引きこもり姫、板挟みになる
店主が装飾品を手早くしまって引き払い、これから本格的にヒエロニムスの話をしようという時に、アロイスは現れた。
これまでも、特に連絡なくふらりと訪れることはよくあったが、この日ばかりは手放しに歓迎できなかった。彼には、フィンたちの「組織」の話をしていない。「翼」が元々彼らの持ち物だったことや、ヒエロニムスや、神殿で見た絵のことも。
いつの間にか、隠し事が多くなっていたことに、改めて気づかされる。
「お断わりしますか?」
取次ぎのノラが尋ねる。
それも一瞬考えたが、すぐに心を決めて首を振った。
黙っていただけで、うしろめたい嘘はついていない。それでもこのまま隠し続けたら、何かを取り戻せなくなるような気がする。
今は一人じゃない。協力してくれる人がいる。だから本当のことを話しても、それほど心配させずにすむはずだ。
逆に考えれば、打ち明ける良い機会だと思った。
「いいわ。入ってもらって」
ノラがエントランスへ戻ってゆくと、じきにアロイスが姿を現した。
「お客さんかい? 入ってしまって良かったのかな」
話しかけながら客間に入ってきたアロイスは、ウルに寄り添うトゥランを見て、足を止めた。
「あなたは……第四王子殿下」
ウルの顔には見覚えがあったらしい。胸に手を当て、一礼する。
「……アロイス・ラング」
明らかに好意のかけらもない声音で、ウルがうなった。
そういえば、アロイスにはフィンのことを説明するだけでなく、ウルとの確執の正体を知る必要もあったのだった。
とはいえ見た目には、アロイスはウルに対して特別嫌悪感を見せてはいない。ただ、思いがけない人の存在に驚いているだけのように見える。
「いらっしゃい、アロイス」
挨拶に近寄ろうとしたトゥランの腕を、ウルがつかんで止めた。その前に進み出ると、背中にトゥランを隠してしまう。
「ずいぶんと妹と親しいようだが」
いきなり喧嘩腰だ。
「どういうつもりで近づいたのか、聞かせてもらおうか」
突然はりつめた空気の中、一同の注目を浴びたアロイスは、悩ましげに目を伏せた。憂いのある表情は画家が筆を折りかねないほど美しかったが、残念ながら相手は、美にはとことん疎いウルである。眉の一つも動かさない。
「私もそれが知りたいのです、殿下」
「……は?」
吐息と共に吐き出された言葉に、ウルは怪訝な声をあげた。
「最初は、名も告げずに去った不思議なダンスの相手のことを、知りたいと思っただけでした。しかし、会えば会うほど、会いたくてたまらなくなるのです。その姿が見えなくなった途端、いてもたってもいられなくなる……その衝動に負けて、今日も来てしまいました」
「……何を言っているんだ、こいつは」
真顔でウルが振り返った。
とはいえ、トゥランにもアロイスの心境などは説明できない。ふるふると首を振った。
「要するに愛の告白じゃないんですか?」
野次馬を楽しんでいるらしいフィンが、横から口を出す。
しかしトゥランには、腑に落ちない。
「会いたいと言ったら愛の告白になるの?」
「ならんだろう」
「アロイスもよく分かっていないみたいだし」
「理解に苦しむ男だ。暇なのか?」
首をひねる兄妹に、フィンは腹を抱えて笑い出した。
「これはひどい。いやあ、急にアロイス様を応援したくなってきましたよ」
ウルは様子のおかしいフィンをこれまた怪訝そうに見たが、相手にしないことにしたらしい。黙殺して、アロイスに向き直った。
「遊び半分に女性を誑かしているようだが、妹に色目を使ったら命はないと思え」
言いながらさりげなく腰の剣に手を添えるそぶりから、ただの牽制とも言い切れない。
さすがにトゥランも、見かねて袖を引いた。
「お兄さまったら。アロイスはそんなことしないわ。誰にでも親切なだけよ。お友達にそんなことを言うのは失礼よ」
「お前は世間知らずだからな。こういう男を甘く見ない方が良い」
「どうしてお兄さまはそんなにアロイスを信用できないの?」
と、狼に似た琥珀色の瞳が、見開かれた。怒気で髪を逆立てんばかりにして、アロイスを指さす。
「こやつに母を誑かされたからだ」
「えええっ」
とんでもない発言に、つい頓狂な声が出た。
ウルの母のゲルダ夫人は、婚約者と引き裂かれ、無理やり愛妾にさせられた悲劇の美女だが、あまり表に出てこないことでも知られる。
だから、トゥランもすぐには顔を思い出せない。確か、顔を合わせたことはあったと思うのだが。
不遇の人だということは知っていたが、不倫の噂は聞いたことがない。本当なのだろうか。
思わずアロイスを見ると、至って落ち着いた微笑を浮かべていた。
「ゲルダ夫人とは確かにお会いしたことがありますが、二人きりではないと思います。なぜそうお考えに?」
「なぜも何も、母上はある時から、お前の話しかしなくなった。あんなにお嫌いだった夜会にも、お前が出ると聞けば重い腰をあげる始末だ。お前は軽い気持ちで声をかけたのだろうが、報われぬ想いに苦しむ者のことを考えたことがあるのか?」
急に静まり返った部屋の中、アロイスはただ静かに、燃えるようなウルのまなざしを受け止めている。
「お苦しみになられているのですか?」
ゆっくりと、アロイスは問いに問いで返した。
気勢をそがれたウルが、やや口ごもる。
「……見たところは浮かれているが、その結末は見えている」
「では、私の考える結末とは違うようですね」
殺気にも近いウルの敵意を受け流して、アロイスは遠い目をした。
「ゲルダ様は聡明なお方です。疑似恋愛を楽しまれることはあっても、私などに心を分けることはあり得ません。あくまで一時の娯楽です。女性の心は、目に見えていることほど単純ではないのです」
「ならばなぜ、分かったような口をきく」
「私という存在の空虚さは、私自身が誰よりも理解しているからです。私の言葉は、誰のお心にも深く届くことはありません。寄せては返す浜辺の泡沫のように些末なもの」
いつも明るいアロイスが、卑下するような言葉を口にするのが信じられずに、トゥランはウルの後ろから飛び出した。
「どうして? みんな、アロイスに話しかけられるのをあんなに楽しみにしているのに」
お茶会の令嬢たちは、アロイスに言われた言葉をよく覚えていた。アロイスに贈られたものを、肌身離さず身に着けては、自慢の種にもしていた。
それでどうして、誰の心にも届かないだなんて思うのだろう。
「恋とはそういうものですよ、姫君」
トゥランの姿をみとめて、アロイスの表情がふわりと和らいだ。
「日々の張り合いのためには、ちょっとした刺激が必要です。が、戯れの恋と真実の恋は違います。私にもようやく、それが分かりました」
ウルの前だからだろう、敬語で話すアロイスが、言葉遣いだけではなく急に遠ざかったような気がして、トゥランは胸をおさえた。なぜだかそのあたりが、もやもやと不安で落ち着かない。
「アロイスは恋をしているの……?」
これまでの彼は、「みんなのアロイス」だった。けれど、もし特定の令嬢を好きになったのなら、これまでのように一緒にはいられないかもしれない。
そう思うと、無性に寂しかった。
アロイスは、初めてできた友人なのだ。
「はい、姫君」
アロイスは多くを語らなかった。ただ、おもむろに片膝をつき、すがるようにトゥランの手をとるばかりで。
もしかすると、辛い恋なのかもしれない。どんなに想っても報われないような。思わずこうして、友人に弱味を見せてしまうような。
アロイスがそんな風になってしまう相手が誰なのかは、よく分からない。たぶん、ディアナ嬢ではないのだろう。ディアナ嬢ならば、すんなりとうまくいきそうな気もする。
「……そう。だから今日は元気がないのね。でもきっと想いが通じる日が来るわ。私、応援する」
トゥランはそっと、空いた方の手をアロイスの肩に置いた。
アロイスは自嘲気味に微笑み、トゥランの後ろに声をかける。
「ご覧のとおりです、殿下」
その言葉の意味はトゥランには分からなかったが、ウルとフィンには伝わったらしい。
「確かに届いてないな」
「まるで届いてないですね」
「自業自得だ」
「普段からあれくらいは言ってそうですからね」
しきりに納得している。
何のことかと尋ねようとして振り向くや、ウルが早足でやってきてトゥランの手を引き離した。
「伝わっていないなら結構だ。男なら引き際くらい心得ているだろうな」
「お約束はいたしかねます」
「なんだと?」
よく分からないが、いっそう険悪になりつつある。アロイスは、ウルに「好きになってもらう」ことをあきらめたのだろうか。
トゥランは仕方なく二人の間に分け入ると、兄の胸板を軽く押さえた。
「お兄さま。アロイスは大切なお友達なんだから、そんな風に話さないで。一緒にお話したいことがあったのに、全然できないじゃない」
「お前……そいつの肩を持つのか」
「どちらかにつくなんて、できないわ。それに誰を信じるかは、自分で決めることよ」
じとりと睨みつけると、ウルは面白くなさそうにそっぽを向いた。
「……好きにしろ」
一方のアロイスは、花咲くように頬をほころばせた。
「俺に何か話したいことがあるの?」
「ええ、大事な話なの。座ってゆっくり話しましょ。フィンも改めて紹介するわ」
ノラにお茶の準備を頼むと、トゥランは客人たちをテーブルの周りに案内した。アロイスはいつも通り、トゥランの隣に座ろうとしたが、ウルが剣の柄に手をかけるので、離れて座った。
みんな仲良く、というのはあきらめた方が良さそうだ。
「まず、私とフィンが出会った時のことから説明するわね」
一つ息を吸うと、アロイスには黙っていた「組織」のことや、「翼」との関係性から話し始めた。それから、ヒエロニムスや、神殿の絵のことも。
思えば、この短い期間の中で、色んなことが起きすぎた。
何もかも、一つの線でつながっているようでいて、何がどうつながるのかが分からない。
ただ一つ、全員の胸にあったのは、ある予感だった。
「きっと君が全ての鍵なんだ。アウレリア妃殿下の残した鍵。俺にはそう思えるよ」
アロイスがトゥランを見据えて言えば、フィンもうなずく。
「もしも本当にヒエロニムスの詩が関係しているとしたら、これは想像もつかないほど大きな事件になるかもしれない。ただの泥棒事件や失踪事件じゃなくてね」
予感は、トゥランの中にもあった。月光神殿で、母の気配を感じた時から。背後に何か大きな力がうごめいているのを感じている。
母アウレリア妃の失踪事件は、まだ終わっていない。いや、まだ始まりでしかないのかもしれない。
「ただ、ヒエロニムスの詩って、基本的に意味が分からないのよね」
本棚から詩集と写本版を両方取り出してきて、机に並べた。
未来を謳っているというが、何をもって未来のことだと考えられるのかも分からない。
女帝去る
いまだ輝かぬ星
暁も宵闇も知らずまどろみ
恋人の囁きに目覚めん
こんな冒頭から始まる詩を、どうやって現実と結び付ければ良いのだろう。
「この女帝がアウレリア妃殿下だとしたら?」
とフィン。その考えは、前から彼の中にあったのだろう。今思いついたというふうではない。
「お母様が女帝? うーん……そんなに権力があったのかしら」
アウレリア妃は第五王妃であったと聞く。王宮を掌握していたという噂は聞かない。女帝という言葉とは連想しにくい。
「そこなんですよね。去る、という文言で安直に当てはめてしまうんですが」
いまだ輝かぬ星、はその後恋人が出てくることから、人間なのだろうが、手掛かりが少ない。いずれ輝くとすれば、何か特別な生まれなのだろう、というだけだ。
万事がその調子で、とてもではないが未来を推測することはできない。
結局、これといって議論の進まないままフィンの迎えがきて、その日の会合はおしまいになった。
ウルに追い立てられるようにしてアロイスも辞し、あっという間にがらんとなった客間で、トゥランはカウチに手足を伸ばした。
予想外のことに疲れているが、心は軽い。
隠し事をしていたことで、アロイスは気を悪くするかと思っていたが、そんなそぶりはなかった。帰り際の和やかさからしても、友達を失わずに済んだらしい。
これからは、何でも相談できる、と考えたところで、はたと思い出した。
そういえば、アロイスには好きな人ができたのだった。
もしかすると、今日はその相談がしたくて来たのかもしれない。そうだとしたら、悪いことをした。
(今度、アロイスのところにいって、うんと話を聞こう)
いつも来てもらうばかりなのも、フェアじゃない。今度は自分もアロイスの力になろうと思った。
――のだが。
(もしかして、これからは好きな人にかかりきりで、私とは会ってくれなくなるかもしれないわ)
そう考え始めたら、会いに行くのが良いことかどうか、よく分からなくなった。
恋をしたら、人は変わるだろうか。
それまで大切にしていたものも色あせて、取るに足りないものになってしまうのだろうか。
そう思うと寂しくて、素直に応援できない自分のことが嫌になった。
(ずっと、一緒にいられるって思ってたんだわ)
一年後の別れまで、ずっと楽しい思い出を作っていけると思っていた。アロイスとやってみたいことがたくさんある。「翼」や星読みの杖のことだって、一緒に解決したかった。
もちろん、ウルがいるし、フィンもいる。でも、アロイスがいるのといないのとでは違う。いてほしいと思ったから、今日打ち明けたのだ。
乱れた心で、目をつむった。
友達でも、離れるかもしれないと思うとこんなに辛い。もしもこれが恋ならば、もっと辛いのだろう。
だとしたら、恋なんて知りたくない。知らないまま、星巫女になってしまいたい。
今まさに恋の入り口に立っていることにも気づかずに、トゥランはそうひたすらに願っていた。




