それはそうだよね
ロストシュヴァイト王城、王妃の私室である奥の間。
ワインレッドの調度品に囲まれたその部屋は、その色のイメージから赤薔薇の間と呼ばれていた。
窓から刺す光を反射して、水晶で作られたシャンデリアがキラキラと輝く。
ふくよかな体を赤い薔薇の刺繍入りの、現代日本でいう“ゆめかわいい”系ドレスで着飾った王妃は、ゆったりと椅子に腰掛けながら、紅茶のティーカップを緩く傾けた。
ゆらりと揺れる紅茶のティーカップの底で、かすかに見えた茶葉の欠片を見咎めた王妃は、この紅茶を淹れた者を罷免させなければ、と何でもない事のように考える。
気に入らない者をすぐに罷免させる事で有名な王妃は、それが悪い事だとは全く思っていない。
むしろ、無能な者を見付け選別しているのだから、人の役に立っているのだという自負がある程には自惚れていた。
さて、今日は何をしよう。
新しく使用人が入ったらしいから、それで遊ぼうかしら。
仲違いさせるように仕向けても楽しそう。
そんなヤバい事を考えている王妃は、まるで聖母のような優しい目をして、貴婦人らしくゆったりと優雅に微笑んでいた。
こういう時には常に人払いがされている。
しかし、王妃以外に誰も居ない筈の部屋に、男の声が響いた。
「殿下、失礼致します」
「おお、お前が来たということは準備が出来たのですね?、早速手配なさい」
待ちかねたとばかりに喜色満面で声の聞こえた天井を見上げる王妃は、なんというか、シュールである。
「恐れながら殿下、あの薬をどうされるのですか?」
「もちろん、妾の可愛い息子の心を痛めている原因、フォルトゥナイト家のクロエリーシャに盛るのです」
さも当然とばかりに告げる王妃の目は、正義は己にあるのだと言いたげなものだった。
今まで、己の子飼いだと信じ切っている影の者を最大限に使って生きてきた王妃には、これ以外に邪魔者を排除する方法など知らない。
それ故の、言動である。
「………………本当に、宜しいのですか」
「ええい! 御託はいいのです! 早く始末なさい!」
きっぱりと言い放つ王妃に、天井裏の者は小さく息を吐いた。
事実として彼女は今まで、王妃という地位を脅かそうとする可能性のある者全てを秘密裏に退けて来た。
王の側室になりうる女を見付けると、死なない程度、だが女として再起不能になるまで叩き潰し、気に入らない女官が居れば服毒させ見世物のように観覧する。
王の隣に居ていいのは己だけ。
それ以外は必要無い。
己の楽園の中だけで生きる王妃は、それが異常な思考だとは露ほども理解していなかった。
「………………御意」
「あぁ妾の可愛いアレク、この母がなんとかしてあげますからね……もう少しの辛抱ですよ……」
影の者の言葉など聞く耳持たなかった王妃は、夢見がちな少女のように瞳を閉じて胸の前で両手を組み合わせた。
そして、天井裏の男は諦めたような溜息を吐きながら、任務を遂行する為に動き出したのだった。
「………………と、いう訳で陛下、アンタの嫁さん大分アカン」
「…………………………どうしてこうなった…………」
頭を抱え蹲る国王と、執事服の男の会話である。
王族直属の影の者を束ねる長である彼は、国王とは長い付き合いであるがゆえに、口調が軽い。
なお王妃の悪行は全て、逐一報告されていたので、実は国王には筒抜けである。
「いや、どうしても何も、今までのツケが回って来ただけじゃないの」
「……もうやだ離婚したい……」
確かに、今までずっと放置して来たのは国王である。
だがしかし、処罰するにも王妃は隣国の王族。
そう簡単には行かなかった。
「すれば良くない?」
「簡単に言ってくれるな、隣国との友好の為の結婚だぞ」
国際問題になってしまう事は、避けたかったのである。
何より、嫁いで来た当初は本当に清らかで何も知らない可憐な姫だったのだ。
全ては、幼少期の教育課程が原因だろう事は国王も理解していたが、まさかそれが一切修復不可能であり、更にここまで自尊心が肥大し、どんどん歪んでしまうなど誰が思うだろうか。
「でも、ここまで来たら無理くない?」
「そうだけどさ……、一応王妃だし……」
それなりに長く連れ添った夫婦故に、それなりの情がある。
故に国王は、どうにも踏み切れずに居た。
諭していればいつかは、と考えてしまったのは、国王である前に一人の男としての、優しさだったのだろう。
全て拒絶し、己だけの世界を生きる王妃には何も届かなかったらしいが。
「このままだと公爵令嬢ちゃん死んじゃうけど」
「それだけはダメだ…………!」
今まで、王妃の手で様々な女性達が陥れられて来た。
ある者は二度と光を見る事が出来なくなり、ある者は二度と歩く事が出来なくなった。
国王の幼馴染の女性でさえも、一度生死の境をさ迷った。
だからこそ王は、国民を、大事な友人を守る為に己が犠牲になったつもりだったのだ。
己が王妃だけを大事に、大切にしていれば、犠牲者は最小限に済む。
故に側室を持たず、愛人すら作らず、ただ王妃を愛し、執務に励んだ。
これは、岐路だ。
ここで道を誤れば、また新たな犠牲者が生まれてしまう。
「どうすんの?」
執事服の男の問いに、王は少しの逡巡の後、重い口を開いた。
「薬をすり替えるか、この情報をリクドウインの倅、ギンセンカの坊に」
それは決意に満ちた、覚悟を決めた者の表情だった。
「…………んー、薬のすり替えは難しいから、解毒剤と一緒に情報渡してくるわ」
王の決意を軽く流し、影の長は頭の中で段取りを組む。
そんな彼に、王は疲れたような表情で声を掛けた。
「世話をかける…………」
「まあ、これで離婚出来そうだし良いんじゃない?」
「…………そうだな、王妃がやったという事が分かるようにさえしておいてくれれば、こちらでも手を打とう」
きちんとした証拠さえあれば、国際問題として逆に隣国に訴える事も出来るだろう。
それを見越しての、言葉であった。
「ほいほい、んじゃ行ってきまーす」
なんとも軽い声の返答の後、影の長の気配は消えていった。
残された王は、ただただ深い溜息を吐きながら頭を抱えた。
「…………………………はぁー、もうマジなんなの…………?」
自業自得とはいえ、しんどいものはしんどかった。