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トゥラン、魔法をかけられる

 グウィオンが目を覚ました時、まっさきに視界に入ったのは、現実とは思えぬほど美しい男の顔だった。目の覚めるような緑の瞳に、きらめく金の髪。画家が一生かけても描ききれぬほど端整で華やかな甘い面差し。続いて、耳もとろけるような、柔らかな声音。

「良かった、起きたね。ひとまず水を飲むと良い。何か食べやすいものでも頼んでこよう」

 まだ夢の中にいるような、ぼんやりとした目を向ける若き魔術師にあえかな微笑を残して、アロイスは部屋をゆったりとあとにした。

グウィオンは頭でも痛むのか、かすかに口の端を曲げている。まだ部屋にトゥランが残っていることに、気づいているのかどうか。


「……大丈夫? 気分は?」

 おずおずと声をかけると、やや驚いたような顔をしたグウィオンが目をむいた。やはり気づいていなかったらしい。無防備なことだ。

「…………」

 きっと嫌な顔をされると思ったのに、グウィオンは困ったような表情を浮かべるばかりだ。こちらが面食らうほどまじまじと見つめてきたかと思えば、部屋中へうろうろと視線を巡らせる。

 やがて思い切ったように、その唇が開かれた。

「誰?」

 はにかみ屋の少年のような、かすれた頼りない声だった。昨日と同じ人間とは思えない。

 が、芝居をしているようには見えない。する理由も思い当たらない。

 とすると、彼は間違いなく、記憶を失っていた。


「思い出せないの? 何も? 自分の名前は?」

 思わず矢継ぎ早に尋ねると、グウィオンは顔をしかめて、何かを思い出そうとした。

「……名前、色々ある」

「本当の名前は?」

「…………」

 グウィオンの眉間の皺はますます深くなるばかりで、結局質問の答えを探り当てることはなかった。

「記憶が頭の中に散らばって……つなぎ合わせることができない。俺がバラバラに千切れてしまったみたいだ」

 途方に暮れたよう頭を抱える姿に、トゥランはかける言葉が見つからなかった。彼をこんな風にしてしまったのは、自分の力なのだ。そんなつもりはなかった、と言っても何の言い訳にもならない。


(でも、どうしてだろう。私は運命を捻じ曲げるようなことはしていないのに。彼の奥底にある望みを引き出しただけなのに)

 考えても原因は分からない。力を使うのはまだ二度目だから、間違えたのかもしれない、としか思えなかった。何をどう間違えたのかも分からないけれど。


 やがてアロイスが、薬湯と軟らかく煮た果実を持って戻ってきた。驚くべきは、グウィオンがアロイスの手からそれを食べたことだ。決して懐かない野生の獣のようだったのに、すっかり牙を抜かれてしまったように見える。

 雛鳥に餌を与えるようにスプーンを運びながら、アロイスは穏やかな声で話しかけていた。

「記憶が全くないわけではないんだね」

「なくは……ない。でも、ごちゃごちゃしてて整理がつかない」

「明け方に見る夢のように?」

「ああ」

 それから断片的な記憶を話そうとしてくれたものの、あまりに細切れに場面が切り替わるので、いつの話なのか、誰との記憶なのかも判然としない。

 やがて思い出そうとすると気分が悪くなる、と額を押さえ始めたので、アロイスは空になった皿を手に立ち上がった。

「まだ時間が必要なのかもしれないね。もう少し落ち着くまで休むといいよ。何かあったら呼んでほしい。下にいるから」


 背を向けかけたアロイスを呼び止めると、グウィオンは頼りなげな眼で長身を仰いだ。

「あんた、名前は」

「アロイスだよ。こちらはトゥラン。きみの名は……僕たちは、グウィオンと呼んでいた。きみが許すなら、またそう呼ぼう」

 小さくうなずいたグウィオンを残して、アロイスとトゥランは今度こそ部屋を出ると、思わず顔を見合わせた。


 予想外のことになった。

 難攻不落の魔術師をアロイスに懐柔してもらうことまで考えていたのに、攻略の必要はなくなってしまったようだ。人格がまるで違う上に、聞きだすべき記憶もなくしている。

 喜ぶべきなのかどうか、よく分からなかった。どんな態度をとるべきなのかも。

 


「記憶がないだと? 芝居じゃないのか」

 ウルは疑わしげに眉を上げた。ファニーも似たような表情を浮かべている。何でも信じやすいトゥランと違って、この二人はひとまず疑ってかかるところがある。

「別人みたいにおとなしくなってたのよ。それに、アロイスの手から林檎の砂糖煮を食べたんだから」

「……芝居ではなさそうだな」

 妙な理由で納得するウルにとっては、よほど抵抗のあることらしい。


「きみにも……変容の女神にも分からないのかい? 星読みの杖で探るとかは?」

「できないの。試しているんだけど」

 フィンの問いにうなだれながら、トゥランは異空間より星読みの杖を取り出した。瀟洒な柄をそっと握りしめる。けぶるような銀色をしたそれは、触れるとかすかにひんやりとする。

 ずっと前から自分のものだったかのように手に馴染むが、実際のところ、よく分かっていない部分も多い。何しろ誰かが使い方を教えてくれたわけでもなく、本能だけでふるっている。

「あの時、グウィオンの魂は荒れ狂っていたわ。全てを拒絶するみたいだった。でもその奥に、救いを求める声があるような気がしたの。その願いを引き出そうとして……でも今はもう、何も聞こえない」

 ぱたりと風がやむようにして、グウィオンの魂の声は聞こえなくなってしまった。今では杖を使っても、彼の魂の望む場所が分からない。そもそも、何も望んでなどいないようにすら感じる。記憶のかけらをつなぎあわせることもできないほど、彼は多くを忘れてしまった。


「嘘をつこうとしたのかもしれない」

 ぽつりとアロイスが口をはさんだ。

「嘘をつこうとすると、記憶をなくすんだったね。倒れる前の彼は、何かを言おうとしていた……」

「それが嘘だった?」

「あの状況で嘘をつけるとは、ずいぶん余裕だな」

 ウルの言う通り、妙ではある。でも、それ以外の可能性は思いつかない。


「真実は本人にしか分からないのなら、私たちが考えるべきは、あの者をどうするかではありませんか?」

「ま、そうだな。正直、世話してやる義理はない相手だが」

 現実派のウルとファニーは、早くも次の議題に移っている。

「だからって、放っておけないわ。ああなってしまったのは私のせいでもあるんだし」

 慌てて言い募ると、

「というより、最初からお前がまいた種だからな。どうせ言っても聞きやしないし、勝手にしろ。拾ったものは最後まで面倒を見ろ」

 まるで父親のようなウルの言い草に、ゲルダがのんびりと微笑んだ。

「ペットの話のようですわね」

 そういえば捨てられた子犬のようだった、とグウィオンの目を思い出す。不安で、力のない双眸が、すがるようにアロイスを見つめていた。初めてみたものを親と思いこむように。

 グウィオンもかつては、あんな目をした少年時代があったのだろうか。そこから一体何を経て、闇を帯びた目になったのだろう。

 聞いてみたいのに、答えてくれる人はない。


 一方でフィンとリタはというと、また違った理由で保護に賛成しているようだった。

「謎に包まれた記憶喪失の魔術師……これを放っておく手はないよ。トゥランが放っておいても俺が放っておかない。翼も取り返さなくてはいけないしね」

「はは、暴走ロマン野郎の餌食になる魔術師ってのも面白そうだね。質問攻めは逃げられない程度にしておきなよ」

「俺を誰だと思ってる? この世の謎のエキスパート、暗躍のダンディズム、誘導尋問のアーティストと呼ばれた男だ」

「誰に?」

「俺に」

「聞いて損したよ」


 それぞれの理由はともあれ、追い出せとは言われなかったことに胸をなでおろした。とても良い印象を持てなかった魔術師だが、さきほどの頼りなげな風情を見てしまうと、見捨てることはできそうになかったのだ。

「兄上、彼の世話は私が。男同士の方が都合の良いこともありましょうし」

 恐らく純粋な親切心からアロイスが声をあげると、ウルはますます不機嫌そうに目をすがめた。

「お前に兄上と呼ばれる筋合いはないが?」

「ちょっとした予行練習です」

「そんな未来は来ない」

 にべもないウルと違って、ゲルダは好意的だ。

「あら、私は来てほしいわ。アロイス様と姻戚関係になれるなんて夢のようだもの」

「……さっさと夢から覚めてくれ」


 一同がどんどん本題から離れつつあった頃、階上から小さな物音がした。控えめなドアの開閉音と、足音。

 全員がいっせいに振り向くと、階段をおりてくる途中の人影は、居心地悪そうに動きを止めた。

「あ……アロイス……さん」

 ためらいがちな声が呼びかけるやいなや、アロイスは立ち上がってそばに向かった。昨日倒れた時と同じ格好のままの、黒ずくめの魔術師の元へ。

「どうしたの。お腹が空いた?」

「いや……その、話が聞きたくて」

「そうか。何も分からなくて不安だろうからね。とりあえず、座ると良い。一緒に美味しいものを食べて、話そう」

 足を留めてしまったグウィオンの背をそっと押して、みんなが囲むテーブルまで連れてくると、菓子を勧め、全員の紹介をし、甲斐甲斐しく世話を焼き始めた。

 その手際があまりに良いので、トゥランは手も口も出す隙がなく、隣で感心して眺めている始末だ。


「あんたの顔、見覚えがある」

 勧められるままに焼き菓子を頬張りながら、グウィオンはさっきからトゥランをじっと見つめている。あんまり遠慮がないので、どうして良いのかわからなくなってきたところだった。

 記憶が戻ったのか、だとしたらいつの記憶なのかと、トゥランは身を固くする。二人の間に、友好的な記憶は一つもない。

「どんな……?」

「女神の祝福を受けていた。新たな女神だと……そうなのか?」

 対立していた時の記憶ではなかった。どこかでほっとし、どこかで拍子抜けしながら、うなずいた。

「ずっと普通の人間だと思ってたんだけど、そうだったみたい」

「変容を司る運命の女神……トゥラン様だ」

 歌うように言うフィンは、なぜか本人よりも誇らしげだ。


「その割に、あまり敬われていないんだな」

「ずっと人間として生きてきたんだもの。私もそれは望んでいないわ。友達を失いたくないもの」

「ふうん……で、あんたたちはここで何をしている?」

「別に、何も」

 そっけなく言い捨てたウルは、厳しい視線を向けた。

「あんたと呼べる立場ではないと思うが。偉そうな態度は生まれつきのようだな」

「……あんたは俺のことが嫌いのようだな」

 目覚めたばかりの時は捨てられた子犬のようだったグウィオンだが、落ち着いてくると不敵な態度が復活し始めている。明らかに年上で、一回り体格の違うウルにさえ、一歩も引かない。


「言っておくが、俺たちとお前は親しくもなんともない。突然倒れたお前を介抱してやったのは、単にそこにいる奴らがお人よしだったからだ。偉そうな態度を取るなら追い出すぞ」

「……俺だって、好きでここにいるわけじゃない」

 うなり声の聞こえてきそうな二人の間に割り込むと、トゥランは急いでウルの口に大きなマドレーヌを突っ込んだ。

「いつも偉そうなのはお兄さまも一緒でしょ。確かに前のグウィオンはものすごく感じが悪かったけど、今はやっと普通にお話ができるようになったのよ。これからどうするかは、ゆっくり考えればいいじゃない」

「…………」


 ウルが苦々しげな顔で口の中のマドレーヌを飲み込むまでの間、リタやゲルダたちは一斉にふき出した。

「確かに、ウルが一番偉そうね」

「王子サマだから間違っちゃいないんだけどさ」

「でも、面と向かって言えるトゥランが、一番肝が据わっているかもしれない」

「王宮風の婉曲な言い回しをされませんものね」

 好き勝手に言われたおかげで、ウルはますます仏頂面に拍車がかかってしまった。

「偉そうで悪かったな……そいつのことは好きにしろと言った言葉を違えるつもりはないから、安心しろ」

 結局はこうして折れてくれる兄だと知っているから、多少の口の悪さや、愛想のない態度などはちっとも気にならない。むしろその誤解されやすいところが愛おしくもあるのだが、そうは受け取らない人がいるのも事実であり。


「……こっちだって、世話して『いただく』のなんて、まっぴらごめんだ」

 突然、グウィオンが立ち上がった。

 口元を引き結び、断固とした足取りで去ってゆくのを、ウルもフィンも呼び留めない。それどころか「放っておけ」という目配せをされて、トゥランは弾かれたように立ち上がった。

 自分のことすら分からない人が、どこへ行こうというのだろう。強がっていても、不安なはずだ。それに、彼の中の記憶は完全になくなったわけではない。これでお別れなんて、納得がいかない。

 小走りに追いかけようとした肩を、後ろからつかまれて止まった。

 アロイスだった。


「僕に任せて」

 何の具体性もない言葉だったが、魔法にかけられたように、トゥランは立ち止まった。彼の柔らかくあたたかな声には、不思議と体が勝手に従ってしまうのだ。

 アロイスは走るでもなく、ゆったりとした足取りで若き魔術師を追い、玄関を出たあたりで何やら話していたようだ。扉が閉められてしまって、何を話していたのかは分からない。

 それでもしばらくすると、グウィオンはアロイスと共に戻ってきた。きまり悪げに視線を逸らしたまま、二階へと戻ってゆく。

「どんな魔法を使ったの?」

 エントランスでアロイスに駆け寄ると、その手は吸い寄せられるようにしてトゥランの頬に触れ、愛おしげに髪を梳いた。


「秘密の取引をしたんだよ」

「どんな?」

「秘密」

 この上なく甘い顔で見下ろしておきながら、詳しく教えてくれようとしない。

「私にも教えてくれないの?」

「秘密は魔法だからね。秘密でなくなった途端、効力を失うんだ」

「そんな素敵な説明をされたら、聞き出せないわ」

 これだから、アロイスは侮れない。なんでもないような言葉で、上手に言いくるめられてしまう。


「ごめんね。でもグウィオンを裏切りたくないんだよ」

「……分かった。もう聞かないわ」

 ものすごく気になってしまうけど。

 階上をうらめしく見上げながらため息をつくと、アロイスの指がやんわりとトゥランの顎をとらえ、引き戻した。

「そんなに熱っぽい視線を彼に注がないでほしいな」

「熱っぽくなんて」

「じゃあ、僕だけを見てくれる魔法をかけようか」

 言うなり、アロイスの顔が近づいてきて、トゥランの額にあたたかいものが触れた。

 あ、とあげかけた声が、か細い吐息になってこぼれてゆく。

 急にからだ中から力が抜けてしまうようだった。頭がぼうっとして、足元は宙に浮いたようにふわふわして、グウィオンのことも、それ以外のことも、一瞬にして忘れてしまう。

 間違いなく、それは魔法だった。


「……アロイスも魔術師だったのね」

 やがて抱きすくめてくる腕に閉じ込められながら囁くと、「これからもっとたくさんの魔法を覚えるよ」と笑いまじりの声が返ってきた。ということは、次は違う場所に魔法をかけられるのかもしれない。額の次は、どこだろう?

 ちょっぴり想像しただけでなんだか耐えがたいほど恥ずかしくなってしまったトゥランは、今のうちにたくさん想像して、できるだけ覚悟をしておくことにした。


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