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一話 涙を拭うための魔法(3)☆

 次の日からわたしは人が変わったように輝きだした。

 

 なんて、そんなうまくいくはずもなく。


「まあまあまあまあ! ミス・スキレット、またあなたなのっ!?」

 

 わたしは相変わらず授業で失敗をかましてしまう日々を送っていた。

 

 わたしとペアを組むことの多いラシェーラには、一番迷惑をかけてしまうことも変わらない。濡らしたり、焦がしたり、滑らせたりと、彼女を散々な目に遭わせてしまう度にわたしは申し訳なさのあまり死にたくなった。でも死ぬほどの勇気もなくて、そんな時は結局臭い厩舎に足を運ぶのだ。

 

 リジー先輩はといえば、たいていそんな時にやってきては笑顔でわたしを元気づけてくれたり、自分の失敗談を語ったりした。

 

 彼女の騒々しい話に耳を傾け、その輝くような微笑みを向けられることで、わたしは生きていけた。彼女の笑顔は、陰も陽も隔てなく照らしてくれたから。

 

 だから、わたしは勘違いしたんだ。

 

 いつも触れられそうな距離で微笑んでくれるから。

 

 あの星にだって手は届くんだ、って。


 *


 その日は少しだけ気分が良かった。珍しく大きな失敗をすることもなく授業を終えられたから、いつもは背中を丸めて俯きながら歩くアカデミーの廊下も、ほんのちょっぴり胸を張る――じゃないけど、ちゃんとここにいていいんだ、って思えた。

 

 だから、ふと吹き抜けから階下を見下ろした時に、リジー先輩がメープル色の髪の二房を揺らしながら歩いているのを見かけて、声なんてかける気になったんだと思う。そんな、わたしらしくもないことを。

 

 けれど、結局声をかけることはできなかった。


「……ぁ、リジーせんぱ――」

「ちょっと、リジー! 課題のプリント忘れてるってばー」

 

 わたしの小さな声が先輩に届く前に、彼女は背後からの大声に振り返った。そして、途端に笑顔になる。

 

 わたしは、全然意味なんかないのに胸がぎゅっと痛くなった。


「うわぁ、ごめーんキティ! ついでにわたしの分の課題やっといて!」

「ちょーし乗んな」

 

 キティと呼ばれた少女は、駆けていったリジー先輩の頭に軽く手刀をくらわせる。

 

 遠目からでも目を惹く、可愛い人だった。陽の光を存分に浴びて育ったんだろう、と思うほどきらきらして見えた。

 

 屈託なんて何もないように笑い合う二人をぼんやり眺めていると、その近くの教室から小柄な少女が出てきた。周囲を見回して二人を見つけると歩み寄っていく。


「リジー、先生がお前のこと探してたぞ」

「シュシュ! えっ、わたしなんかやらかしたかなぁ?」

「心当たりがあり過ぎて困るな」

「それ、言えてるわ」

「二人ともひどくない!? それでも友達か!」

 

 そのまま三人は連れ立って歩きだした。

 

 素っ気ないような会話も、並んで歩く肩が触れ合いそうな距離感も、彼女たちの親密さを物語っているようで。

 

 何よりリジー先輩が二人に向ける笑顔は、わたしが見たことのないような色を湛えていた。そのことに、なぜだかわたしはひどくショックを受けたのだ。


「うわぁ、キティ先輩だ! 俺、ファンクラブ入ってるんだよね」

「あれシュシュ先輩じゃない? ちっちゃくて可愛いのに学年一位の成績なんだって!」

 

 ぼんやりと立ち竦むわたしの背後を黄色い声が通り過ぎていく。

 

 へぇ、そうなんだ。

 すごいね、わたしとは住む世界が全然違う。

 

 胸の内でだけ呟く。

 

 日向でも生きられる人たち――ううん、きっと日向ぼっこみたいな人生なんだろう。楽であったかくて居心地の良い世界。


 そりゃあ、リジー先輩だってそういう人たちと一緒の方が楽しいに決まってる。こんなわたしみたいな、暗くてジメジメした地面でしか育てないような人間といるよりも。

 

 彼女は優しいから。

 

 だから、わたしみたいな子のことを憐れんでくれたんだ。きっとただそれだけ。もしかしたら、多少の共感みたいなものはあったかもしれない。失敗が多いわたしに、少し親近感を持ってくれたのかも。

 

 でも、全然違う。わたしと彼女は。

 

 彼女はどんなに失敗したって明るく輝いている。わたしみたいに周りを不快にさせたりしない。きらきらした友達に囲まれて、陽の当たる世界で生きていける。

 

 わたしと彼女が仲間だなんて、ひどい思い上がりだ。死にそうで死にたくなる。

 

 何を考えていたんだろう、わたしは。

 

 わたしにとっては、リジー先輩は特別な存在だった。だからいつのまにか勝手に思い込んでいたんだ。彼女にとっても、わたしは特別な存在なのかもしれない、って。


 何をどう考えたらそんな結論に至るのか、今のわたしにはてんで意味不明だった。きっと以前のわたしは頭がおかしかったに違いない。

 

 本当にバカみたいで、おかしくて、でも泣きそうだった。いよいよ本格的にわたしのどこかが壊れているのかもしれない。本当はアカデミーなんかより、病院にでも通うべきなのかも。

 

 わたしの居場所は、やっぱりここにはないんだ。

 

 じゃあ、どこにあるんだろう。わたしはどこへ行けばいいの。誰か教えてよ。

 

 *


 誰か、という言葉で真っ先にリジー先輩の笑顔が浮かんで、わたしは我に返った。


 気がつくとアカデミーの片隅、いつもの厩舎まで歩いてきていたらしい。いつもは落ち着くはずの薄暗さに、今日は少しだけ胸が詰まった。


 ハンカチを敷くのも億劫で、そのまま地面に座り込みながら、今日はリジー先輩がきませんように、と祈る。こんなぐちゃぐちゃな気持ちのままでは、誰にも会いたくなかった。


「カナ」


 けれど、日陰者の祈りを聞き届けてくれるような神様はいなかったらしい。弾むような彼女の声に、わたしは身を硬くした。


「……あれ、今日はいつもより元気ないね?」


 労わるような彼女の声が、今のわたしにはぶすぶすと突き刺さった。


 憐れまれている。


 お腹の底から汚いガスみたいにブクブクと湧いてくるそんな気持ちを抑えられなかった。


「わたしで良ければ、聞くよ?」


 聞いてどうするの? どうしようなくダメな日陰者のカナ・スキレットを憐れんでくれる? そんなの望んでない。慈善活動のつもり? やめてよ。


 醜い感情が溢れ出すのを止められない。わたしのどこにこんな暗くて汚いものが溜まっていたのか、と不思議に思うくらいに。


 これ以上はダメだ、と思った。きっとわたしはリジー先輩の優しさを全部捻じ曲げてしまう。そんなのは嫌だ。嫌なんだから、もうどっか行ってよ……。


「……そっか、まあ言いたくないこともあるよね。わかるよ」


 わかるよ。


 優しげな声音のその言葉は、わたしの耳を痛いほどなぶった。


 何が? 何がわかるの? わたしの、何が?


 胸がぎりぎりと締めつけられるようで堪らなかった。


「…………ぃよ」


 不明瞭で小さくて、自分でも大嫌いなわたしの声。


「え?」


 大好きだったはずの彼女の笑顔が揺らぐ。嫌だ、と思った。でも止められなかった。


「……先輩にはわからないよ――ッ!」

 

 それはまるでわたしの声じゃないみたいに大きく響いた。すごく鮮明に。けれど、今までで一番嫌いな声だった。


「……カナ?」

 

 戸惑うように伸ばされたリジー先輩の手から逃れるように、わたしは腕をかき抱いて呻く。


「わからない……。先輩みたいな人にはわからない……。明るくて、すごい友達に囲まれてる先輩には……、わたしみたいな、バカでトロくて、何やってもダメな人間の気持ちなんてわからない……。日陰でしか生きられない人の気持ちなんて、わかんない……、わかるはずないッ――」


「ねぇ、カナ? 急にどうしたの? 嫌なことがあったの? それなら、わたしに話して――」


「意味ないっ、話したって意味なんかない……。だって、わたしと先輩は、全然違うから……!」

 

 自分でも支離滅裂なことを言ってるのはなんとなくわかったけど、わたしの口はタガが外れたみたいに動き続けた。


「わたしは……、先輩と違って、日向で生きていけないからッ……。失敗しても笑っていられないし、……友達だっていないし」

 

 視界が滲んで、わたしは自分が泣いていることを知った。


「やっぱりわたしはっ、…………先輩みたいに、光れないよ……」


 夜空に浮かぶ星たちよりも眩しく煌めいていた、リジー先輩のようには。

 

 涙で喉が詰まって、声にならない呻き声ばかり漏れた。

 

 気持ち悪い。何をしているんだろう、わたしは。こんなのただの八つ当たりだ。


「先輩みたいな人間には、なれない……」

 

 溢れた涙が零れて、一瞬視界が晴れる。その一瞬で十分だった。

 

 リジー先輩の顔は悲しげに歪んでいた。

 

 また自分勝手な涙が溢れてきて視界を塞ぐ。

 

 違う。そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。

 

 わたしは両手で顔を覆った。そうすれば彼女の表情がわからなくなるから。

 

 リジー先輩は何も悪くない。

 

 悪いのは、周りに迷惑ばかりかけて、自力で光れもしないわたしだ。


「……ご、……め」

 

 嫌いだ。

 

 謝りたいのに、その言葉すら満足に口にできない自分が。

 

 もう限界だった。

 

 わたしは夢中でその場から――リジー先輩から逃げた。

 

 嫌いだ。

 

 弱くて汚い自分の心が、わたしは大嫌いだ。

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