1ー2 一限目 三浦正義
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教室に入ると仲村たち4人は、クラスメイトと朝の挨拶を交わしながら、まっすぐに窓側の席に向かった。他の学生たちは全員、既に席に着いている。学生会とバイト部の6名だけが遅れて席に着く、休み明けのいつもの光景だ。
一華と花音が窓際の一番前の席に座る。机はふたりが並んで座るように作られている。そのすぐ後ろの列の席に美智と舞花が座る。彼女たちが1AⅠクラスの第一班だ。班で固まってさえいれば、席はどこであろうと自由だ。
4人は着席すると、自分たちの「学生証」を机の所定の「くぼみ」に設置する。教卓にある出欠モニターのインジケーターが赤から青に変わった。
高特は1年を4学期に分けている。4月から6月までが一学期、四季になぞらえて春期と呼んでいる。以下、夏期、秋期、冬期と続いていて、入試の成績順に班リーダーが決められる。一華、美智、舞花とリーダーが変わっていき、そして、最後、冬期の第一班のリーダーは花音だ。班リーダーは、フォーマンセルで受ける課題のとき、指揮をしなければならない。
広志と良治は、通路側の2列目に座っていた同じ第四班の磯部雄馬と山下颯太に「「おはよう」」と挨拶すると、一列目の空いていた席に着席した。ちなみに、第四班のリーダーは、磯部、原田、山下の順に続いて、今期が稲田である。
始業チャイムと同時にVR担当講師の三浦正義が教室に入ってきた。教卓の出欠モニターをチラッと確認すると、
「おはよう。今日も全員揃っているようだな。正月に餅を喉に詰まらせて入院しているヤツがいなくて何よりだ。」と言いながら全員の顔を見渡す。ちょっと外したらしい。
三浦は九州体育大学を卒業後、大手の通信事業社で勤務しているところを、VR講師としてビクトリア社に一本釣りされたという変わった経歴の持ち主だ。九州体育大学ではレスリングの選手として日本代表になったこともある。
浅黒く精悍な顔つきだが、人懐こい笑い顔が魅力で、女子にも人気がある。
「今日からVR体育は新しい段階に入る。・・・君たちは優秀で、ほかのクラスより一歩も二歩も先を行っている。・・・ほかのクラスは今期から、柔道から空手や合気道といったところへ歩を進めるが、それでも先生の計画より3ヶ月早い。・・・君たちは、今期から剣道だ。・・・半年も・・早い。・・・充分に身体が出来ていないのに激しい運動をすることは、怪我に繋がる可能性が高い。絶えずそのことを念頭に、間違っても自分が上手いとうぬぼれるな。それでは剣道の経験者は手をあげてくれ。」
ほぼ、全員の手が上がった。
文科省の指導で2012年度から全ての中学校で、 伝統と文化の尊重のため、武道が必修となった。現在では日本全国のうち9割の中学校で柔道と剣道が必修になっている。
文科省は武道が必修の理由として、「相手の動きに応じて、基本動作や基本となる技を身に付け、相手を攻撃したり相手の技を防御したりすることによって、勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わうこと」を挙げているが、保健体育という限られた時間の中だけで、それを習得するのはかなり難しい。むしろ、練習に名を借りたイジメの温床になっているケースが散見された。
事実、アイシティでは、昨年7月、D2クラスの学生が、柔道のVR体育が始まってすぐに、「練習」といって寮の同室者に技をかけ、半身不随という重傷を負わせたため退学となっている。怪我をさせられた者も働けなくなったことを理由に自主退学した。
「全員経験者だな。先生が中学の時には柔道も剣道も習わなかったのだがなぁ。まぁいい。それじゃ、今日は、竹刀の剣先が感知できるオプションをつけるから、仮想打ち込み台に向けて上段の構えから寸止めをしてくれ。小手、面、胴の順で現れるから、慣れてきたら出来るだけ早く打ち込むようにしてくれ。型ができている者から、仮想防具をつけて同じことをやってもらう。その結果で次からのグループ分けを行う」
教室でまとまって行動する通常の班構成は、VR体育では別の4人組になる。広志は数学や英語などの一般授業では、第四班だが、4月から行われた「水泳」では第一班、7月から行われた「柔道」では第八班であった。
「何か質問は? いつも言っているが、知らないことは恥じゃ無い。知らないことを放置することが恥なんだ。 君らは既にバイトという形で社会に参加しているが、理不尽を感じた者も中にはいるんじゃないか? 社会に出たら長いものに巻かれるというのが当たり前という風潮、空気がある。・・・だからこそ、今は空気なんか読むな! それが若者の特権だし、成長の原動力だぞ。」
原田が勢いよく挙手する。
「兄貴!!!」
クスクスと笑う声があちらこちらから上がる。
◇ ◇ ◇
三浦が前回、昨年の12月始めに同じ台詞を吐いたとき、女子のひとりが先生は何故結婚しないのかという質問をぶつけた。
「先生はもう35歳ですよね。何故、結婚しないのですか? それとも決まった相手が居るのですか?」
既に1CⅠクラスで同じような質問を受けていた三浦は即座に答える。1CⅠでは、この回答の後、すぐに静かになったからだ。
「ああ結婚経験ならあるぞ。結婚した初日に破局を迎えた成田離婚ってやつだがな。」
立ち上る黄色い歓声、騒然となる教室。
1CⅠと違い1AⅠの女子は口々に質問を浴びせた。「・・成田・・」「初夜・・」「どちら・・」収拾が付かなくなってきている。
「コラコラ、先生にもプライベートはあるぞ」
助けを求めるように仲村の方を見る三浦。
「先生は、無知は恥だと仰ったばかりじゃないですか?」
予期せぬ仲村学生会長の口撃だ。
『・・・仕方がない』三浦が逃げを図った。
「詳しくはそこの義弟にきいてくれ。」と原田を見る。
目を見張り、硬直する原田。
そう三浦の結婚相手は、原田の長姉泰子だった。
※ ※ ※
昨年4月、予期せぬ再会を果たした元義兄弟は、広志を交えて、何度もラーメン屋に行っている。三浦はラーメンが大好きで、全世界に支店を持つ博多ラーメンを皮切りに、 空港近くの久留米ラーメンとか、大名のみそとんこつラーメンとか色々な場所で、いろいろなラーメンを食べた。
『ラーメン好きに悪い人はいない!!(根拠は無い!)』
広志は、良治の女嫌いの原因が彼の母と姉たちにあることは既に知っていたので、敢えて何も質問していなかったのだが、ある日、ラーメン屋から寮の帰り道で、良治が離婚の原因を話してくれた。
「結婚式の日にな。うちのババァが三浦先生の家族に在日を見つけたんだ。で、それを泰子に教えて、泰子が成田行きの飛行機の中で、三浦先生に確認して、そのまま引き返してきた。それだけだ。三浦先生が在日だろうが、三浦先生は三浦先生だろ。俺は、うちに遊びに来た三浦先生と幸せそうに笑う泰子の姿を見て、良かったなって思ってたんだ。それが、成田から家に帰ってきたとたん三浦からもらったプレゼントは全てゴミ箱行きだ。汚らわしいんだと。・・・口汚くののしる泰子の姿と、それを当然のように擁護するババァは化け物そのものだったよ。」
※ ※ ※
扉を開けて脱出に成功した三浦先生が遠ざかる声で告げる。
「お前ら遅れてきたら減点だからなあ」
良治は『あんの野郎!』と声に出さず毒づくと、三浦を貶す理由を思いつく。
「飛行機の中で靴を脱いだ三浦の足が臭くてたまらなかったのと、飛行機の中で膨らむ股間を見て、怖くなったんだとー」
「えー、マジでぇ」「ショックゥ」「センセー、デリカシーないのね」
そんな理由で納得する女子もどうかと思うが、三々五々に散っていく女子にホッとした良治と、隣でオロオロしていただけの広志だった。
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「兄貴はやめとけ。ここでは先生だぞ」
「いえ、前回の仕返しが、まだだったと思い出したものですから」
「・・・その話はまた後でな。質問がないなら次行くぞ」
「質問はあります。柔道や剣道は全員が中学で習っているのに。 高特で、もう一度、やる必要があるんですか? 別の競技を行った方が有意義だと思うんですが」
「そうだな、ひとことで言うなら、・・・文科省のお達しだからだ。 オレとしては、空中飛行を体験できるチアリーディングとか、音楽に合わせて踊る社交ダンスとかの方が面白いと思うがな」
何故か、広志がウンウンと大きく頷いている。
「勉強もスポーツも楽しくやれば、どんどん伸びる。だけど、楽しいだけでもダメなんだ。例えば、今、そこで頷いている稲田。稲田は水泳じゃ一番伸びたくせに、柔道ではあまり伸びがなかった。基本的に人を傷つけることが嫌いなんだろう。それは稲田の長所であり短所でもある。・・・でももし、稲田に好きな人ができて、理不尽な暴力に襲われたとき、彼女を守ることができるだろうか。知っておいて損な技術はないさ」
今度は、真剣な表情で小さく頷く広志。
「それに今回はVRで剣先がどこにあるか感知できると説明したろう。実は、剣道に使用する竹刀には長さと重さに上限があるだけで、違う長さや重さの竹刀で試合うのは当たり前の話なんだ。自分に合った道具と試合方法を見つけて、戦い方を工夫することも授業に含まれている。柔道で非力な女子が必ずしも不利でないと君たちは学んだはずだ。創意工夫は戦う相手を前にした方が生まれやすい」
今度は花音が小さく頷いている。花音は柔道では第一班だった。
「他に質問のあるヤツは? 原田の質問で、次の段階の目標がどこにあるかもう分かっているだろうが、竹刀という道具を持つという感触をしっかりと確かめてもらいたい。今日は打ち込み台だけの予定だが、お互い充分に間隔を開けて、間違っても竹刀をすっぽ抜かしたりしないように。」
「では更衣室で着替えた後、キャリブレーションだ。遅れたヤツは減点だからな」