六話 夏の夜に咲く(2)◯
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翌日、リジーはキティとシュシュに連れられてアカデミーからほど近い街に遊びにきていた。
結局、リジーのノートに書かれていたことは残り一週間足らずでは実行不可能という結論に至り、昨日は早々にベッドに入ってふて寝していたリジーである。
そんな彼女がちょびっとだけ不憫に思えたキティがシュシュに相談して、たとえ近場といえどリジーを遊びに連れ出すことにしたのだ。
面倒くさがりのシュシュもキティの計画には、「この世話焼きのお節介め」と毒づきながらも快く協力してくれた(キティが暴力の影をチラつかせて協力するよう脅したわけではない。決して)。
そんな経緯もあり、今日のリジーはいつもより少しだけ仏頂面であった。
けれど、三人で街のメインストリートをウィンドウショッピングして、クレープ屋の屋台でクリーム大盛りのサービスをしてもらう頃には、リジーもすっかりいつもの調子を取り戻していた。
三人は噴水のある公園のベンチに座り、噴き出す水飛沫とキラキラ反射する陽射しを眺めながらお互いの手にしたクレープのクリームやフルーツをシェア――もとい、奪い合った。
「ねえ、キティ。シュシュも。今日はありがとね」
「何よ、改まって」
「どういたしまして――リジーのイチゴもらいっ」
クレープを食べる手を休めたリジーの言葉にキティは面食らう。その隙に横合いからシュシュがクレープの具をかっさらっていった。
「あー! イチゴは大事に取っといてたの――っぅぐ!」
「はいはい、わたしのあげるから。で、お礼なんてどうしたの?」
シュシュに食ってかかろうと大口を開けたリジーに、残っていたクレープを丸ごと突っ込みながらキティは尋ねた。
「んぐんぐ……、うん。わたし、すごく夏休みを楽しみにしていたから、やりたいことができなくなっていじけてたんだ。
でも、今日二人と一緒に過ごして気づいたの。わたしが本当にやりたかったことは、どこか遠くへ行くことでも特別なことをするわけでもなくって、ただキティとシュシュ、二人と一緒にいたかっただけなんだ、って」
そう言ってリジーはにっこりと笑った。
「リジー……」
キティはハッ、と瞳を見開くとポケットからハンカチを取り出した。
「キティ、泣くほど感動したの?」
リジーがキティの肩を優しく叩こうとすると、
「ううん、顔にめっちゃクリーム付いてる」
もう、べとべとじゃない、と呆れながらキティはリジーのクリームまみれの顔を拭ってあげた。
「まったく、リジーは本当に世話が焼けるなぁ」
「世話を焼いてるのはわたしだけどねっ」
やれやれ、とばかりに肩を竦め、ついでにリジーの手に残っていたクレープを掠め取るシュシュに、キティは噛みついた。シュシュは素知らぬ顔で略奪したクレープにかぶりつく。
「……ちょ、キティ、もうクリーム取れたから……窒息する」
むぎゅむぎゅ、とハンカチの下からリジーは呻いた。
「あ、ごめん」
「ぶっはっ、死ぬかと思っ――って、あぁ!? わたしのクレープがない!」
息を吹き返したリジーは手元を見て愕然とする。
ジロリ、とキティに睨まれたシュシュはあらぬ方向に目を遣りながら応えた。
「あぁ、えっと、さっき……あれだ、野犬が咥えていった」
「野犬がっ!?」
「何雑な嘘ついてんのよ! あんたが食べたんでしょ、ちびっ子」
「嘘なの!? こらっ、シュシュ! ――って、逃げるな!」
キッ、と目を吊り上げたリジーの腕をかいくぐり、シュシュはすばしっこく逃げ回った。小さな体とフワフワの金髪のせいで、金色のボールが跳ねているようである。それを追いかけるリジーのメープル色の髪がパタパタと揺れていて、まるで犬が尻尾を振りながらボール遊びに興じているようであった。
「平和ねぇ……」
そう呟くと、キティはベンチの背もたれに体を預け二人のじゃれる姿を遠巻きに眺めた。
そのまましばらく円形の噴水の周りで追いかけっこを繰り広げていた二人だったが、突然何かに気を取られたように足を止めると、慌てたように噴水脇の生垣の茂みに隠れた。
「何してるのよ?」
不審に思ったキティが近づいていくと、振り返った二人は一斉に「シイーッ」と唇に指を立てた。
「……? なんなのよ」
ちょちょい、としゃがむように手で合図するリジーに従いながら、キティは小声で問いかける。
無言でシュシュが指し示した方を見ると、そこには七、八歳くらいの男の子と女の子が向かい合って立っていた。
そこは生垣と木立に遮られ、近くの噴水や遊歩道からは見えないようになっている。
「あの子どもたちがどうかしたの?」
何か悪さでもしているのか、とキティは目を凝らすがそんな気配は微塵も見えない。それどころか、男の子はそわそわと落ち着かなく、女の子の方は顔を赤らめながらスカートの裾をぎゅ、と握っていて、何やら甘酸っぱい空気がその二人の周囲から発生しているようであった。
「……ね? なんかいい雰囲気じゃない?」
目を輝かせるリジーをキティは軽く小突いた。
「あんな小さい子たちの恋路を覗き見なんて趣味悪いわよ」
「とか言いながら、自分だって居座って見てるだろ」
からかうように片頬を歪めるシュシュに、
「そりゃ、人の恋バナほど野次馬根性をそそられるものってないでしょ?」
キティは開き直って言い切った。
「二人とも静かに! 気づかれちゃうでしょ?」
リジーの忠告に二人は黙って生垣越しに幼いロマンスを見守ることにした。貴重な夏休みの一コマを出歯亀行為で浪費していることに関しては三人とも気にしていないようである。
とにかく、およそ恋などというものとは無縁の三人は目の前の光景に興味津々であったのだ(シュシュだけは、追いかけっこに疲れていたところリジーの気が逸れたのでこれ幸いと乗っかっていただけであったが)。
さて、件の少年少女たちの様子であるが、まさに変化が生じようとしていた。
そわそわと視線をあっちこっちに彷徨わせていた男の子が意を決したように口を開いたのだ。
「あ、あのさっ! 今度のお祭り、よかったら一緒に花火見ない!?」
「えっ……」
女の子は頬を赤らめもじもじした。
(それってお祭りデートってこと? やるねぇ、あの子)
(ちょっとリジー、静かにしなさいよっ。女の子の返事が聞こえないでしょ)
(ちっさい子の恋バナに必死過ぎだろ、キティ……)
ひそひそとささやきながら成り行きを見守る三人の覗き魔の存在など露知らず、女の子は可愛らしく頬を染め男の子を見つめた。
「そ、それって二人っきりってこと?」
「う、うん……! それで、花火を見るのにいい場所知ってるから、ニーナと一緒に見たいな、って……」
懸命に言い募る男の子の方も耳が真っ赤になっている。
「それで、その時に大事な話があるんだ……」
(こ、告白だ!)
(告白よ! んきゃあああ)
(興奮し過ぎだろ)
生垣の陰で身悶えするキティとリジー。そんな二人に胡乱な目を向けるとシュシュは一歩距離を取った。
「わかった。いいよ」
ニーナと呼ばれた女の子の顔が咲き始めたバラのように色づき、はにかむようにそう答える。
「やった! そ、それじゃ明後日の六時にこの公園の入り口で待ってるから!」
「うん。楽しみ」
ころころと嬉しそうに笑うと、ニーナは男の子に手を振って去っていった。
男の子はしばらくポーッと惚けたように突っ立っていたが、我に返ると何かに耐えきれなくなったかのように弾けるように駆けていく。
陰に潜んでいた三人はようやく身じろぎをすると、映画のエンドロールが流れ終わった時のように大きく息をついた。
「まるでラズベリーのような恋ね」
うっとりと呟くキティに、シュシュは「はっ」と小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「どこにでもあるような恋ってことか」
「甘酸っぱいってことよ!」
ロマンチストなキティとリアリストのシュシュでは、こういった意見の食い違いが発生することもしばしばだ。こんな時はたいてい間を取ってリジーが仲裁するのが常であるため、二人はリジーを振り返った。
「リジーはどう思う?」
図らずもシンクロした問いかけに、キティとシュシュはお互い牽制するように睨み合った。が、
「わたしたちもお祭りに行こうよっ!」
こいつは世紀の名案だ、とばかりに満面の笑みを浮かべたリジーの唐突な提案にそろって首を傾げた。
「……急になんなの?」
時々出るリジーの会話ぶった斬りには慣れっこであるが、一応聞き返すキティ。
「ほら、あの子たちはお祭りデートするんだよ? だったらわたしたちもしない手はないよっ」
「お祭りデートを?」
「お祭りデートを!」
キラキラと目を輝かせるリジーに、束の間、キティとシュシュは視線を交錯させると、よし、ここはノッておこう、と無言のうちに意思疎通した。
「リジー、私とキティ、どっちとお祭りデートしたいんだ?」
「あら、リジーはわたしを誘ったに決まってるじゃない」
つーんとした顔で言うシュシュにすかさず乗っかるキティ。
「ええっ!? 三人で、って意味だったんだけど……」
「なんですって? リジー、あんた二股かけようって言うの!? そんな器用な人だなんて知らなかったわ!」
「デートと言うからには私かキティ、どっちかを選んでもらわないとな」
「うぇええ!? なんで急に修羅場になってるの!?」
唐突な三角関係勃発にリジーは慄く。
「さあ、どっちを選ぶんだ、リジー?」
「早く決めてちょうだい」
じりじりと詰め寄ってくる二人に、とうとう脳みそがオーバフローしたリジーはやけくそ気味に叫んだ。
「どっちかなんて選べないよ! わたしは二人とも大好きだから!」
大胆な愛の告白をしたリジーが照れたように二人を見ると、
「――って、なんでそんな遠くにいるの!?」
めちゃくちゃ引いていた。
「いや、そんな真剣に悩むとは思わなかったのよ」
「時々冗談の通じない奴だな、リジーは」
真顔でのたまうキティとシュシュに、リジーは頬を風船のごとく膨らませた。
からかわれていたと知ってたいそうご立腹である。
「もぉいいよっ! お祭りは一人で行くからっ」
言い捨てると、リジーは不機嫌そうに踵を鳴らして歩いて行ってしまった。
「待って、リジー!」
慌てたように追いかけるキティとシュシュ。
「キティ……、シュシュ……」
二人はリジーに追いつくと、からかってしまったことを謝るのかと思いきや、
「ちょ、一人でお祭りとか悲しいからやめておけ」
「そうよ、一人のリジーを見て周りの人が『あ、この子友だちいないんだな』って悲しくなるでしょ」
なおもからかう気満々であった。
「もぉおおお! 二人なんか大っ嫌い!」
今度こそやってられるか、とばかりにリジーは空に向かって吠えた。




