第2話「疑いしは罰せられ」
またつまらぬものを書いてしまった…的な。
なんということだろう。
今、僕はありえない場所にいる。
目の前には厳格な表情の司法者。
右に左に罪を正しく見定めんとする係員がいて、
後ろには成り行きを見守る見知らぬ人々。
そう。
僕は俗に言う「被疑者」の立ち位置にいた。
なんでこんな事になったのか、そこから語らねば分からないだろう。
いや、説明したところで理解できるのだろうか。
正直、僕自身も納得しきっていないくらいだ。
まさかこんな場所に立つ日が来ようとは。
悪い夢なら覚めてほしい。昨日の夜からやり直したい。
あの時見た確かな喜びを、もう一度。…いや。
まだ何も知らなかった自分を責めたい。
あんな事を口走った自分を。
ヤンケの遺体が駆けつけた救護班によってゆっくりと運ばれていくのを、僕はただ呆然と見ていた。
シーナが肩に手を置いてくれたが、彼女の表情にも強いショックが感じられ、言葉をかけることも出来ない。
相変わらず僕の中には疑問と憤りが渦巻いていた。
どうしてヤンケが死んだのか。
何故彼女が死ななければならなかったのか。
何が彼女を死に至らしめたのか。
考えても考えても、それらは大岩のようにのしかかってくる。
僕は何も知らない。知らないから分からない。
分からないからこの気持ちを消すことができない。
どうしたら良いんだ。
どうしたら、この現実を受け入れられる–––––––?
「……!………ン!………おい、ジェン!!」
はっ、と顔を上げ、横を向くと、そこにはリブがいた。
彼のここまで慌てふためいた表情を見るのは初めてだ。
「…リブ……」
「なぁジェン!!これは、こ、これは、一体どういう事なんだ⁉︎
朝から騒がしいし医者が要るって言うから来たけど…運ばれてたのって、あれって、や、ヤンケ…」
「……っ!」
思わず両手でリブを突き飛ばしていた。
人混みの中、壁にかけてあった板や工具のセットにリブが倒れこみ派手な音を立てる。
なんだなんだ、と人々の視線が一気に集まる。
息を荒げて両手を突き出した僕。
その後ろで口元を手で覆い隠すシーナ。
割れた板と工具の山に埋もれたリブ。
何が起こったのかは陽の目を見るより明らかだ。
「…おい、あれって…」
「ジェンじゃないのか?騎士になったとかいう」
「なになに、喧嘩……?」
「こんな状況で喧嘩だとぉ…?」
「シーナさんもいるわ」
「あの倒れてるのはもしやリブさんか…?」
やってしまった、と気づいたが時すでに遅し。
騎士にあるまじき行為だ。
恐らくこの騒ぎに王城から騎士が駆けつけるだろう。
そうなれば、僕は………。
「国民に手をあげるとは騎士として何たる非礼!
貴方のその愚かさは裁かれねばならない!」
ヒュッ、と空を裂く音がしたと同時に頸を冷たい刃が撫でる。
一瞬のうちにそこまで至るのは同じ騎士でも相当な力を持つ者だ。
そう……シーナが魔法で生み出した氷の剣が僕の命を刈り取ろうとしていた。
「し、シーナ……⁉︎これは、その……」
「口を慎みなさい。貴方は何の罪もない人に暴行を行った。これはこの場にいる全員が証明し得ること。
その罪を認めないというならば然るべき対処を取るまでです」
シーナの声は冷たく、僕に一切の有無を言わさなかった。下手に動けば本当に首が飛ぶに違いない。
リブは立ち上がらないし、この場に僕の身を守るものは何一つとして無い。
素直に両手を上げて降参の意を示す。
それは同時に、また別の問題に移行することでもあった。
シーナは騎士としての役割を務めているだけだ。
彼女に促され、王城へと連行される。
リブのことが気がかりではあったが……今はこの状況を打破する手立てを考えるしかない。
周りに人気が無い辺りまで来たところで、思い切ってシーナに直談判しよう、と決意した。
「…シーナ、その、僕は……」
「分かってますよジェンさん。悪気なんてないくらいは」
え、と驚いている僕に対し、彼女は冷ややかな表情を緩めて口の端を上げた。
「あの女性……嘸かし仲のいい友人だったんでしょう?そんな人が急に亡くなられて気が動転していた。違いますか?」
まったくもってその通りだ。
それで、現実が受け入れられなくって、リブがヤンケの名を出した時につい……。
「気持ちはわかります。でも、あの場で他人を突き飛ばしてはいけない。貴方にはそれなりに非があるんですよ」
「…………」
シーナの言うことはいつも正しい。
僕は悪いことをしたし、彼女はそれを見逃さなかった。
僕に弁明の余地はない。僕が何を言ってもそれは正しくないのだから。
「…もしあの場ですぐに私が動かなかったら、別の騎士が貴方を捕まえたに違いありません。そうすれば、貴方を弁護する者はいない」
「…助けてくれたのか?」
「助けたんじゃありません。見逃すわけにはいきませんから。でも、王城での告白には立ち会います。貴方が決して悪ではないことを私が伝えますから」
彼女はそう言いながら、王城のとある部屋まで僕を連れてきた。
その部屋には、僕たちの上司……つまり、「騎士長」がいる。
騎士の問題を統括する彼らに、僕は今から罪を告白しなければならないのだ。
シーナが「大丈夫」と微笑みながら、扉を2回叩く。
「騎士シーナ・グリモア。不祥事を行った騎士、ジェン・リュウウンを連れてまいりました」
「…入れ」
少しの間があって、返事があった。
大丈夫とは言われても、やっぱり不安だ。騎士長に会ったことは一度しかないんだし。
中は思っていたより広い。左右を天井にまで届く本棚に挟まれている。
床の装飾は磨かれているのが分かるほど輝いていて、個人的な拘りを感じる。
目の前の机には本と書類が積み重なっていて、座椅子に腰掛けた騎士長の姿は頭くらいしか見えない。
僕なんかの知らない事柄を毎日処理しているであろう、疲労の様子が伺えた。
「不祥事を行った騎士、か。とてもそんな度胸があるとは思えない」
騎士長は何人かいるが、僕を担当しているこの人に会ったことは一度だけ。
騎士に任命された時、責任者の1人として近くに立っていた。名前は確か……
「ジェン。君に会うのはこれで二度目だが、まさか我が名を忘れたと言うつもりか?」
図星だ。先読みされている。
こういうタイプの相手はかなり苦手なんだけれど…。
「いえ、いかに不届き者といえど、貴方の名前を知らぬ者は王城にいないかと。
そうです、皆が貴方を崇め讃えているのですから––––––“尖弾”、ヴァルグ様」
シーナがさりげなく助け船を出してくれた。
慌てて力強く頷き、胸に拳を当てて礼をする。
ヴァルグ様、という名で思い出した。彼は名前を聞いただけで誰もが崇めるほどの崇高なる騎士。
その声は万里を越えて響き、まだ見えもせぬ脅威を退けるほどだとか。
声ばかりではない、その槍さばきは王城中探してもそうそういない腕前で、誰よりも前に立つことで万全の陣形を整えられると言わしめたくらいだ。
…と言っても、戦いがあったのは随分前。当時ほどの武勇を誇れる機会もなく、今は文官みたいな立ち位置に落ち着いているらしい。
それでも武人気質というやつなんだろう。
座って書類とにらめっこしていても、その身体からは覇気が感じられる。
「…シーナ・グリモア。君が彼を此処へ?」
「はっ。西部街頭において捕らえ、私の判断でここまで連れてまいりました」
「…例え、先輩が相手でも容赦なし、か。流石と言える」
そこまで言うと、ヴァルグ……騎士長は「やれやれ」と腰を上げた。
その有り余る覇気を視線に纏わせながら、彼は僕の方を睨む。
いよいよ、告白の時間だ。緊張というか恐怖というか、様々なものが僕の中で渦巻く。
この場での失態は、僕の身をもって償わなければならないのだ。
正直、空気にでもなりたいくらいだけど。
騎士として、正しい行動を取らなければ……。
騎士というのは堅苦しい身分だ。王城の警護、そして新鋭の教育。
自由がないわけじゃないにしても、個々の中で小さな鬱憤が溜まるのも道理。
偶にいるのだ、そのストレスを発散したいが為に問題を犯す騎士が。それでは騎士の名折れというもの。
故に、何か不祥事を起こした騎士はその罪を認め告白せねばならないとされた。
己が罪を受け入れることも出来ない者に「騎士」を名乗る資格はない、と。
やがてそれは体裁に組み込まれ、「騎士の告白」と呼ばれる一種の“務め”とされたのだ。
これは決してごく当たり前の話ではない。基本、そんなことはあってはならない。
騎士として、正しく気高く、誠実にあれ。
それが叶わねば身をもって罪を断罪するのみ。
そんな決まりが、僕たちを縛りつけている。間違ってない。
むしろ肯定的なくらいだ。
悪いことをしたら叱られねばならない、そんなの当然じゃないか。
…ただ、自分がまさか「そっち側」になるとは。
「あっち側」じゃ終ぞ感じられなかった束縛感だ。
「–––––僕は、今朝、騒がしさを感じて人だかりへと向かいました。そこで、ヤン……友人が亡くなっていました。昨晩も仲良く酒を交わした彼女が、
たったの一晩で変わり果てていて………僕は、酷く衝撃を受けました。
その、あまりの事態に、動揺して…
駆けつけたもう1人の友人を突き飛ばして怪我をさせてしまいました……」
「………ふむ……」
「僕は確かにこの手で彼を突き飛ばした。これが僕の犯した罪です。…本当に、すみませんでした……」
そう言ってもう一度深く頭を下げる。土下座する程の覚悟もない僕に、どんな処罰が下るんだろうか…。
「……罪は、それだけか?」
「えっ?」
騎士長の問いに僕は思わず顔を上げた。
彼の目には、まだ覇気が感じられるように思える。
全く事態は収束していないかのように。
「…あの……、それはどういう……」
「言葉通りの意味だ。君の犯した罪はそれ以外ないのか?」
「…………?」
その言葉の意味するところが、僕へのあらぬ疑いであることに気づくのに少しかかった。
僕にかけられた疑いがあるとするならば………。
「まさか…その事件に彼が関わっていると仰るのですか、ヴァルグ様!」
シーナが先に僕の行き着いた答えを口にする。
騎士長は「まあ待て」と言わんばかりに手で制止を求め、そして僕へと目を向けた。
「–––––亡くなった騎士、ヤンケ・イーシスについては既に情報が入ってきている。君の同期でもあり、自他共に認める実力の持ち主だとな」
「………確かに彼女は僕の同期です。でも、どうして僕が疑われなければならないんですか…!」
「なに、君がやったという話ではない。だが…、
彼女に最後に会ったのは君だというじゃないか」
「………っ⁉︎」
「目撃者がいたのだ。昨日の夜更け、中央広場にて、君と彼女が話しているところを見たという」
あんな夜更けに起きている人が居たのは、何の変哲もない。大方、僕たちみたいに夜中まで飲んでた町の人だろう。
だが、彼女の動向がわからない以上、その目撃情報が手がかりだと睨むのは至極当然だ。
「で…、でも、僕は彼女と少し話をしていただけです!」
「話の内容は敢えて訊かないでおこう。だが…、彼女の死因は毒だ。手元にあったあの袋、君には心当たりがあるんじゃないか?」
「!!」
袋の中には、リブが作った薬が入っていたはずだ。それは自分も飲んだからよくわかる。
しかし、袋の中に毒なんてなかった。
飲んだ後、変な感じはしたけど別に害はない。苦さだけは本物だったが。
「…その袋の中は、もう1人の友人が作った薬です。苦いけど普通の風邪薬でした。毒なんて入ってるわけありません…!」
「もう1人の友人……その人は今どこに?」
「彼は––––––」
言いかけて、咄嗟に口をつぐむ。僕の起こした不祥事の被害者こそ彼だ。リブは今、どうなっているんだろうか…。
「……お言葉ですがヴァルグ様」
口をつぐんだ僕に代わって、シーナは一歩前に出た。
僕への疑いに対して、些か納得のいかない様子だった。
「彼は、ふとしたことで手を挙げるようなことすら滅多にない人柄です。人を殺すだなんて蛮行、到底できはしません。私が保証してみせます」
「…ほう?」
騎士長は少し眉を上げ、さも当然の疑問を口にした。
「…ジェンがやっていない、と。君はどうしてそう言えるんだ?」
「決まっています。
彼は正真正銘の騎士だからです」
シーナは真っ直ぐに騎士長を見つめ、堂々と胸を張っていた。その様子は、僕の心に何かを思わせる。
(…あれ………?何でだろう、こんな感覚を前にも感じたことがあるような……)
昔、暗がりでうずくまる僕に手を差し伸べた人がいた。
見た目も中身も堕落していた僕に、その人は何の気兼ねもなく言ったのだ。
「どうして明るい場所に行かないの?」と。
僕は確か、言葉ともとれない何かを暴れ吐きだしただけだった。
そんなわけもわからない気持ちをぶつけられた後、その人は少し戸惑っていた。
普通ならそのまま去っていくだろう。だが、その人は違ったのだ。
「私は貴方が下を向く様を見たくないな。だって、それ以上の下はないんだもの」
その言葉に、何かが反応した。
僕の中にあった色んなものが、その一言で吹き飛んでいった。
「私、貴方が上を向いている姿を見たいな。だって、その方がきっと似合うもの」
…あれは誰だったんだろう。僕の生き方を変えてくれたあの人と、何があったのかすらさっぱり思い出せない。
シーナの姿を見ていると、どうにももやもやした感じがして、頭が痛くなりそうだ。
…彼女とあの人は違う。絶対に違う、そう断言できる。
だが…それなら、この感覚に一体どうやって説明をつければいいんだろうか?
「彼の素性は確かに彼を疑うには十分かもしれません。けれど、この人の精神は全く汚れてなんかいません!」
「弁護人か何かか、君は。我とてそのような考えに縛られるような愚か者ではない。
が……果たして、この国の人々はどうかな?」
「–––––––っ!」
その会話が、僕の心に痛みや苦しみを思い出させる。あの頃は、思い出したくもない地獄のような日々だった。
「…貧民街の出身で、今では品行方正な騎士、と。
身分は隠しているからまだしも、君に染み付いたその汚れは、分かる人には分かってしまうものだ」
「ヴァルグ様!」
シーナが声を荒げる。怒りを滅多に見せない彼女の顔には、いつにない憎悪が浮かびかけていた。
「…ああ、悪いな。この話は御法度だったか」
騎士長は再び椅子に腰を下ろすと、「さて」と肘をついて両手を組み、顎を乗せる。
「…良い機会だ。君のような若者がこの街に居て良いのかどうか……そろそろハッキリさせても良いんじゃないかな?」
「………どういう意味ですか?」
「おそらく、彼への疑いは簡単には晴れない。この街は平和を尊ぶと同時に部外者を締め出す格納庫だ。
ならば…この件を公にし、その中で彼の無実を証明してくれれば良い。
そうすれば、君という異分子が適合され、晴れて君はこの国で前向きに暮らせる。
どうだ、なかなか悪くはない話じゃないか?」
何が悪くない話だ。僕の訴えには耳も貸さないで、
強引に話を進めてるだけじゃないか。
リブの渡した袋に毒が入っていたとして、僕がやったという証拠にはならない。
疑わしきは罰す、という考えに従っているだなんて、
それこそ健気な心を持つはずの騎士にはおかしい話だ。
何だかんだ言って、この人も僕を厄介払いしたいだけだ。
僕なんて、やっぱりこの街に相応しくはないのだ…。
「…わかりました。その話、受けて立ちましょう」
「え?」
耳を疑った(2回目)。
シーナ?今なんて言ったの?
承諾の意思を感じたんだけど気のせいだよねそうだよね?
「彼がこの街に居て良いのだと、そう伝えるには十分です。裁判とやらで勝てばいいのでしょう?」
いやいやいやいやいやいやいやいや。
そんなわけないでしょう?
何も十分じゃないよ。勝てるかどうか以前に受けるかどうかの判断ミスってるよ。
「決まりだ。では、明日の正午に裁判を執り行う。
街には魔力掲示板で裁判の内容を報道しよう。
多数の承認があった方が良いからな」
だ・か・ら。
僕は何一つとして頷いていないんだけど!
今になって僕の存在空気みたいになってるのやめて!
「……君も、異論はないな?」
「…………………………………………………はい」
言えるわけなかった。
僕の悪いところだ。いや、相手が騎士長だからか?
そんな言い訳、今更大した意味もない。
他の人が相手でも、僕は僕の意見なんて言えない。
口に出すことすらおこがましい。
あの地獄にいた時は言葉なんていらなかった。
交わすのは力だけだ、それで話は済むから。
暴力が物を言い、誰かの死が皆の幸せになる。
悪逆非道?そんなのは秩序の中の話だ。
あそこに秩序も正義もない。
花や木の代わりに、泥水とカラスの羽が心に残る。
そんな場所で、僕の持ち得る良心とやらは消えた。
何もかもが邪魔で、
全てが信じられなくて、
生きていくこと以外に何も要らなかった。
それを知ってるからこそ、僕は今の自分を変えてみたかった。
あの頃に戻るなんて真っ平ゴメンだが、それでも。
あそこに置いてきた何かが、僕の人生には必要だから。
「…ジェンさん。私、必ず貴方の無実を証明してみせますからね。悪魔の証明とやらもどんと来い、です」
城の中を歩きながら、シーナはそう胸を張った。
君のせいっちゃ君のせいなんだけどね。
そこに文句を言うのは流石に人として危ない気がする。
「…ヤンケは、自分から死を選ぶような人じゃない。絶対、何かあったんだ」
「…私は彼女と面識がありませんでしたから、どうとも言えません。…まずはリブさん…でしたっけ。彼に話を聞きましょう」
「…うん」
リブには謝らなければ。
彼はヤンケのことをとても大切にしていた。
僕も彼もヤンケの死を受け入れることが難しいのは当たり前なんだ。
だからと言って何をしても良いわけではない。
長い付き合いだし、小さな喧嘩くらいはあったけど…。
少なくとも、僕に非がある。
そこは認め、その後でこの件について話そう。
ヤンケの死が、僕たちの関係に終わりを告げることのないように。
終わったとしたら、それは–––––僕と彼の命にも、終わりが来たことを告げるに等しいのだから。
長い話がどうかはこれから考えます。見てる人も飽きたりして欲しくないですし。