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2018.6.RADWIMPS「HINOMARU」と愛国を歌う自由

RADWIMPSがリリースしたシングル「カタルシスト」のカップリング曲である「HINOMARU」が炎上中だ。


国家神道的な世界観のサウンドと、古語を交えた歌詞。誰を傷つけている訳でもなく、素朴な愛国心を歌ったこの曲が、軍歌のようだ、大日本帝国を賛美しているようだと、批判の的になっている。


今回の炎上で、小田嶋隆さん、町山智浩さん、津田大介さん、宇野維正さんなど錚々たるメンツの評論家の方々がRADを批判しているのを見て、僕が好きな言論人が僕の大好きなRADを寄ってたかってフルボッコしているようで複雑な気分だ。


だけど、過去の発言や曲を知れば、野田洋次郎(RADWIMPSのフロントマン)さんはリベラルな人だと分かるはずだよ。新曲を批判している人たちは、リベラルと愛国が両立することを分かっていない人たちに思えてとても残念だ。


また、人には振れ幅もあるしね。振れ幅を否定することは人間性を否定することと同じなんだよ。RADWIMPSは彼らのバンド名からして、「すごい」「強い」「いかした」という意味のアメリカ英語の俗語「rad」と、「弱虫」「意気地なし」という意味の「wimp」を組み合わせた造語であり、アンビバレント(両義的)な思想を内包している。一曲だけを聴いて右翼だと決めつけるのは、なんと早計だろう。


アンビバレントな思想を持っているのは僕も同じだ。「日本」と言った時に「日本」からこぼれ落ちるものを、「日本人」と言った時に「日本人」からこぼれ落ちるものを考えていたい。だけど、日本が好きだと歌う自由はあるはずだという思いもある。自分の胸にあるこの日本への愛着は何だ。僕らはいつも二つの極によって引き裂かれている。


そして、日本大好きであることと、政権を賛美することが別物であるという思想が、「HINOMARU」を批判している人からは抜け落ちている。彼らは、国家=政権だから、日本を賛美する者は政権も賛美しているのだと受け取っている。だが、それは違うと思う。RADWIMPSは過去に「ジェニファー山田さん」という曲で、「永田町に小泉首相に会って目の前で吹き飛びたい」と歌っているし、時の政権に対しては距離を保っている。


あと多かったのが、右寄りな曲なのに、自分のことを無思想だと言うことは欺瞞だという批判。野田洋次郎さんは自分のことを無思想だとは言っていない。右や左でない立場からあの歌を歌いたいとだけ言っている。日本を愛する気持ちを右派や左派から茶化されるのを嫌ったのだ。政治的な争いから離れた地点に愛国心は成立してはいけないのだろうか? 争いを避けたい人もいる。


ところで、「国家」という概念は明治維新以来のフィクションであり、幻想だとする考え方も、いまいちピンとこない。実感として、「日本」は確かに存在する(それがたとえ意図的に作られたものだとしても)。「国家が実際に存在すること」を強制するなと言う方には、「国家はフィクションであると考えるべきだ」という考え方を強制するなと言いたい。理論では実感は語れない。


また、「日本」を強く打ち出すと、日本に帰属意識を感じない人達が疎外されるという意見もあるが、この点については慎重に考えるべきだと思っている。だが、自分の国を好きだと胸を張って言えない国家は、日本が例外的である。そして、自分の国を好きだと言っても、他国の人と友好的な関係を結ぶことはもちろん可能なのである。


余談だが、野田さんが謝罪したのは、韓国の女の子から「親にライブに行くなと言われた。どうしたらいい?」とメッセージが来たためだそうだ。野田さんは愛国を歌で掲げる自分の行動については自信を持っている一方で、隣国の人が傷つくのが許せなかったから謝罪したのだろう。この点においても、野田さんは愛国とコスモポリタン的思想の両方を持っていることが分かる。


まあ、自分は「HINOMARU」よりはジョン・レノンのイマジンに共感するタイプの人間ですが。国家に帰属しているというよりも、世界に帰属しているという意識の方が強い。


でも、周りが立ち上がって「君が代」を歌っている中で一人立たずに歌わない自由も、RADWIMPSが「HINOMARU」を歌う自由も、等しくあるはずだよ。そして、ライブ会場でRADWIMPSが「HINOMARU」を歌って周りが盛り上がっている中で、そのパフォーマンスを無視する自由もまたあるはずだし、RADのメンバーはその無視を受け入れる度量の大きさを持っていると僕は信じている。変わらぬ声援をRADWIMPSに送りつづけたいと思う。

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