八話 かくれんぼの石牢(1)【ホラー】
*注意
この八話はホラー回になります。
前後の話との繋がりはまったくないので、苦手な方は読まなくても大丈夫です。
また、これまでの話とは毛色の違ったものになるので、このお話単体で読んで頂いても大丈夫です。
ねえ、この城の地下に石牢があるの、知ってる?
ふとそんなことを口にしたのは、寮の部屋で一緒に勉強をしていたキティだった。
リジーが目を上げると、彼女の方はすでに宿題を終えてしまったらしく退屈そうに指先でペンを弄んでいる。
うだるような晩夏の夕暮れ。開け放たれた窓からは生暖かな空気が入ってくるばかりで額に浮かぶ汗を乾かしてくれることはなく、勉強へと向けていたはずの意識は時折どこかへ彷徨い出ようとする。
努めてペン先に力を込め、意識の手綱を引き寄せながら、リジーは「石牢?」と訊き返した。このアカデミーに入学して一年以上経つが、そんな話はついぞ聞いたことがない。
けれど同時にそんなものがあってもおかしくはない、とも思う。
このアカデミーの校舎は、十三世紀中頃に建てられたゴシック様式の城であるメザウィッヂ城を改修したもので、黒々としたその威容と時を経た空気の重みなど、一種の禍々しさを感じさせる。
アカデミーに通う生徒の一部では、真夜中の城内を首なしの僧侶の霊が徘徊しているだとか、いわゆる怪奇談がまことしやかに囁かれていたりもするのだ。
そんな怪奇談は、たいていどこかふわふわとした空疎なものなのだが、この時キティの口にした「石牢」という硬質の響きに、それらとは違ったリアルな質感をリジーは覚えた。
「そう、石牢。なんでも、昔この城に住んでいた一族の中で罪を犯した人がいて、それを公にしたくなかった当主が、その罪人を地下に閉じ込めておくために作ったらしいの」
リジーが食いついたことに気を良くしたのか、キティは心持ち前のめりで続ける。いつも小綺麗に整えている彼女の前髪が暑さと湿気でペタリと額に張り付いているのを見るともなしに眺めながらリジーは頷いた。
「へえ。……もしかしてその罪人の幽霊が石牢に出る、とかいう話?」
「あ、幽霊は幽霊なんだけど違うの。罪人じゃなくてね」
リジーの推測を軽く首を振って否定すると、キティは芝居がかった調子でぐっと声のトーンを落とした。
「石牢には、『ジーク坊や』が出るの」
○
城の西側に倉庫として使われていた小さな地下室があってね、石牢はその奥に作られたの。
入り口は外からしか開け閉めできない造りの重い樫の扉で、入って正面の壁際――背面と側面を石壁、正面を鉄格子に囲まれたそこに罪人は閉じ込められていたらしいのよ。
で、しばらくして罪人は死んじゃって、当主も代替わりして、その後石牢は使われることなく、けれど取り壊されることもなく地下の闇の中にひっそりと沈んでいたんだって。
それから何十年も経った頃、当時城に住んでいた家族の中に小さな男の子がいたの。
その男の子の名前はジーク。家族や使用人たちからは親しみを込めて『ジーク坊や』とか『ジーク坊ちゃん』とか呼ばれていたわ。
ジークは活発な子で、よく友達を城に招いて一緒に遊んでいたの。
中でも特に好きだった遊びはかくれんぼ。
好奇心旺盛でよく城内を探検していたジークは誰よりも隠れるのがうまくて、彼が自分から出てくるまで誰も見つけることはできなかったの。
だからこれは不運な事故。
ある日、ジークはいつものように友達とかくれんぼをして遊んでいたの。
その日のかくれんぼは城の中ではなく、庭で行われていた。友達の一人が「ジークはずっとお城で暮らしてるんだから、城の中でやると隠れる場所をたくさん知っているジークばかり勝ってしまう」と主張したから。
そうして始まったかくれんぼでジークは初めて見つかってしまうの。ジークはそれが悔しくて日が暮れるまでかくれんぼを続けたんだけど、やっぱり見つかってしまって。
城の周りを囲む森の中から天鵞絨のような夜の闇が迫ってくる頃、これが最後、と言って始まったかくれんぼで、どうしても勝ちたかったジークはズルをしてしまうの。
隠れるのは庭の中だけ、という決まりを破って、ジークはこっそり城の中に戻ると、真っ直ぐに地下室まで走り、その奥にある石牢へと続く重たい樫の扉を開けた。埃と沈黙が積もり積もったここはジークにとってまだ誰にも知られていない秘密の隠れ場所だったの。
ここなら誰にも見つからないぞ。
樫の扉を閉め、石牢の暗闇にしゃがみ込むと、ジークは嬉しそうに呟いた。
まさか、本当に誰にも見つけてもらえなくなるとは思いもしないで、ね。
ええ、そうよ。
日が暮れるまで遊び続けて疲れていたんでしょうね。
地下の暗闇と静寂がジークの幼い意識を包み込んでしまうまでにそう時間はかからなかったでしょう。
ジークは石牢のひんやりとした鉄格子に背中を預け眠ってしまったの。
それからどれくらい経ったのか。
しばらくして目が覚めたジークはぼんやりと考えた。
数時間か、数十分か。少なくともかくれんぼが終わるまでは誰にも見つからずに隠れきることができただろう、と。
そろそろここを出て、みんなの前に行かなくちゃ。
かくれんぼの結果に満足したジークは暗闇の中を手探りで扉を開けようとした。
けれど。
ジークの幼い手は扉の表面を撫でるばかりで。
取っ手がどこにもないの。
人を閉じ込めるために作られた石牢。その部屋の重い樫の扉は一度閉めてしまえば、内側からはどうやっても開かない造りになっていたことを、ジークは知らなかった。
知らずに扉を閉めてしまった。
扉を探るジークの手つきは次第に焦りと恐怖に震え始めて。
取っ手がない。どこにも。開かない。どうして。押せばいいの? 開かない。開かない……。開かない……っ。
ぱたり、と力なくジークの腕が垂れ落ちて。
その、白く、細い喉から引き攣った悲鳴が迸る。
けれど、どれだけ時間が過ぎても分厚い樫の扉は無情にも開かなかったの。
外では大騒ぎだったそうよ。
ジーク坊やがどこにもいない、って城中の人間ですっかり日の落ちた辺りを探し回ったの。一緒に遊んでいた子どもたちは「ジークは森に入って迷ったのかもしれない」って。
そう思うのが自然よね。だってかくれんぼは城の中じゃなく外で行われていたんだから。
誰もジークがズルをしてこっそりと城の中に隠れているだなんて考えなかったの。
それから数日が経って、周囲の森もすっかり捜索し終える頃になってようやく城の中にも目が向けられるようになった。
広大な城の中、それも誰もがその存在を忘れていたような地下室でジークが見つかったのはさらにその数日後だったわ。
使用人の一人が石牢のある地下室を見つけ、その奥の重たい樫の扉を押し開けると、ズズッ、ズッ、と扉の内側から何かが擦れるような音がしたの。
恐る恐る覗き込むと、そこには――
変わり果てたジークが横たわっていたわ。
決して開かない扉に縋りつくように伸ばされた両手の先は爪が割れ、乾いた血がこびりついていた。冷たく虚ろな顔は恐怖でひどく歪んでいて。
城の人々に愛されていたジーク坊やは、そうして誰にも見つけられることのないまま死んでしまったの。
以来、その石牢へと続く扉のある地下室は誰も入れないように封鎖されていたのだけれど、城がアカデミーの校舎として改修された後、その地下室は補習室として使われるようになったわ。
地下室自体は形を変え、用途も変わってしまったけれど、その奥の石牢自体には手が加えられることはなかった。
だから今でも石牢のある部屋に行くとジーク坊やが隠れているんですって。
誰かが自分を見つけてくれるのを待ちながら。




