三話 ドロップキック・プリンセス(2)○
「ねぇシュシュ、キティのことどうにかしてあげられないかな?」
「どうにかって……、まさか本当の愛とやらのことか?」
シュシュは風呂場に根深いカビを発見した時のような顔をした。
キティが不満をぶちまけた翌朝、授業が始まる前の教室でリジーはシュシュと額を寄せて話していた。議題はキティの悩みの件である。
当のキティはと言うと、窓際の席で木漏れ日を浴びながら頬杖をついてため息、という実にアンニュイな仕草に興じていた。また、それを目にした周りの生徒たちも彼女のアンニュイな可愛さにため息を零す、という謎のため息スパイラルまでできあがっている。
「……なんか腹が立つな。一発殴れば元気が出るんじゃないか?」
物騒なセリフと共にシュシュは読みかけの分厚い書物を持ち上げる。
「いや、元気に怒りはするだろうけど。でも今は教室だしねぇ」
「……私たち以外に誰かいると猫かぶるからな、あいつは。教室でケンカをふっかけてもつまらないか」
「ケンカをふっかけてる自覚はあったんだ……」
呆れたように呟きながら、リジーは横目でキティを観察した。
窓際で一人せっせとため息を放出している彼女を見かねたのか、一人の女子が近づいていく。
キティはそれに気づくと可憐な笑みを浮かべる。それは淑やかな薔薇のような微笑みであった。
「あら、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、キティさん。どこかお加減でも悪いのかしら?」
それをきっかけにわらわらとキティの周りに生徒たちが群がり出した。
「キティさん、体調が悪いんですって?」
「あら、ご機嫌よう。いえ、そんな――」
「キティさん、顔色が優れないようですわね?」
「あら、ご機嫌――」
「キティさん! 医務室に行かれた方がよろしいのではなくって?」
「あら、ごき――」
「キティさん!」
挨拶が追いつかないほどの集客力であった。
リジーとシュシュが遠巻きにその様子を見ていると、キティはちらっと二人に視線を送り、パチパチと五回ウィンクをする。
「おいリジー。あいつ急に目をしぱしぱさせ始めたぞ。ドライアイか?」
「待ってシュシュ! わたし知ってるよ。五回瞬くのは愛してるのサインだよ!」
「なんでこのタイミングで愛の告白?」
「キティ、わたしも愛してるよー……!」
「お前もなんで教室の隅で愛を囁いてるんだよ……」
二人がやいのやいの言ってる間にも、キティはウィンクを送り続ける。
「……なんかずっとしぱしぱしてるぞ。愛が重過ぎないか?」
「あれぇ、違う意味だったかなぁ?」
うぅーん、と唸りながら考え込んだリジーは、しばらくして何か閃いたかのようにぽむ、と手を打った。
「思い出した! あれはSOSのサインだよ!」
「あいつは教室で遭難でもしてるのか?」
「そうなんだよっ! ……あっ、ちょっ、違うやめて。今のは事故っ。だからそんな目で見ないでっ――ゴホン、あのねっ、キティは普段人前では高貴なキャラを演じてるけど、テンパると『ご機嫌よう』以外のお嬢様言葉が出てこなくなっちゃうらしいの! 今はその唯一の『ご機嫌よう』さえも封じられて何もしゃべれなくなっているんだよ、きっと!」
「よくそんなオブラートのごときペラペラのキャラ設定でやってこれたな?」
解せぬ、という表情をシュシュは浮かべる。
「とにかくあの場からキティを救出するよ!」
「面倒くさ」
椅子を蹴って飛び出すリジーの後をシュシュはダルそうにとことことついて行った。
「はいはーい、ちょっとごめんあそばせー」
人混みをかき分けキティに近づいていくリジー。
「ちょ、何すんのよリジー」
「そうだぞリジーのくせに」
「リジーの分際で!」
「このっ、リジーめ!」
「わたしの名前自体を悪口みたいに言わないでよっ!?」
周囲から湧き上がる非難の声に若干涙目になりながらもリジーはやっとの思いでキティの手を掴んだ。
「おい、道を開けてくれ。医務室へ連れて行くから。キティはお加減がよろしくないんだ…………おつむのな」
ささやかな毒を吐きながら先導するシュシュの後に続いて二人は教室を抜け出した。




