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引きこもり姫、お茶会を開く

 バターとクリームの濃厚な香り。母の残した、とっておきのティーセット。あちこちに活けた色とりどりの花に、真新しいレースのクロス。

 今日のお茶会のために準備したものを一つ一つ確認しながら、トゥランは胸をふくらませて来客を待っていた。

 何もかも完璧に見える。何度も練習した焼き菓子は自信作だし、茶葉だってファニーが最高級のものを取り寄せてくれた。外は良い天気で、窓から明るい光が差し込んでいる。


 呼び鈴が鳴ると、自ら飛んでいきたくてそわそわした。一度アロイスを自ら出迎えた時は、後からモリに怒られたものだ。取次ぎもなしに姿を現すのは、品性に欠けると。

 真っ先に訪れたのは、フィンとリタだった。いつも通りの商人風の格好だが、元々洒落者のフィンは気の利いたカフスや髪留めをあしらい、王宮にいても違和感がない。

 リタは長い髪を編んでまとめており、細身のキュロットを履きこなし、颯爽とした男装の麗人ぶりだ。出会った時の盗賊然とした恰好を思うと、ずいぶんと垢ぬけて雰囲気が変わった。もっとも、あくまでこれは「仕事用」だと言っていたけれど。


「ご機嫌麗しゅう、王女殿下。お招きいただき、光栄の至り」

 フィンは歌うように述べると、大げさな身振りでトゥランの手の甲に唇を落とした。リタはそんな「お頭」を呆れた風に見ながら、軽く手を振る。

「ハーイ。お茶会なんて初めてだよ。あんたやっぱり、王女なんだねえ」

 普段はそれを忘れているかのような口ぶりだ。


「みんなは元気? 最近はどんな謎を解いているの? 今日の服、素敵ね! よくそういう恰好をするの? 私も持っていたら、男の振りをしてどこかに潜入できるかしら」

 思いつくままに口にしていたら、リタは宥めるようにトゥランの肩を叩いた。

「ちょっと落ち着きなよ。まったく興奮しちゃって、子供みたいだねえ姫サマは」

「質問は大歓迎だが、答える時間はいただきたいね」

 フィンにも笑われてしまった。

「話したいことがたくさんあるんだもの」

「別に今日しか話せないわけでもないだろ?」

「そうだけど」


 フィンとリタは、週に一度以上は宮を訪れている。商人のふりも板について、最近は実際に売り子として働くこともあるという。収入が得られる上に情報が得られるので、悪くない立ち位置のようだ。

 つまり、それなりに頻繁に会ってはいるのだが。

「でも、正式にご招待となると、いつもと違う気がしてこない? 楽しい一日にしたいと思って、色々準備したの」

 勢い込んで、趣向を凝らしたインテリアの説明をしようとしたところで、またもや呼び鈴が鳴った。

 ウルとゲルダ親子の到着だ。


「いらっしゃい!」

 取り次ぎもそこそこにぱたぱたと走って迎えに行くと、後ろからモリの大きな咳払いが聞こえた。慌てて歩を緩めたが、その一部始終はすっかり見られていたようで、ゲルダは笑いをかみ殺している。

「このように歓迎していただき、ありがとうございます、殿下」

 優雅にお辞儀をされて、慌てて応える。

 ウルはというと、無表情のままトゥランの額をこつんと小突いたのを挨拶代わりにし、一言も発していない。いつも通りの飾り気の少ない礼装に、房飾り付のマントがかろうじて華やぎを添えている。恐らくそれだって、ゲルダに言われて渋々羽織ったものだろう。


「お兄さまは半月ぶりくらいかしら。最近不在がちみたいだったけど、忙しかったの?」

「まあな……」

 必要最低限ですらない返事しか返ってこないのはいつものこととはいえ、何となく引っかかるものを感じて、横顔を見上げた。

 きりと冷えたまなざしに、引き結ばれた口元。

 一見冷血漢に見えても、いつもならもっと聞く姿勢を見せてくれる。今日は不機嫌なのだろうか。


「素敵な宮ですわね、殿下。たくさん花を活けられて」

 気を遣ったのか、ゲルダが声をかけてきたので、気を取り直して説明を始めた。

「実は、皆さんをイメージした花を飾ったんです。こちらの紅いのはゲルダ様。こちらがフィンでこちらがリタ」

 ゲルダは鮮やかな花弁が華やかに重なるピオニー、フィンは太陽のような花の咲くガザニア、リタは鮮やかな小さな花がびっしりとまっすぐに咲き昇るルピナス。

「へえ、ルピナスっていうのか。綺麗な花だねえ……ですねえ」

 ぎこちない言葉遣いをするリタを、ゲルダは柔らかな笑みで包み込んだ。

「いつも通りにお話ししてくださって構いませんよ。その方がきっと楽しいわ。よろしければ、お名前をうかがっても?」


 そういえばまだ紹介もしていなかった。招待主の役目なのに。

 トゥランが慌ててお互いの紹介をしていると、やがて再び呼び鈴が鳴った。

 最後の客人、アロイスの到着だった。白を基調にした華麗な上下から、優美な胸ひだつきのシャツがのぞいている。高襟のロングコートはからだに沿う細身の意匠で、すらりとした長身を引き立てている。いつもながら、完璧な貴公子ぶりだ。


 顔を見るなり、冷静に、と自分に言い聞かせていたのも忘れて歩み寄る。嬉しさに顔がほころぶのを止められない。

「アロイス! 元気そうね」

「きみからの誘いだからね。楽しみにしていたよ」

「もうみんな着いているのよ。自己紹介は……アロイスはもう全員と知り合いだったわね。そうだ、見て。あの花、アロイスのイメージで用意したの」

 早口に言いながら、袖口を引っ張って連れてゆく。


「イベリスだね?」

 さすがにアロイスは花の名を知っていた。清楚な印象の、甘い香を放つ花をじっと見つめる。

「これが、俺のイメージ?」

「ええ。とても綺麗で、良い匂いで、みんなから愛される花……そんな感じがするでしょう? それにアロイスは白のイメージなの。だから、きっと何色を纏っても似合うんだわ」

「そんな風に俺を見てくれているの? 意外だけど、嬉しいよ。俺にはきみの方が、純白のイベリスにふさわしく見えるけど」

 そう言って花よりもトゥランを眩しげにのぞきこんでくるので、トゥランは思わず視線をそらした。

 どうしてこの眼差しを、これまで何とも思わずに受け止められていたのかわからない。とろける蜜のような甘やかな声も、思わせぶりな仕草の一つ一つも、いちいち胸を揺さぶられて仕方がないのに。


「アロイスは綺麗よ。誰だってそう思うわ」

「そういう部分しか見せてこなかったからね。でも、きみにそんな風に思ってもらえるのは嬉しいな。……今日はどうして目を合わせてくれないの?」

 じりじりと距離を近づけてくる。初対面の時から思っていたけれど、彼は距離感が近すぎる。兄のように思っていた時は気にならなかったけれど、今はどうもいたたまれない。

「そんなことないわ」

 苦し紛れの言い訳しかできない。でもそんなのは、アロイスには通用しない。


「いいや、いつもと違うよ。何か俺に怒っているの? 謝るから、教えて」

「何もないったら」

 逃げ出したい気持ちで押し問答をするトゥランとアロイスの間に、ウルがため息交じりに割り込んできた。

「いつまで他のゲストを放っておくつもりだ?」

 さし伸ばされた救いの手に、トゥランはこれ幸いとつかまることにした。くるりと他の皆に振り向く。

「そうだわ、とりあえず座りましょう。美味しいお茶とお菓子を用意したんです」


 アロイスのあの眼につかまってはだめだ。あくまでもゲストの一人として、満足してもらえるようおもてなししないと。

 トゥランは闘志に燃えた。初めての恋は、まるでトラップだ。突然思考力を奪われ、無力になってしまう。

 でも、ミッションは難しいほどやりがいがあるというものだ。


 全員が席につくと、ファニーとノラがお茶とお菓子を運んできた。昨日トゥランが焼いた菓子は、温め直されてほのかに湯気をたてている。

「これ、私が焼いたんです。良かったらどうぞ」

 バターの香り高い焼き菓子に、客人たちは早速次々と手を伸ばした。

「王女殿下が自ら作られたなんて、貴重なものですね」

 ゲルダの声には、驚きと共にかすかな戸惑いが読み取れる。

 実際、モリはトゥランが手製の菓子を出したいと言った時、難色を示した。そんなことは下働きのすることだ、と。

 でも、こんな美味しいものを作れるようになったらどんなに良いだろうと、前から思っていたのだ。それが侍女たちの特権ならずるい、と食い下がり、ようやく許してもらった。あくまで自分のためか、親しい友人をもてなす時だけにする、という約束付きで。


「一度やってみたかったんです。とても楽しそうなんだもの。それに、焼き立てのお菓子は最高に美味しくて、病みつきになりそうです」

「うん、とても美味しいね。幸せな味がする」

 なにげないアロイスの褒め言葉に、胸が弾んだ。恩返しミッションは好調に進んでいるようだ。

「本当? お菓子ってすごいわ。こんなに簡単に誰かを幸せにできるんだもの。お花もそうよね。生まれ変わったらお花かお菓子になりたいわ」

「なんだそれは……」


 呆れたようなウルの呟きは、アロイスの続く言葉にかき消された。

「食べると無くなってしまうお菓子にも、いずれ枯れてしまう花にも、生まれ変わられては困りますね。今でもあなたはお菓子よりも甘く、花よりも美しいのに、これ以上何を求めるんですか?」

 氷も一瞬で融かすような甘い言葉に、ウルは完全に表情を消して死んだ目になり、一方のゲルダはうっとりとため息をついている。

「素敵……後世に残したいお言葉ね」

「キザだねえ。舞台俳優になれそう」

 リタの言葉にフィンは何か思いついた様子で、ぴんと人差し指を立てて叫んだ。


「ベネディクタ・アーレ!」

 トゥランも大好きな、ロマンス小説の名手だ。次々と波乱の起こる息もつかせぬ展開が有名で、男性でも読者が多い。嬉しくなって、代表作のタイトルを叫んだ。

「夢幻のナハト!」

「まあ、わたくしも大ファンですの。ベネディクタ女史の描く男性像がいつも素敵で。アロイス様が演じたら素晴らしいでしょうね」

 ゲルダも入ってきて、自然とロマンス小説や舞台の話になった。

「実は、舞台役者になったこともあるんですよ。若い時分は金がなくて、旅をするのに芸人一座に混ぜてもらいましてね」

「フィンはそういうの得意だよね。商人なんかより、ずっと合ってるんじゃない?」

「確かに、思いのほか人気になってしまって大変だったな。退団するなと拝まれてね」


 自慢話を繰り広げるフィンがうらやましくて、頬杖をついた。

「いいなあ、私も舞台役者になってみたい! ベネディクタもいいけど、イグナーツの女騎士アグネスとか、舞姫ドロテアになれたら楽しいだろうな」

「なんだったら、以前世話になった団長に口利きしましょうか? でも稽古のたびに王宮を出るんじゃ、怪しまれそうですねえ」

「大丈夫よ。十四王女の動向なんて、誰も気にしちゃいないだろうし」

 そもそも、「いたの?」くらいの存在感だ。たとえ失踪しても、話題にも上らないくらいの。

 と自虐的に考えていたのは、フィンに打ち消された。


「そんなわけありませんよ。あのアウレリア妃の残した雲隠れ姫なんて、一部のセンには注目の的なんですから」

「それ、ものすごーーく狭い一部の話でしょ」

「そうでもないですって。そもそも、妃殿下の残したものを撤収した者のことをお忘れじゃないですか? そいつは殿下の行動を監視しているはずですよ」

「そうかなあ……」

 母の持ち物を持ち去ったのが誰の手先だったのかは、モリも知らない。知っていて黙っている可能性はあるが、そうだとしたら、手の出しようのないほどの権力者だろう。

 とはいえ、それから十二年もの間、何の行動も起こしてこなかったその「誰か」は、まだ自分に興味があるのだろうか?


「もしそうだとしても、その誰かが気になるのはお母さまであって、私ではないと思うの。例えば私が舞台役者をしようが、邪魔なんてしてこないんじゃないかしら」

「それはそうかもしれませんがねえ」

「だとしても、一人はだめだよ。心配で死にそうになる。その時は必ず、俺も連れて行ってくれるね」

 アロイスが過保護極まりない言葉を発すると、ゲルダが目の色を変えた。

「まあ……殿下とアロイス様の舞台があったら、一度も欠かさず観に行きますわ!」

「おっと、金になりそうな話だねえ」

 リタも別の意味で目の色を変えている。


 現実味のない話だと思っても、想像せずにはいられない。

「楽しいだろうなあ、お芝居をしながら、色んな国を旅するの。私、ずっと旅芸人に憧れてたの。舞姫とか、吟遊詩人にも」

 もしも、アロイスが一緒に来てくれたら。女騎士と戦う騎士団長や、舞姫を守る剣客を共に演じられたらいいのに。

 手を取り合い、共に戦い、愛を囁ける。

 舞台の上なら、そんな二人を演じられる。違う自分になれる。必ず覚める夢だけれど。


「そんないい暮らしでもないと思うぞ。舞姫や歌姫が権力者への貢ぎ物になるってのはよく聞く話だ」

 現実的な話で水を差してくるウルの腕を、軽く小突く。

「お兄さまったら。せっかく妄想してたのに」

「そんなことはさせませんよ」

 柔らかな口調で口をはさんだアロイスを見ると、目が笑っていなかった。珍しいことに、苛立っているらしい。滅多なことでは心乱さない貴公子なのに。

「何よりも大切なお方ですから。何の不便も苦痛もないよう、お守り申し上げます。そのためについていくのですから」

 こちらはこちらで怖いくらいに真剣なので、今すぐ旅に出ると言ったら普通についてきそうな勢いだ。


 案外二人とも、自分に負けず劣らず想像力たくましいのでは、などと考えていると、ウルは息を吐いてカウチの背にもたれかかった。

「まあ、国を出るのは悪くないかもな」

「えっ?」

 妄想は大概にしておけと言われるかと思ったのに、意外な反応だ。

 虚を突かれたのは、トゥランだけではなかった。その場の全員が、尋ねる顔で第四王子を見つめる。

 不穏な言葉と視線が投げられたのは、そのすぐ後だった。


「お前は知っているんだろう、アロイス」

「…………」

 突然、漠然とした問いかけを受けたアロイスは、顔を強張らせて沈黙した。

(何のことですか、って聞かないの?)

 トゥランは急いで視線を他のゲスト――ゲルダや、フィンやリタに走らせた。ゲルダは不自然に目を伏せ、フィンやリタは鋭く視線を交わし合っている。誰も真意を問おうとしない。

 みんな、何かを知っている。ウルが言おうとしていることを理解している。あんなに気の合わないアロイスとウルでさえ通じ合っている。

 自分だけが、分かっていない。


「お兄さま、何のこと?」

 たまらず、隣に座る兄の袖を引いた。

 たとえようもなく、嫌な予感がした。面白い話なら我先に話してくれるフィンが、口を閉ざしてウルの言葉を待っている。フィンの口を重くするものの正体なんて、分からない。


「この半月で、四人の議員と五人の神官がやめさせられた。横領、王女との姦通、暗殺未遂、謀反未遂……全員、星巫女に罪を暴かれている」

 ウルの話は、思いもよらない方面のものだった。

「妙なことに、議長派の連中ばかりだ。おかげで急速に、国王派の影響力が強くなっている。その上、国王は二か月後に北方諸国の征伐を宣言した。俺も一軍を任されている」


 お茶会の場はシンと静まり返った。

 誰も驚きの声をあげないのだから、やはりみんな知っていたに違いない。トゥランは唇を噛んだ。

 めまぐるしい政変がすぐ近くで起こっているのに、何も知らなかった。ただのん気にヒエロニムスの詩を読みかえしたり、焼き菓子の練習をしたり、花の手配をしたりして過ごしていた。急に兄が忙しくなった理由に、思い至りもしなかったのだ。

 いつもそうだ。自分だけ世界から取り残されている。以前は自分の意志でそうしていたけれど、今はそうじゃない。どうすればまた同じ速度で生きて行けるのかが分からずにいる。


「戦争が始まるの……?」

 つまんだ兄の袖を握りしめる。

 トゥランがすがるとき、ただ黙って受け止めてくれるこの兄の腕は、これから見知らぬ人の血を浴びるのだろうか。そして、自らの血で濡れるのだろうか。

 想像するだけで鼓動が早くなる。もしかして、帰ってこないかもしれないだなんて、考えたくもないのに、頭をよぎる。

 トゥランの混乱と動揺をよそに、ウルの声は平坦だ。

「国王は前からそのつもりでいたんだろう。戦争をする『理由』はしっかり用意されていた。だが、引き金を引いたのはあの星巫女だ。間違いない」

 

 星巫女――神託を受け、神の恵みをもたらすために来たという、あの人。

 国王の前で、大臣の罪を苛烈に暴いた時のことを思い出す。

 あんな風に、この国の罪全てを洗い流そうというのだろうか。

 いや、でもそれにしては、おかしい。


「どうして星巫女が戦争を起こそうとするの?」

 汚職や倫理的な罪を暴くのは分かる。けれど、神は戦争に明け暮れる人間を見放して天に返ったのではなかったか。止めるならまだしも、推進するはずがない。

 ウルの言うことが正しいなら、星巫女のしていることはめちゃくちゃだ。

 混乱していた頭が、ますます混乱した。

 この国で、何が起こっているのだろう。

「決まってる」

 ウルはゆっくりと、そして聞き洩らしようもないほどはっきりとした声音で断定した。

「あの星巫女は、偽物だ」


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