トゥラン、嘘つき魔術師と戦う
「なにしてるの?」
声をかけると、薄暗い書斎の片隅で影と化していたものがうごめき、こちらを見た。
まるで、これまで一度も笑ったことなどないかのような眼だった。闇の底で、光も知らずに生きてきたかのような。
なりゆきで同行者となった魔術師グウィオンは、ずっとこの書斎に引きこもっていて、食事にも姿を現さない。さすがにお腹が空いたのではないかとパンと水を持参したが、目の前に置かれたそれに目もくれなかった。それに、思ったよりも元気そうだ。
呪い返しから回復していないのだろう、唇は開かない。代わりに空中に光が踊り、文字を描いた。
“用件は”
「あなたが何者なのか知りたいの」
なぜトビアスに雇われていたのか。なぜ敵対も服従もしなければ友好的でもないのか。食事はとっているのか。何の魔法が使えるのか。
聞きたいことは山ほどある。そのうち一つだけを尋ねた自分の忍耐を褒めたいくらいだ。
“俺が知りたい”
空中で輝き、やがて消えていった文字に、トゥランは首を傾げた。
「自分が何者なのか、分からないの? 記憶がないの?」
“呪いのせいだ”
「呪いって、聖堂でのこと? 口がきけなくなっただけかと思ってた。他にも何かあるの?」
そもそも、グウィオンは本気で呪ったわけではなかったのだろう。偽りを語る舌に呪いあれ、と言ったのは、単に演技だったはずだ。あの時偽りを語っていたのは、星巫女に扮したグウィオンの方だったのだから。
しかし、それを無意識にトゥランがはねのけた時、言葉は呪いの刃となってグウィオン自身に降りかかった。今思えば、あれもトゥランの力だった。自身にそのつもりがなかったとしても。
“嘘をつこうとすると、言おうとしたことを忘れる”
「そんな呪いだったの? でも、それなら嘘をつかなければいいのに」
“ならば話すことは何もない”
訳の分からない言い分には、首をひねるばかりだ。どうやらずいぶんとひねくれた性分らしい。
「それじゃあ、何を話すの? 嘘しか言わないって、かえって苦労しそうだけど……あっ、でも星巫女の時は嘘ばかりついてたわね」
「天職だった」
突然男の声がしたので、トゥランは驚いて尻もちをついた。
話せないのだとばかり思っていた。いや、確か本人もそう認めていたはずだ。しかしあたりを見回しても他に人影はなく、声のした方向からしても、グウィオンが話したに違いなかった。
「は……話せるの?」
「嘘以外ならな」
心底不本意そうに言って、グウィオンは黒くて少し癖のある髪を掻きむしる。
「ああクソ、いまいましい」
嘘が言えないことでここまで苦しむ人は初めてだ。世の中には思いもよらぬ悩みがあるものだ、と妙な感心をしていると、嘘つき魔術師はぎろりと光のない眼でトゥランを睨みつけた。
「とっとと呪いを解け。さもなくば何も話さん」
呪われている割に、しおらしさのかけらもない。生まれてこの方、下手に出たことなどなさそうな態度だ。
とはいえ、それにあっさりうなずくほど、トゥランもお人よしではなかった。
「呪いを解いたら嘘ばかりつくのでしょう? じゃあ、解かないわ」
「解かなかったらどうなるか分かってるのか」
地の底から這いのぼるような低い声が問う。が、トゥランは脅されている自覚がなかったので、単純に質問と受け止めて答えた。
「そのほうがまともに会話できそうでいいわね」
「お前がどうなるかと言ったんだ!」
偉そうなうえに短気な魔術師は声を張り上げる。が、
「どうかなるの?」
あくまでのんびりしたトゥランに調子を崩されてか、がくりと脱力した。
「何なんだこいつは……もしやただの馬鹿なのか」
忌々しげな声が吐き捨てるやいなや、
「もしかしなくてもただの馬鹿だが、そいつにうっかり呪い返しを食らった奴が言うことではないな」
辛辣に言い放ちながらウルが入ってきたかと思えば、その後ろからはフィン、そしてアロイスと、男性陣がぞろぞろと勢ぞろいしてしまった。
いつから近くにいたのやら、二人の話を聞いていたらしい。
「お言葉ですが、ただの馬鹿ってことはありませんよ。こう見えても女神ですから、ただ者じゃないことは確かでしょう」
フィンはフォローしているようで、さりげなく失礼だ。
「馬鹿の部分は否定しないのか」
「そこは言わぬが花です」
さすがに見かねてか、アロイスが大げさなまでに口添えをする。
「トゥランはこの世で最も美しく、賢い人だよ」
「この世のレベルも地に落ちたもんだな」
ウルはどこまでも手厳しい。
「みんな、部屋の外で立ち聞きしてたの?」
聞かれて困る話はしていないけれど、いたなら入ってくればいいのに、と思う。
「父殺しの容疑者に一人で会う馬鹿を見かけたんでな」
「すぐにでもそばに行きたかったけど、ウル殿が少し様子を見ようと言うものだから」
「きみは歩く事件そのものだからね。できればきみのゆくところ全てについていきたいくらいだよ」
心配して来てくれたらしい兄と恋人を横に、物見高さで加わったフィンがいっそ清々しい。
「どいてろ。尋問は俺がする」
ウルはトゥランをアロイスの方へ押しのけると、グウィオンの前にしゃがんで頬杖をついた。
そうしてみると、長身のウルと小柄なグウィオンは、大人と子供くらいに体格が違って見える。しかし、壁にもたれたまま睨みかえすグウィオンに、ひるむ様子はない。
「王を殺したのは、議長の指図か」
いきなり核心に迫るも、グウィオンはすいと視線を逸らして黙っている。
「俺が沈黙を許すと思うか?」
ウルの手が腰に伸び、短剣を鞘から抜いた。さすがに室内で長剣は帯びていないが、護身用のそれは常に持ち歩いているようだ。
「痛い目を見るのは、どちらだと思う」
不穏な言葉を放って、グウィオンの口の端が吊り上げられる。この状況で余裕を失わない彼の手が持ち上がるのを見て、思わず息を飲んだその瞬間、稲妻のような声が轟いた。
「やめなさーーーい、無一文ども! 屋敷を壊したらどうやって弁償するつもりなのか、教えてもらいましょうか!」
屋敷の主、ファニーだった。輝かしい美貌に憤怒の色をたたえて仁王立ちする姿からは、筋骨隆々たる大男とはまた違った迫力がある。そのせいなのかどうか、ウルとグウィオンも動きを止めた。
ファニーはつかつかと近寄ってくると、ウルとグウィオンを順に睨み、立て板に水の勢いで説教を始めた。
「まずそっちの魔術師! どういうつもりか知らないけど、居候しておいて感謝も述べないとは良い根性ね。夜中に台所の食材を持っていったのは分かっているのよ。返せとは言わないけど、少しは遠慮したらどうかしら。そもそも聖堂から連れ出してもらったことに恩義はないの? とんだ恥知らずがいたものね。
それから家出王子殿。高名はかねがね聞いておりますけど、なんでも剣で解決しようとするのは短慮のあらわれではありませんこと? 痛い目を見れば言うことを聞く相手ばかりではありませんのよ。時と場合と相手を見て行動してくださいまし」
一同が呆気にとられる中、ぱちぱちと拍手の音が鳴り響いた。なにやら感動しているフィンだ。
「最高だ……! それでこそです、ファニー嬢。惚れ惚れする御口上、溌剌たる生の輝きを感じずにはいられません。是非とも私にもおひとつお願いできますか? 是非とも痛烈なものを。さあ!」
感動の理由もよく分からない上に、それ以上によく分からない欲望を発露している。
ファニーはちらりと冷ややかにフィンを見やっただけで返事すらせず、再びグウィオンへ続けた。
「あなたは結局何がしたいの? いじけたカビ胞子みたいに暗い場所に張り付いてないで、はっきりしたらどうなのよ。魔術師だからって、優位に立ってるだなんて勘違いしているんじゃないでしょうね。ちょっとした言葉のあやレベルの呪いを倍以上に返されておいて、変容の女神に太刀打ちできるとでもお思い?」
ファニー自身にはなんの力もなく、いうなればトゥランの威を借りているに過ぎないのに、なぜだか妙な威圧感がある。ウルは少々引いているし、何か仕掛けようとしていたグウィオンの手も下ろされた……かのように思われたが。
「……黙れ」
突如、すさまじい速さで空中に何やら紋様が描かれたかと思うと、猛烈な風が吹き、窓は割れ、本がバタバタと舞い上がった。風圧というより、打撃に等しい衝撃が襲った。よろめいたからだをアロイスが支えるも、さすがの彼もこらえきれなかったらしい。そのままトゥランの下敷きになる格好で倒れ込む。
風が収まって目を開けば、隣ではウルが同じように、ファニーの下敷きになっていた。トゥランたちよりも少し前にいたはずだが、グウィオンから近かった分、衝撃も大きかったようだ。
「うるさい女だ……要望ならばもう言った。呪いを解け。そうすれば何もしないで去ってやる。この俺に指図などおこがましいと、思い知らせてやろうか」
グウィオンはゆらりと立ち上がった。
トゥランよりは背が高いものの、ファニーやゲルダとはそう変わらないくらいだ。引き締まった体躯には筋肉が乏しく、まだ少年と青年の境目くらいに見える。実際、トゥランと同じくらいか、年下なのかもしれない。星巫女の時は年上に見えていたが、今のこの姿が本来の姿なのだとしたら。
闇から生まれ出でたような夜の瞳が、不安定に揺れていた。それは苛立ちのためだけではないように思えた。
魔力の波動が、脈打つようにして伝わってくる。その心の揺れをあらわすように。
――彼は何かを怖がっている。
自分の後ろへ、と言い張るアロイスに首を振って、トゥランは前に出た。
グウィオンは恐らく、トゥランを殺せない。自分にかけられた呪いを自分では解けないのだろう。それはたぶん、グウィオンのそれよりも、トゥランの力の方がずっと強いせいだ。だから、こんなこけおどしみたいなことしかしてこない。
その予感は少しずつ、確信に変わりつつあった。
「……呪いは解かないわ。知りたいのは本当のことだから。それを言うのは、そんなに難しいことなの?」
「…………」
「議長に弱味でも握られているの? あの人の言いつけを守っても、きっとあの人はあなたを守ってはくれないわ」
「…………」
「それとも、私たちのことが嫌いなの? 意地でも話してやるもんか、と思っているの?」
何を問うても、返事はない。
「まともな会話が通じる相手じゃありませんよ、トゥラン様」
起き上がったファニーは、切り捨てるように言う。
「思い通りにならなければ力に訴えることしか知らない、子供のような男です。実際、まだ子供なのでは?」
とげとげしい言い草に、またもやグウィオンの眉が跳ね上がる。
また攻撃される気配を察して、アロイスとウルが身構えると同時に、トゥランも次元の狭間に手を伸ばし、星読みの杖を引き出していた。待ち望んでいたように、手に馴染む。
「うわっ、そ、それはかの!!」
今度こそ目撃できたフィンの歓喜の声を背に、杖を振る。すると力が杖を通して、望む方向へ流れ出した。グウィオンの魂へと。その中にある、見えざるものに届いて、働きかける。
形のない、運命と呼ばれる何かが加速する。走り出した馬車の車輪のように、その魂が真に望む場所へと連れてゆく。
「お、俺は……俺……俺が……」
突然頭を抱えて言葉にならないことをぶつぶつ呟きだしたグウィオンは、苦しげに喉を鳴らし、何か言いたげに口をぱくぱくさせ、浅い呼吸を繰り返した。瞳孔は開いてあらぬ方を見つめ、膝をついて横たわる。
あまりの様子のおかしさに、力の使い方を間違えたのかと杖を下ろした。不慣れゆえに加減を誤ったかと不安になる。
慌てて駆け寄ってみると、グウィオンは目をつむり、思いのほか静かな呼吸で胸を上下させていた。さっきまでの苦しみようが嘘のように、眠っている。
「急に何が……睡眠魔法をかけたのか?」
駆け寄ってきたウルの問いに、首を振った。
そんなことはしていないし、やり方も分からない。
「私は少し、彼が本当に望んでいることを思い起こさせて、本来よりも早くその気にさせただけ。でも、思っていたのと違うみたい。本当は何か言いたいことがあるんじゃないかと思ったのに」
「その気にさせただけって……どういう理屈なんだ、それは。十分な荒業だと思うがな」
「やるべきじゃなかったかもしれないわ」
このままではとても埒があかなさそうだったし、これ以上仲間や屋敷を危険にさらしたくなかった。それゆえの決断だったが、間違いだったかと悔やんだ。
「静かに眠っているだけだ……いずれ起きるのかな?」
怪我の有無やら脈やらを調べていたフィンにも、他に異常は見当たらなかったらしい。
「たぶん……もしもグウィオンの願いが永遠に眠ることでなければ、だけど」
「そんなおとなしい願いを持ったやつには見えなかったがな」
ともあれ、このまま放っておくわけにもいかない。ウルに客間のベッドへ運んでもらい、その傍に椅子を置いて腰かけた。
眠るグウィオンは、ますます幼く見える。起きている時は表情もあいまって陰気な印象だったが、こうして見ると、あどけなささえ感じられた。
黒い髪に瞳は、どの地方の特徴だろう。出歩くことのなかったトゥランには分からない。そもそもこれが真の姿かどうか、確証もない。
結局、あれこれ話したり、やりあったりしたけれど、分かったのは彼が記憶の一部を失っているということだけだ。それもたぶん、呪い返しのせいだけではない。
「ねえ……『翼』のこと、覚えてる?」
当然のごとく、隣に椅子を持ってきたアロイスに話しかける。
「うん。そういえばあれはまだこの者が持っているかもしれないね」
「返してもらったのは星読みの杖だけだったから」
一見したところ身に着けてはいないが、人目につかないよう魔法で隠しているのかもしれない。
「あれって確か、使う度に記憶を失うのよね。その上、呪いでさらに記憶を失ったのだとしたら、もしかして自分のこともよく分からなくなっているんじゃないかしら」
「ありえないことじゃないな」
聞かれたことに答えたくないだけでなく、そもそも答えられないのかもしれない。そんな可能性を思いつく。
「だから怖がっていたのかな。グウィオンの魔力、すごく不安定だったの。見えない何かに怯えるみたいに」
「魔力を感じられるようになったんだね」
「うん……今日はずっと、肌がぴりぴりしてた」
何かをしなくてはいけない、という気がしていたのに、何をすれば良いのか分からなかった。何もかも不可解な魔術師は全てに口を閉ざしたままで、何一つ聞き出せていない。
変容の女神としての力を使ったのも、失敗だったのかもしれない。
でも、だとしたら、どうすればよかったのだろう?
「聞き方が悪かったのかな……」
魔法で解決するのがいけなかったのだとしたら、それ以外の方法で、例えば人間らしく会話で解決できたかもしれない。例えばアロイスのように聞き上手だったら――と考えたところで、はたと思いついた。ぐりんと勢いよく、隣の恋人を振り仰ぐ。
魅惑的な声、甘い囁きにそつのない褒め言葉。それでいて、相手の話の引き出し上手……社交界でも並ぶものがほとんどいないほどの社交上手がここにいる。ウルは例外としても、老若男女問わず、彼を嫌いな人はほとんどいなかった。気づけば懐に入ってしまうその巧みさは、いつ見ても見事な手腕だったというのに、一番の適格者を忘れていたなんて!
行儀よく膝に置かれた手を両手でとって握ると、目をしばたかせているアロイスへ、食い入るような目でのぞき込んだ。
「お願いしたいことがあるの!」
何が何だか分かっていないアロイスに、トゥランは初めての「おねだり」を口にした。それは、抱きしめて欲しいだとか、朝優しく起こして欲しいだとかいう、甘い恋人同士のものではなく。
心を閉ざした魔術師を口説き落としてほしいのだ、というものだった。




