二話 落ちこぼれリジー(1)○
「――リジエット・ホールワース。貴殿はメザウィッヂ魔法アカデミーに在学中、類まれな好成績を残し、かつ先に行われた国家魔法師試験において第一位の成績を収めたことから、一級魔法師の資格をここに授与する」
厳かな言葉と共に、リジーの胸元に輝きを放つ翡翠のペンダントが掛けられる。そこに刻まれているのは、最高位の魔法師だけが身につけることを許された王家の紋章だ。
そうだ、わたし、魔法師になれたんだ。それも一番すごい一級魔法師に。
ぼんやりとしていたリジーの頭にじわじわと喜びが広がっていく。
周りではみんながリジーに惜しみない拍手を送ってくれている。シュシュも、キティも、ロースウッド先生も。そして遠くでは彼女が――幼い頃のリジーが憧れた魔法師が、力強く拍手をしてくれているのが見えた。
リジーは誇らしさで胸が膨らむのを感じた。
憧れの、魔法師。
今のわたしを見て「ホールワース・リジー」なんていう人がどこにいるだろう。
「そう、今のわたしは最高の魔法師! 『ホールベスト・リジー』よ!」
リジーが高々と腕を突き上げると、それに呼応するように歓声が轟く。
「ホールベスト・リジー!」
「ホールベスト!」
「ホールベスト――!」
リジーはうっとりと目を閉じて胸いっぱいに賛辞を吸い込んだ。あぁ、嬉しすぎて息が詰まりそう。というか、
「――うっ」
息が詰まった。
*
「ふんがっ」
突然ブタの鳴き声がして、リジーは目を開けた。
なんだか視界と頭がぼんやりとしていた。まるで寝起きのよう。
「ミス・ホールワース」
頭上からは、怒りを抑えるみたいにぷるぷると震えている声が降ってきていて、(あれ、この声はロースウッド先生かしら? わたしを呼んでいる?)と、リジーはおぼろげに考えた。
「ふんがっ!」
呼びかけに応えようとしたら、またもブタの鳴き声がした。目と鼻の先――というかわたしの鼻が鳴いている。
うら若き乙女である自分の鼻からブタの鳴き声がしたという事実に戦慄したリジーは、一気に覚醒する。
がばり、と机の上で溶けたバターのように伸びていた体を起こすと、満面の笑顔で額の血管をぴくぴくさせているロースウッド先生と目が合った。やっばぁ。
さぁぁ、と手足の血の気が引いていくのをリジーは克明に感じる。
「私の授業中に堂々といびきまでかいて居眠りとは、いい度胸ですね、ミス・ホールワース?」
どうやらわたしはアカデミー一厳しい先生の授業中に、ブタみたいないびきをかきながら寝てしまっていたらしい、とリジーは遅まきながら理解した。
机に押し当てられていた頬に張り付いた、濃いメープル色の髪の一房がはらり、と力なく垂れる。
なんたる失態。見ていた夢の内容が内容だけに余計に恥ずかしさが募る。
あーあ、ホールワース・リジーがまたやっちゃった。
ほんと、ダメダメだねぇあの子は。
くすくすと、周りから忍び笑いが聞こえる。夢の中で浮かれていた分、その笑い声はリジーには堪えた。
くそぅ、何がホールベストだ。調子に乗るな。
リジーは夢の中の自分を悪しざまに罵った。
現実のわたしは何をやってもダメで。それとわたしの姓・ホールワースをかけて「ホールワース・リジー」なんて呼ばれているんだ。はあぁ、ほんと憂鬱。
「ホールワース? 返事もしないなんて、まだ寝ているのかしら?」
胸中で盛大にため息を吐いていたリジーは、ロースウッド先生のドスを利かせた声に縮み上がった。ひいい、この声はブチ切れ寸前のやつだ。
何百回と先生に怒られてきたリジーの脳裏には、この先に待ち構えているであろう鉄拳制裁の未来がありありと浮かんだ。それは、断固回避したい。
リジーはきりり、と真面目な顔を作るとローズウッド先生を見上げた。
「先生、わたしは寝ていたのではありません。先生の大変含蓄のあるお話に感銘を受け、深い思索に沈んでいただけなのです。先生のお話は、まるで清流のように耳に快く、心に染み込むのですから」
そう言ってリジーは可愛らしい笑顔を浮かべた。『あなたのことを尊敬しています』という笑顔だ。
褒められた上にこんな愛くるしい笑顔を向けられては、怒るに怒れないはず!
どうですか先生、とばかりにリジーは上目遣いで瞼をぱちぱちとさせた。
「まぁ、ミス・ホールワース……」
ロースウッド先生は思わず、といったふうに微笑した。よっしゃ、これで鉄拳制裁回避よ、とリジーは心の中で勝どきを上げる。ふふん、ロースウッド先生もちょろいもんだわ。わたしの作戦勝ちね。
「――それじゃあホールワース、さっきの話の中でした私の質問に答えてくれるかしら?」
にんまりと笑みを深くしていたリジーは、ロースウッド先生の言葉に顔筋を硬直させる。
やべぇ、聞いてねぇ。だって寝てたもん。
リジーの背中からは清流のごとく冷や汗が流れ出した。
「えぇ……っと」
「どうしたのかしら? 私の話にいびきをかくほど感銘を受けてくれたホールワースさん?」
ロースウッド先生の笑顔が凄みを帯びる。ダメだ、めちゃくちゃ怒ってるわ、これ。
「……すいませんでしたぁ! 全っ然話聞いてませんでした、めっちゃ寝てましたぁ」
リジーは百八十度作戦を方向転換して平伏した。もう素直に謝るっきゃない。
「ホールワース」
厳かな声にリジーが恐る恐る顔を上げると、
「お仕置きです」
鉄拳制裁だった。
*
「ミス・ホールワース。あなたはもう少し自分の立場を自覚なさい。一つでも単位を落としたらあなたの魔法師への道は途絶えるということ、よもや忘れてはいないでしょうね?」
授業後、リジーは教官室に連行され、鉄拳がめり込んだこめかみをさすりながらロースウッド先生のお説教をくらっていた。
鉄拳のみならずお説教までたっぷりとくらって、リジーはげんなりした顔を隠そうともしない。
「わかってますよぅ……」
リジーは、ついふてくされたような声を出してしまう。
いや、まぁわたしが悪いんだけどさ……。それでもわたしばっかり目の敵にされているような気がしてしまう。やっぱり、わたしが何をやってもダメダメな落ちこぼれ、だから?
リジーは卑屈な思考にうじうじとした。
「ホールワース。私はあなたのことを落ちこぼれだなんて考えているわけではないのですよ?」
まるでリジーの心を読んだかのように、ロースウッド先生は寄せていた眉を少しだけ和らげる。
「あなたは何事にも真面目に取り組めばちゃんとできるだけの力を持っているはずです」
「ロースウッド先生――!」
先生の言葉に、ぱあっ、と顔を明るくするリジー。
「ただ、少しうっかりしているところはありますから、そこは直すように。あと授業もちゃんと聞くように」
「はい、ロースウッド先生……」
ランプの灯りが消えるようにしゅんとなるリジー。
「落差が激しいわね……」
ロースウッド先生は呆れたように呟いた。
「とにかく、明日の試験で赤点なんて取るようなら、私の授業の単位はあげられませんよ」
「えっ、ウソ」
突然の死刑宣告にリジーは目を剥いた。
「本当です。嫌ならそうならないように頑張ることですね」
ロースウッド先生はにべもない。
「そんなっ、なんで急に? 先生だってわたしに後がないこと知ってますよね? 単位もらえなかったら魔法師になれなくなっちゃうんですよ!?」
リジーという少女に急に赤点を取るな、なんて言っても、そんなの魚に「お前はこれからえら呼吸をするな」と言うくらいの無茶振りである。
そんなリジーはダメ元でロースウッド先生の同情を引こうとするが、しかし失敗に終わる。
「その自覚があったのなら、もう少し真面目に授業を受けているべきでしたね」
つーん、とした態度で取り合ってくれないロースウッド先生に、リジーは勝手ではあるが腹が立った。
「ひどいっ、先生の意地悪!」
「自業自得です」
むむむー、と涙目でリジーに睨みつけられてもロースウッド先生はどこ吹く風である。
「ふんっ、わかりましたよ! 赤点取らなきゃいいんでしょ! 目にもの見せてやりますからねっ」
リジーはむかっ腹に任せて捨てゼリフを吐いて教官室を後にした。
この行き遅れ、と最後に先生の耳にもギリギリ聞こえるようにぼそっと毒を吐くことも忘れない。
「ちょ、誰が行き遅れですってぇ!? 私に見合う男がいないから結婚しないだけよ!」
顔を真っ赤にして喚くロースウッド先生の鼻先でぴしゃり、と扉を閉めてやると、少しだけリジーの溜飲は下がった。しかし、
「まずいな……」
溜飲が下がったことで冷静になったリジーは、自分の言ったセリフを思い返し、絶望した。
「……赤点以外ってどうやって取るんだろ?」
勢いに任せて、できもしないことを言うもんじゃない。
リジーは己が愚行を後悔した。
「まぁ言っちゃったもんはしょうがないけど」
だが反省はしなかった。
「こんな時はあいつに頼むっきゃないわ」
リジーはぴしりと指を鳴らすと、いそいそとどこかへ向かって歩き出した。
そんな一人の少女の単位の危機などお構いなしに、今日もメザウィッヂ魔法アカデミーの一日は巡る。