そういや眼鏡は?
あれは僕にとって人生最大の事件であり、汚点であり、そして、己の愚かさを理解した瞬間だった。
一体どれだけ後悔したのか、もう数え切れない。
数えるのも億劫なくらいに後悔し続けた。
もしもあの日に今の記憶ごと戻れるのなら、僕はきっと魂さえ悪魔に売り渡すだろう。
あの日、アレク様の側近として生涯仕えるはずだった僕の未来は粉々に砕け散った。
何が悪かったのかは、全て理解している。
恋は人の目を眩ませるという先人の言葉は、真実なのだと身を持って知った。
知りたくもなかったのに。
僕は彼女が、エトワール嬢が好きだった。
大事である筈の、父が決めた婚約者を差し置いて、どうしようもなく惹かれてしまったのだ。
たとえ報われなくとも、彼女が幸せになるならそれでいいとさえ思う程に。
心から、愛していたのだ。
故に僕は彼女の意志を尊重した。
幸せそうに笑っている彼女を、なるべく近くで見られるのだからそれでいいと、僕は本気で思っていたのだ。
だからこそ彼女がアレク様の、殿下の名を呼ばないのにもきっと何か理由があるのだろうと、僕は深くも考えずに彼女に合わせて殿下を『王子』と呼んだ。
僕の世界の中心は殿下と、エトワール嬢だけだった。
結果、それが全て裏目に出た。
彼女の言う事なら絶対で、それに同調した殿下の言葉を疑う事すらしなかった。
僕は本当に愚かだった。
殿下に一般常識が欠如している事なんて昔から知っていた。
それでも、殿下とエトワール嬢が本当に誰もが知っている『当たり前の歴史』さえも知らないとは思いもしていなかった。
全ては僕が、何も確かめず、考えず、己の気持ちや流れのままに身を任せた結果が、今だった。
どれだけ後悔しても時は戻らない。
どれだけ自分を責めても、殿下を責めても、周囲の人間を責めても、何の意味もない。
誰が悪かったのかは問題ではないからだ。
自己嫌悪、絶望、悲しみ、失望、怒り、自暴自棄、そんな諸々の感情に酔うのも飽きた。
待っていたのは、何も無い真っ暗な虚無感だけ。
その上で僕は悟った。
これは現実を知らない子供がようやく甘い夢から醒めただけなのだ、と。
世界はそれでも回って行く。
どれだけ嫌がろうと朝が来る。
そうやって、僕の場合は今ようやく目が醒めたのだ。
気付いてさえいれば、回避出来ていた筈の今に居るのも理解出来ている。
認めたくもないが、認めなければならない。
僕がきちんと調べ、情報を精査し、殿下やエトワール嬢に確認を取っていれば、彼等の未来が潰される事は無かった。
彼女を幸せに出来るのは殿下だけだと思っていた。
そして、殿下を幸せに出来るのも彼女だけだと。
ならば僕は、彼等を支える為に全力のサポートをしなければならなかったのだ。
彼等や自分の感情だけに流されず、誰よりも冷静で正確でなければいけなかったのだ。
後悔の波は絶えず襲ってくる。
これももう飽き飽きだ。
僕が彼等の未来を潰したのは分かりきっている事実なのだから。
彼等に出来る事はもう無い。
僕には何一つ残されていない。
本当に愚かだ。
こんな状況でも、彼等を救いたいと思ってしまうのだから。
無理だとは理解しているのだけど。
僕はモルディクト・ロンスーン。
侯爵家の面汚しで、世界一の愚か者だ。
婚約者からは婚約を破棄され、父からは廃嫡を宣言された、ただのモルディクト。
この家は妹が継ぐだろう。
それでも僕は、進まなければならない。
僕が出来る事は妹の補佐だ。
今度こそ間違えないように、あの楽しかっただけの日々のようになってはならない。
妹と両親だけは、助けなければ。
それが僕に出来る唯一の罪滅ぼしだ。
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「そういえば、第二王子や第三王女はどうなるんでしょう?」
「はい?」
なんとか決まったデザインで、しゅるしゅるとドレスを編む。
そんな中のリィーンさんからの質問に、若干イラッとしてしまったが、まあいいか。
「ほら、王妃様捕まって隣国に送られるじゃないですか」
「あぁ、犯罪者の血が流れてるとはいえ王族ですし、王様としては後継者が居ない状況にする訳にもいかないから、隣国がなんか言ってきたら王女だけでも送るつもりなんじゃないですかね」
なお、沢山魔力を使って糸を編み上げ、ドレスとして出力しているので、縫い目やその他パーツなどに分かれていないのが、この製作方法の特徴である。
3Dプリンターの衣服版みたいな感じと言えば分かりやすいだろうか。
問題はめっちゃ疲れる事だけである。
でもクロの為だから頑張るよ俺。
「それはそれで、王女様が可哀想ですね……」
「一応、友好の為の王様と王妃様の婚約だった訳ですから、それくらいしか手が無いのでしょう」
すげぇ集中して一定の魔力を出しながらじゃないと上手くいかないので、めちゃくちゃ大変だったりするのだが、これもクロの為だから頑張るよ俺。
「犯罪したからもう要らない、とか言えませんしね……」
「ほぼ言ったようなもんですが、とはいえ、友好の証は必要でしょうから、王女を送ってそれにするしかないかと」
あー、きっとすげぇ可愛いんだろうな、これを着たクロ。
「お隣の国もそんなつもりはなかったから凄く焦ってそうですけど……」
「まあ、焦ってるでしょうね」
「国力はほぼ同等ですし、戦争にでもなったら……」
「確実に共倒れしますね、戦力も似たようなものですし、ただ疲弊するだけです」
「それは……いやですね……」
ちなみにどんなデザインになったかというと、Aラインのワンピースである。
クロの出るとこ出て締まるとこ締まってる体型だとマーメイドラインのドレスになりそうではあるが、そこはこのドレスさえあれば無問題である。
「そうなったら、これ幸いとあの帝国が攻めて来るでしょうね」
「うわぁ……」
「まあ、そうならない為の友好関係なので、破棄する訳にもいかないのは隣国もこの国もお互い様だと思いますよ」
色は紺から黒へグラデーションして行く感じで、フリルは最低限。
後ろの黒いリボンも小さめで、完全に動きやすさ重視である。
「ますます王女様が可哀想になってきました……」
「……まあ、肩身は凄く狭いでしょうね」
「なんとか出来ないんでしょうか?」
「今は隣国がどう出てくるか分からないので、杞憂かもしれませんよ」
跳んでも撥ねても走っても着用者の邪魔をしない、それだけを考えて作られていたが、プラスして可愛さと気品と優雅さとその他諸々はどうしても必要なので頑張っています。
「でも、可能性が高いんですよね?」
「……友好の婚約が必要ならしておけばいいだけですから、その辺を突き詰めれば多少なりとも何とかなるとは思いますが……」
「そんな事が可能なんですか?」
なお今までドレスの種類とか全然知らなかったけど、今回の為に最低限くらいには勉強しました。
ていうかさすがに会話しながら魔力維持するの疲れてきたので、そろそろ会話切り上げていいかな。
「隣国の王子か王女がうちの国の王子か王女と婚約しておけば良いだけですよ」
「……なるほど……?」
「それなら肩身が狭くとも、その国でのある程度の地位がありますから、ただの留学よりも生きやすくなるかと」
『なるほど!』
ひょっこりと第三者が現れて、嬉しそうに笑った。
「いやー、ありがとうございます! 実は王もそれ結構悩んでて、どーしよっかなー、ってなってたんですよ!」
「まあ、参考程度になれば幸いです」
「助かりましたよー、ではでは、失礼しました!」
そして来た時同様、ひょっこりと帰っていった。
「…………誰ですか今の……」
「王家の影の人ですねぇ」
まあ、俺は知ってたけどな。
「…………知ってたなら言ってくださいよ!!」
「タイムリーな話を始めたから知ってたのかと思ったんですが、知らなかったんですね」
「あなたみたいな規格外と一緒にしないで下さい!」
なんかすげぇ理不尽なキレ方されたんですけど、これ俺が悪いの?