運命を導くもの
トゥランは連れ合いがいることも忘れて、ふわあ、と口をひらいた。王女らしからぬ大あくびに、鼻の奥がツンとする。
昨日は神官や番兵にあれこれ話をしたせいで帰りが遅く、そのうえ帰宮をモリに気づかれてお説教を受け、ベッドに入ったのは明け方だった。ゆっくり休む間もなく朝にはふたたび神殿から呼び出しで起こされ、結局あまり眠れていない。
やっと神殿での調査がひと段落し、解放されたところだが、陽の高さからして昼は過ぎているだろう。
調査の結果、神殿からは、あるものが盗まれていた。
星巫女に授与されるという三つの神具のひとつ、星読みの杖だ。一時的に星巫女が空位になっているため、地下神殿に保管されていたという。
それにしては警備が手薄だったと、アロイスは疑問を呈した。
確かに、昨日の地下神殿はごく静かだった。広々とした通路に灯りは灯っていたが、見回りや見張りの神官は見当たらなかった。真夜中であることを差し引いても、無防備としか言いようがない。
神官長がくどくどと説明したところによれば、見張りの神官たちは奇妙にも全員奥の小部屋に集まっており、深く眠り込んでいたという。朝になって揺さぶり起こされても、しばらく明瞭な意識を取り戻せなかったと聞かされれば、単なる怠慢というわけでもなさそうだ。
「何か術にかけられたのでは?」
「そう考えております。お二人がお見かけしたという怪しげな者、ただの侍女であるはずがありません。おそらくは魔術師でしょう」
官吏が手元の紙にメモを取る横で、太った中年の男が腕組みをして仁王立ちしている。三人いる国王の補佐官の一人だ。
朝から呼び出されたのが不満なのか、着いた時からずっと不機嫌そうにしている。
トゥランたちの聞き取りはいったん終わったのに、またもや呼び出されたのもこの人のせいだ。ちらちらと好ましからぬ視線を投げてくるところを見ると、トゥランとアロイスを真犯人と疑っているのかもしれなかった。
「見張りの神官たちは、戦闘訓練も受けているのだろう」
「とはいえ、眠りの術は不意を突かれると防ぎにくいことをご存じでしょう。昨日の見張り番は経験の浅い、若い神官が多かったこともありますし。そもそも神具の保管場所はほとんど知られておりません。厳重な見張りをおけば、自ら場所を教えているようなものです」
「では、泥棒は何かしらの理由で保管場所を突き止めたうえに、警備配置まで熟知していたと?」
「そう考えざるをえません。彼の者はよほど強力な魔術師であるか、あるいは神具を他にも持っている可能性があるでしょう」
「なんと」
ただならぬ発言に、一同はどよめいた。
人知を超えた力を持つ神具は、一つだけでも国家を揺るがすほどの影響力を持つ場合がある。未知の神具が現れたとなれば、尋常ならざる事態だ。
「姫殿下やアロイス殿の仰ることをお聞きするに、泥棒は一瞬で別の場所へ移動する術を持っています。魔術にしては相当高度であり、神具であれば一大事。いずれにしても、必ず捕らえて明らかにせねばなりません」
「ですが、一瞬で移動されてしまうのでは、どうやって捕まえるのです?」
声を高める補佐官に、神官長は険しい表情でうなずく。
「然様、難しい。ですが、糸口はあります。殿下は、神殿の外でも泥棒の姿を見たと仰っていました。とすると、移動の術はさほど長い距離を飛ぶことができないのでしょう」
「……なるほど」
無制限にどこへでも移動できるのなら、目撃されようもない場所から直接地下神殿に飛び、そして戻れば良かった。けれど侍女姿の泥棒は、何度も不用意にその姿を王宮付近で目撃されている。
「すでに占術師が、杖の行方を占っております。犯人はまだそう遠くには行っておりません。魔術師連の協力も得て、目下総力を挙げて捜索中です」
一通りの説明を終えると、神官長は補佐官とトゥランの間あたりへ、粛々と頭を下げた。
「このような不始末、いかようにも責めは負いますが、今はまずこの事態を解決するのが先決。なにとぞ寛容なご対応を願います」
一見しおらしそうにも見えるが、口元は不本意そうに引き結ばれている。
アロイスやトゥランが居合わせなければ、事は内密に進んだかもしれない。一年後までにひそかに杖を取り戻し、何事もなかったかのような顔をできたかもしれない。
だが、事が公になり、補佐官や官吏たちまで出てきてしまった今ではそうもいかない。いかに権力のない引きこもり姫相手でも、将来の持ち主として、礼をつくすしかない。
それをどこかいまいましく思っているのかもしれなかった。
あるいは、白々とした視線を隠そうともしない補佐官のように、内心ではトゥランたちを疑っているのかもしれない。
どちらにしても、そこにいる面々が誰一人としてトゥランに好意的でないことだけは確かだった。視線や言葉の端々が、どこかとげとげしい。
議長の息子であるアロイスがいなかったら、態度はもっと露骨だっただろう、という気がした。後ろ盾なき王女よりも、国一とも言われる格式、名声、実力を誇るラング家の方が、影響力は遙かに大きい。
ともあれ、探られて痛い腹があるわけでもない。
ようやく解放され、堂々と神殿をあとにすると、嫌なことはさっさと忘れることにした。疑われたことに文句を言っても仕方がない。
要するに、真犯人を突き止めれば良いのだ。
宮まで送ってくれたアロイスが帰るなり、モリにウルの住みかの場所を尋ねた。
第四王子ならば個別の宮だろうと勝手に思っていたが、低位の妃や愛妾の住まう後宮に部屋を与えられているらしい。
「陛下は、ウル殿下に庶子の疑いが囁かれてから、母君のゲルダ様を遠ざけられるようになったのです。もともと、お家柄の弱い方でもありますから、そのようなご境遇にも甘んじておられるのでしょう」
モリの説明は、とても理解ができないものだった。
「そんな……無理やり奪ったのは父上の方なのに」
「手に入れたものには、あまり関心を示さぬ方です」
「残酷ね」
でもそんな話が、父には山ほどあることも知っている。少し手をつけられただけで、放っておかれている妃や愛妾はたくさんいる。
おかげで、この王宮ときたらひどく混沌としている。王族が多すぎるせいで管理が行き届かず、ある種の無法地帯と化しつつあるせいだ。
密かに愛人を通わせ、自堕落な生活を送る妃もいれば、互いの素性を知らずに恋に落ちてしまった姫と王子もいた。いつの間にか行方をくらました愛妾もいるという。
ファニーがどこからか仕入れてくれるそんな噂話をきいて、物語よりも劇的な現実があるものだと、驚き入っていたものだ。
その一端として、トゥランの引きこもりも見逃されてきたわけだが。
「ウルお兄さまに会いたいの。ファニー、ついてきてくれる?」
唐突な頼みに、ファニーはモリと目を見合わせた。
「お約束もされていないのに、突然うかがってはご迷惑では?」
「アロイスだって、約束なしでよく会いにくるじゃない。お兄さまも堅苦しい方じゃないわ。それに早く話したいことがあるの」
「……例の泥棒の話ですか?」
「そうよ、相談したくって。私が一人で暴走するよりいいでしょう?」
半ば脅しのような要求に、二人はそろってため息をついた。反対するだけ無駄だと思ったのだろう。
「馬車を手配します」
ファニーは足早に馬車の準備をしに行き、モリはじっと力をこめてトゥランを見据えた。
「どんなお話かは存じませんが、昨夜のような行動はお控えくださいますね? 殿下」
最近、モリに叱られ続けているトゥランは、反射的に背筋を伸ばす。
「行き先はちゃんと言ったわ。それに今日はファニーもお兄さまも一緒だし」
「くれぐれも勝手に調査など始められませんよう。専門の官吏にお任せください」
「それ、さっきアロイスにも帰り際に言われたところよ」
どうも自分には信用がないらしい。信用されるような行動をしていないので仕方がない。
トゥランは苦笑した。今回だって、言いつけを守るとは言えない。フィンとウルとで、ひそかな調査をしようとしているのだから。
考えてみると、引きこもりをやめてからというもの、トゥランは母とモリの言いつけを破り続けている。けれど、それを後悔はしていない。
自分で決めて動かないと、見えてこないものがある。誰かの言いなりになるだけでは、自分の人生を生きているとは言えない。
ようやくそのことに、気づき始めたのだった。
◆
(私の宮はこじんまりしてると思ってたけど、個別の宮をもらっているだけ、恵まれているのね)
トゥランはそんなことを考えながら、物珍しくあたりを見回していた。
後宮に入るのは、初めてかもしれない。三階建ての巨大な建物が、広々とした中庭を取り囲むような形でそびえている。中には数百人、あるいは千人規模もの妃や愛妾やその家族、使用人たちが行き交い、どこからか楽の音や談笑の声が聞こえていた。
国王の女たちは、家柄や寵愛の度合いによって、部屋を与えられていた。たった一人の侍女を連れ、狭い部屋一つきりしかない愛妾もいれば、広い部屋をいくつも占める妃もいる。当然、全員仲良く暮らしているわけではないだろう。
目に見える勢力争いの中で生きるのは、どんな気持ちだろう。
トゥランにはうまく想像ができない。
案内の宮女に通された部屋は、決して広いとは言えない一室だった。奥には小さなベッドルームが二つ続いていて、それがゲルダとウルの寝室だろう。他には布で覆われた侍女の控え室と思しき空間があるばかりで、必要最低限といった感じだ。持ち主の性質が現れるのか、飾り気にも乏しく、王族の住まいとは思えぬほど簡素な印象を受ける。
基本的に男性は足を踏み入れることが許されない後宮だが、王子たちはそこで暮らすのを許されている。というのも、あまりにたくさん生まれるので、それぞれに宮を建てるのも難しかったのが実際のところらしい。
部屋の主は二人とも外出中らしく、不在だった。
ウル殿下はじきにお戻りになります、というので、客間で待たせてもらうことになった。
「お前はまた、突然だな」
侍女の言った通り、間もなく現れたウルは、鍛錬でもしていたのか動きやすそうな黒の上下に、長剣の鞘を抱えていた。汗ばんだ短い髪が額に張り付き、からだ中から湯気が吹き出そうだ。
「お兄さま、お元気そうね」
「普通だ。何か用か?」
相変わらず、物言いに無駄がない。
ぶっきらぼうだが、トゥランの向かいの椅子にどっかりと腰かけて剣を置く様子から、ちゃんと聞いてくれるつもりはあるらしい。侍女が持ってきた一杯の水を、一息に飲み干している。
肌に吸い付くような薄手の生地なので、筋肉の盛り上がりがひと目に見て取れる。呼吸のたびに鍛え上げられた二の腕や胸が盛り上がるのを、別の生き物のように思いながら見つめた。
「お兄さまって、鍛錬が趣味なの?」
「は?」
「鍛錬、いつもしているんでしょう。楽しいのかしらと思って」
「……仕事だ」
そっけなく返ってきた言葉は、トゥランにとっては意外なものだった。
「お兄さま、仕事してたの?」
つい大きな声を出すと、後ろでファニーが咳払いをした。どうやらまずいことを口走ったようだ。
「遊んで暮らせるようなやつは、ここにはいない。宮付きになれない王族なんて、穀潰し扱いだからな」
これといって感情も見せずに言うウルは、何もかもに飽いているように見えた。
薄情な父や境遇を恨むことにも、恵まれた誰かをうらやむことにも。
「宮付きであっても、穀潰しなことには違いないと思うけど……」
むしろ立派な宮に住んでいる王族の方が、金遣いも人使いも荒いだろうにと首をひねる。自分の宮の予算がいくらなのか、気にかけたことはないが、三人いる侍女を減らそうという話が出たことはなかったから、そこまで切迫していないはずだ。引きこもりのトゥランが、ドレスや装飾品を滅多に新調しないせいかもしれないが。
一方で、ゲルダとウルの部屋には侍女が一人しか見当たらない。清潔でありこそすれ、装飾の少ない調度からしても、何となく察せられるものがある。
「だからお前みたいな半端なのを、星巫女にさせて厄介払いしようとしたんだろ」
辛辣な言い草に、トゥランはぽんと手を打った。
「確かに名案ね! 皆が嫌がる仕事を押し付けた上に宮も空くんだもの」
「感心してる場合か」
「だって、今さら腑に落ちたんだもの。どうして私なのかしらって思っていたけど……そうよね、邪魔だったわよね」
父を恨んではいない。王族らしいことを何もせずに本ばかり読んでいた自分は、まさしく穀潰しという言葉がふさわしかった。ひどい、と思うような資格はない。
むしろ、これまで宮を追い出されずにいたのが不思議なくらいだ。
母の出自はいまだによく知らないが、しっかりした後ろ盾はなかったという。本来ならば、母がいなくなった時点でこの後宮に移されて当然なのに、なぜかこれまで見逃されてきた。
その謎は、定期的にトゥランの中でもやもやとくすぶって煙を立てる。
「俺のことも追い出してくれればいいんだがな」
遠い目をしてウルは呟いた。
物語の中では、王子や姫は優雅で幸せいっぱいに見えるのに、現実の自分たちはまるでかけ離れていた。豪奢にして堅牢な王宮の門を檻か何かのように感じて、その外の世界を夢見ている。
「お父さまにお願いして、王宮の外に出るお仕事にしてもらったら? お仕事は何をしてるの?」
「近衛騎士」
「あら、じゃあ最近噂になってた侍女の幽霊、知ってる? お父さまの枕元に現れたっていう」
ひょんなことでここに来た理由を思い出したトゥランは、ようやく本題を持ちだした。
「姿が消えるっていう、あの胡散臭い話か。見張りの兵が居眠りの言い訳にホラを吹いたかと思ったが」
「知っていたのね。じゃあ、星読みの杖がその幽霊に盗まれたのは?」
「それは知らん。物を盗んだなら、幽霊じゃなくて人間じゃないのか」
国宝が盗まれたというのに、まるで他人事のような落ち着きぶりだ。この人を動揺させる出来事なんて、この世に存在するのだろうか。
「確かに、幽霊じゃなくて人間だったと思うわ。でも、姿が急に消えたのも本当なの。私もアロイスも、昨夜この目で見たんだから」
「待て、どうしてアロイスの野郎が一緒なんだ。しかも夜中だと?」
ウルの声が、途端に一段階低くなった。星読みの杖が盗まれたことよりもずっと反応が著しい。
そういえば、どういうわけかウルは、アロイスのことをよく思っていないようだった。
「幽霊探しにつきあってくれたの。一人じゃ危ないからって」
「どう考えても、あいつと二人の方が危ないに決まってる。野獣を連れて歩くようなものだぞ」
と言われても、野獣という言葉とアロイスは、どうしてもうまく結びつかなかった。誰か他の人と勘違いしているのではないかと思ったくらいだ。
少なくとも見た目で言えば、ウルの方がはるかに野性味がある。
「アロイス、良い人よ。いつも色々と気遣ってくれて。昨日はわざわざ事前に幽霊探しの許可を取っておいてくれたの」
「その周到さを女相手にしか発揮しないから、いけすかない」
「女にだけってことないわ、紳士なのよ」
「油断してると、そのうち取って食われるぞ」
「そんなことする人なら、とっくに悪評が広まっているはずよ」
負けじと言い返せば、これ以上押し問答しても無駄だと思ったのか、ウルは忌々しげに話を戻した。
「で、見たっていうのは幽霊か? 本当に消えたのか」
「そうなの。背中に翼みたいなものをつけていて、それがはためくと、一瞬で消えてしまったの」
「それが本当なら、本物の幽霊か神具かってところだが」
「神官長は、魔術か場所を移動する神具だろうって言ってたわ。私は神具じゃないかって思うの。翼は取り外しができるみたいだったから」
「……厄介だな」
ようやく多少の興味を抱いた様子の兄に、トゥランはぐいと身を乗り出した。
「思い出したんだけど、前に私が市場に泥棒と間違われたことがあったでしょう。あの時の泥棒と同一人物かもしれないって思ったの。あの時の泥棒も侍女の恰好をしていて、どこにも行きようのない場所で急に消えてしまったから……だから、フィンに会いに行きたいの。何か知ってるかもしれないでしょう。ね、一緒に来てくれる?」
「今からか? 急だな」
「だめ?」
両手を組み合わせて祈りの仕草をしてみせる。
「お礼なら何でもするわ。私にできることならだけど。お願いお兄さま、お兄さまが一緒ならモリも怒らないはずよ。それにお父さまだって私の護衛を命じたんでしょう?」
必死の頼みにもウルは気の乗らない様子だったが、ふと何か思いついた様子で咳払いをした。
「お前、宝飾店には詳しいか」
脈絡を無視した質問にも、食らいつく勢いで首を振る。
「宝飾店? まるで詳しくないけど、ファニーならよく知っているわよ。ねえ?」
実家が商家であるファニーは、宝飾店に限らず、様々な分野の店に顔がきく。目利きでもあり、トゥランの身に着ける物は、ほとんどファニーが手配したものだ。
「ご要望に合わせてご紹介できます。ご予算と用途を教えていただければ」
自信をもってファニーが請け合うと、ウルはなぜか目を背けたまま、居心地悪そうに切り出した。
「もうじき、母上の誕生日だ。何か身を飾るものを選んでほしい。俺にはその手のは分からんからな」
無愛想の化身のようなウルの口からそんな希望が出てくるとは思わず、トゥランは思わずファニーと目を合わせてにっこりした。
「お願いできるわね、ファニー。私もそういうのはさっぱりよ」
この日ほど、侍女の有能さに感謝したことはなかった。店はおろか、流行も相場もまるで分からないトゥランに、できることはなにもない。
「かしこまりました。後ほどゲルダ様のご容姿についてお聞かせ願います。それから姫殿下も、もう少し嗜みを身に着けられませ」
頼りになる侍女ファニーは請け合ってくれたものの、ちくりと説教してくることも忘れない。
「ファニー、最近モリに似てきたんじゃない?」
口を尖らせると、
「人前に出られるようになった以上、姫殿下が恥をかかれないように気を配るのはわたくしたちの使命ですから」
ウルの前だというのに、はきはきと言ってくれる。
「有能な侍女だ」
「お兄さま、他人事だと思ってるでしょ。嗜みがない同士、馬鹿にするのはなしにしましょ」
「嫌な同士だな……」
軽口をたたきながら、一同は出かける支度を始めた。
すでに、これから街に出かけるには遅い時間だ。もたもたしていると、あっという間に夕刻になってしまう。
手早く着替えたウルを乗せると、馬車は王宮の門を越え、町へと進んでいった。この前と同じ店で符丁を告げ、フィンの到着を待つ。
ファニーは今回が初めての随行だ。待ち合わせの店にも初めて訪れるらしく、物珍しそうに混沌とした店内を見回している。
「わざわざ探しにくくすることで、見つける楽しさを提供しているのですね。好ましくはありませんが、参考になります」
初めての店に来るといつも、客というより商人目線になるファニーだ。
「私はこういうお店、大好きよ。いつまで見ていても飽きないもの」
「あまり夢中にならないよう。……ひもか何かでつないでおかないと、また迷子になりそうですね」
「私のこと犬か何かだと思ってるでしょ、ファニー」
と、無表情で付き添っていたウルがふき出した。
このぶっきらぼうな兄が笑うのは初めて見た気がする。思わずぽかんと見入ると、ウルはきまり悪げに笑顔を引っ込めてしまった。
「何だ、その間抜けな顔は」
「お兄さまって笑うのね」
「だから何だ。その世界七不思議を見るような目をやめろ」
「何が世界七不思議なんです?」
会話に割り込む形で、フィンがやってきた。ウルを認めると、深々とお辞儀をする。ぴかぴかの靴に、華やぐ形にブローチで留めたスカーフと、今日も洒落ている。
まるで役者だ。芝居がかった仕草がよく似合う。
「ご機嫌麗しゅう、王子殿下。お待ちしてましたよ、姫殿下。月光神殿にはいつ行くんです?」
時間が惜しいとばかりの話運びだが、今日はヒエロニムスの話をしに来たわけではない。
「場所を変えましょう。急いで伝えたいことがあるの。フィンたちが探している人が、見つかったかもしれないわ」
フィンは表情を変え、うなずいた。
「今日はリタたちも集まってる。こっちだ」
「もしかして、アジトへ行くの?」
「しっ」
人差し指を口元にあて、ばちんと片目をつむってみせるフィンに、トゥランは慌てて口をつぐんだ。
本当にアジトに行くなら、騒がない方が良さそうだ。
フィンは早足で、裏路地を縫うように歩いた。時には市場を横切り、時には誰もいない民家を通り抜け、複雑極まりない道程だ。とてもではないが、案内なしには来られそうもない。ついていくのも精いっぱいだ。
以前は目隠しをされ、担いで運ばれたのだった。あの時は不安でいっぱいだったけれど、今ではわくわくしながら向かっている。
秘密基地とかアジトとかいう言葉は、小さな頃からトゥランの心をくすぐり続けてきた。捕虜じゃなくて仲間として行けるなんて、夢がひとつ叶ったも同然だ。
営業していない雑貨屋の隠し扉から地下へ潜り、しばらく歩くと、ようやく見覚えのある部屋に出た。壁一面の本棚に、書斎風の机。その周りに、リタや名前を知らない手下たちが集まっている。
トゥランたちを見るや、リタはぱっと嬉しげな顔になり、近づいた。
「お姫様じゃないか! 今日は男前な護衛を連れてるねえ」
「リタ。そちら第四王子殿下だ」
フィンが横から口を出すと、リタの足が止まった。
「やだ……本物の王子様かい? ついにあたしにも玉の輿のチャンスが……」
「心の声が全部声に出てるぞ」
盟友をたしなめながら、フィンは待ちきれない様子でトゥランに話を促した。
「で、どういうことなんだ、俺達の探し人が見つかったってのは? あの侍女を見つけたのか?」
「何だって? 見つかったのかい?」
手下たちも含め、きらきらした双眸がいくつもこちらに向かってくる。トゥランもはやる心のまま、早口に顛末を話した。
と、フィンや手下たちの顔色が、みるみる赤みを帯びてゆく。何か言いたいのを懸命にこらえている様子で耳を傾けていたが、トゥランが話し終えるやいなや、堰をきるようにして口を開いた。
「間違いない! 俺達の翼だ!」
「取り返しに行こうぜ、フィン!」
「待て、相手は星読みの杖を持ってるんだろう?」
「だからって怖気づいてちゃ、取り返しがつかなくなるよ」
あまりの早口に、口を挿むのも難しい。
「あの翼は神具なの?」
やっとの思いで尋ねると、あちらこちらから興奮気味の答えが返ってきた。
「それが、神具か魔導具かは定かじゃなくてな」
「大魔術師にして大怪盗オスヴァルトの持ち物だったんだが、オスヴァルトの死と同時にしばらく行方不明になってたんだ」
「どうやら使用人が持ちだしたみたいでね。しばらく色んな人の手に渡っていたのを、やっと手に入れたんだよ」
「持ち主を望む場所に連れて行ってくれる翼だ」
「ただし、使う度に記憶の一部を失うらしい」
「移動距離が遠いほど、多くの記憶を失うんだ。以前の持ち主では、自分が誰かも分からなくなってしまった人がいるそうだよ」
「記憶がなくなってしまうの?」
怒涛の説明の合間に、ようやく口を挿むことに成功した。
あの侍女は、トゥランが知るだけでも三回は翼を使っている。実際には、もっと使っているだろう。
とすると、もういくらか記憶を失っているのではないだろうか。一度の移動距離は、あまり遠くなさそうではあったが。
「そんな怖いもの、手元に持っていて大丈夫だったの?」
望むところに行けたとしても、大切な記憶がなくなってしまったら、取り返しがつかない。素直に便利な道具だとは思えない。
「まあ、持っているだけで使ってはいなかったからな。大いなる力を秘めた翼を持っている、というだけで良かったのさ。コレクター魂ってやつだな」
フィンが片眼をつむれば、リタは思いのほか優しい顔で笑う。
「それにあたしたちが持ってりゃ、誰かの人生をめちゃめちゃにしなくてすむだろ。取り合いにならなくて済むしさ。世のため人のためでもあるってわけ」
「まあ、ピンチの時の脱出法くらいにはアテにしてましたがね」
人の良い返事に、トゥランもたちまち笑顔になった。
持ち主がこの人たちならば、仮に呪いの道具だったとしても、おかしなことにはならなさそうだ。
気がかりなのは、泥棒のことだった。
星読みの杖を盗むのが目的だったのか、もっと他にも目論見があるのかは分からない。
「星読みの杖をどうするつもりかしら。どうして、星読みの書と星読みの鏡は持っていかなかったのかしら」
そこが一番、引っかかっている。
手を伸ばせば届く場所にあったはずなのに、杖だけを選んだのには何か意味があったのだろうか。
「星読みの鏡は未来を映し、星読みの書はこの世の真実を記す。星読みの杖は運命を導く……杖だけが、自分の意志を介在させることができる。何かを変えられる……からじゃないか」
フィンが呟くようにして言った。ふと頭に浮かんだことを、そのまま口にだしたといったふうだった。
「運命は、人の意志で変えられるものなの?」
変えられないから、運命なのではないかしら。
トゥランには、そう思える。
「運命なんてものは、結局可能性の一つじゃないか」
フィンは不思議な笑みを浮かべて言った。
「必然のように思えても、ほんの少し巡り合わせが違えば、違う運命をつかむことだってある。運命の糸ってやつは何本もあって、そのうちの一つを手繰り寄せているにすぎない。俺はそう思うね」
フィンは長身を屈めてトゥランと目線を合わせると、じっとのぞき込むようにした。
「それで、姫君。君は君の運命をどうしたい? いずれ君のものになる杖を取り戻したいかい? それとも、このまま失ってしまいたいかい?」
思いがけず投げかけられた問いに、トゥランは息を飲んだ。
どこか他人事でいた気持ちを、見透かされたような気がした。
これまで、星巫女になるまでどうするかを考えることはあっても、星巫女になった後のことを考えてはこなかった。その先は、まるで緩やかな死へ向かうだけの一本道のように思っていた。
でも、そうではないのかもしれない。
ただ受け入れるのではなくて、こうして自分で探して、選んで進んでゆけば、違った運命に出会えるのかもしれない。たとえ神具を手にしていなくても、自分の手で変えられることはあるのかもしれない。
「……取り戻したいわ」
なぜ、と問われたら、明確に答えることはまだできなかっただろう。
いまだ強い願いというほどのものでなく、漠然とした心の向きでしかなかったが、その思いは間違いなく、トゥランを新たな運命の元へと引き寄せつつあるのだった。




