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引きこもり姫、始まる前に終わる

 トゥランはその日、王宮の大広間で、きょろきょろと人を探していた。

 広間が広く思えぬほど、ぎっしりと招待客で溢れている。国王の誕生日を祝うため、王族をはじめ、国中の重鎮が一堂に会しているのだ。

 肝心の国王は席を外しているが、そのためか雰囲気は和やかで、普通の夜会と変わりない。


 明かりをいっぱいに灯した庭園も解放されているのに、人が多すぎてダンスができるスペースはごくわずかだ。

 その中でまるで一人光を浴びているかのように目立っているのは、例によってアロイスだった。見知らぬ令嬢をリードしながら、軽やかにステップを踏んでいる。優美な微笑こぼれる様に、とりまく令嬢たちが嬌声をあげる。

 あの調子では、今日はゆっくり話すタイミングはなさそうだ。

(もしやあの中のどこかに、アロイスの想い人もいるのかしら。それか、今踊っている方が?)

 気になりはしたが、アロイスばかり観察していても仕方がない。

 もしやウルが来ていないだろうかと目を走らせていると、じきにお目当てを視界にとらえた。


「お兄さま!」

 広間の片隅、柱の陰に隠れるようにもたれかかっていたウルは、緩慢な動きで振り返った。

 仕立ての良い軍服と房飾り付の華麗なマントを纏い、恰好だけは王子様然としているが、頑として柱の陰から動きそうにない。


「退屈そうね」

「退屈だからな」

「じゃあ、一曲踊らない? そしたら退屈じゃなくなるわ」

「断る」

「どうして?」

「他に暇そうなやつがいくらでもいるだろ」

「アロイスは忙しそうなんだもの」

「そいつはそもそも論外だ」

 相変わらず、気の進まないことに対してはとことんそっけない。


「そんなに嫌なら、どうして来たの?」

「母上がうるさかったからな。会場の隅にいるだけなら、耐えようもある」

「ゲルダさまもいらっしゃるのね。どこ?」

「あそこの……赤いドレスに髪を結い上げた……いや、会うつもりじゃないだろうな?」

「いけないの?」

「……別に」

 気の進まなさそうな兄を無理やり柱から引きはがすと、赤いドレスの貴婦人のもとへ近づいた。一度会って挨拶をしてみたかったのだ。


 改めて向き合ってみると、確かに見覚えのある顔だった。話した記憶はないが、何かしらの式典で顔を合わせたのだろう。

「あら……貴女は。ええと」

 同じく記憶を探る様子のゲルダに、軽く膝を曲げて挨拶をする。

「こんばんは、ゲルダさま。十四王女のトゥランです」

「まあ殿下、失礼を。最近、ウルが親しくさせていただいているとか」


 ふわりと目を細めたゲルダは、大きな息子がいるとは思えぬほど、若々しく華やかな雰囲気の人だった。不遇と聞いて想像していたような、沈痛な雰囲気はない。むしろ、強い色合いの装いにも負けないような、艶っぽさと明るさを兼ね備えている。

 一見ウルとは似ていないが、よく見れば灰茶の髪やすっきり通った鼻筋、輪郭など、ところどころに血筋を感じた。

「トゥランと呼んでください。それに失礼は私の方です。未だに兄弟の顔や名前も覚え切れていないんです」

「無理もありませんわ。私だってあやしいものですよ」


「お兄さま、私のこと、親しいって言ってくださったのね」

 トゥランがはしゃいで振り返ったのと、ウルが「言ってない」と否定するのが重なった。

「出かける時にお前の名前を出しただけだ」

「でも親しいことに変わりはないわ。そうでしょ」

「……他のやつよりはな」

「素直じゃないこと。まだまだ子供でお恥ずかしいですわ」

 横からゲルダ夫人が謝ると、ウルはいっそう憮然とした。しかし反論も面倒なのか、口をへの字にして黙り込む。


「その耳飾り、お兄さまからのものですね?」

 ゲルダの耳に光る大ぶりの赤い宝石は、たしかに先日フィンやファニーと一緒に選んだものだ。金の輪が宝石の周りで揺れ、ひときわ目を引いている。

 人によっては派手にも下品にも見えかねない色合いだが、自然に着こなしている。ウルの話から聞いた印象だけで選んだが、間違いではなかったようだ。

 トゥランはすっかり満足して、一人うなずいた。


「こう見えても、誕生日には欠かさず贈り物をくれるんです。優しいところもありますわ」

「ええ、お兄さまはとっても優しいです。顔は怖いですけど」

「小さいころから剣術にしか興味のない子でしてね。そのうち顔立ちも刃物のようになってしまって」

「一体化してきたんでしょうか」

「するわけあるか」

 げんなりとウルが口を挿む。


 初対面と思えぬほど朗らかなゲルダに、トゥランはすぐさま馴染んでしまった。ウルが贈り物をしたいと思う母なのだから、きっと良い人に違いないと思っていた通りの、いやそれ以上の人だ。

 しばらく二人で歓談していたところ、やがてもう一人が加わった。


「皆さま、お話し中に失礼を。ご挨拶をと思いまして」

 公式の場であるだけあり、かしこまった様子のアロイスが、優雅に一礼する。

 どうやってあの令嬢の垣根をくぐりぬけてきたのだろう。

 気になってフロアの中央を見れば、取り巻きの令嬢方がちらちらとこちらをうかがっていた。睨んでこそいないが、視線が痛い。


「まあ、アロイス様。今宵も素晴らしい装いですわね」

 心なしか、ゲルダの声は一段階高くなった。

(そういえば、ゲルダさまはアロイスのことがお気に入りなのだった)

 そもそも、ウルがアロイスを嫌っていたのは、それが原因だ。

 とすると、これはあまり良くない顔ぶれなのでは、とウルを見ると、まさに刃物のごとき目つきでアロイスを凝視していた。

「お兄さま、一体化してるわ」

 とっさに扇を広げてウルの顔を隠すと、ゲルダが声を立てて笑う。

「楽しい方ね、トゥラン様は」


「お久しぶりです、ゲルダ様。トゥラン殿下とは、今日が初対面ですか?」

 アロイスが話しかけると、ゲルダは扇ではにかむ口元を隠してうなずいた。

「お話しするのは初めてです。あまり表に出てこられない方ですから、今日は運が良かったですわ」

 愛妾と王女の上下関係は場合にもよるが、ゲルダはその出自からか、トゥランを一段上に扱っている。トゥランとて、母のいない今、何の権力も持ち合わせてはいないのだが。


「その上社交界一の殿方にご挨拶いただけるなんて、来たかいがありましたわ」

 少女のように、素直に喜んでみせるゲルダに、アロイスは「そのように過分にお褒めいただくと、私の方が舞い上がってしまいますよ」と如才ない。


 と、扇の向こうからウルのうなり声が聞こえてきた。今にも扇に噛みつきそうだ。

 トゥランはとっさに兄の腕をつかんだ。

「お兄さま、踊りましょ!」

「はあ? 馬鹿、ダンスなんか……おい、待て!」

 文句を言うのを、有無を言わさず引いてゆく。


 主役を失ってやや熱気を失ったダンスフロアに入り込むと、逃げ出そうとする兄の手を自分の腰や肩のあたりに誘導して、にっこりと笑いかけた。

「一回くらい、いいでしょう?」

 夜会嫌いのウルと踊る機会は、これから先きっとそう多くはないだろう。そしてトゥランが王宮にいられるのは、もう一年もない。

 暗にその意味を悟ってか、ウルは苦り切った顔をしつつ、それ以上は拒まなかった。


(アロイスと踊った時とは、全然違う)

 気を抜けば振り回されてしまいそうな荒っぽいリードを、トゥランは楽しんだ。はじめこそ互いにちぐはぐな感じがあったが、ウルのリズムをつかんでくると、面白くなってきた。ややぎこちない身のこなしも、力強い足の運びも、ウルらしさが伝わってくる。

 お世辞にも、上手とは言えないのだろう。音楽との一体感を味わえたアロイスとのダンスとは違い、どこに連れていかれるか分からない冒険のような心地がする。そこが楽しい。

 そして、仏頂面を崩さないところもおかしかった。

 よほどダンスは苦手と見えるが、振りほどけないはずのない妹の手を突き放さない。


「無理やりごめんなさい、お兄さま。でも、一度踊ってみたかったの。本当よ」

「……別にそれはいい。良くはないが……。だがあの男、油断も隙もない」

 踊っている最中も、ちらちらとアロイスと母の様子をうかがっている。天敵を前にした狼の迫力だ。

「気にし過ぎよ。アロイスは誰にでもあんな感じだし、ゲルダ様だってよく分かっていらっしゃるわ」

「そこが気に食わん。誰にでも良い顔をするやつが信じられるか」

「どうして? 誰にでも優しいって、良いことだと思うけど」

「お前な……」

 ウルは呆れた顔でトゥランを見下ろす。


「あいつのことをそんな風に捉えるのはお前くらいだ」

「アロイスのことを嫌いなお兄さまの方が珍しいわよ」

 ウルは大げさなほど深いため息をつく。

「大いに異議はあるが……お前に限っては、知らないでいた方が良いのかもな」

 自分以外の人のことに意識が向いていた二人は、自身にも好奇の視線が向けられていることに気づいていなかった。

 滅多に表に出てこない第四王子と第十四王女のダンスは、本人たちが思うよりずっと注目を浴びていたのだが。


 曲が終わり、二人が戻ってゆくと、アロイスは再び令嬢に取り囲まれており、ゲルダがそれをのんびりと眺めていた。眩しいものを見るようにして、目を細める。

「本当に、絵にかいたような貴公子ね」

「ええ、実は好きな本の挿絵の王子にそっくりなんです!」

「まあ、それはどんな本? 是非読んでみたいわ」

「冒険ロマンス小説なんですけど、貧しい村娘が……」


 ゲルダとトゥランが打ち解けて本の話を始めた頃、にわかに広間がざわつき、ついで静まった。

 宴もたけなわの中、ようやく国王の入場だ。正妃を連れ、ゆったりとした足取りで広間を横切ると、壇上の玉座に腰を下ろす。

 王太子が誕生日の言祝ぎを述べようと、群衆から一歩踏み出したときだ。

 突如として、その頭上に何者かが現れた。

 きらめく銀に透ける布地を幾重にも纏った女性だ。すらりと細身で、透けるような金の髪は肩のあたりまでしかない。背には「翼」がはばたき、手には杖を掲げている。

 どよめきの中、ふわりと国王と王太子の間に降り立ったその女は、低いがよく通る声を発した。


「私は神託を受けてこの地へ来た。神は再びこの地へ恵みを与えるため、私を星巫女に選んだのだ」


 堂々とした話しぶりに気圧されるようにして、人々は静まり返る。

 トゥランは目をこらしてみたが、遠い上に人が多く、顔がよく分からない。第一、地下神殿で会った時も目を合わせたのはごく一瞬で、そもそもほとんど顔立ちは憶えていないのだ。

 あの時の泥棒だったかどうか、確信は持てないが、自然に考えればそうなのだろう。


「その杖をどうやって手に入れた」

 国王は、うろたえる様子もなく自然に問いかけた。

 普段から腹の底の見えない人だが、こういう時ばかりは少し感心してしまう。

「ご存じではないと? 地下神殿に安置されていたものだ。この杖が私を呼んだので、抗えずに手に取ったまでのこと。これは私のものだ」

 まったく悪びれずに、泥棒したことを認める「星巫女」に、再び広間はざわめきだした。

 しかし、一概に咎めることもためらわれてか、国王は神官長を呼び出した。

「この者の言い分を、どう見定める」

 神官長は青い顔で「星巫女」の前に進み出ると、おろおろと口ごもる。


「こ、このようなことは初めてでして……確かめようにも……少々お時間をいただきませんと……」

「時間をかければどう分かるのだ?」

「それは……これから検討を重ねる予定ですが……」

 容赦のない追及に、すっかり神官長はしどろもどろだ。

 無理もない。これまでの星巫女だって、「本物」かどうか確かめたことなどない。星巫女は実権のない名ばかりの役職で、人選も国王の手によるものだった。

 突然こんなことを言われても、神官長は困惑するばかりだ。


「一つ、ご提案をしてもよろしいですか?」

 この広間で泰然としているのは、国王だけではなかった。風采の良い、長身の中年男性が進み出ると、国王と神官長に礼をとった。

 帝国議長、トビアス・ラングだ。つまり、アロイスの父である。

「真贋を見極めるのであれば、神具を使われてはいかがでしょう。偽りを述べる者に、神具はその力を与えることはないはずです。もし本当に彼女の言うことが本当ならば、星読みの杖は何か奇跡を起こすのではないでしょうか」


 張りのある豊かな声が朗々と響き渡ると、次第に肯定の声が波打つように広がった。不信ととまどいに揺らいでいた空気が、再び一本の線のようにまとまってゆく。

 これが議長の力かしら、とトゥランは拍手でも送りたい気分だった。まるで楽団の指揮者のようだ。


 沈黙で肯定をあらわした国王に、

「良いだろう」

「星巫女」は、自信たっぷりに請け合うと、手にした星読みの杖を高く掲げた。初めて見るそれは、カットされた大ぶりの水晶と、瀟洒な銀細工の持ち手が美しい。

(あれが、星読みの杖……運命を導く神具って本当かしら)

 他人事のようにトゥランが考えていると、その杖は白く輝きだした。


「星よ、闇をはらいて真実を照らしだせ!」

 おごそかに言葉が放たれるやいなや、ふいに風が起こった。外からではない。魔術めいた風は渦をまき、ドレスの裾や髪飾りをふきあげる。

 悲鳴が起こり、トゥランも思わずぐらりとすると、いつの間にかそばに来ていたアロイスが抱きかかえた。

「アロイス」

「大丈夫?」

「うん」

 うなずいても、アロイスは心配そうに眉をひそめたまま、肩から手を離さない。


「……心卑しき者よ」

 風が鎮まるや、「星巫女」が忌まわしげに呟く。誰もその言葉の意味が分からずにいると、がらんと大きな音がした。

 招待客の中の誰かが、剣を落としたのだ。さっきの風のせいかと思ったが、事態はそう単純ではなかった。

「その刃、己の舌で舐めるがよい」

「星巫女」の唐突に思える言葉に、剣を拾おうとしていた持ち主の男は動きを止めた。そこへ、「星巫女」がゆっくりと近づいてゆく。

「どうした? 曇り無き刃であれば、恐れることもあるまい」


 異様な雰囲気に、周りの客たちが道をあける。

 おかげで、トゥランからも二人の姿がよく見えた。

「星巫女」はまだ少女といっても良いような、若い娘だった。トゥランとそれほど年は変わらなさそうだ。それでいて、どこか人を威圧する雰囲気がある。

 対する男は、頬の肉の垂れた、疲れたような顔の中年男だ。老年といっても良いかもしれない。確か、大臣の一人だったはずだ。


 男は荒く息をつき、よろよろと腰を抜かした。すぐそばに落ちている剣を拾うでもなく、激しく震えている。

「剣を調べよ」

 重々しく国王が口を開く。

 複数の兵と官吏、神官が駆け寄り、一方では男を拘束し、もう一方では剣の検分が始まった。

 やがてただならぬ声で官吏が叫ぶ。

「毒です! 刃に毒が仕込まれています!」


 思わず息を飲んだトゥランの肩を、より強くアロイスが抱き寄せる。二の腕をさする手が温かかった。

 殺意。

 楽しく話し、踊り、笑いあっていたこの場所に、そんな恐ろしいものが潜んでいたなんて。物語の中でしか知らなかったおぞましいものが、こんなにもそばにある。

 体が震えて仕方がなかった。

 どんなに本の中で見知った状況だとしても、知ったことにはならない。こうして肌で感じてみないと、知ったことにはならないのだ。


「エッカルト。私が憎いか」

 国王の声には、狼狽も恐れも怒りもなかった。

 あの人には、感情が存在するのだろうか。

 トゥランは疑問を通り越して、父が空恐ろしくなった。得体のしれない、トゥランの理解を越えた存在に思えてくる。

 それとも国王というのは、こんなことにはいちいち驚かないほど、殺意には慣れているものなのだろうか。


「よくも……よくもそんなことを仰れますな」

 一方で男――エッカルト大臣の声は、一転して恐れを怒りが上回ったようだった。

「うら若き我が娘を気まぐれに慰み者にし、その後は無き者も同然に扱い、恥辱の自死に追いやっておきながら、憎いか、ですと。憎からぬはずがありますまい! この身にもはや惜しむものは何もありません。妻の亡き今、ただ一つ大切な宝であった娘を奪われ、せめて死ぬ前に仇の一つも討とうと考えたまでのこと!」


 悲痛な叫びに、広間は静まり返る。

 国王弑逆は大罪だが、率先して大臣を責める者はいない。かといって、大臣をかばい、国王に助命を求める者もいない。

 ただ、いたたまれない空気だけが広がっている。

「捕らえよ」

 結局、エッカルト大臣にはそれ以上何の言葉もかけぬまま、国王は淡々と命じた。

 命をかけた覚悟も非難も、表情に曇り一つ加えることさえできていない。


 絶望したのか、両腕を縛られても、大臣は何一つ抗わなかった。突然全ての力を失ったかのように、足元すらおぼつかない。

 しかし連行されてゆくとき、精いっぱい顔を上げると、王座に向かって暗い声を投げかけた。

「御代末短きを祈念申し上げる」

 最大限の呪詛の言葉だったのだろう。

 そんな時でも乱暴な言葉を使わないところに、元々の人柄が現れているような気がして、トゥランは顔を覆った。


「……ひどい」

 口の中で、声にならない声をもらす。

 何もかもがひどすぎた。大臣の怒りはもっともだ。国王の残酷さは、きっとこんな風にいくつもの運命を捻じ曲げてきた。それなのに、罰せられるのはいつも、辛い思いをした側だ。

 誰が泣いてもわめいても、王は表情一つ変えもしない。人気取りのために温情を見せることすらしない。あの、心のない王は。


「あの者は遅かれ早かれ陛下の命を狙うことになり、そして決して成功しない運命にあった。星読みの杖の導きにより、私はそれを知ったのだ」

「星巫女」が得々と語ると、国王はうなずいた。

「認めよう。星読みの杖はそちのものだ」

「では当然、書と鏡も渡すであろうな?」

「与えよう」

 流れるように進む会話を、トゥランは呆然として見守っていた。

 もう、何をどこから考えれば良いのか分からない。

 

「トゥラン、ここへ」

 呼ばれて我に返ると、父王と目が合った。これほど多くの客がいる中、トゥランの存在に気づいていたのだ。

 アロイスの腕を離れ、玉座の前に膝をつくと、王は事もなげに命じた。

「予定されていた星巫女の任を解く。異論はあるまいな」

「…………はい」

 引き受けた時と同じ、たった二文字の言葉だけが、トゥランに求められた答えだった。


 異論はなかった。星巫女になりたいわけでもなかった。

 でも、胸の中には、わだかまりが膨らんでゆく。

 つながり始めていた線が、突然切られた心地がする。その先に、確かにトゥランの求めるものがあったような気がするのに。星巫女になるのは、運命かもしれないとまで思っていたのに。


 国王は招待客への挨拶もそこそこに、「星巫女」を連れて退出してしまい、あとには戸惑う客たちが取り残された。

 ざわめきは次第に、声高に話し合う声に変ってゆく。誰もが今目にしたものへの驚きを口にせずにはいられないのだ。


(頭がぐるぐるする)

 とぼとぼと力なく戻るトゥランに、アロイスが駆け寄った。その後から、令嬢たちもやってきて、口々に話しかけている。

 が、今日のアロイスは「みんなのアロイス」を終業したらしい。「失礼。今宵は殿下をお送りしなくてはなりませんので」と頭を下げ、足早にトゥランを広間から連れだした。

 じきにゲルダと共に追いかけてきたウルが、アロイスからトゥランを半ば奪い取るようなかっこうで引き寄せ、マントに包み込む。けれどアロイスを追い払いはせずに馬車に同乗までしたから、ウルなりの妥協なのかもしれない。


 謎の星巫女の登場と、トゥラン姫の解任劇は、面白おかしく噂の的になっている。

 気持ちは理解できた。

 もし他人事だったら、こんなに謎めいた、わくわくするような出来事はなかっただろう。エッカルト大臣の件さえなければ、だが。

 結局のところそのどちらでもない状況では楽しむ余裕などなく、ただ混乱していた。


 神殿で感じた母の気配。意味深な壁画とヒエロニムス。

 星巫女になる過程で知った様々な謎が、母の失踪とつながっているような気がしていたのに、これで全てが振り出しに戻ってしまった。

 今の自分は、何者でもないトゥラン姫に逆戻りだ。


「運命って、何なのかしら。これも、私が選んできたものの結果なの?」

 いつかのフィンの言葉を思い出しながら、ぽつりと呟けば、

「見えもしなければつかめもしないもののことなんか、考えても意味ないだろ」

 ウルらしい答えが返ってきて、少し笑った。

 確かにそうだ。ここでどんなに頭を絞っても、運命とやらを変えることはできそうにない。


「俺は嬉しいよ。別れの日を怖れなくて良くなったからね。アウレリア妃殿下のことだって、これから焦らずに調べられる。そうだろう?」

 アロイスはアロイスで、前向きな言葉をくれる。

「それは私も嬉しいわ。本当を言うと、仲良くなればなるほど寂しかったの。星巫女になったらみんなとはいられないんだと思って」

 この短期間のうちに、トゥランの人生は二度も変わった。これからだって、何度でも変わるのかもしれない。

 そう思うと、やはりいつ何がどうなっても後悔しないよう、やりたいことはやっておこうという気になってくる。


「きっと何もかも、良い方に変わりますよ。こうなって良かったと自分が思えば、それが答えになるんですから」

 ゲルダの事もなげな笑顔に勇気づけられて、大きくうなずいた。

 比べものにならないほど辛い思いにあったはずのこの人が、こんなにも強くしなやかに生きているのだ。ちょっと予定が狂ったからといって、どうということはない。


「そうね。こうなって良かったんだわ。星巫女候補になって知ったこともあるし、みんなと離れずに済むんだから、奇跡みたいによくできた話だわ。あの「星巫女」さんにも感謝しなくっちゃね」

 色んな衝撃から徐々に立ち直ったトゥランは、いつもの調子を取り戻して、あの「星巫女」はどこから来たのかとか、国王とはどんな話をしているかなど、あれこれ推理した。

 本当に神託を受けたのか、これからどう運命を導いてゆくのかはよく分からないが、あれこれ想像するだけで面白い。

 ウルの言う通り、考えても無駄なことではあるが、考えてみれば、人生の楽しいことは、無駄なことばかりだ。


 謳歌しよう、心ゆくまで。

 何もかもから解き放たれた心地で、トゥランの胸はふくらんだ。

 知りたいことがたくさんある。やってみたいことも。そしてトゥランの人生は一年ぽっちじゃない。

 何かが終わって、何かが弾けるように始まってゆくような気がしていた。

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