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七話 この手を伸ばせば(3)◯

 

 *


「…………む?」

「…………えっ、と」


 ふわふわした猫っ毛の金髪の妖精はもぐり、と手に持ったスコーンをかじりながらカナを見つめた。カナもまた、拾い集めた書物を胸にかき抱いたまま見つめ返す。


 あどけない顔立ちなのに、その瞳の奥には底知れない知性がけぶっているような、そんな印象をカナは抱いた。


 塔の石壁をくり抜いた風情の窓からは真っ白い清潔な光が差し込み、妖精のような少女と、小さな木机の上の書物と袋一杯のスコーンを照らし出している。


「……ふん」


 その幻想的なのか世俗的なのかよくわからない光景にカナが何も言えずにいると、妖精的な少女は退屈そうに鼻を鳴らしてそっぽを向いた。思わずカナはビクッと震える。


 少女はすっかりカナの存在を忘れたようにもっしゃもっしゃと元気よくスコーンを咀嚼しつつ、広げた書物のページをくるくると捲る。その速度に、ちゃんと読んでいるのかしら、とカナは疑問に思った。いや、それよりも。


「あっ、あのぅ……」


 当初の目的である『延滞図書の督促』を思い出したカナは、勇気を振り絞って少女に声をかける。


 もともと勇気の含有量が少ないカナが振り絞った勇気など高が知れているのではあるが、とにかく、なけなしでも振り絞ることが重要なのである。


 その振り絞った勇気が霧散しないうちに、と発したカナの声はひどくか細いものであったが、静かな小部屋の中を少女の元へと飛んでいくのには十分であった。


「……何か用か?」


 うっそりと物憂げに問い返しながら、少女の顔が再びカナの方を向く。


 今度こそカナはえいやっ、と気合を込めて用件を切り出した。


「あ、あのっ、借りている本を、返却するように、と……司書の、先生が……」


 じっ、と心の内を見透かそうとするような視線に、カナの言葉はどんどん尻すぼみになっていく。少女はなおも凝固したようにカナを見据えていたが、その視線をカナの胸元の書物に移し、それから木机の上に移し、二、三度猫っ毛を撫でつけると再びカナに向き直り――


「すっかり忘れていた」


 と、悪びれた様子もなく言い放った。それはなんというか、あまりにも普通の少女みたいな反応で、カナは拍子抜けしたように脱力する。


「いつもなら司書が教えてくれるんだがな……まったく、仕事をサボるとはどういう了見だ……」


 少女は何やらぶちぶちと文句を言っている。随分と見当違いな文句に聞こえるが、小心なカナは黙っていた。頼まれた仕事は果たしたので、と脳内で誰にともなく言い訳する。


「ふむ、さすがにこの量の書物を運ぶのは面倒だな……はぁ、憂鬱だ」


 もたもたと木机の上に散らばる書物を集めながら少女はぼやく。ちっとも片付けが進まないのは片手で残ったスコーンをもぐもぐしているからだろうか。


「あ、手伝い、ます」


 遅々とした光景を見かねたカナがせっせと書物を整え出すと、少女は無表情ながらも少しだけ目を大きくした。


「……ふむ、お人好しなのか、お節介なのか、それとも損な性格なだけか」


「なっ、なんですか?」


 じろり、と値踏みするような少女の視線にカナはまたもビクつく。自分よりも小柄な女の子に怯えているなんて情けないとは思うが、カナにとって他人とは誰であれ怖いのだ。


「いや、ちょっと知り合いに似ていると思っただけだ」


「は、はぁ……」


 わたしに似ていると思われるなんて可哀想、とカナは少女の知り合いに同情しかけてから、あれこれ一番可哀想なのはわたしだ、と気づいて心に無駄なダメージを受けたりした。



 ――――――



 二人がかりで片付けると木机の上にはあっという間に書物の山が出来上がった。改めて見るとすごい量だ。そのどれもこれもが難解そうな表紙の大判の書物である。


「ふんっ…………ぐぅ」


 少女はその大判の書物の山に組みつくように力を込めるが、細い二の腕がぷるぷると震えるばかりで一向に持ち上がる気配がない。こうして見ると、積み上がった書物に埋もれてしまいそうなくらいに小さな少女だ。


 なんだか小動物みたいで可愛い、とカナは自身の小動物的精神を棚に上げて思った。というか、ここへはどうやって持ってきたのだろう? そんな疑問と共に、カナの脳内には黄金色のハムスターがエサをせっせと巣に運び込むイメージが浮かぶ。


「ぅぐぐぐ、……うむ、無理だ」


 カナの失礼な妄想をよそに奮闘していた少女だったが、割とすぐに諦めた様子で木机の上に身を投げ出した。書物の山は一ミリも動いていない。

 いっそ清々しいほどの投げ遣りっぷりであった。


 しかし投げられっぱなしでは困る、とカナはそわそわと落ち着かない視線を少女に向ける。彼女が無事に本を返却してくれるまでは、カナも頼まれた仕事がちゃんと終わった気がしないのである。


「……わ、わたしも、持ちます」


 でろり、と溶けたバターのようにだらしなく寝そべっていた少女が、カナの声にぴくぴくと寝ぐせのようにハネた猫っ毛を揺らす。アンテナか何かなのだろうか。


「助かるけど、さすがに悪い」


 ちっちゃな少女はくしゃくしゃと頭をかきながら、再び書物の山に抱きつく。もはやじゃれているようにしか見えない。カナの中で母性というか、庇護欲のようなものがムクムクと湧き上がるのを感じた。


「も、持ちっ、ますっ」


 声に変な勢いがつき、少女だけでなくカナ自身も驚いてしまい、かぁぁと頬が熱くなる。


 それをごまかすようにカナは書物の山へと突進した。う、重い……と、別に筋骨隆々なわけではないカナの腕も悲鳴を上げそうになる。


 けれどもどうにかこうにか山の半分ほどを抱え上げることに成功する。


 これくらい持ってあげれば残りは少女でも運べるだろう、と振り向くと二の腕をぷるぷるさせている少女と目が合う。


 半減した書物の山は一ミリも動いていなかった。


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