろう道を見つめる。


その時だった。



「…雄馬!………雄馬!!!」



下を向いて歩く雄馬が見えた。


雄馬が俺の声に気づいて立ち止まる。



……その後ろ、50mくらいだろうか。

黒いコートを着た人が後を付けている。



 「…泰雅?」


雄馬が俺の方に歩こうと一歩踏み出したとき、

その顔が見えないくらい深くフードをかぶった黒いコートのやつが一気にこっちに向かって走ってきた。



「雄馬!こっちだ走れ!後ろ!!!」


あっという間に黒いコートは距離を詰めている。

雄馬は一瞬後ろを振り向いて、そいつの存在に気づき走った。



―――――そんな、雄馬が正しかったんだ…!




俺と雄馬は公園の中を走った。



「ダメだ。…早すぎる。」

 「ごめん泰雅、俺のせいだ。俺が余計な詮索したから…」

「…違う、俺が雄馬にひどいことを。」



例え、蘭がJUDGEだったとしても俺が雄馬のことを傷つけなければ…こんなこと。



黒コートはどんどん俺たちを公園の端に追い込む。

俺たちはもう立って、走ることもできなくなっていた。


…ここで終わりか。父さん、母さん、菜都…ごめん。



最後の気力を振り絞って、俺は雄馬の前に立った。


こうなったのは俺のせいだ。






―――――コートの袖からは、あの革の手袋が見えた。




「なぁ、蘭なんだろ。……、雄馬は何も見てない、何も知らない」


 「ちょっと、泰雅!」



黒コートはじりじりと距離を詰める。



「だから、俺を殺してこの町から出ていけ!!!!


 二度と父さんと母さん、…雄馬……菜都の前に顔を出すな!!!!」



すると、黒コートは立ち止まり“左手”の手袋を外した。











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