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謎が謎である理由

 トゥランは息を詰めて、反応を待っていた。

 初めて会う人に、初めて名を告げたのだ。何と言われるのか想像もつかない。恐れられるだろうか、それとも憎まれる? あるいは、利用価値があるといって喜ばれる?

 けれど、一向に誰も何も言わないので、とうとうしびれを切らして声をかけた。

「あのう、今の、聞こえた?」

 なぜか時が止まったように硬直しているみんなの前で、手を振ってみせる。


 と、息をふきかえしたようにフィンが身じろぎし、うろたえた声で尋ねた。

「本当か? ……本当に、トゥラン姫殿下なのか?」

「そうよ」

「……信じられない」

「なんで姫君がこんなところに?」

「嘘じゃないのか?」

 リタや手下たちも混乱した様子を見せる。頭ごなしに違うと決めつけられないだけ、まだ希望はある。


「王宮の外を見てみたくて、お忍びで侍女と抜け出したの。そしたら侍女とはぐれてしまって……あとはさっき話した通りよ」

 侍女と詐称した以外は、嘘をついていない。ゆえに状況は単純だったが、フィンたちにしてみれば、そうではなかった。

 追っていた泥棒が途中で別人に入れ替わっており、泥棒の行方は分からない上、その別人が自分は姫だと主張しているのだ。それも、王宮七不思議に数えられる、謎めいた姫の名を語って。

 動揺しない方が無理だった。

 しばらく、信じるか信じないかの問答をしたものの、答えは出ない。

 結局、目の前の娘が本当にトゥラン姫である確証は、紋章付きの懐剣しかない。泥棒が大嘘をついていないとも限らない。


 白熱する議論を横に、トゥランは焦り始めていた。

 ファニーとはぐれてから、それなりに時間が経っている。このままだと、大事になりかねない。大掛かりな捜索などされたら、怒られるだけでなく今後の行動にも制限がつくかもしれない。それだけは避けたい。

 早く話をまとめなくてはいけなかった。

「話はまだあるの。今すぐ信じなくてもいいから、聞いてくれる?」

 フィンが一瞥すると、手下たちは瞬時に黙った。フィンの態度のせいか、一見したところ友達同士のように気安く見えるが、統率はしっかりとれている。

「私、確かにさっきは、勢いだけで仲間になりたいと言ったわ。でも、こうして会ったのは運命だって思ったの。私、親しい人も頼れる人もほとんどいないんだもの。でも目的が一緒なら、力を貸してくれるんじゃないかって思ったの」

「…………」


 フィンたち一行は、承諾も拒絶もなしに沈黙している。まだ、信じかねているのかもしれない。

「お母さまがいなくなった時、私はまだ五歳で、何も分からなかったわ。誰も何も教えてくれなくて、触れちゃいけない事なんだって思ってた。それにお母さまの手紙や持ち物も、没収されてしまってほとんど残ってないの。何から始めて良いのかも分からないの」

「その謎を俺たちに解いてほしいって? 初対面の、一度はあんたをさらった、得体のしれない連中に頼むのか?」

 フィンが疑いを口にすると、それは手下たちにも伝染した。確かにおかしいとか、騙すつもりじゃないのかとか、口々に言う。

 しかしその反応に、トゥランはますます信じたくなった。少なくとも、彼らはむやみに人を傷つけないし、隙あらば人を利用しようという性質でもないように思える。


「お母さまは侍女以外誰も信じるなと言ったから、王宮には敵がいるのかもしれないわ。あなたたちのことだって、まだ絶対的に信じてるわけじゃないけど、でも信じたいと思ったの。あなたたちが悪い人だとは思えないんだもの。仲間になりたいし、なってほしいの。初めてそう思ったのよ」

 この人たちは悪党じゃない。本能がそう言っている。

 それに、出会うべくして出会ったように思えてならなかった。数々の偶然が、この瞬間のためにあったかのような、鍵のかかった部屋がひとりでに開いたかのような感覚。

 そしてそれは、フィンも同じであったようだ。さっきまでの軽薄さが嘘のようにじっとトゥランを見据えていたかと思うと、ふと力を抜いて息をつく。


「……こいつも何かの縁かもしれないな」

 ぽつりと呟いたのを、驚いたように手下たちが見上げた。

「じゃあ、信じるんですかい?」

「本気かい、フィン?」

 フィンは不敵に笑って首を振る。

「完全には信じちゃいないさ。それに条件は変わってない。星読みの書か、アウレリア妃の手記を持ってくること。もしそこまでできるなら、信じたっておかしくないだろう?」

「それは……まあそうだけど」

 話がうまい方向に傾き始めた。どうやら彼らは、基本的にフィンの決定には素直に従う方針らしい。

 トゥランは最後の一押しで、条件を請け合ってみせた。

「星読みの書は難しいけど、お母さまの手記なら条件でなくても持ってくるわ。存在すればだけど。お母さま、あまり書き物がお好きじゃなかったし、さっき言ったように手書きの物はほとんど奪われてしまったから」


 フィンはにやりと笑った。ぱちんと高らかに指を鳴らしてみせる。

「いいだろう。本当に持って来たら、あんたを信じるよ。あるいは、本物のトゥラン姫だと証明できればね。ただしそれまでは、便宜上“侍女殿”と呼ばせてもらう」

「いいわ」

 話は決まった。

 何かに背を押されているような気がして、トゥランは身震いをした。武者震いかもしれない。ほんの思いつきの「お忍び」がこんな展開になるだなんて、一体誰が想像できるだろう。


「んじゃまあ、送らせていただきますよ。侍女殿」

 話が決まると、フィンはあっさりとトゥランの手足の縄を切ってくれた。

「悪いが、アジトの場所だけはまだ知られたくないんでね」ということで目隠しだけはされたが、市街に出てしばらくすると、それも取ってくれた。

 リタや手下たちも総出での見送りだったが、トゥランはほとんどフィンとばかり話していた。あまりに話が弾むので、他の人と話す隙がなかったのだ。好きな本や好きな登場人物や好きなシーンのことごとくが似ていて、とても初めて会った人とは思えない。


「イグナーツの本って全部が同じような冒険じゃなくって、時には恋愛小説みたいだったり、ほとんどが料理のことだったりするでしょう。作品ごとに全然展開が違うのに、イグナーツだって分かるの、すごいわ」

「五ページも読めば、先が知りたくてたまらなくなって、気が付くと読み終えていて、ああやっぱりイグナーツだった、と思わされるあの瞬間が最高に癖になるね」

「最初の何でもないようなことが、どんどん大きな謎になっていくのよね。どうしてあんな風にいろんな謎を思いつけるのかしら」

「イグナーツは結局のところ、ただ一つの真実を書いていると思うんだ。最大の謎は人間の心なんだってね。どんな角度から描いても、決して解き明かせない。だから謎が尽きることなんてないんだ」

「最大の謎は人間の心……」

 心に響く言葉だったので、思わず口の中で繰り返してみたトゥランは、やがて悲しげな面持ちで考え込んだ。


「でも、私の心には謎めいた部分なんて欠片もないと思うわ。これじゃ、イグナーツの本の登場人物にはなれそうにないわね」

「王宮七不思議の雲隠れ姫が謎めいてないだって?」

 思わずふき出したフィンは、リタたちが呆れるほど長く笑い続けていたが、やがて何度もうなずいた。

「なるほど、それも真理かもしれないな。謎は最初から謎なんじゃなくて、謎であってほしいと思う者が作り上げているのさ」

「どういうこと?」

 ややこしい理屈に混乱するトゥランを横に、フィンは上機嫌で歌うように述べた。

「元々、事情を知っている者からすれば、謎などでなく事実に過ぎないのだからね。謎を作り上げるのはいつだって無知なる者ってことだ。ふふ、なんて滑稽なんだろう!」

 自虐めいたことを言いながらも楽しげなフィンの足は、ダンスのステップを踏むような軽やかさで進んでゆく。つられてトゥランまで踊り出したくなった。もはやまだ犯人の疑いをもたれていることも忘れて、すっかり打ち解けた気分になっていた。


 門番から声の届かない程度のところで、一行は立ち止まった。見送りはここまでだ。

 大切なことをまだ打ち合わせていなかったので、慌ててひそひそと声をかける。

「また会いたい時はどうすればいいの? 次はいつ出てこられるか分からないけど」

「そうだな、馴染みの店を一つ教えておこう。主人に符丁を伝えれば、俺達のだれかに連絡してくれることになってる」

 フィンは懐から小さな地図を出して説明してくれた。だが符丁は書いてはいけないと言われたので、しっかり記憶しておくしかなかった。

 教わったそれを、念のため何度も復唱していた時のことだ。


「トゥラン!!!!!!」

 我を失ったような声が、ふいにどこかから呼ばわった。

 振り向いたのと、誰かが体当たりのようにトゥランを抱きしめたのが同時だった。

「わっっ」

 思わずあげた声も、閉じ込められた胸の中に消えてゆく。

「無事で良かった」

 震える声に、ようやく抱きしめる腕の持ち主を知った。

「アロイス?」

 息が苦しい。

 きつく抱きしめる腕の中でもがくと、アロイスはようやく少し、力を緩めてくれた。おかげでどうにか、息ができる。

 顔を上げると、アロイスの大きな手が頬を包んだ。

「怪我はないね?」

 泣きそうに顔が歪んでいる。いつも優美で、甘い微笑を浮かべる顔が。

「ないわ。捜してくれていたの?」

「当たり前だろう。生きた心地がしなかったよ」

 少しずつ平静を取り戻したのか、アロイスは周りで呆気にとられているフィンたちを順番に見た。

「この人たちは?」

「えーと……新しいお友達よ。市場で迷子になってたら、ここまで送ってきてくれたの」


 フィンたちにも友達と思われているかは相当に怪しかったが、正直にさらわれたと言ったら、アロイスが逆上しそうだ。それはまずい。相当にまずい。

 ちらりと腰に目をやると、立派な剣が二本目に入る。下手なことを言えば、血を見る事態になりかねない。

 必死に目配せしたのが通じたのか、フィンたちもアロイスに軽く目礼しただけで、何も言わないでいてくれた。アロイスの身なりの良さを見て、気後れもあったようだ。

「……姫であることは?」

 耳元で、アロイスが囁く。

 小さくうなずくと、アロイスは片腕にトゥランを抱いたまま、もう片腕で簡単に礼をとった。

「殿下をここまで無事にお連れしてくれたこと、礼を言う」

「あ、いえ、そんな……大したことでは」

 さすがにフィンたちは、気まずそうに顔を見合わせあった。

 状況からして、トゥランが本当に姫であることを信じざるをえなくなったせいか、目を白黒させている。さらったことがバレてはまずいとも思っただろう。


「これを。ささやかだが礼と思って取ってくれ」

 アロイスがするりと懐から取り出したのは、袋に入れたお金と思しきものだった。受け取ったフィンの手の上で、チャリ、と音を立てる。

 こういうものを、常に準備しているのだろうか。

 しかしフィンは、少し考えたのち、そのお金をアロイスに突き返した。

「こいつはいりません。俺たちは友人を送り届けただけですから」

 はっとして目を見開く。

 目が合うと、フィンもリタも手下の男たちも、照れたように笑ってくれた。信じてくれた。トゥランが嘘をついていないことを。そして、友人だと言ってくれた。

 嬉しくって、なんだか目頭が熱くなる。


「……そうか」

 アロイスは袋を受け取ると、また懐にしまった。そしてトゥランの背に回した腕に、力をこめる。

「帰ろう、トゥラン。ファニーたちが心配してる」

「ファニーがあなたに伝えたの?」

「偶然会ったんだ。君に会いに行ったら、ちょうど侍女たちが大騒ぎしていてね」

「そうだったの……お父さまには?」

「安心して。まだ多分、伝わってないはずだ」

「よかった」

 どうにか、穏便に事態を収められそうだ。

 トゥランはほっと一息ついて、フィンたちに軽く会釈をした。

「今日は、ありがとう。また会える日を楽しみにしてる」

「あ、ああ……はい」

 態度を決めかねている様子のフィンは、煮え切らない返事だ。手を振りかけたがそれもまずいと思ったのか、ごまかすように頭をかく。それを、リタがくつくつ笑いながら小突いている。

 次に会う時は、友達として会うんだ。

 そう思うと、何だか不思議な気がした。不思議で、胸のあたりがぽかぽかした。


 アロイスはトゥランの腰を抱いてエスコートしたまま、外門に向かった。

「私、侍女として帰らなきゃ。ノラの身分証を借りたの」

「聞いたよ。一緒に行こう」

 アロイスはトゥランを離す気がなさそうだ。いつも以上に距離が近い。近いと言うよりぴったりくっついている。アロイスはトゥランと違って顔が知られているから、こんなところを見られてはまずいのではないだろうか。

「誤解されるわよ。侍女をエスコートだなんて」

 小声の囁きにも、少しも動じない。

「構わないよ。それほど珍しいことでもないからね」

「あなたにはそうでも、ノラに悪いわ。おかしな噂が出たらどうするの」

 そこまで言ってようやく、アロイスは身を離した。だが、すぐ手の届く距離だけは譲らなかった。


 門の内側にはアロイスの馬車が待っていて、トゥランを宮まで送ってくれたが、その中では怒涛の質問が待っていた。

 あの者たちは何者なのか。

 町で何があったのか。

 何もされなかったか。

 どうして意気投合したのか。

 説明し終る前に宮についてしまい、モリやファニーら侍女たちの前で、もう一度始めから繰り返し説明する羽目になってしまった。

 当然のごとくモリには叱られ、ファニーと二人での外出は禁止となった。なぜか当事者顔で同席していたアロイスも、外出する時は自分を呼ぶようにと言ってきかない。

 今回はどういうわけか仲良くなったものの、本物の悪党だったら殺されていたかもしれないのだ。

 トゥランに反論の余地はなく、何もかも素直に受け入れるしかなかった。


 侍女集団のお説教が終わり、ぐったりとカウチにもたれかかっていると、アロイスが隣にやってきて腰を下ろした。

「トゥラン、あの人たちとまた会うの?」

 暗に、やめておけと言いたいらしい。

 組織のことは話していないけれど、話していたらもっと反対されていただろう。そんな怪しげな連中に関わるな、と。

 分かっている。誰だってそう言うだろうということは。それが常識で、理性的で、もっともだということも。

 けれど、トゥランはもう選んでしまったのだ。


「すごく良い人たちなのよ。本の趣味も合うし……今日はたくさんイグナーツの話をしたわ。あの人……フィンという人がね、面白いことを言ったの。謎は初めから謎なんじゃなくて、無知だからこそ謎に思えるだけなんだって。ゆっくり考えてみたら、確かにそうだなって思ったの。私は世間知らずだから、この世の全ては謎だらけだわ。それをね、フィンたちと一緒に解いていきたいの」

「……俺じゃだめなの?」

 すがるように尋ねたアロイスの手に、トゥランは小さな自分のそれを重ねた。

「ありがとう、心配してくれて。びっくりしたけど、嬉しかったわ。私にも、惜しんでくれる人がいるんだなって」

 ほんの数週間前、星巫女になれと告げられた時には、侍女以外、誰にも惜しまれずに死ぬ未来を怖れていたのに。

 ひと月も経たないうちに、トゥランの人生は思わぬ方向に転がり始めている。


「覚えておいて」

 アロイスは、重ねられたトゥランの手を、長い親指で何度も撫でた。

「君がいなくなったって聞いた時、自分の半分がなくなってしまったような気がしたよ。君はそれだけ俺の心を奪ってしまったんだから、責任を持って、俺のそばから離れないで」

 無茶苦茶な理論だ。けれど、アロイスは決していい加減な気持ちで言っているのではない。そんな気がした。

 アロイスは誰にでも優しくて、誰にでも本気なのだ。誰でも好きになろうとして、誰にでも惜しみなく与えてしまう。

 

「アロイスがいなくなることで、心の半分をなくしてしまう人も多いと思うわ」

「……そうだね。分かっているつもりだよ」

 アロイスは何か苦しそうに目を伏せた。

 不思議なことに、このところアロイスは、みんなに好かれていることを素直に喜ばない。

「でも、君は気づいていないみたいだったから、ちゃんと言っておこうと思ったんだ。忘れないで。君がいなくなったり傷ついたりしたら、俺は苦しい」

 繰り返される念押しに、トゥランはうなずいた。

 その間もアロイスの指はずっとトゥランの手を撫で続けていて、それに誘われるように、眠気が瞼を重くする。


 色んな事が起きすぎた一日だった。こうして気が抜けたら、もうここから一歩も動きたくない。

「少し眠ったら。肩を貸すよ。起きたらまた話をしたいな」

 家主でもないアロイスに言われる筋合いはなかったが、そんなことを考える余裕もないほど疲れている。

 誘われるがままアロイスの肩に頭を乗せると、あっという間に意識が遠ざかった。あんまりすぐに眠りについたので、その後アロイスが呟いた言葉など、まるで聞いてはいなかった。

「どうしてこんなにきみのことで頭がいっぱいになってしまうんだろう。どうすればこの謎は解けると思う? きみは答えを持っている?」

 当然返事はなく、安らかな寝息のこぼれる部屋の中で、生まれたての謎はシャボンの泡のように淡く儚くふくらんでゆくばかりだった。

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