そうなると思った
その日、ロストシュヴァイト城の謁見の間は、かつてないほどの喧騒に包まれていた。
辺りに響き渡る声量で、腹の底から出たような威厳のある声で王は言う。
「妃よ、何か申し開きはあるか?」
王妃という王の次に高い地位の貴婦人が、兵達に縄を掛けられ槍の柄で押さえつけられるように地に伏している。
それは謁見の間に連れてこられた王妃が許可なく王へと駆け寄ろうとしたが為だったが、その様子を見た誰もが、さも当たり前とばかりの表情をしていたのが印象的だった。
王妃の煌びやかなドレスは埃に汚れ、一部がくすんでしまっている。
しかしそれでも彼女は己の状況が把握出来ていないのか、声を荒らげ髪を振り乱しながら抵抗する。
「おやめなさい! 妾を誰だと思っているの! 王よ! 何故こやつらを処断して下さらないのです!」
ふくよかな体を震わせ、王へと懇願するように視線を送る。
そんな王妃を睥睨した王は、ふう、と息を吐き出した。
「己が罪を認めないと申すか?」
「妾が一体何をしたというのです!」
「……本当に、覚えがないと?」
底冷えするような冬の空気を彷彿とさせる冷たい声に、王妃の身が竦む。
声も出せない程に怯えた様子を見せながら、壊れたようにガチガチと鳴る歯をそのままに王を見詰めた。
「20年前、貴様が輿入れしたその日は、素晴らしい王妃となるだろうと思っていたが、残念だ」
その言葉には、本心からの憐憫と悲哀、それから慚悔の念が込められていた。
それを己に対する愛情故だと思い込んだ王妃は、一瞬醜く口元を歪め笑んだ。
その表情からは欺瞞と嘲り、それから侮りしか感じられない。
一瞬だけのそれが誰にも気付かれないとでも思っているのか、次に王妃は懇願するように涙を目元に湛え口を開いた。
「何故こんな事をするのですか、理由を、理由を仰って下さいませ!」
優しい王が、自分にこんな事をする訳がない。
きっとこれは周りの人間達を誤魔化す為の茶番で、すぐに解放して貰えるに違いない。
何が原因かは分からないが、きっとそうに違いない。
察しも悪く、頭も悪い王妃は自分に都合のいい事しか考えていなかった。
それは奇しくも、あのパーティの日の王子と全く同じ思考であった。
そんな王妃の姿を見て、王は失望感に打ちひしがれながら、それでも毅然とした態度で威厳ある声を発する。
「カトリアーヌ・ロイド侯爵令嬢、アドリーナ・ハルヴァード伯爵令嬢、あとは貴様の周りに居た使用人、男爵令嬢達、それから、一番直近はクロエリーシャ・フォルトゥナイト公爵令嬢、この名に覚えは?」
「一体何なのですか!? そんな下賎の者達の名前など、どうでもよろしいじゃありませんか!!」
王妃の耳障りな大声に、王の顔が歪む。
それは不快感と嫌悪感により歪んだと言っても過言ではなさそうな程だった。
「この国を代表する貴族達の令嬢を、下賎の者、か」
「当然ですわ! 他は知りませんがクロエリーシャに至っては恐れ多くも王族に歯向かおうとした者でしょう!?」
王妃の言葉に表情を歪めたのは、居合わせた兵士や重鎮達も例外ではなかった。
それもそのはず、王妃の周りに居た人間という事は身分も教養も高く、そしてそれは王家との繋がりも強いという事。
つまり、ここに居合わせた人間達の関係者が、王妃の我儘の被害者である割合が高いという事なのだから。
「カトリアーヌは二度と光を見られない。
アドリーナは二度と大地を踏み締める事が出来なくなった!
使用人や男爵令嬢達には命を失った者もいる!!」
「それが一体なんだと言うの!?」
王妃のそんな叫びが辺りに響くと同時に、彼女の今後が決定した。
もしもここで改心した様子を見せれば、そして全てがそれなりの覚悟を持ってやった所業であるならば、多少なりとも王からの温情を得られた筈だった。
しかし、彼女は心底意味が分からないとばかりの、醜悪な本音が透けて見える態度と表情。
失望感を隠さず、王は頭を振った。
「それら全て、王妃という立場を利用した貴様が指示した事だと、既に調べがついている!」
「そんな馬鹿な!」
「貴様の子飼いの者が口を割ったのだ、地下牢へ連れて行け!」
「そんな、待って、いやあああああ!!」
城全体にすら響きそうな大声で喚き散らす王妃は、王の指示の元、引き摺られるように地下牢へと連れて行かれたのだった。
「母上が投獄された……!? そんな馬鹿な! 一体どういう事だ!」
使用人に聞かされた情報は、王子にとっては寝耳に水だった。
とは言っても、使用人達がコソコソ話していた噂話を耳ざとく聞きつけ、強引に聞き出しただけなので自業自得のようなものである。
なお使用人にとって情報交換は必須事項であり、常に人が居ない、居たとしても聞き取れない程の小声での会話の筈だったのだが、魔法適正の高い王子には無意味な抵抗だったらしい。
王子は腐ってもまだ王族、使用人ゆえに命令を聞かない訳にも行かず、彼等は仕方なく話さざるを得なかった。
その点に関しては、被害者なのかもしれない。
だがしかし、本日の世話係である彼からすれば、面倒な事をしてくれた、と他の使用人達を恨んでしまうくらいだった。
王子を見れば、知ってしまった内容の余りの衝撃に、両手で頭を抱えながらその場に蹲って唸り始めた所だった。
そんな王子を、王子にとっては名も無き使用人Aである彼は冷めた眼差しを向けるだけだ。
「どうも何も、公爵令嬢の暗殺未遂と、その他にも数々の悪行が明らかになったそうですから、投獄されても仕方ないんじゃないですかね」
王子が監禁された初めの頃は哀れにも思っていた彼だったが、全く反省した様子も無く、ただ己の不幸を嘆きながら悪態を吐き続ける王子の傲慢さに嫌気がさしてからは、彼も他の使用人同様に王子に冷たい視線しか送れなくなってしまっていたが故の、その発言だった。
「そんな、何故そんな事に……!」
悲劇の主人公のように現状を嘆くだけの王子の余りの面倒臭さに、彼は投げやりな態度を返してしまいそうになるのをぐっと堪えながら、静かに答える。
「それだけ悪い事をしてたんでしょう」
皆が仕事(王子の世話)を嫌がる→タライ回し→侍従長が叱られる→皆平等にローテーション、となった結果、彼は本日の被害者といっても過言ではない。
なお、その結果この仕事には特別手当が出るようになった為、それなりに頑張れるようになったからこその彼のこの対応であったりするのだが、それは彼等使用人達のみが知る事実であった。
タチの悪い酔っ払いですら面倒臭いのに、素面でこんな状態の王子が面倒臭くない訳がないのである。
もうやだこの王子なんなの、と口に出さなかっただけ、彼は一流だった。
「違う!! 母上はそんな事が出来るような人じゃない! 虫だって殺せないような優しい人だ!!」
「はぁ、そうですか」
実際の所、王子の母である王妃が虫を殺せないのは世間一般の大体の貴婦人も同じなので、ここでも王子の見ている世界の狭さが露見したようなものである。
「ありえない、こんな事があっていい訳が無い……!」
使用人Aの言葉などどうでもいいのか、一切聞かずに一人で自問自答する王子は、なんかこう、頗る気持ちが悪い。
ナルシストが鏡の前で恰好を付けている所を見てしまったかのような、不快感である。
「どうして、何故だ、まさか…………陰謀……? そうか、陰謀だ!」
こうなるから聞かせたくなかったのに、と彼は小さく溜息を吐く。
案の定、そのままヒートアップした王子は、憎悪に顔面を歪ませながら、唸った。
「こんな事が出来るのは一人しか居ない……! クロエリーシャ・フォルトゥナイト……、おのれ……よくも母上を……! 許さない……! 絶対に……!!」
己の都合のいいように思考を捻じ曲げ、己の信じたいものしか信じない王子の姿に、彼は心の底から“こんなのが王にならなくて本当に良かった”と胸を撫で下ろす。
そして、侍従長に報告する内容が増えた事に、心の中で溜息を吐いたのだった。