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引きこもり姫、お抱えの商人ができる

 客間のカウチを端に寄せる。花瓶も窓際へ移動し、エントランスに続く扉を開け放つ。すると、それなりに広々とした空間が現れる。

 この名ばかりの客間に客が訪れるようになったのは、つい最近のことだ。それも毎度同じアロイスばかりだったが、今日は初めてこの場をフルに活用することになっている。


 じきに、ウルを皮切りにして、ぞくぞくと来客が訪れた。

 中でも主人格と思しき男は、落ち着いた色合いの装いに身を包み、使用人に大荷物を持たせている。それを次々と広げると、客間は一転、金銀宝石のきらきら光るものでいっぱいになった。

 宝石商の訪問販売だ。


「お気に召すものがありましたら、どうぞお手に取ってご覧ください」

 店主らの声かけに、ウルは居心地悪そうに身じろぎした。

 目移りというより、目を泳がせている。

「全部同じに見えるぞ」

 トゥランに耳を寄せて囁いた声が完全に困り果てていたので、思わずふき出した。

 眼光鋭く、鋼鉄のように引き締まった肉体の兄が、妙に可愛らしく見えてくる。


 そんな様子を見て、笑ったのはトゥランだけではなかった。

 ぐふっと何かをかみ殺すのに失敗した声が聞こえたのは、雇い人の一人からだ。

 雇い人らしく質素な服装をしているが、艶のある長い髪はよくとかしつけられているし、踊るような身のこなしは人目を引く。

 雇い人らしくないのも当然で、その正体はファニーの手引きで商人のふりをしているフィンだった。さっきから、トゥランやウルにちらちらと目くばせしては笑わせようとしてくる。

 挙句、当の自分が真っ先に笑い出してしまっているが。


 事の始まりは、先日の会合だった。

 フィンと話しているうちにあっという間に時間が経ち、帰らなくいけなくなった頃合いのことだ。

 こうしていちいち王宮の外に出てくるのは大変だと、トゥランがこぼしたのだった。遅くなればモリに怒られることもあるし、護衛してくれる人も必要になる。


「そろそろ専属の護衛くらい、つければいいだろう。侍女の小言などは放っておけばいい。お前も子供じゃないんだからな」

 泥棒や星読みの杖や「翼」の話の時は、ずっと黙って話を聞いていたウルが、そこでようやく口を開いた。

「急にそんなことして、不審がられないかしら」

「護衛もつけずにフラフラしている姫の方がずっと不審だ」

 それもそうかと、考え込んだトゥランだったが、ファニーの意見は少し違った。


「むしろ、フィン殿が中へ入れるようにした方が、何かと都合が良い気がいたしますが」

「そんなこと、できるの?」

 ファニーはうなずいた。

「許可を得て王宮へやってくる平民はいくらでもおります。楽師を呼んで演奏会を開く方もいらっしゃいますし、画家に肖像画を描かせたり、商人を呼んでドレスをあつらえたり……いくらでも方法はあります」

「なるほど!」

 ぽんと手を打つトゥランの隣で、フィンはうやうやしくファニーの手を持ち上げている。


「お美しい侍女殿、花にも勝る顔だけでなく、冴えた知性もお持ちとは」

 手の甲にくちづけを落とすフィンを、ファニーは冷ややかに見下ろした。

「光栄ですが、この程度のことも思いつかないで、世界のどんな謎が解けるのか疑問ですわ」

 するりと手を引っ込めてしまう。

 馬車の中で、フィンの率いる「組織」の話をしてから、どうも心象が良くないらしい。そもそもの出会いからして、好感を持ちようがないのは仕方のないことだが。


 手厳しい言葉にも、フィンはひるまないどころか勢いづいた。

「あなたのような聡明な方が仲間にいれば、いかなる謎も敵ではなくなるでしょうね」

「一介の侍女を必死で勧誘する程度の組織じゃ、たかが知れていますわね」

 それきりぷいと目も合わさないファニーを、フィンは陶然と見つめている。


「女癖の悪い奴は、迂闊に王宮に入れない方が良いぞ」

 ウルが呆れた調子で言うと、ようやくフィンはファニーから目を離した。

「とんでもない! 俺は一途な性質ですよ。素晴らしい女性に賞賛を惜しまないことが、そんなにおかしなことですか?」

 大げさな身振りでしゃあしゃあと言ってのける態度こそ似ていないが、内容としては誰かを彷彿とさせる。


「アロイスと気が合うかもしれないわ」

 紹介したら友達になるかしら、とトゥランが考える一方、ウルはますますげんなりした顔になる。

「要するに俺とは気が合わない」

「お兄さまは女の人が苦手なの?」

「軟派な奴が嫌いなんだ。そんなことより、さっさと話を進めろ」

 口にも出したくないとばかり、急き立てる。

(アロイスは、お兄さまみたいな人とでも仲良くなれるのかしら)

 ウルは女たらし扱いするけれど、実際のところ、アロイスが好かれたいのは女性に限らない。

 彼ならどうやってウルの心を開くのか、見てみたい気もした。


「ウル殿下が、母君の宝飾品を欲しがっておられましたね。丁度良い機会ですから、知り合いの商人を数人、ご紹介いたしましょう。この男は、雇い人として紛れ込ませれば良いかと」

 フィンのことを「この男」呼ばわりしながら、ファニーが話を勧める。彼女の頭の中には、もう具体的な計画が立ち始めているらしい。

「でも、怪しまれないかしら?」

「怪しいのは当然です。ですが、誠実で口の堅い店主を選んでおきます。王宮内に伝手ができるとあれば、断られることはありませんよ」

 自信たっぷりにファニーは請け合った。


「大した手腕だが、あなたは一体何者なんです?」

 フィンは興味しんしん、目をきらめかせる。すっかり好奇心をくすぐられているようだ。

「しがない商家の娘ですわ」

 そっけないファニーの代わりに、トゥランが補足する。

「確か、エルスターと言っていたわね」

「エルスター家のご令嬢か!」

 フィンは突然興奮して手をたたいた。

「そんなに有名なお家なの?」

「もちろん、何代も続く大商人だからな。市場のいくつかを取り仕切っているし、海賊を追い払ったり、密輸組織を取り締まったりもしてる。エルスター家に逆らえる商人はそういないはずさ」


「……そんなにすごいお家だったのね」

 これまでのファニーはかなり謙遜して話していたのだと、初めて知った。

 わりと裕福な商人で、あちこちに顔がきくという程度しか知らなかったのが恥ずかしくなってくる。十年以上もそばにいるのに。

「わざわざ言いふらすことでもありませんから。それにしても、殿下に対してずいぶん親しげにお話されるのですね?」

 じろりと睨まれて、フィンはなぜだか一層嬉しそうに顔を紅潮させた。

「申し訳ありません。ですが、怒った顔も美しい……そのまばゆさ、まるで太陽の女神ルシアのようだ」

 何を言っても喜ばれてしまうことに気づいたのか、ファニーは不機嫌そうに口をつぐんだ。

 

「気にしないで、普通に話してほしいと言ったのは私なの。フィンとはお友達なんだから」

 フォローしてみたものの、あまり効果はなかったらしい。

「できれば、もう少しご友人を選んでいただきたいですわ」

「同感だな。女たらしにろくな奴はいない」

「殿下は信じやすすぎます」

「そもそも、人を疑ったことがないんじゃないか」

「引きこもりの弊害ですわね。そのうち手ひどく騙されないかと不安で」

「痛い目を見ないと気付かないんだろう」

「痛い目を見ても気付かない気がしますわ」

「確かに」

 ファニーとウルが、流れるように意気投合しただけで終わってしまった。


 ともあれ、それからファニーは実家と連絡をとり、フィンを商人の雇い人として潜入させる手筈を整えてくれた。ウルから、母ゲルダの外見や好みについても聞き込みをすることも忘れない。

 その手際の良さはウルも感心するほどで、商人としての血筋と才気を感じさせた。


「お前は家に戻って商人になりはしないのか?」

 王宮への帰り道、ウルが尋ねると、ファニーは不敵に微笑んだ。

 暗くなりつつある馬車の外から、夕焼けの名残が柔らかく差し込み、太陽にも例えられるファニーの横顔を照らし出す。

 若く美しく、才長けた彼女の道は、侍女だけに限らない。

 そんなことにも思い至らなかったなんて。

 トゥランはあまりに狭い自分の世界を思い知らされた。

(私は本当に何も知らなかったんだわ)

 宮の外のことはもちろんのこと、自分のそばにいる人のことさえも。


 動揺する主の心境を知ってか知らずか、ファニーは心揺らすそぶりもない。

「こうして殿下の需要を満たすのも、なかなかやりがいのある仕事ですから」

 平然と言ってのける。

「ほう? だが、引きこもりの頃は、退屈だっただろう」

「まあ、変わり映えはありませんでしたけど。でも、一生このままではないだろうと思っていました」

「なぜだ?」

「勘です」

 何の根拠もない理由をきっぱりと言い放って、ファニーはすましている。


「きっと何かが起こる気がしていました。そしていずれ、必要とされる時が来ると。予想は当たりましたわ」

 そう言ってのける姿は、頼もしいどころか貫禄さえ感じさせる。トゥラン自身だって考えもしなかったトゥランの未来を、ファニーはどこかで感じ取っていたのだ。


「星巫女になることも、予想してたの?」

「いいえ、具体的なことは何も。でも、アウレリア妃殿下の事件もありましたから、何も起こらないことはないと思っていました。きっと父も何か思うところあって、私を王宮に入れたのだと思いますし」

 周りの人間があれこれと推測したり、画策したりする中、トゥランはただ毎日、本を読むことしか考えていなかった。

「……私、本当に考え無しだったわ」

「モリがそう仕向けたのです。ですが殿下のその無頓着さは、ある意味才能だと思いますよ」

「それって褒めてるの?」

「半分は」

「半分はけなしてるのね」

 遠慮のない侍女と姫の会話を、ウルは面白そうに眺めている。


 小さな頃から一緒にいる美しい侍女の顔を、初めて見るような気がしながら、トゥランはファニーが来た時のことを思い出していた。

 母が失踪し、大規模な取り調べがひと段落した頃のことだった。自分よりはいくらか年上の、だがまだ少女と呼ぶ年頃の娘が、新しく侍女に加わったのは。

 人手というよりは、ひとりぼっちになった姫の話し相手として送り込まれたようだった。そのためか、しばらくは侍女というよりも遊び仲間のような感覚でそばにいた。


 大きくなってからも、トゥランはずっとその気分のままでいたけれど、ファニーはいつのまにか、先に大人になっていった。こうしてトゥランの知らないファニーに。

(私も、もう子供じゃなくなった)

 それが寂しいような、そして怖いような気がする。

 止まっていた針が勢いよく回りだすようにして、トゥランの周りはめまぐるしく変わりつつある。

 それを楽しんでいるトゥランだが、ふと我に返ると、もう来た道ははるか遠くて見えず、かといって行く先も見えず、途方もない気持ちになるのだった。



「とりあえず、いくつか選んでみましょ、お兄さま。ゲルダ様の好きな色とか、ないの?」

 トゥランは立ちすくむ兄の袖を引いて、広げられた装飾品をいくつか手に取った。


「この揺れものの石、素敵な色ね。ほら、游色効果だわ。角度を変えると色が違って見えるの」

「……そうか」

「ああでも、櫛も良いかも。多少は好みと違っても、使ってもらえそうだし」

「そうか」

「わ、こっちの栞も素敵。見て、花の形に宝石が埋まっているの。本に挿むのがもったいないくらいね」

「そうか」

 何を見せても、不確かな口調の「そうか」しか返ってこない。


「もうお兄さま、そうかそうかって、他人事みたいに!」

 ずいと顔をのぞき込むと、珍しくウルはうろたえた様子でくちごもる。

「お前が良いと思うもので良い。俺にはさっぱり良し悪しが分からん」

「だめよ、お兄さまからの贈り物なんだから。ほら、ちゃんと見て。きっとゲルダ様に似合うものがあるはずよ」

「いや……いくら見たところで同じにしか見えんが」


 弱り果てたウルをみかねてか、店主が助け舟を出した。

「流行を追われる方でしたら、こちらの大粒の耳飾りがお勧めです。大きければ大きいほど、存在感がございますよ。長く使われるものをお求めであれば、鏡や櫛も喜ばれます。こちらの鏡は有名な彫り師の手によるものでして……」

 真剣な、というよりも必死の形相で説明を聞くウルの隣で、トゥランも楽しんで聞いていたが、その間も目の端でフィンがしきりに目配せしてくるので、ついつい吹き出しそうになる。


 ウルの買い物が終わったら、店主らは非番の侍女たちや後宮へ売り込みに行き、フィンとはヒエロニムスの詩集や「翼」について話す予定になっていた。そして夕方頃、戻ってきた店主にフィンが合流して、王宮を出るのだ。

 完璧な計画だと思っていた。

 買い物が終わり、店主がいなくなった途端、思いがけずアロイスが訪ねてくるまでは。


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