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秘密を知りたいと願うとき

 お仕着せをまとう侍女が二人、外門へと近づいてゆく。姫君のお遣いで、町へ買い物に行くところだ。

 正式な許可証を持っていたので、兵はすぐに二人を通した。見覚えのない顔があったとしても、いちいち気には留めない。ゆうに百を超える王族を抱える王宮内の侍女の顔など、全てを記憶できるはずがないのだ。

 当然、あまり顔を知られていない姫の一人が、侍女の恰好をしていたことにも気づかなかった。


「あっさりすぎて、拍子抜けね」

 ノラの身分証を借りてまんまと門を抜けたトゥランは、どこかつまらなさそうに門を振り返った。

「騒ぎを起こしたかったんですか?」

 付き添うファニーは呆れたように横目で見る。

「そういうわけじゃないけど」

 今日のファニーは、薄いベールで頭と顔を軽く隠している。華やかな顔立ちのおかげでどこへ行っても目立つので、なるべく周囲の記憶に残らないようにという配慮のようだ。トゥランよりもはるかにお忍びの姫らしい。

 かえって目立つのではないかという気もするが、美人もなかなか大変である。

 対するトゥランは、もともと人の記憶に残る顔でもないので、お仕着せを来ただけで完全に町の風景に馴染んでしまい、ごまかす必要性が微塵もない。


「普通に姫として外出することもできるんですよ」

「だって、お忍びで外出ってのがしてみたかったんだもの」

「本の読みすぎでは?」

 付き合わされるファニーは迷惑そうだ。

「それに、一度着てみたかったのよね、この服」

 トゥランは上機嫌で、薄手の生地を重ねた、淡い桃色のお仕着せをつまんでみせた。飾り気は少ないが、歩くとふわふわ広がって、それなりに愛らしい。

「取り立てて可愛いとも思いませんけど」

 毎日着ているファニーには、今さら何の感慨もなさそうだ。

「そう? 素朴で可愛いじゃない」


 そんなことを戯れに話しながら、二人は市場へと向かっていた。どうしても欲しいものがあるわけじゃなく、ちょっとした冒険心だ。トゥランにとっては、初めて見る王宮の外の世界だった。

 きょろきょろするなと言われても無理な話で、物珍しさに首がもげそうなほど見回してしまう。

 道行く人の服も、においも、色彩も、何もかもが新鮮だ。雑多で、個性的で、心をくすぐる。

 とりすました人ばかりいる王宮とは違う。子供は駆けまわり、お店の人は見知らぬ人に声をかけ、恋人は寄り添いあって歩いている。しきたりだとか、序列だとか、つまらないことであげ足を取る人はいない。

 活き活きとした街の雰囲気に比べれば、王宮の中はまるで人形の世界に思えた。綺麗だけど、どこか嘘っぽくて、生気がない。

 早くも、王宮に帰るのが嫌になってしまいそうだ。


「ファニーったら、こんなに面白そうなところで育ったのね。うらやましい」

 同意してくれるかと思ったが、返ってきたのは熱の低い声だ。

「良し悪しですよ。低俗な人間もいますから、気を抜かないでくださいね。特に人の多いところでは、泥棒や悪党も混ざってますから」

「大丈夫よ。お金は全部ファニーが持ってるし、私は盗られて困るものなんてないもの」

「盗るものが無ければ命を奪うやつだっているんです」

 真剣な調子で、ファニーは念を押した。

「いいですか、もしおかしなやつと出くわしたら、人の多いところに逃げて大声を出してくださいね。そもそも、私とはぐれないようにしてください」

「分かってるってば」


 そう、分かっていたつもりではあった。気を付けているつもりでもあった。

 けれど、迷宮のように入り組んだ魅惑の市を右に左に歩き回るうち、ふと気がつけば隣にいたはずのファニーの姿はなくなっていた。いつからだったのかも思い出せない。あまりにぎっしりと商品が並んでいるので、店と店との境界すらほとんど見当たらない。お香を眺めていたつもりがガラス細工に変わり、気がつけば茶器を手に取っているという具合なのだ。ほんの少し歩いただけで、簡単に方向感覚を失ってしまう。

「……驚きの早さではぐれた」

 元いた場所に戻ろうにも、あちこち曲がり過ぎたせいで方向がさっぱり分からない。下手に動くと、ますます遠ざかってしまいそうだ。

「手でもつないでおくべきだったかな」

 十七にもなってそれはどうかという気もする。


 きょろきょろしながら少しずつ歩いていると、少し奥まった狭い道を、侍女服の娘が走り去るのを見かけた。

「ファニー!」

 慌てて追いかける。走りながらも目元はしっかりとベールで隠していて、よく見えない。ベールの色が少し違って見えたが、光の加減だろうか。

 何度か呼びかけたが、振り返りもしない。しかも、驚くべき足の早さだった。追いつくどころか、少しずつ引き離される。

(まるで何かから逃げているみたい)

 どうしてこんなに急いでいるのだろう、と不思議に思い始めた頃、角を曲がった彼女の姿を見失った。


「あれ?」

 角のところは突き当りになっていて、ファニーが曲がったのは確かに左。でも左の道は、すぐに行き止まりになっている。

「魔法……?」

 足が速い上に魔法が使える新事実発覚? 

 と思いかけたが、そもそも本当にファニーだったのかどうか、自信がなくなってきた。

 だって、明らかに様子がおかしかった。呼びかけに答えなかったし、そもそもファニーはあんな風に全速力で走らない。淑女らしい振る舞いにかけては、トゥランよりも完璧なのだ。

 きっと、人違いだったのだろう。たまたま同じように、買い物に出かけていた侍女の誰かだったのだ、きっと。それなら、名前を呼んでも反応がなかった理由がつく。


「それにしても……あの人、どこ行ったんだろう?」

 そこがどうしても解せない。

 三方を壁で囲まれた行き止まりだ。行けるとしたらもう空しか……と上を振り仰ぐ。当然、鳥でもなければ、その先へは行けない。

 首をひねりながら、ひとまず引き返そうとした時だった。


「袋のネズミってやつだ、お嬢さん」

 いかにも人相の悪い男三人が、行く手を遮っていた。抜き身の斧やら小刀を持っていて、今にも事に及びそうな険呑さだ。

 もしや、さっきの人を追いかけていた人なのでは、と思いつく。だからあんなにも全速力で走っていたのだとしたら。

 面倒なことに巻き込まれたのかもしれない。

 ファニーの教えは何だっただろう……人の多いところで大声を出す、だ。が、さっきまでの喧騒が嘘のようにあたりに人の気配はなく、しかも背後は行き止まりときている。誰も助けてくれそうにない。自力で切り抜けねば。


「人違いじゃないですか?」

 刺激しないよう、慎重に言葉を探る。

「人違いだァ? お仕着せの王宮付き侍女さんがどこにでもいるとでも?」

 やっぱりそうだった。この人たちは、何らかの理由でさっきの侍女を追っている。

「私も、知り合いかと思って追いかけたんですけど、ここで見失ったんです。それに知り合いじゃなかったみたい」

「どうせなら、もう少し練った嘘をひねりだしてほしいもんだがね」

「本当だもの! この角を確かに左に曲がったんです。でも、行き止まりで……」

「つまりは、どこにも行けるはずがないってこった。そうだろう?」


 まるで聞く耳を持ってもらえない。

 無理もない。こんな逃げようのない場所で、同じ侍女服で立っていれば、誰だってトゥランを疑う。一体どうすれば信じてもらえるのか、こんな一瞬で思いつくはずもなかった。

「連れていけ!」

「おう!」

 やがてトゥランの言い訳も聞き飽きたのか、男たちが群がってきた。あっという間に手足を縛られ、目隠しをされ、荷車らしきものに乗せられてどこかへ運ばれてゆく。


(最悪にまずい気がする)

 声も出せず、目も見えない状態で、どうやって助かればいいのだろう。トゥランは本で読んだピンチの脱出法をあれこれ思い出そうとしたが、どれもこれも、自分では無理そうなものばかりだ。

 都合よく眠り草やらマッチやらロープやらの道具を持っているわけでもないし、色仕掛けは論外だ。危険な時に必ず駆けつけてくれるような、頼りになる友人もいない。

 万事休すの場面で、ようやく稲妻のように記憶がよみがえった。

(そうだ、短剣! 短剣があった)

 ファニーがスカートの下に短剣を忍ばせてくれたのだった。暗殺者気分を楽しんでいたのだが、まさか本当に使用を検討する事態になるなんて。

 とはいえ、小さな剣一本でこの人数に太刀打ちできるとは思えない。そもそもトゥランは剣術に明るくない。短剣に怯えてくれるような可愛らしい人たちにも思えないし、ぶすりと刺す勇気だって湧くかどうか。


 これといって打開策も見つからないまま、荷車が止まった。抱えあげられて、どこか室内へ入る気配がした。

 足音や男たちの低い話し声が、いちいち反響して聞こえる。それに段差でもあるのか、妙に揺れて気分が悪い。

(地下か何かかしら)

 たとえ隙をつけても、逃げるのはかなり大変そうだ。ごくりと唾をのむ。

 状況は刻一刻と悪くなっている。


 やがて、男たちの足が止まった。ようやく目隠しが外される。

 薄暗い部屋の中だった。窓はなく、ドアも入ってきた一つきり。

「初めまして、泥棒のお嬢さん」

 部屋の奥で出迎えたリーダー格らしき人物は、思いのほか小洒落た若い男だった。トゥランをさらった男たちのような悪人面ではなく、むしろ粋な趣味人に見える。

 長い髪を後ろで束ね、しなやかな細身の体躯にフリルのついたシャツをまとい、品の良い刺繍入りの上衣を合わせている。踵の高い靴を履いた足がすらりと長い。年の頃は、トゥランより五つから七つほど、上に見えた。

 人を食ったような、つかみどころのない目つきをしているが、不思議と嫌な印象は受けない。むしろ、人好きのする雰囲気のある男だ。


 ともあれ、男がトゥランのことを「泥棒」と言ったことが気になった。

 勝手に侍女服の彼女が悪党に追われていると思い込んでいたけれど、この人たちにも正当な理由があって追っていたのだろうか?

「泥棒なんかしてないわ。人違いよ。この人たち、信じてくれないけど」

「へえ? 言い分を聞こうか」

 問答無用で乱暴されることも予想していたが、風向きが違う。

 ほっとして、これまでの経緯を話した。迷子になって、連れを探していたこと。追いついたと思ったら消えてしまったこと。そこへ男たちがやってきて、さらわれてしまったこと。


 ふんふん、と気さくに聞いていた男は、困ったように両手を上げる。

「なるほど、言い分は分かった。こちらとしても嘘と決めつけるつもりはない。ただ少なくとも、行き止まりに追っていた侍女がいたら疑わしいというのも分かってくれるね?」

 やっぱり、だめか。

 トゥランは肩を落とした。こんなの、どうしたって信じてもらいようがない。


「でも、本当に私じゃないの。あなたたちが何を盗まれたのかも知らないわ」

 よほど大切なものなのだろう、と思う。複数人で取り返しにくるようなもの。ものすごく高価で希少なもの。そして侍女が奪って逃げるような小さなものとすると、宝石か何かだろうか?

 そんなものを大胆にも侍女服をきたまま泥棒するだろうか。そもそもの状況にも違和感がある。

「と言われても、はいそうですか、とこのまま帰すわけにはいかないし。一応、あらためさせてもらわないと」

 男はぱちんと指を鳴らすと、後ろに控えていた手下に声をかけた。

「リタを呼んでくれ」

「了解」


 手下が出ていくと、男は机に腰かけ、器用に口笛を吹き始めた。

 机の上には、本が何冊かと、古びた燭台、羽ペン、酒瓶と思しきものが置かれている。古びた柱時計が、重々しい音を立てている。これまでは目を向ける余裕もなかったが、奥の壁は一面が本棚だ。しかも二重になっていて、奥までぎっしり本の背がのぞいている。

 こんな状況でもなければ、なかなか魅力的な一室だった。冒険小説に出てくる、秘密の隠れ家みたいだ。


「君が盗んだ……というか、俺達が盗まれたものは、一番大切な宝でね」

 おもむろに、男が語りだす。

「俺達全員の夢といってもいい。そいつを盗まれたら、俺達は地の果てまでだって追いかけるしかない」

「今、犯人は地の果てまで逃げている最中よ」

「うーん、だとしたら困るね。泥棒の足掛かりを見失ったことになる」

「どうしたら信じてくれるの? 私だって、信じにくいのは分かってる。でも本当に違うの。今ごろ、連れが心配してるわ。早く戻らないと、大変なことになる。こちらにだって都合があるのに」

 トゥランは必死に言い募った。この人は、話せば分かってくれそうな気がする。少なくとも、問答無用で切りかかってくるような手合いではない。

「ふうん。じゃあ君、たまたまお使いに出ていた本物の侍女?」

 探るような目つきには、油断ならない鋭さがひそんでいて、ひやりとした。気さくに見えても、気の抜けない相手だ。

「……そうよ」

 本物の侍女ではないだけに、一瞬の間があった。

 それが気にかかったのか、男は意味深にトゥランを見つめた。が、追及はしなかった。見定めるように、余裕の表情で眺めてくるばかりだ。

 嘘をつくのは苦手だ。どうにも落ち着かない。たとえそれが、自分の命を守るためであっても。


 やがて、扉が開いてさっきの手下が帰ってきた。もう一人、リーダーと同じ年頃に見える女を連れている。これが「リタ」だろう。

「ハーイ、フィン。その子を調べればいいのね?」

 溌剌とした黒髪の女は、すでに話を聞いているようで、つかつかとトゥランの側に近寄ってくる。

 きらきら光る、大粒の黒真珠のような瞳が印象的だった。異国の娘だろうか。腿や腕を露出しており、肉付きの良い、浅黒い肌を見せつけている。

「ほんとそういうとこ紳士よね、あんたって」

「当然だろ。悪党まがいのことはしないさ」

 フィンと呼ばれた男は、きざっぽく言ってのける。


 もっと険呑な集団かと思いきや、案外和気あいあいとしている。やっぱりそこまで悪い人たちじゃないのかも、と思った直後、リタはトゥランの体を服の上からまさぐりはじめた。

「ひゃっ、や、やめっ」

 思わず声を上げるが、手足共に縛られているから、どうしようもない。くすぐったさに身をよじるしかなく、そうすると転びそうになってリタに支えられる始末だ。


「おとなしくしててよ、お宝持ってないか調べるだけなんだから」

 遠慮もなくべたべたとトゥランを調べまわっていたリタは、ふと顔色を変えた。

「ちょっと向こう向いてて」

 フィンや手下たちに声をかけてから、トゥランのスカートをめくりあげる。

「いやっ!」

 さっと顔が熱くなる。でも、手で覆うことさえできない。

 リタはしゃがみこむと、トゥランの股下でなにやらごそごそし始めた。


「物騒なもの持ってるじゃないの。あら、これずいぶんと上物だね」

 手際よく太ももにくくりつけてあった短剣を取り出すと、フィンのところへ持っていく。

「残念だけど、お宝は持ってない。これだけだよ」

「へえ? 侍女殿ってこういうもの、持ち歩くものなのかい?」

 フィンは興味深そうに短剣を眺めていたが、その顔色が次第に変わった。


「待てよ……この紋章、王家の御印じゃないか?」

「うそ」

「本当ですかい」

 リタと手下たちが近寄ってのぞき込む。

 そんな印があっただろうか。普段使わないものだけに、トゥラン自身もよく覚えていない。そういえば鞘には細かな模様があったようだが。

「……君、ご主人様は誰だい?」

 フィンが、かすれた声で問う。

「……それは言えないわ」

「言わないと帰さないと言ったら? その方が迷惑なんじゃないかな」

 脅迫めいたことを、柔らかな口調で言ってくる。悪党ではないかもしれないが、普通の良い人とも言い難い。


「……第十四王女よ」

 他の姉妹の名を借りることも考えたが、巡り巡っておかしなことにならぬとも限らない。結局、自分の名を言うしかなかった。

 が、その言葉の威力は大変なものだった。

「第十四王女……」

「トゥラン姫?」

「あの雲隠れの?」

「王宮七不思議の、失踪したアウレリア妃殿下の一人娘?」

 呆然とした顔が並んだと思いきや、次は興奮気味に質問を浴びせてくる。


「トゥラン姫はご健在なのか?」

「どうしてずっと引きこもってるんだい?」

「今日は何の用で市場に?」

「トゥラン姫って美人?」

「アウレリア妃殿下のことを何か知っているか?」

 とても一度に答えきれないし、トゥランはその前の一言が気になっていた。質問に答える代わりに、問い返した。

「トゥラン姫……殿下の母君は、王宮七不思議なんですか?」


 と、フィンは信じられないとばかりに目をむいた。さっきまでの飄々とした態度はどこへやら、すっかり興奮している。

「まさか知らなかったのか? いまだに真相どころか生死すら分からないんだ。その上あの陛下が宮をそのままにしているなんて、いかにも意味深じゃないか。しかもトゥラン殿下は宮からほとんど出てこないんだろう? もはや親子そろって王宮最大の謎といっても過言じゃない」

「一般参賀にもお見えになったことがないよね」

「母の不在で心を病んだんだって?」

「もう殺されてるけど隠蔽されてるって噂もあったよな」

「つまり、それはガセだったってわけだ」


 母のことが噂になっているのは知っていたが、自分自身の噂については詳しくなかったトゥランは、なんだかおかしくなってきた。

 自分では病んだつもりはないし、死んでもいない。なのに噂ばかりが大きくなって、放っておいたら亡霊やら呪いやらにされていたかもしれない。

「生きてるし、元気よ。引きこもっていたのは本当だけど」

「本当か? 嘘ついてないだろうな?」

「嘘だと思うなら、門のところまで送ってちょうだい。きっと連れの侍女仲間が心配してるわ」

「いや、君が侍女だとして、雲隠れ姫の侍女とは証明できないだろう。騙っていないとも限らない。トゥラン殿下が表に出てこないのを良いことに、でたらめを言っているんじゃないだろうな」


 妙な早口になったフィンに、今度はトゥランが怪訝な目を向けた。

「どうしてそんなにトゥラン姫が気になるの?」

「そりゃあ俺達が、この世の謎全てを解き明かす組織だからさ!」

 誇らしげに両手を広げるフィンに、リタや手下たちも大きくうなずいてみせる。

 ようやく、悪党でも強盗でもなければ商人でもなく、得体のしれない組織だということが分かったところで、トゥランは目を輝かせた。大いに心を揺さぶられる文言だったのだ。

「それ、すっごく面白そうね! これまでにどんな謎を解き明かしたの?」

「それは仲間以外には言えないな」

 もったいぶられると、ますます気になってくる。

「どうすれば仲間になれるの?」

 うずうずと身を乗り出せば、フィンはくしゃりと破顔し、トゥランの頭を軽くたたいた。

「まあ落ち着け。ロマンの分かるやつは歓迎したいところだが、色々と約束事もあるんでな。しかも君の疑いは完全に晴れたわけじゃない」


 そういえば、そうだった。

 トゥランは我に返った。それどころか、トゥランは身分も詐称している。それで組織に入れてほしいというのは、虫の良い話かもしれない。

 がっくりと肩を落とした。姫の身分は、なかなか面倒だ。

「そうよね、初対面の人間を入れるわけにはいかないわよね」

「まあな。だが君の容疑が晴れて、いくつかテストをクリアしてもらえれば、入れてやらなくもない」

 フィンは思いのほか前向きに検討してくれている。実のところ、もうあまり犯人だと目されていないのかもしれない。

 希望が出てきた。再び目を輝かせて質問攻めにする。


「本当? どんなことをするの? 暗号の解読? それとも遺跡の探索? 私、イグナーツの銀仮面シリーズを読んでから、ずっと謎解きに憧れていたの!」

 と、まるで熱意が燃えうつるがごとく、フィンの声にも力がこもる。

「イグナーツの銀仮面だって? そいつは俺の聖書だぜ」

 フィンは壁の本棚に駆け寄ると、そのうちの一画を指さしてみせた。確かにそこに並んでいる背表紙は、トゥランにも見覚えのあるものだ。

「すごい、あなたもイグナーツのファンなのね!」

 トゥランは嬉しさのあまり、その場で小さく飛び跳ねた。当然ながら、読書仲間ができるのは初めてだ。話したいことがたくさんありすぎて、かえってうまく言葉にならない。

 フィンも同じく、興奮を隠さなかった。

「俺も同士と会ったのは久しぶりだ。こいつら、気はいいが趣味は合わないからな」


 見るからに趣味の違いそうな手下たちは、照れくさそうに笑ってみせる。

 そうして見ると、最初の悪印象も吹き飛び、むしろ可愛く思えてきた。思い返せば、刃物を持ってはいたが、一度も使わなかった人たちだ。

 それに、イグナーツのファンがリーダーなら、悪い人たちのはずがない。

 根拠のない確信までが湧いてきて、トゥランは本気で組織に入ってみたくなった。


「ねえ、早く容疑を晴らしてテストを受けたいわ。どうすればいいの?」

「そうだな……」

 フィンはしばらく宙を見据えて何かを考えていた。

「仮にあんたが本当にトゥラン姫の侍女だったとしても、それで容疑が晴れるわけじゃない。だが、俺達の探している物を持ってきてくれれば信じよう。考えてみると、すでにお宝を奪われた俺達に、君が仲間になるメリットはないからな」

「それって?」

「星読みの書だ。一日だけで良い。奪うつもりはない」


 リタや手下が、息を飲むのが見えた。

 トゥランも、ごくりと唾を飲む。だが、驚いた理由はおそらく微妙に違う。

 トゥランはその本を知っていた。いや、ほとんどの人は知っているだろう。

 星読みの書は、国宝だ。魔力によってこの世の全ての真実を記していると言われ、未来を映すという星読みの鏡、運命を導く星読みの杖と合わせて、星巫女に与えられる。

 まさしく神にも等しい力を持つ神器だが、実際は形だけの授与があるだけだという。星巫女はただ遠い地で国の平安を祈り、異変が起こった時に知らせることだけが期待されている。

 おそらくは、星巫女の力が大きくなりすぎることを怖れた歴代の王が、そのように定めてきたのだろうとも、そもそも神器などはまやかしで、本当は何の力もないのだとも言われている。


「どうして、それが欲しいの?」

 トゥランは慎重に尋ねた。

 星読みの書は、神官長と星巫女しか見ることを許されない神器だ。内容が真実であれ偽りであれ、市井の人に漏らすわけにはいかない。

 いかに世間知らずのトゥランでも、それくらいの自覚はある。


「ただ、知りたいんだ。何が書いてあるのか。あるいは、何も書いていないのか。全部読んでやろうというわけでも、何かに利用するわけでもない。好奇心さ。次代の星巫女はトゥラン姫という噂がある。それが本当なら、神器はトゥラン姫にいずれ渡されるだろう。隙をついて拝借して、半日でも一刻でもいい、俺達に見せてくれないか」

 フィンの目は真剣そのものだ。心からの言葉に思えるのは、同志として親近感を持ってしまったせいだろうか。

「……次代の星巫女が、トゥラン姫じゃなかったら?」

「その時は、そうだな。アウレリア妃殿下の手記でも頼むさ」

 飄々と言ってのけるフィンに、リタは「ちょっと難しすぎるんじゃないかい? 下手するとこの子、死刑だよ」と青ざめている。


 フィンは子供を諭すような調子で、ゆっくりと続けた。

「怖いかい? だが、謎っていうのは隠されているだけの理由があるし、それを解き明かすのは命がけなことだってある。それを理解してほしいんだ。俺たちだって、危険な目にあったことはいくらでもある。軽い気持ちで仲間になると、後悔するぜ」

 その時思い浮かべたのは、母のことだった。誰もがあれこれ憶測しつつも、十二年もの間解き明かされずにいた、アウレリア妃失踪事件。今となっては、面白おかしい噂話として消化されてしまって、誰も真剣に探ろうとはしない。

 それに触れるのは禁忌だと、無意識に理解しているからだ。あの王が追求しないことを、むやみにつつかない方が良い。それが王宮内での不文律だった。

 でも、この一年で何もしなかったら、きっともう一生、母のことは分からない。

 

 知りたい。危険だとしても、知りたい。

 たとえ、知らない方が良かったと後悔するような真実が待っていたとしても。

 今になって、そんな欲望が湧いてくる。小さい頃はモリの言うことを何でも聞いて、納得していた。よくよく考えてみると、おかしなことはたくさんある。

 そして考えた。この人たちなら、トゥランの抱える謎を、一緒に解いてくれるのではないかと。いや、この人たち以外に協力してくれる人などいないのではないかと。


 決断は早かった。トゥランに失うものは少ない。

 母は侍女以外を信じるなと言ったが、誰も信じずにいてはできないことが確かにある。トゥラン一人にできることも、知識量も、たかがしれている。

 仲間は必要だ、絶対に。


「仲間がもし無理でも、依頼人としてだったら?」

 急に冷静な声で切り出したトゥランに、フィンたちは物問う顔になる。

 勇気が途切れないうちに、息を大きく吸って、一息に告げた。

「みんなが私を信じてくれなくても、私はみんなを信じるわ。一年以内に解きたい謎があるの。試したり、試されたりしている時間なんてないの。さっきは嘘を言ったけど、本当のことを言うわ。私は侍女じゃなくて十四王女のトゥラン。来年星巫女になるまでに、お母さまの行方を知りたいの」


(言っちゃった……とうとう言っちゃったわ)

 心臓がどきどきと波打っている。

 言うべきでなかったことは重々承知だ。こんな人となりもよく知らない相手、しかも人違いで人をさらうような面々に明かすなんて、ファニーが知ったら愚の骨頂だと激怒しただろう。

 でも、後悔はない。何か大きな力に導かれてここに立っているような気がしてならない。

 それに、「信じる」とはっきり口にした時から、なぜだか勇気が臓腑の底から湧いてきて、トゥランの四肢に力を与えている。

 信じられる人のいることが、こんなに嬉しいものだと知らなかった。そして同時に怖かった。もしもこの人たちを信じられなくなったなら、この不思議な力も失ってしまうのだろう。誰かを信じることができなくなるかもしれない。


 様々な感情に押しつぶされそうになりながら、前を向く。まっすぐに目を合わせる。おおむね同じように丸く見開かれた瞳が、こちらを見ている。

 たっぷり数秒間は沈黙したのち、

「え…………」

 かすかな声らしきものをもらしたきり、フィンら一行は絶句した。


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