夜の探索行
夜中は冷えるだろうからと上着を羽織り、ランプや蝋燭、懐剣、ロープ、仮面やおやつなど、思いつく限りのものを準備していたら、思ったよりも大荷物になってしまった。あんまり楽しみだったので、目は冴えていて全く眠くない。
使用人部屋で寝ている侍女たちに気づかれないよう、抜き足差し足、玄関を出る。
迎えに来たアロイスは、トゥランの姿を見るなり、くつくつと笑った。
「泊りがけの旅行に行けそうだね」
「何がいるのか分からなかったんだもの。アロイスは身軽ね」
「俺は君を守ることに専念するよ」
そう言って、マントの影から長剣をちらりと見せてくる。それ以外は手ぶらで来たらしい。
「さあ、乗って」
手を貸してもらって、アロイスの乗ってきた馬にぎこちなくまたがると、アロイスもその後ろにおさまった。トゥランを後ろから抱えるような格好で、手綱を握る。
「馬に乗るの、久しぶりだわ」
乗馬の訓練を受けたのがいつだったか、もう思い出せない。
ずいぶん小さい頃だったはずだ。引きこもり生活に入ってからは、馬に乗る必要もほとんどなかったから、もうすっかり忘れてしまっている。
「怖くない?」
耳元でアロイスが囁く。
あたたかな吐息がかかって、距離の近さを実感する。今は、それがありがたかった。一人では、歩かせるのもおぼつかなかっただろう。
彼なら女性との二人乗りには慣れていそうだし、無茶な走り方はさせないはずだ。落ちそうになったら、助けてくれるだろう。
「アロイスがいるもの、大丈夫」
「嬉しいことを言ってくれるね。降りたくなくなってくるな」
戯れのようなことを口にしながら、アロイスは馬を走らせはじめた。全速力には程遠い速歩だが、それでもそれなりに揺れる。よろよろしていたら、アロイスが片腕を腰にまわして支えてくれた。
優美な見た目からあまり意識することはなかったが、やはり彼も力強い、鍛えられた男の腕をしている。
なんだか物語に出てくる王子さまみたいだと考え、実際に王子である兄弟たちのことを思い出して、何ともいえない気持ちになった。夢は夢のままにしておいたほうが良さそうだ。
しばらく揺られるとトゥランもコツをつかんできて、まわりを見回す余裕もできた。
誰もが寝ている時間だと思ったのに、通り過ぎる宮にはところどころ灯りが灯っている。おかげで、思ったより辺りは暗くなかった。
誰かの話し声も、ときおり漏れ聞こえてくる。
「こんな時間に起きている人、結構いるのね」
「夜ふかしな殿下方も多いからね。夜通し遊んで、明け方に寝る方もいるよ」
「楽しそうね。どんなことをするの?」
「遊戯盤や、カードが多いかな。ダンスとか、楽器で即興演奏することもあるよ。賭け事に夢中になりすぎて、母君が踏み込んできたこともあったな」
自分の親族のことなのに、アロイスの方が詳しい。
兄弟姉妹たちとは、たまの行事で顔を合わせることはあっても、話したことはほとんどなかった。トゥラン自身に興味がないせいもあるが、親族が多すぎてお互いに無関心なのだ。ウルが唯一、まともに交流のしたことのある兄である。
「特に仲の良い姫はいるの?」
せっかくなので、姉妹たちについてきいてみようと思ったが、アロイスは問いに問いで返してきた。
「いると言ったら、嫉妬してくれる?」
「嫉妬されたいの? どうして?」
「独り占めしたいくらい好きになってくれればいいのに、と思って」
絡みつくような甘い声が、切実な響きを帯びて落ちてくる。
今日も彼は、好かれることに貪欲だ。
「そんなこと考えてたら、アロイスとはお友達でいられないわ。独り占めなんかしたらディアナさんたちに心配されちゃう」
「“心配”か……そうだね」
アロイスの声がわずかに曇る。
そういえば、昼間もどことなく浮かない様子だったことを思いだして、心配になった。まだ心のどこかに、迷いを抱えているのかもしれない。
「まだ何か悩んでいるの? そういえば昨日、本当に好きってことが分かり始めたとか……あっ、もしかして、エーリカさんのこと」
「違うよ」
最後まで言い終わらないうちに、早口に打ち消された。あたりの静けさを思い出したのか、抑えた声がさらに念を押す。
「違うよ。エーリカ嬢のことじゃない。それに、彼女たちのルールにきみが従う必要はないんだ。遠慮なんてしないでほしいし、俺だって少しでも多く、きみといたい。誰がどう言おうとね」
腰に回された腕に力がこもった。強い気持ちが伝わってくる。
共に過ごせる一年間を、アロイスも大切に思ってくれているのかと思うと、胸が熱くなった。
「そうね、一年の間だけだものね」
そのことを考えると、ついしんみりしてしまう。
気持ちを切り替えて、目の前の冒険に集中することにした。夜中の探索だって、滅多にできそうにない体験だ。落ち込んでいる暇はない。
「ね、アロイスは幽霊って見たことある?」
「見たことはないな。きみは?」
「私もないの。小説なんかでは、悪い霊が襲いかかってくることがあるでしょう。でも実体がないのにどうやって襲うのか、ずっと疑問に思っていたの。今日はその謎も解けるかしら」
「襲われてみたいってこと?」
「そういうことじゃないけど……そういうことかしら?」
もし遭遇できても平和的な幽霊なら、謎が解けないかもしれない。話ができれば別だが、そもそも会話はできるのだろうか?
疑問は次から次へと湧いてくる。
「おてんばな姫君だね。侍女たちは苦労しているのかな」
「ファニーは手がかかるって言うわ。小さい頃から一緒だからか、遠慮がないの。でもこれまでずっと引きこもっていたんだから、多少は大目に見てほしいわ」
「一生分の迷惑をまとめてかけておくわけか」
「そう考えると、一年じゃ足りないくらいよね」
「ふふ、悪い子だね」
そう言いつつも、たしなめようとはしない。面白そうに笑うばかりか、こうして付き合ってくれるのだから、品行方正に見えるアロイスも案外破天荒なところがある。
アロイスも昔は冒険好きだったのかと尋ねると、返ってきたのは意外な返事だった。
「俺は弱虫だったからね。誰かに叱られるのが怖くて、冒険なんてしようとも思わなかったよ。稽古ごとに追われるだけの、つまらない子供だった」
「たくさん習い事をしていたの?」
「剣に、弓に、ダンス、勉強、乗馬に楽器に絵画と、思いつく限りのものを習っていたよ。小さいときは内気で、それらが全て苦痛でしかなかったけど、今思えばやっておいて良かった。こうしてきみと出会えたし、きみを守ることだってできるからね」
内気なアロイスは、なかなか想像が難しかった。一体何があって、社交界の華とまで言われるようになったのだろう。
きっと、大変な努力があったに違いない。
「アロイスも変わったのね」
「誰でも変わるさ。変わらずに大人になれる人はいない」
そうだろうか、と自分に当てはめて考えてみる。自分が変わったところなんて、最近引きこもりをやめたことくらいだ。性格はずいぶん前から変わっていない気がする。
ということは、自分はまだ子供なのだろうか。
反論の材料はみつからなかった。ディアナなどと比べれば、自分はさぞ落ち着きがなく、子供っぽく見えるだろう。
かといって、自分がディアナのようになる未来もうまく想像はできなかったのだが。
大人になる方法については、星巫女になってからじっくり考えようと思った。子供らしかろうと、常識がなかろうと、かつて夢見た数々のことを叶えるまでは、今の自分を許したかった。
◆
王宮の中心部、王の寝所や執政区のあたりまで来ると、さすがにどこもかしこもシンと静まり返っていた。こちらには、夜遅くまで遊んで騒ぐような人はいない。
おかげで、馬を走らせていると足音が耳につきすぎる。途中の適当な木に馬をつないで、徒歩で向かうこととした。
「幽霊が出た噂があるのは、書庫と宝物殿とお父様の寝所だったわね」
「そうだね」
「私、推理してみたの。きっとこの幽霊は“何か”を探しているんだわ。書庫で情報を調べて、宝物殿を探して、きっとそこになかったからお父様の寝所に忍び込んだんじゃないかしら」
「筋は通るね。それなら、この次にはどこに現れると思う?」
「神殿よ」
トゥランは次第に足を速めてアロイスの先に立ちながら、推理を述べた。
「宝物殿やお父様の寝所を探すくらいだから、探しているのはきっととてつもなく大切な、国宝級の何かだと思うの。でも今のところ、何も盗まれていないのよね。その二か所にないとすれば、あり得るのは神殿じゃない? あそこには神具や国宝が安置されているでしょう」
「なるほど」
「でも一つだけ疑問があるの。幽霊って、神殿に入れるのかしら」
神妙な顔で言うと、アロイスはまたもやふき出して、肩を震わせた。
「どうだろう。悪霊でなければ、入れるんじゃないかな」
「そうであってほしいわ。神殿に入った途端に消滅なんてことになったら、探す甲斐がないもの」
「ふふふっ、そうだね、確かに。消滅していないことを祈って、行ってみようか」
神殿も、ここからそれほど遠くない。二人は足を早めて、誰もいない夜道を進んでいった。
王宮内にある神殿は、主に王族の祭事に使用されており、市街の月光神殿よりも面積は小さい。だが、壁面を覆う精巧なレリーフや、床面の緻密なタイル模様など、絢爛さでは勝ると言われている。
トゥランも、何度か訪れたことがあった。兄弟姉妹の結婚式や、国王が新たな妃を迎える時などは、だいたいこの神殿で式典がとりおこなわれる。
神殿は昼夜を問わず開かれているため、夜中でも灯りが煌々と灯っていた。この時間に訪れる人はほとんどいないとはいえ、入り口には当然見張りの神官がいる。
遠目に見ながら、どうやって突破するべきか考えていると、
「トゥラン、待って。誰かいる」
ふいにアロイスが足をとめ、トゥランの肩を引き寄せた。
目をこらせば、確かに神殿の門の壁ぎわに張り付くような影がある。星明りにぼんやりとうかびあがったのは、まぎれもなく侍女服だ。うまく柱の陰に入っていて、見張りの神官たちは気づいていない。
「……幽霊に見える?」
「人間のようにも見えるが、どちらだろうね」
ひそめた声をかけあいながら、じりじりと距離を詰めた。
人間か幽霊かは定かでないが、夜中に侍女が徘徊しているというのは本当だった。
こんな時間に、神殿に用がある侍女がいるとは考えにくい。つまりは、噂の元凶に違いない。
胸の鼓動が速くなり、もう居ても立っても居られない気分だ。駆けだしたいのを必死に堪える。
未知の謎に向かっていくのは、何て素敵で、胸が弾むんだろう。それでいて、何だか現実味がない。目が覚めたら、全部夢なんじゃないかしら、とさえ思うほどに。
と、門のあたりをうかがっていた侍女が、壁ぎわで妙な動きを見せ始めた。ごそごそと裳裾を探っている。以前のトゥランのように、武器か何かを隠しているのだろうか。
まばたきも忘れるほどに見入っていたので、当然、次に起こったことも見逃すはずがなかった。
侍女は、スカートの下から何かを取り出して、背中に負った。それはまるで、鳥の翼のように見えた。闇夜に白く浮かび上がり、巣立ちの日の雛のように、ぎこちなく上下する。
次の瞬間。
侍女の姿は、忽然と消え失せていた。
何度まばたきをしても、きょろきょろと辺りを見回しても、もうどこにも怪しげな侍女の姿はない。
二人は慌てて、侍女のいた辺りまで駆け寄った。
どれだけ見回しても、誰もいない。しゃがんで身を隠したとか、そういう単純な仕掛けではない。
見上げるアロイスの顔にも、信じられないと書いてある。
だが、少なくとも二人とも、同じものを見たのだ。決して、眠気に負けて見た一瞬の夢の風景ではない。紛れもない現実だ。
「行こう」
かすれる声でアロイスに促されるまでもなく、トゥランも歩き出していた。
見張りを避けて中に入るには、持ってきたロープの出番か、と急いで荷物を探ったが、その間にもアロイスはまっすぐに門の方へと進んでゆく。
「アロイス!」
小声で声をかけたが、立ち止まらない。
ついていくべきかどうか迷い、立ちすくんでいると、アロイスは平然と神官に話しかけた。
「アロイス・ラングだ。例の幽霊騒ぎの調査に来た」
「はっ、遅くにお疲れ様です」
あっさりと神官が道を開ける。
呆気にとられているトゥランを、アロイスが手招きした。
「おいで」
突然のことにトゥランがまごまごしているうち、神官にも一言、付け加えている。
「知り合いのご令嬢が、幽霊に興味があるらしくてね。ご一緒しても構わないだろう?」
「はっ、お気をつけて」
直立不動の兵を横に、アロイスは悠然と本宮へと足を踏み入れる。狐につままれたような面持ちで、トゥランもあとに従った。
「いいの? 怪しまれない?」
門から少し離れたころ、ひそひそと声をかける。
「昼間に話をつけておいたからね。念のため、正式な許可証ももらってあるよ」
「そうだったの? 私、こっそり忍び込むつもりでいたのに」
「それも楽しそうだけど、君が怪我などしてはいけないからね。あの様子では、きみの素性には気づいていないだろうし、堂々と探して、堂々と出て行こう」
なんとも用意周到な男だ。さすがは議長の息子というべきか。根回しに隙が無い。
思っていたのとはだいぶ違うが、平穏な幽霊探しになりそうだった。
神殿の中へ駆け込むと、侍女の姿はすでになかった。広間はがらんとして、無数の燭台の灯りの中、足音が高く響きわたるばかりだ。続いて駆け込んだ奥の部屋や神官の控室にも、気配はない。
「地下かもしれないわ」
思い出したのは、地下神殿の存在だった。本来、天災や戦争に備えて作られた地下部分だが、大切なもの――神具などが保管されている可能性もある。
広間の隅の扉から、階段を下り、地下へ進んでいくと、何本もの太い円柱に支えられた地下神殿が偉容をあらわした。こちらは地上とちがって装飾は少ないが、重厚、荘厳といった言葉を思い起こさせる。道は広く、部屋数も多い。
こんな時でもなかったら、じっくり眺めてまわりたい場所だが、そうもいかない。蟻の巣のように入り組んだ地下神殿の、部屋という部屋を小走りで見てまわった。
神殿という神聖な場であることを忘れるような武器庫もあれば、本でいっぱいの図書室もある。だが一番多いのは、何に使うのかよく分からない、空っぽに近い部屋だった。
大小さまざまの、がらんとした部屋をどれだけ見て回っただろうか。
不思議なことに、地下神殿には見張りがほとんどおらず、まるでこの世でたった二人、取り残されたような心持になった。しだいに口数は少なくなり、部屋をのぞき込んでは首を振るだけになってゆく。
見失ってしまったかと思い始めた頃、ついに部屋の中でうごめく人影と遭遇した。
部屋の一つに置かれた、大きな筐の中を探っている、侍女服の後姿。手燭を側に置き、ベールを頭からかぶっている。背には、人間の身にあるまじきもの……翼がついている。天使の絵画などで見るよりも小ぶりの、それこそおもちゃのような翼だ。
その背中に不思議な既視感を覚えながら、思い切って声をかけた。
「何をしているの」
弾けるように、侍女が振り返った。
いや――振り返りかけた。だがその途中、またもや翼が羽ばたくと、侍女の姿は音もなく消えてしまった。ゆめかまぼろしのように。
また駆けだそうとしたトゥランの腕を、アロイスがつかんで止める。
「あの翼がある限り、追いつけないよ。今度は向かった先も分からない」
「でも」
「消える時、何かを持っていたように見えた。神官に話して、何か無くなったものがないかどうか、聞いてみよう」
こんな時でも、アロイスは冷静だ。
ほんの一瞬の出来事だ。トゥランは侍女の手元などには気づかなかったのに、よく見ている。
「今の、幽霊だったと思う?」
恐る恐る尋ねてみる。
人であるはずがないと思う一方で、人にしか見えなかったという気もする。それに、あの翼は取り外しができるようだ。となると、天使や妖精の類ではない気がする。
「人間に見えたよ。でも、分からない。あんな風に消えるなんて……目がおかしくなったかと思った」
アロイスの感想も、大差はなかった。
二人、顔を見合わせて首を傾げるばかりだ。まだ胸が激しく高鳴っていて、変な汗をかいている。
やがてアロイスが、トゥランの手を持ち上げ、やわく握りしめた。
少し汗ばんだ手と手を合わせているうち、ぬくもりが伝わって、だんだん落ち着いてくる。
「みんなに話しても、信じてもらえないかも。もしかして、私たちが泥棒だって思われないかしら」
「そう疑う人もいるだろうけど、泥棒がわざわざ無くなったものを確認して欲しいと言うかな」
「それもそうね……」
疑われるとしても、言うしかない。それに、言わなかったら余計に怪しまれるだろう。アロイスは堂々と名前を告げてここまで来たのだから。
――ちょっとだけ、と侍女の探っていた筐の中をのぞきこむ。
筐の大きさに対して、中身はそれほどたくさんはなさそうだった。しっかりと蓋のされた小箱が、いくつか収められている。いかにも高級そうな、金糸の刺しゅうの入った布張りの箱だ。
(中は見ない方が良い気がする)
心の中の警鐘が鳴り響くので、手を伸ばすのはやめておいた。
もしもそれが神具なら、うっかり触ると何が起こるか分からない。罰が当たるかもしれない。
「帰ろうか。疲れた顔をしているよ」
アロイスに背を押されるようにして来た道を帰りながら、トゥランは侍女を見た時の、妙な既視感について考えていた。
けれど疲れのせいか頭がうまく働かず、その正体が市場で見かけた侍女だと思い出せたのは、長い聞き取り調査が終わり、宮に戻って眠って起きた、次の日の昼間になってからのことだった。




