表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/41

五話 「愛している」とアップルパイ(4)☆

 *


 リジー先輩に話したことで悩みは軽くなった。あの後部屋に戻ると、何も聞かなくてもカナはあたしのそんな気持ちを感じ取ったようにホッとした顔をした。


 けれど、その一方でエレナとケンカ別れのようにアカデミーに戻ってきてしまったことがずっしりと重石のようにのしかかってきていた。


 そんなある日のことだ。あたし宛に、父親から手紙がきた。そんなこと今までになかったから開けるのに随分躊躇った。


 そしてあたしの嫌な予感は的中した。


 手紙には、エレナの病気が悪化して入院した、と書いてあった。一時危険な状態ではあったが今はなんとか持ち直している、と。峠は越えたが、できるなら遠方の職場に戻らなければならない父に代わってあたしに彼女の傍にいて欲しいと。


 本来なら手紙を受け取ったその日にでも、あたしは彼女のもとへ駆けつけるべきだったんだろう。

 けれど翌日になってもあたしはぐずぐずとアカデミーに留まっていた。何度も見返したせいで手紙は若干ヨレて端の方がくしゃくしゃになってしまった。


 あたしは彼女の傍にいてもいいのだろうか。

 そんなことばかりが何度も頭を過って、足踏みしていたのだ。


 病気で心身ともに弱っている時だ。そんな時傍にいるべきなのは愛する家族ではないだろうか。だとしたらあたしが行くのは筋違いではないだろうか。


 そうやって寮の自室でずっと悩んでいたから、気づいたらカナが心配そうな視線をあたしに向けていた。この調子だとまたリジー先輩に相談しに行こう、なんて言いだしかねないので、あたしはそっと自室を抜け出すことにした。




 メザウィッヂ城の西端にはこじんまりと整えられたバラ園があり、その奥まったところに小振りの四阿がひっそりと佇んでいる。そんな隠れ家のようなスポットであるから、ただでさえ生徒数の少ない夏休みには容易に一人きりになれるのだ。

 そう思ってあたしが足を向けると、そこには先客がいた。


「あれっ、ラシェーラ。どしたの、お散歩?」


 四阿の木のベンチに寝転がっていたリジー先輩は上半身だけ起き上がるとあたしに向かって微笑んだ。


「……どうも。まぁそんな感じです」


 あたしはなんでもないふうに言ったけれど、リジー先輩は目ざとくあたしの手に握られた手紙に視線を向けた。


「それ、お返事に悩んでるの?」


 ちょい、と手紙を指差しながらリジー先輩は問う。


 あたしは少しの間逡巡した。

 けれどもう既に彼女には相談していることだし、わざわざ訊いてくれたのに答えないのも悪いような気がする。そう考えると、話してみようと決めるのにさして迷うことはなかった。


「返事ではなくて……。先輩、この間お話したこと覚えてますか?」

「うん、エレナさんとのことだよね?」


 即答するリジー先輩に、あたしは改めて感心した。初対面の後輩のしょうもない悩み事をずっと覚えていてくれているのだ、と。


「……はい、エレナが病気で入院してしまって。それであたしに彼女の傍にいて欲しいと、父から」

「行かないの?」


 リジー先輩は世間話のような気軽さでそう訊いた。


「……あたしが行ってもいいのか、わからなくて」


 どこまでも自然体なリジー先輩だから、あたしも素直に自分の気持ちを吐き出せたのだと思う。


「ラシェーラはどうしたいの?」

「あたしは……」


 エレナにとって、あたしは本当の家族ではないのかもしれない。彼女はあたしがくることを望まないかもしれない。だからあたしには病気のことを隠していたのだ。


 行くべきじゃない。

 だって、あたしは彼女に愛されていないから。


「行きたい」


 声高に主張する心とは裏腹に、気づけばそう口にしていた。


「エレナはあたしを愛していないかもしれない。でも、あたしはエレナを愛したい。本当の、家族になりたいんだ」


 口にしてしまえば、それは自分でも笑ってしまうくらい単純な気持ちだった。


 それだけのことだったのだ。エレナがどう思っていようと、あたしは彼女と――彼女たちと家族になりたかった。ただ、それだけなんだ。


「そっか、じゃあ急いで行ってあげなくちゃ」


 リジー先輩はあたしの背中をポンと叩くように言った。


 頷いて踵を返しかけたあたしだったが、「あ」と声を上げたリジー先輩に慌てて振り返る。


「お見舞いに行くなら、何かお見舞いの品を持って行った方がいいんじゃないかな。何か、気持ちの込もったものを」


 その言葉で真っ先に思い浮かぶものがあった。

 あたしの気持ちを込めるとしたら、それしかない。


「アップルパイ、を焼きたいと思ったんですけど――でも、あたし作ったことない……」


 思いつきは言っているうちに萎んでいった。

 けれど、リジー先輩はにっこりと微笑む。


「それなら任せて」


 その笑顔に、あたしは考えるよりも先に頷いていた。


 *


 その一時間後には、寮のカナとあたしの部屋のキッチンにアップルパイ作りの材料がみっしりと並んでいた。


 キッチンに立つあたしの隣では、なぜかアカデミーでも屈指の美少女と名高いキティ先輩がリンゴの皮をむいている。


「リジーから聞いたけど、今回はあまりゆっくりしていられないからパイ生地は市販のもので作りましょう」

「あ、はい」


 言いながらも手を止めることのないキティ先輩の手際にあたしはついつい見惚れた。が、我に返って自分も不器用な手つきで皮をむく。


「おーい、調子はどう?」


 ひょこっ、とキッチンの入り口からリジー先輩とおっかなびっくりのカナの顔が覗いた。


「まだ始めて五分も経ってないわよ!」


 キティ先輩はぴしゃり、とすげなく言い放つ。


「というかリジー、なんであんたは手伝わないのよ? いきなり『アップルパイ作るから』って呼ばれて、まだ若干事態が飲み込めてないんだけど?」

「えー、だってわたし料理とかできないし。だったらキティに任せた方がいいかなーって。それに、味見なら任せてよ!」


 にへらー、と笑って答えるリジー先輩にキティは呆れ顔でため息を吐いた。


「あ、あの。すみません。急にお呼びたてしちゃって……」

「いやいや、ラシェーラ、だったよね? あなたが謝ることなんてないのよ」


 あたしが謝るとキティ先輩はパッと笑顔になって両手をぶんぶんと振った。包丁を持ったままだったのでひやりとしたが。


「気持ちを伝えるのなら、料理はぴったりだと思うし。いや、事情はよくわかんないけど。リジーがちゃんと説明しないから」


 後半はじとっとした目でリジー先輩を睨みながら言うキティ先輩に、あたしは心の中で頭を下げた。現実はリンゴの皮むきにいっぱいいっぱいで首から肩にかけてガチガチに硬直していたから。


 リジー先輩への苦情をひっきりなしに垂れ流しながらも、キティ先輩はあたしが目を見張るほどの手際の良さでリンゴの皮をむき終わり、サクサクと切っていく。あたしもなんとかついていこうとしたけど、ほぼキティ先輩の手によって準備が整えられたことは否めなかった。


「よし、じゃあ次は煮ていこっか」

「は、はい」


 キティ先輩に教わりながら小鍋にリンゴを敷き詰める。砂糖をまぶし火にかけると、しばらくして甘い匂いが漂ってきた。


「いい具合になったら火を止めて、バターを入れて、後は粗熱を取るの」

「いい具合って……?」

「食べる人の好みによるわね。食感が残ってる方が好きなら少し早め、しんなりしてるのが好きなら遅めに火を止めるの」


 エレナの作るアップルパイは柔らかかったな、と思い出す。舌の上で解けるようなそれを、エレナみたいだとあたしは思っていた。


「柔らかめ、かな」


 一瞬考え込んだあたしを、キティ先輩は優しく細めた目で見つめた。


「大切な人なのね、あなたがこれを作ってあげたい人は」


 そんなことを真っ直ぐに言われてあたしは気恥ずかしくなった。


「えと、そんなふうに見えます……?」


「わかるわよ。料理って正直面倒くさいじゃない? でもその面倒くさいことをしてる時の表情が嬉しそうだったり、楽しそうだったりするとね、あぁきっと面倒くさいのなんか気にならないくらい食べさせたい人がいるんだなぁ、って思うのよね」


 そう語るキティ先輩のはにかむような言葉に、そうか、やっぱりエレナのアップルパイは愛そのものだったんだなぁ、とあたしもしみじみと思ってしまった。


 あたしの気持ちも、このアップルパイに込めれば伝わるのだろうか。

 どうか伝わって欲しいと、そう思った。


 とろりとした色合いに煮詰まったリンゴを冷まし、パイ生地の上に載せ蓋をする。後はオーブンで焼けば出来上がりだ。


 うまくできるだろうか、とオーブンの前で落ち着かなくうろうろしていたらキティ先輩が呆れたように笑いながらあたしをキッチンから引きずり出した。


「見てても早く焼けたりしないから」


 それから先輩がお茶を淹れてくれたけれど、あたしの頭の中はどうやってアップルパイを渡そう、とか、エレナは喜んでくれるだろうか、結局あたしの自己満足じゃないだろうか、とかぐるぐると思考が渦巻いていた。




「それじゃ、開けてみようか」

 キティ先輩に促され、あたしは恐る恐るオーブンの取っ手を引き下げた。


 途端にぶわり、と暴力的なまでの甘い匂いがキッチンに広がる。


「……うん、上出来じゃない?」


 あたしは答えるのも忘れて焼き上がったそれを見つめた。


 艶々と湯気を上げるそれはエレナの作るものとは全然違っていて。

 また、立ち昇る湯気のように不安が湧き上がってくる。


 そんなあたしの不安を察知したようにリジー先輩がキッチンに顔を出した。

 彼女には他人の不安定な心を嗅ぎとる器官でもあるのだろうか。


「これがラシェーラのアップルパイか。あったかいね」


 リジー先輩は微笑んで言ってくれた。


 そうだ、これはあたしが作ったアップルパイなんだ。エレナのと違うのは当たり前だ。彼女とあたしで愛し方が違うように。


 でもそれでいいのだ。あたしは、あたしなりのやり方で気持ちを伝えられれば。


「あたし、これを渡してきます」


 そう言うと、リジー先輩はもう一度あたしの背中を押すように笑って頷いた。


 *


 病院に着く頃には既に夕方で、長い時間汽車に揺られている間にアップルパイもすっかり冷めてしまっていた。


 受付で聞いたエレナの病室に向かいながらも、また落ち着かない気持ちになって何度もアップルパイの包みを持ち替える。


 無心でリノリウムの床を見つめながら歩いていると、病室まではあっという間で。あたしはいざ扉を開ける段になって尻込みしてしまった。


 でも、今ならきっとちゃんと言えるから。

 あたしは大きく息を吸って、扉を開けた。


「エレナ」


 呼びかけると、上半身だけ起き上がって窓の外を見ていたエレナが振り向いた。その目が驚きに見開かれる。


「ラシェーラ、どうして……?」

「父さんから手紙もらったから」

「そう……」

「…………あの、具合はどう?」

「あ、ええ。今はもう落ち着いているわ。だからわざわざお見舞いにきてくれなくっても良かったのよ?」


 そう言ってエレナはぎこちなく笑った。その笑顔から、この間のことが尾を引いているのがわかった。


 そう考えて、あたしは彼女の眩しいくらいの笑顔が好きだったんだなぁ、と気づく。

 そのとろけるような笑顔を向けられると、あたしはいつも温かくてじんわりとしたものが胸の奥の方から込み上げてくるのだ。


 躊躇いがちに一歩を踏み出し、そのままベッドまで近づいていった。

 そして、手に持った包みを差し出す。

 心臓が痛いくらいに胸を内側から打っていた。


「これは……?」


 戸惑うように小首を傾げ、エレナは尋ねる。

 あたしは一つ息を吐くと、「アップルパイ。作ったの」と短く答えた。長くしゃべるには胸が苦し過ぎた。


 包みを受け取ったエレナの指が、その上で迷子のように揺れる。意味を図りかねているかのように、包みとあたしの顔を何度も見比べた。


「私ね」


 やがて、ぽつりとエレナは吐息混じりに言葉を零した。


「私、あなたの誕生日にはアップルパイを焼かない方がいい、って思ったのよ」


 包みに視線を落としたまま、エレナは訥々と言葉を並べた。迷っているように、その声音はいつになく弱々しく聞こえた。


「あなたのお父さんから誕生日にはいつも同じお店のケーキを用意するということは聞いていたの。それが本当のお母さんとの想い出だってことも。それもあってか、私、あなたにどこか遠慮していたんだと思う。踏み込み過ぎちゃいけない、って無意識のうちに考えていたのかも」


 俯きながら話すエレナの表情はあたしからは見えなかったけれど、微かに震える声に、あたしだけでなくエレナもずっと前から抱え込んでいた気持ちがあったのだな、と思い知らされた。


 寄る辺なく彷徨う指先に、あたしはきりり、と胸の奥を絞られるような痛みを覚える。


「どんどん自信がなくなっていったの。いつまで経ってもラシェーラは私に対して一線を引いているようで。本当は私のことが邪魔なんじゃないか、突然現れて母親面して疎ましく思っているのかも、とかそんなことばかり考えるようになっちゃって……」


「そ、そんなことない……!」


 段々とか細くなっていくエレナの声に、あたしは思わず口を挟んでいた。


 ハッとしたように顔を上げたエレナに、今度はあたしが気持ちをぶつける番だった。それは以前のような怒りに任せたものではなくて、ただわかって欲しかったから。


 あなたを愛したかった――叶うのなら今でも愛したいと思っているあたしのことを。


「でも、あたしもおんなじなんだ……。あたしもずっと思ってた、あたしは邪魔なんじゃないか、って。だから、エレナはあたしの誕生日にはアップルパイを焼かないんだ……って。エレナに愛される資格なんか、ないんだって……本当の家族には、なれないんだ……て」


 言いながら、どうしようもなく込み上げてくる嗚咽をこらえ切れずに、それでもあたしは吐き出し続けた。今、伝えなくちゃと思ったから。


「本当はあたしだって、ケビンやジョンみたいにエレナに甘えてみたかった、わがままだって言いたい時だってあった! おやすみのキスだってして欲しかったし、二人みたいに誕生日にはアップルパイを焼いて欲しかった……! わかってたよ……、エレナがあたしに気を遣ってくれてるのは。それは嬉しかったけど、でも心の底では違うって……、気を遣ったりなんかして欲しくなかった。だって……」


 息が詰まる。今までずっと言えなくて、抱え込んできた想いを、口にするのはこんなにも苦しくて痛くて。でも言わないとずっと、どんどん苦しさも痛さも大きくなっていく。


 だからあたしは必死に言葉にして吐き出そうとした。溜め込んだ痛みが、爆発してまた周りの人を傷つけてしまわないように。


 ただ一言。


「あたしは、本当の家族になりたかったんだ」


 ずっと言いたくて、でも言えなかったその言葉。

 伝わったのだろうか。あたしの気持ちは。


 エレナの顔を見ると、大きく見開かれた目が瞬きもせずにこちらを見つめていて。けれど、それは見る間に薄い透明の膜に覆われて、くしゃりと歪んだ。


「私だって……ラシェーラ、あなたと家族になりたい、ってッ」


 語尾が嗚咽に呑み込まれて滲んでいく。

 けれど、それでも彼女の気持ちは伝わってきた。隔たりを飛び越えて――いや、最初からそんなものなんてなかったのかもしれない。二人してあると思い込んでいただけなんだ、きっと。


 だから、今なら言える。こんなにもあたしたちはお互いのことで悩んでいたのだから。


 愛して、いたのだから。


「エレナ、あたしはあなたを愛してもいい?」


 エレナの震える肩をそっと抱き寄せて、あたしは囁いた。

 彼女は嗚咽を堪えるように何度も肩を上下させたけれど、結局うまくいかなくてこくこくと何度も小刻みに頷いた。


 それだけで十分だった。


「愛してる」


 あたしのその言葉はエレナの膝の上、アップルパイと一緒にことり、と並んだ。

五話完結です。


次回更新は未定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ