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一話 涙を拭うための魔法(2)☆

 彼女と再会するよりも早く、わたしは彼女の名前と再会することになった。


「ねえねえ、さっきの教室ヤバくなかった? なんか煙出ててさ」

「あー、きっとあれ『あの人』だよ」

「えー、誰?」

「二年の先輩なんだけど、すっごい落ちこぼれなんだって。名前は、確かリジー・ホールワースとか」

「あっ、聞いたことある。落ちこぼれリジーって人だ」

 

 教室の隅っこにいたわたしは、そんな会話が聞こえてきて、なぜだかわからないけれど動悸が速くなった。

 

 あの人だ。厩舎で出会った翡翠のような瞳の先輩。リジー・ホールワース。

 

 落ちこぼれ、だなんて言われているんだ。

 

 その言葉に、胸の奥から黒々とした何かがせり上がってきそうになって、わたしは俯いた。

 

 わたしは自分で自分のことを落ちこぼれだと思うことはあるけれど、リジー先輩は周りからそのレッテルを貼られているんだ。

 

 嫌だな。

 たとえ失敗ばかりだとしても楽しそうに笑っていられるあの人に、そんな言葉を押しつけたりしないでほしかった。




「うわー、一年生にも知られてるんだぁ……」

 

 放課後、なんとなく気が塞いだまま厩舎を訪れたわたしが、しばらくしてやってきたリジー先輩に件の会話のことを話すと彼女は顔をしかめた。


「リジー先輩は……嫌じゃ、ないんですか? その、落ちこぼれ、とか言われるの……」

「んー、そりゃあ良い気分ではないけど……。まぁ実際落ちこぼれですからねぇ、わたしは」

 

 しかめていた顔をふにゃり、と崩してリジー先輩は答える。そんなのほほんとした表情を見ていると本当に気にしていないようで、わたしは彼女のそんなところがひどく羨ましく思えた。


 わたしは彼女のようには、きっとなれない。どんなに失敗をしても、他人の目を気にせずに笑っていられるようになんて。


 どんなに些細なことも誰かに見られていないか気にしていつもびくびくしているし、何か失敗をしてしまった後は周囲の会話に神経を尖らせている自分がいる。


「ん、どうかした、カナ?」


 リジー先輩が不思議そうに覗き込んできて、わたしはとっさに目を伏せた。


「いえっ、その……、なんでもない、です」

「何か嫌なことでもあった?」


 そんなことも笑顔で訊いてくる彼女だったからだろうか。


 わたしは自分のことを話してみたいと思った。日向で生きられない、泣いてばかりの落ちこぼれの、カナ・スキレットのことを。




「――そんなふうに、わたし、いつも失敗ばっかりで……。周りの子にだって、いつも迷惑かけちゃってるし……」

 

 たどたどしく、途中で何度もつっかえながら、わたしはリジー先輩に自分のことを語った。先輩はわたしの拙い話に一度も急かしたりすることなく付き合ってくれた。


「……カナは、優しい子だね」

 

 ようやくしゃべり終えたわたしに、リジー先輩はそっと笑いかける。


「自分が失敗したことで周りに迷惑をかけてる、って思って辛いんだよね。わたしは失敗しちゃった自分のことばっかり考えちゃうから、カナのそういうところ、すごいと思うなぁ」

 

 考えるよりも先にわたしはぶんぶんと首を横に振っていた。

 

 リジー先輩はわたしのことを買い被ってる。わたしはそんな綺麗な人間じゃないのに。

 

 わたしはただ、周りに迷惑をかけることで自分がどう思われてしまうのか、それが怖くてたまらないだけなんだ。結局、気にしてるのは自分のことだけ。

 

 けれど、目の前の優しい笑顔を見るとそんなこと言えなくなってしまう。

 

 そんなことを言って、リジー先輩にまでどうしようもない奴だと思われてしまうことを想像すると、わたしはお腹の底の方がぞわぞわするのを感じた。

 

 言えない。言いたくない。

 

 だって、リジー先輩だけはわたしのダメなところを笑って褒めてくれたから。


 教室の喧騒の中では誰にも届かない声も、臆病で周りを窺ってばかりの弱い心も、彼女は暖かい笑顔で肯定してくれる。その笑顔を見るたびに、こんなわたしにもいいところがあるんだ、って錯覚してしまえるから。

 

 だから、怖かった。

 

 これ以上ダメなわたしをさらけ出してしまったら、いくら優しい先輩でもわたしのことを見限ってしまうんじゃないか、って。


 わたしに向けられたその笑顔も、もう見られなくなるんじゃないか、って。

 

 だから、わたしは何も言えずに黙り込んだ。

 

 そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、リジー先輩もそれ以上何も言おうとはしなかったけれど、別れ際、「今日の夜、ちょっと寮を抜け出さない?」と悪戯っぽく囁いた。


「えっと……、何するんですか?」

 

 わたしの問いかけに、リジー先輩は冗談めかした仕草で唇に人差し指を押し当てる。


「それは秘密。でも、わたしのとっておきの場所に連れてってあげるよ?」

 

 夜間の寮からの外出は校則で禁じられている。けれど、わたしは思わず頷いていた。

 

 秘密、という響きにわたしの胸はきゅっ、と音を立ててそわそわしたのだ。


 秘密を共有することで、彼女にもっと近づけるような気がしたから。


「じゃあ、夜九時に寮の裏手の楓の木の下に集合ね」

 

 密やかにそう囁くと、リジー先輩は軽い足取りで去っていった。


  *


 寮の自分の部屋に戻ってからもずっと、わたしは落ち着かなくて無駄に動き回っていた。


「……どうしたの?」

「ぅあ……、なんでも……」

 

 同室のラシェーラに不審そうな視線を向けられてようやく、わたしはおとなしく約束の時間になるまで過ごすことにした。

 

 とりあえず今日の分の宿題を終わらせ、明日の予習に取りかかる。


 教科書を読んで重要そうなところは要点をまとめてノートに書き写していると、ふいにノートに影が落ちた。

 

 振り返るとラシェーラが覗き込んでいて、わたしはとっさにノートを閉じる。くしゃり、と開いていたページが歪む音がした。


「いや、別に隠すことないじゃん……」

 

 少しばつが悪そうにラシェーラは呟く。


「え……と、あの、何……?」

 

 同室とはいえ、いつもあまり干渉してこないラシェーラだから何か事務的な用事でもあるのだろうか、と思って、視線は俯かせたまま体だけ彼女の方に向き直った。


「別に用とかじゃないけど。……ただ、あんた予習とかはしっかりやってるんだよなぁ、と思ってさ」

「う、うん……?」

 

 用もないのに話しかけてくるなんて珍しい、と思ったけれど、彼女の言わんとしていることがよくわからなくて、わたしは何を言うべきか困ってしまった。


「いや、だから……、勉強はしてるのに、なんで授業だとできないのかなぁ、ってさ」

 

 相変わらずどこか気まずそうに言葉を紡ぐラシェーラに、わたしはようやく理解した。

 

 勉強してるのに、なんで失敗ばっかなの?

 

 そんな声が聞こえるような気がした。

 

 きっと彼女は失敗ばかりのわたしが迷惑で、いい加減うんざりしているんだろう。

 

 わたしは自分の膝小僧にじっと視線を注いで俯いていた。

 

 わかるよ、その気持ちは。わたしだって、こんな自分にうんざりしてるんだから。勉強だって頑張ってるのに、ちっともできるようにならなくて、自分でも嫌になる。

 

 結局何も答えられないわたしに、ラシェーラはため息をついて部屋を出ていった。

 

 わたしはもう一度机に向き直って教科書とノートを拡げたけれど、くしゃりと歪んだページを見ると、それ以上勉強する気にはなれなかった。


  *


 約束の時間よりも少し早く寮から外に出ると、想像よりも真っ暗でわたしは一応制服の上に羽織ってきたマントの前をかき合わせる。

 

 足早に待ち合わせ場所の楓の木の下まで歩く。先輩はまだきていないようで、わたしは木の幹に身を預けた。


 もう、先輩と約束を交わした時の高揚感は、だいぶしぼんでしまっていた。ラシェーラの呆れたような目が今もわたしを見据えているような気がして、わたしは先輩の笑顔が今すぐに見たくなった。


 夜の闇よりももっと暗く澱んだわたしの心を、その明るい笑顔で照らしてほしかった。

 

 矛盾してる。わたしは、日向では生きられないと思っているのに。彼女のお日様みたいな笑顔を、気づけば求めているなんて。


「カーナっ」

 

 背後から、木の幹を挟んで向こうの方からわたしを呼ぶ声に、いつも怯えて縮こまってばかりのわたしの心臓は跳ねるように鳴った。


 振り向くと、悪戯っ子のように木の幹から半身だけ見せてこちらを覗いているリジー先輩がいた。


「ごめんね、ちょっと遅くなって。待った?」

「い、いえ、全然……」

 

 わたしの思った通り、夜の底でも彼女の笑顔は眩しかった。しぼんだ心も暖かくほぐしてくれる。


「よかった。それじゃ、行こっ」

 

 リジー先輩はわたしの手を取って歩きだした。


「あのっ、どこに行くんですか……?」

 

 足がもつれないように慌ててついていきながらわたしは尋ねる。


「ふふん、いいからついておいで。悪いようにはしないよ、お嬢さん」

 

 なぜかキザな紳士のようなセリフでエスコートするリジー先輩に、わたしはくすくすと笑い声を漏らす。彼女といると、わたしにも笑顔が伝染するみたいだった。

 

 踊るように軽やかなリジー先輩のステップと、すこし鈍臭いわたしの靴音、そして時々漏れる小さな笑い声が、夜のアカデミーの校舎を進んでいく。月明かりに仄かに輝くステンドグラスや、背の高いアーチ窓から覗く飛び梁の影は、見慣れたはずなのになんだか新鮮に映った。


「こっから結構上るよー」

 

 校舎の東端、ゴシック建築風の校舎からまるで魔法を使ったみたいに斜めに生えている尖塔群の一つの扉を開けながら、リジー先輩は言った。塔の内壁に沿って斜め上に螺旋を描いて伸びている階段に、わたしは少し気後れした。


「……というか、塔自体が斜めってたら、螺旋階段上れなくないですか……?」

 

 塔内部を一周するためには重力に逆らう必要がありそう……。

 

 わたしの心配をよそに、リジー先輩は慣れた様子で階段に足をかける。


「大丈夫だよ。なんか魔法がかかってて普通に歩けるから」

 

 言いながらリジー先輩はわたしに向かって手を伸ばした。


「ほら、怖くないよ」

 

 その言葉に引っ張られるように、わたしは彼女の手を握った。そのまま手を引かれ階段に足をかけると、途端に不思議な浮遊感に包まれた。斜めになった塔の上側の壁に沿った階段を歩いても下に落っこちない。最初は怖くて一歩一歩へっぴり腰で踏み出していたわたしだったけれど、次第に楽しくなっていった。


「ね、怖くないでしょ」

 

 肩越しに振り返ったリジー先輩は得意げに笑った。


  *


「よーし、到着――ッ!」

 

 魔法がかかっていても階段を上るという行為が楽になるわけではなくて、一番上まで着く頃にはわたしはすっかり息を切らしていた。


「カナ、準備はいい?」

「なんの……ですかっ……」

 

 楽しげに目を細める先輩に、わたしは息も絶え絶えに訊き返す。

 

 上側の壁に付いている丸窓に手をかけながら、リジー先輩は唇の端を持ち上げた。


「あっ、と驚く準備、かな」

 

 膝に手をついたわたしが顔を上げた瞬間、先輩は両手で窓を開け放つ。すると、

 

 丸い空から、光の粒が溢れ出した。

 

 窓枠に切り取られたような空には数え切れないほどの星が煌めいていて、手を伸ばせば触れられそうに瞬いている。


「カナ! おいでよ」

 

 空から伸びてきた手に掴まると、ふわり、と体が空に向かって吸い込まれていく。

 

 次の瞬間、わたしの頭上には煌めく星の海がどこまでも広がっていた。

 

 吸い込まれそうな漆黒の空に浮かぶ宝石のような光に、わたしは目を奪われて息を呑んだ。

 

 綺麗だ。

 

 わたしは夜空に星が浮かぶ、その当たり前の事実にひどく心打たれた。


「どう、カナ? わたしのとっておきの場所は」

 

 窓枠に腰掛けて、リジー先輩はわたしを見つめた。翡翠のようなその瞳は、一対の星のように輝いていた。


「……星は、夜に輝くんだ……。陽の当たらない夜にだけ、こんなにも綺麗に、強く光るんだ……」

 

 気づいたらわたしの口からはそんな言葉が零れていた。


「わたし……、ずっと自分は日向では生きられないって、思ってて……。だから自分はダメなんだ、って……」

 

 つぅ、と温かい雫が頬を伝う。

 

 なんで泣くんだろう、と思った。悲しくなんてないのに。

 

 わたしはいつも泣いてばかりだ。


「でも、違うんだ……。陽が当たらなくても、星は自分で光ってる。……陽が当たらないからこそ、その光はすごく綺麗なんだ」

 

 わたしも光りたい。この夜空に浮かぶ星のように。

 

 涙で掠れる声で、それでもわたしは自分の気持ちを言葉にした。言葉にしなくちゃ、と思った。

 今のこの胸の高鳴りを。


「光れるよ、カナ」

 

 リジー先輩は伸ばした指先で、そっとわたしの頬の涙を拭った。その微かでも確かな温もりに、わたしの胸はまた高鳴る。


「俯きそうになったら、空を見上げて思い出して。この、夜に光る星のことを」

 

 囁くような彼女の声は夜に溶けていく。

 

 わたしは彼女の顔を見つめた。

 

 星明かりの下で、彼女の笑顔はとても綺麗で、何よりも強くわたしの心に焼きついた。

 

 きっと、この先わたしが思い出すのは二つの翡翠の星だ。

 

 煌めくように笑う彼女の頭の上を、一雫の涙のように星が流れていった。

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