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七話 この手を伸ばせば(1)◯


 寮の部屋の窓からはキラキラと煌めいて見えた陽射しも、その下に出てしまえばそれはもうただの暴力である、と片手を目の上に翳しながらカナ・スキレットはアカデミーの敷地を歩く。目指すは校舎の西端の図書館塔だ。


 強烈な陽射しを受け瑞々しい緑の匂いをさせる芝生の上をパタパタと、歩む足取りはどこか臆病な小動物を思わせる。


 幾何学的に乱立する生垣の日陰で直射日光を避けつつ、カナは図書館塔の入り口に到着した。参考書らしきものをどっさりと抱えた胸元が小さく上下して、すでに息が上がっているのが窺える。


 入り口の両開きの扉を控えめに開くと、カナは逃げるように小柄な体を塔内部へと押し込めた。しばし、息を整えるように内側から扉に寄りかかる。


「ふぅ…………よし」


 口の中で小さくそう転がすと、カナはパタパタと相変わらず小動物めいた足取りで塔の螺旋階段を上っていく。


 上る、上る。

 上る、のぼ……るっ。


「はぁ……、はぁ……」


 あまり日に焼けていない額から汗が流れ落ち、熱い吐息が塔の石壁にぶつかっては散っていく。運動不足のカナにとっては図書館塔へ通うのも楽ではないのだ。


「……っ、はあぁぁぁ、着いたぁ……」


 ようやく上りきった階段の上、疲れからかカナは平生よりも若干太めの嘆息を零す。が、そこは花も恥じらう乙女、パッと口を押さえキョロキョロと後ろを振り返り誰もいないことを確認し、ほんのりと赤面した。


 気を取り直すように塔の最上階の扉を押し開ける。本来ならその扉の向こうには虚空が広がっているだけである。しかし。


 扉を開け、カナが足を踏み入れたそこには、さきほどまで上ってきた尖塔よりも大きな内部空間を持つ図書館が広がっていた。


 カナが上ってきた塔はそれ自体は小さな尖塔であるが、その最上階の扉には魔法がかかっており、別の空間にある塔の内部へと繋がっているのだ。繋がったその先こそ、真の図書館塔である。


 なぜわざわざ塔を上った先に別の塔へと続く扉を作ったのかは定かではないが、恐らくなんの意味もない。


 そうして足を踏み入れた図書館塔の中には、壁一面に書物、書物、書物と、見るものを威圧するように古今東西のあらゆる知の結晶がひしめいている。カナはここに来る度、数多の背表紙に睥睨されているような、少しだけそわそわとした気持ちになる。


 そんな落ち着かない気持ちをなんとか撫でつけつつ、借りていた参考図書を返却しに司書の先生のもとへと向かった。


「あ、あのぅ……本を返したいんです、けど……」


 カウンターに向かい、カナが小さな声で呼びかけると奥で何やらごそごそやっていた司書の先生が振り向く。


「あぁ、あなたね。夏休みの間よく来ていたけど、勉強は捗った?」

 

 返却の処理をしながら親しげに尋ねてくる司書の先生に、カナは曖昧に笑って返答の代わりとする。

 

 まだ誰かと話すのは苦手だ、とカナは思う。笑顔を意識するようにはなったけれど、そのせいで却ってリジー先輩みたいな屈託のなさは自分にとっては随分と縁遠いものだ、と浮き彫りになったようにも思えるのだ。

 

 変わりたいと思っても、そう簡単にはいかないのが現実で。

 

 ぼっちで落ちこぼれであったカナ・スキレットは、未だにまだ彼女の胸の内で膝を抱えてしゃがみ込んでいるのだ。

 

 だから少しでも自分を変えようと、この夏休みは勉強に精を出していたカナなのである。染みついてしまった性格よりは、勉強の方が努力でなんとかなる余地がありそうだ、と判断したのだ。

 

 まあその結果は甚だ心許ないような気もするのではあったが。


「はい、確かに返却されましたっと」

 

 貸出帳にサラサラと何やら書きつけて、司書の先生は明朗にカナに告げる。その明朗さに当てられたようにカナはビクッとしてしまい、そしてそんな自分を恥じるように頬を朱に染めた。


「……あ、あの、ありがとう、ございます」

 

 にこやかな笑顔、とは言い切れないまでもそれなりに明度の上がった表情でお礼を述べ、しかし体の方はすでに半分逃げるように腰が引けているカナを、司書の先生は「あ、ちょっといい?」と何げなく呼びとめた。


「ひっ、あ……な、なんでしょう?」

 

 笑顔はひきつり(もはや笑顔と呼んでいいものか怪しくなりつつある)、それでもなんとか逃げずに踏みとどまって、カナは訊き返す。


「ちょっとお願いがあるんだけどね。貸出期限を過ぎているのにまだ返ってきていない本が結構あるんだけど、その回収をお願いしたいの。どう? やってくれる?」

 

 自分でやりたいんだけど今ちょっと仕事が立て込んでいて、と申し訳なさそうに眉を下げる司書の先生だが、対するカナも同じくらい眉を下げて困り顔である。気弱な彼女にそんな督促人みたいな役目が務まるとは到底思えなかったのだ。

 

 そんな不安を察してか、司書の先生は安心させるように笑みを浮かべる。


「あ、でもそんな大変じゃないと思うのよ。今までも何度か――いや何度も? ――延滞してる子なんだけど、単純に返すのを忘れていただけだったから。ただ、いつも図書館にはいるんだけど、なんか妙に人目に付かないトコに隠れるみたいにしてる子だから探すのが大変で。だから探し出して本を返すように伝えてほしいの。ダメかな?」

 

 そうまで言われて手まで合わせられるとカナとしても断りづらいものがある。それに言われたことを伝えるだけなら人見知りのカナにでもなんとかできそうではある。

 

 なにより、こんな自分でも誰かの役に立てるのかもしれない。

 

 そんな清冽な気持ちがカナの小さな胸の奥から微かに湧いてきて、気づけばカナはこくり、と頷いていたのだった。


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