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引きこもり姫、魅惑の貴公子の本音を聞く

「かつてこの世には多くの神があり、人の世を見守っていました」

 初老の神官による講義は、誰もが知る神語りから始まった。

 穏やかで平坦な語り口、そして内容もよく知ったものとくると、昼下がりの瞼は重くてたまらなくなる。

「しかし欲望のままに悪行を繰り返す人間に失望し、神々は次第に天へと帰っていったのです。最後に残った正義の女神も、御力を込めた神具を残して去ってしまわれました。神具は人間に残された最後の恩寵、正義の象徴であり希望なのです」


 その話は、子供の頃から何度も読んでいる。子供のためには絵入りの本、大人には読み応えのあるぶ厚い本が作られ、広まっている。誰でも知っていて当然の話だ。

 この先の話だって、そらで言える。

 神の去った地で、ようやく己の愚かさに気づいた人間たちは、たくさんの神殿を立てた。またこの地に戻ってきて加護を与えてほしいと、神々に祈るために。

 その中でも一番最初のものが、極北の僻地に建つ聖光神殿だ。

 不思議なことに、誰が建てたのかは明らかになっておらず、そこで三つの神具が見つかったという神話めいた歴史だけが伝えられている。


 この世界に、神はいない。いないのに、祈り続けている。叶う保証もない祈りを。

 その最たるものが、星巫女だ。

「星巫女はその生涯を神に捧げ、再来を祈る尊き存在で、身も心も清らかな乙女が選ばれます。まさに殿下のようなお方にしか務まりません」

 明らかなお世辞には、どんな顔をしていいのか分からなかった。

 そうは言っても実情は、清らかな乙女ばかりが選ばれたとは言いがたい。むしろ、恥ずべき行いをして心証を悪くした女性が選ばれることの方が多かった。

 星巫女になりたがる娘なんていないのだから、当然だ。

 いわれだけは強力な神具を与えられはするが、それを実際に使ったという話は聞かない。ただ、遠い地で祈っているというだけ。


 お飾りの巫女、形だけの祈り。

 きっとそんなふうだから、神さまだって戻ってはこないんだわ。

 退屈な講義を聞きながら、そんなことを考えていた。

 最初は甘んじて受けるつもりだったのに、今では何だか文句の一つも言いたい気持ちになっている。


 星読みの杖は、あれから見つかっていない。

 神官だけでなく、官吏や警吏や兵たちも、そしてフィンたちの組織でも探し回っているのに、何の手がかりも見つからない。

 王宮内の侍女たちは、一斉に取り調べを受け、持ち物を改められたという。ファニーやモリやノラたちもだ。

 けれどもその全てが、今のところ徒労に終わっている。


「侍女の姿は変装だろうな。本人はとっくに王宮を離れていると考えるのが自然だ」

 フィンの意見に、トゥランも賛成だった。

 神具を盗んだ上に姿を何度も目撃されていて、いまだに王宮に潜んでいる方が不自然だ。

 泥棒は「翼」を持っている。どこにでもいけるのだから。


(いいなあ……)

 神官の声をぼんやりと聞き流しながら、想像する。いつでもどこにでも飛んでいける翼があったら、どんなにかいいだろう。

 もちろん、記憶がなくなるのは困るのだけど。

 毎日違う景色を見たり、お気に入りの風景を見に行けたりしたらいいのに。それなら、星巫女になってからも、こっそり抜け出せる。会いたい人にも会える。

 翼があれば、寂しくないのに。


 叶わぬ未来を夢想するうち、いつの間にかうとうとしてしまい、気づいた時には神官が困ったようにこちらを見ていた。

 きまずく、頬に張り付いた髪をはらう。

「ごめんなさい。ちゃんと聞くつもりはあるの。ただあなたの声があまりに心地よくて……今はどのあたり? 聖光神殿で神具が見つかったところ?」

「いえ、村人が神殿に迷い込んだところです」

「じゃあこれから見つかるのね。どうぞ続けて」

 無理やり話を戻そうと試みたが、神官は大きくため息をついた。

「いえ、今日はもうお休みください。このお話はよくご存じのようですから」

 週に一度と定められた講義の一回目は、早めの打ち切りとなった。


 悪いことをしたと思いながら、神殿を出て馬車へと向かっていると、後ろから誰かが追いかけてきた。

「トゥラン!」

 弾む声の持ち主は、おなじみの美青年だ。深い輝きを放つ黄金の髪に、新緑のような明るい瞳。マントに風をはらませ、甘い微笑みを浮かべて駆け寄ってくる姿は、非の打ちどころなく麗しい。


「アロイス……来てたの?」

「ああ、杖と翼の探索経過を聞きにね。何も成果はなかったけど。君は?」

「星巫女修行の一環で、講義を受けてたの。これから週に一度あるんですって」

「そうなんだ。もう帰るところ?」

「ええ」

「良かったら少しでかけない? 顔を見たら、離れがたくなった」

 さらりと言うから、きっと他意はないのだろう。

 そう判断して、うなずいた。

 アロイスの甘ったるい言葉には、もうすっかり聞き慣れて麻痺してしまっている。


「どこに行くの?」

 二人を乗せた馬車は、どんどん王宮から遠ざかっている。もしかして、門の外へ行くのだろうか。

「前から君を連れていきたかったところがあってね。大丈夫、そんなに遠くないよ」


 行き先を教えるつもりはなさそうなので、話題を変えた。

「そういえば、お兄さまはもうゲルダさまに贈り物を渡したかしら。誕生日がいつなのか聞いておけば良かった」

「……ウル殿下とは、以前から知り合いだったの?」

 アロイスはどこか探る目つきでトゥランを見つめた。トゥランにいつの間にか知り合いが増えていることが、気になっていたらしい。


「神殿の視察の時からよ。うちには侍女しかいないから、神官長が護衛をつけてくださるとは聞いていたけど、まさかお兄さまとは思わなかったわ」

「素晴らしい剣の使い手とお聞きするからね。あの方がいれば、十人の兵にも勝る」

「そんなにすごいの?」

 護衛してくれていたものの、実際に剣をふるうところは見たことがない。


「国でも有数の使い手だからね。次の戦では将官を任せられるだろうと言われているくらいだ」

「戦争が起きるの……?」

 トゥランはおそるおそる尋ねた。

 この国が何度か戦争を経験していたことは知っているが、引きこもっていたこともあり、どこか遠いことのように感じていた。

 兄が出兵するとなると、さすがにそんな気持ちではいられない。


「今すぐという話ではないよ。ただ、陛下は戦のない時期を五年と空けられたことがない。きっと、次の標的を定めていらっしゃるんだろう」

「……わざと戦争をしているってこと?」

「そうして強くなってきたんだ。陛下の代で、国土は倍以上になっているからね」

 平然と述べるアロイスが信じられなかった。やむにやまれぬ事情あってのことだと、漠然と考えてきたのに。

 そんな能天気な自分のことも、信じられない。

 自分の国に何が起こっていて、父が何を考えているのかも知らず、本ばかりを読んで生きてきた。

 何も知らない。知らなさすぎる。それが空恐ろしくて、恥ずかしい。


「私、引きこもるのをやめた時は楽しくてたまらなかったわ。知りたいことでいっぱいで、わくわくして」

 それは今も変わらない、けれど。

「でも、知るのが怖いこともあるのね」

 よく知らない人でしかなかった父が、好きでない人に変わっていくのが怖い。自分の国に起こっていた血なまぐさいことを知るのが怖い。自分の世界が変わってしまうのが怖い。


 アロイスはうつむくトゥランの手に自分のそれを重ねた。

「俺がいるよ。どんな怖いことが君のそばで起こっても、一人で怖がらないで」

 あたたかい手。トゥランが不安な時、いつもこうしてこの手が包んでくれる。

 求める前から差し出される優しさには、慣れてしまってはいけない気がする。それは当たり前のことなんかじゃない。


「ありがとう、アロイス。私もいつだって、あなたの力になるわ。大したことはできないかもしれないけど……一緒にいたり、話を聞いたりするくらいはできるもの」

 言いながら、本当に大したことじゃないなと情けなくなったが、アロイスは意味深に微笑んだ。ずいと身をかがめて、トゥランを下から見上げる。

「一生一緒にいてほしいと言ったら?」

「それは無理よ、来年には星巫女になるんだもの。でも、心はずっと一緒よ。会えなくても、一番の親友だと思ってる」


 精いっぱい真面目に、心をこめて答えたつもりだった。

 が、思っていた答えと違ったのか、アロイスの端麗な面は苦く歪む。

「耐えられないな。考えるだけで。君のいない日々なんて」

「……やめましょ。一年後のことなんて考えるのは」

 そうは言っても、考えずにはいるのは難しい。

 けれど、アロイスがそんな風に寂しがってくれることで、トゥランの心はどこか慰められた。誰の記憶にも残らず、初めから存在していなかったかのようになることが一番怖かった。

 少なくとも今はもう、そうじゃない。


 門を出てしばらく走ると、建物は次第にまばらになり、じきに見えなくなった。人通りもほとんどなくなり、馬車の揺れが気になり始めたところで、とうとう道は途絶え、二人は馬車から降りた。

「少し歩くよ。足元、気を付けて」

 アロイスはトゥランの手を引いて、先導してゆく。馬車も通れないような細く頼りない道が延び、どこか高い場所へと傾斜を作っている。

 見渡す限り、建物は近くにない。手入れのされていない雑草や花が、気ままに乱れ生えている。


「変わった匂いがするわね」

 トゥランは上り坂に軽く息を切らしながら、鼻をうごめかせた。

「いい匂い。懐かしいみたいな」

「草の匂いかな。俺も好きだよ」

「これが草の匂いなのね」

 王宮では花の匂いを嗅ぐことはあっても、雑草の匂いを嗅ぐことはない。

 そういえば、市場の匂いも変わっていた。なまぐささや、肉を焼く匂いや、甘ったるい匂いなど、一歩ごとに色んな匂いが飛び込んできた。

 初めてなのは、景色や人との出会いだけではない。


「疲れてない? 抱えてあげようか」

 アロイスは妙に期待のこもった目で見てきたけれど、トゥランは首を振った。

「そんなに疲れてないわ。歩くの、気持ちいいし」

 どちらにしても、目的地に着いたのはそれからじきのことだった。

 道が途切れ、少し開けた場所が現れたと思うと、眺めの良い崖の上に出た。はるか下方には、王宮や町を一望できる。


「わあ、すごい眺め!」

 トゥランははしゃいで走り出した。

 つないでいた手が離れる。

「王宮があんなに小さい! あれが月光神殿ね? あそこが市場で……」

 あまりよく把握していなかった位置関係が、ここからならよく分かる。

「私の宮は、もう見えないわ」

「何かの影になっているかな。あの辺りは背の高い宮も多いからね」


 十二年も引きこもっていた場所は、あんなにもちっぽけで狭い。ここからだと見えもしない小さな宮の中が、トゥランの全てだった。

 今、こうして眺めると、信じられないような気がしてくる。

「この町だけでも行ったことのないところばかりなのに、世界はもっともっと広いのね」


 この一年で、どれだけの場所に行けるだろう。

 いや、もう一年もない。あっという間にひと月が過ぎてしまった。母のことや、盗まれた神具のこと、ヒエロニムスのこと、それから自分のやってみたかったこと。

 知りたいことややりたいことはたくさんあるのに、どう考えてもその全てを叶えることはできそうにない。


「行ってみたいところはあるの?」

 とアロイス。

「どこまでも行ってみたいわ。あてのない旅ができたらいいのに」

「そうだね。俺もここに来ると、そんなことを思うよ」

「アロイスもそういうこと、思うの?」

 意外な気がして、振り向く。

 アロイスはいつでも人に囲まれている。その環境に満足しているのかと思っていた。


「思うよ。誰も自分を知らない世界に行きたくなる」

「新しいお友達を作るために?」

「いや……一人になりたいのかもしれないな」

「そうなの……?」

 ますます意外に思って見上げたアロイスの横顔には、いつもの甘い微笑もなく、心なしか寂しげに見える。

 どうしてだろう。孤独とは無縁に見える人なのに。


「時々、自分をとりまく全てが偽りなんじゃないかと不安になるんだ」

「全てって?」

「全てだよ。地位も、人も、心も、何もかも」

 いつも前向きな言葉をくれるアロイスが、そんなことを思うなんて。

 トゥランは何と声をかければ良いのか分からず、おろおろと口ごもった。

「そんな……そんなことないわ……絶対に」

「うん、考えすぎなんだろうね。でも一番信じられないのは、俺自身なんだ。俺の口は人に好かれたいあまり、平気で心にもないことを言うようになってしまった」


「……そうなの?」

 囁くようにして、トゥランは尋ねた。

 とても信じられなかった。

 いつも幸せそうに、とろけるような優しい顔でかけてくれた言葉の数々が、嘘だったなんて。

「無意識に言葉が出ることもあるんだ。今ではもう、自分の言ったことが本心から来るものなのかどうか、自分でもよく分からない」

「私だって、いつもよく考えて話しているわけじゃないわ。無意識に出た言葉なら、きっと本心よ。どうして自分を疑ったりするの?」


 アロイスはゆっくりと、トゥランを見下ろした。

「王宮では、みんな本心で喋ったりしないんだよ、姫。おだてたり、だましたり、ごまかしたり、そんなことばかりだ。俺はそうなりたくなかったけど、結局は同じ風にしか生きられなかった。君とは違うんだ」

「私……?」

 どうしてここで自分が出てくるのかも分からない。

「でも、今ではそれで良かったのかもしれないと思うよ。こんな俺だから、君を守ることもできるのかもしれないからね」

 ようやくぎこちなく微笑んだアロイスの表情に、なぜだかトゥランは悲しくなって、口をつぐんだ。


 前にも、似たような話をされたことがある。その時も今のように、よく意味が分からなかった。でも今は、分かりたいと思う。

 アロイスは何かに苦しんでいる。それを放ってなどおけない。

「じゃあ私は、どうしたらアロイスを守れるの?」

 すぐそばで、力なく垂れていた手を持ち上げる。アロイスがいつもトゥランにしてくれるように。

 アロイスは目を見開き、感極まるように口元をゆがめた。

「君に守ってもらうほどのものなんて、俺には何もないよ」

「そんな風に思ってたの」


 トゥランは泣きたい気持ちで、アロイスを抱きしめた。

「アロイスは分かってない。全然分かってないわ。皆のこと、本当は信じてなかったのね。好きだって言われても、信じられないからもっと好かれようとした。そうでしょう」

「……そうだよ」

 静かに、観念したように呟くアロイスが悲しくて、トゥランの目からは熱いものがあふれた。


 トゥランも、侍女以外は信じるなと母に言われてきた。でも、人と関わらないようにしていた間、それは大して苦ではなかった。

 でももし今、ファニーやアロイスやウルやフィンを信じられなかったら、好きな人のことも自分のことも疑ってしまうとしたら、きっと辛いだろう。誰といても一人でいるような気がするだろう。

 それは誰とも知り合いじゃないことよりも、ずっと寂しくて悲しいことだ。


「トゥラン」

 アロイスの声が、すぐそばで聞こえた。

 顔をあげると、アロイスがトゥランをのぞき込んで、目元を指で拭った。

「ごめんね、驚かせて。でも、これだけは信じて。俺は君のことだけは、何一つ疑ったことはないんだ。君にかけた言葉だって、全部本心だった。これだけは嘘じゃない」

「信じるわ」

 間髪入れない返答に、アロイスはまばたきをする。

「本当に?」

「私だって、アロイスを疑ったことはないもの」

 優しい言葉の数々が、自分だけのものでないことは知っていても、それが嘘だとは思ったことがなかった。だって彼はいつだって、心からの思いやりに満ちていた。


「……ありがとう。君がいてくれるだけで、俺は十分守られているよ」

 アロイスはいつものように微笑むと、宝石のごとく輝く涙を一粒落とした。

 そして、いつもと違っておずおずと、トゥランの背に腕を回した。その力はゆっくりと強くなり、やがてトゥランの細いからだをぎゅうぎゅうと抱きすくめた。そこに気持ちの丈が現れているような気がして、トゥランもぎゅうと抱きしめ返し、抱擁を通り越して拘束の様相を呈してきたあたりで、しまいには声を合わせて笑い始めた。


 それからのアロイスは妙に照れくさそうにしていて、珍しく言葉少なに帰路へ着いた。

 初めて会う人みたいだ、と思いながら、トゥランは何だか目が離せなくて、言葉もなくアロイスとまなざしを交わし合った。

 胸の中に、不思議な感情が渦巻いている。嬉しいような、切ないような、苦しいような、落ち着かない気持ちが。

 それが何なのか分からないけれど、決して嫌ではなかった。ふかふかと柔らかいところで、ぽうんぽうんと弾み続けているような、奇妙な居心地の良さがあった。


 アロイスと別れてからも、次の日になってからもその感覚は持続していて、そわそわと落ち着かなかったが、生憎といつまでもそんな浮き立つ気持ちではいられなかった。

 それから間もなく、王宮は一つの事件を迎えることとなる。

 星巫女が――就任の内定しているトゥラン姫ではなく、別の女が、我こそは真の星巫女であると、名乗りをあげたのだ。


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