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笹口騒音&ニューオリンピックス『2020』(2016年)

●なんじゃこりゃあ


2010年代半ばに産まれた、他の追随を許さない怪作。笹口騒音のいつもの大げさな煽り宣伝文句は嘘じゃない!


最初にCDラジカセでかけた時には、なんてチープな音!と思った。だが、イヤホンでじっくり聴いてみたら、まったくチープではなかった。パッと聴きチープに聴こえる音の中に潜む笹口騒音の企みに脳みそのシワを撃ち抜かれる。


打ち込みテクノも、アブノーマルなエレキギターも、プログレ的展開も、ノイズ的エフェクトも詰め込んだ、脳みそのシワを三倍増しに開発してしまうようなヤバいブツですよ、これは。様々な音楽のごった煮の側面もありつつ、新しい音楽へ昇華させるそのセンスが素晴らしい。


この混沌を極めた音は、90年代後半のRadiohead『OK Computer』やMassive Attack『Mezzanine』の暗く閉じた音像を現在にアップデートし、さらに未来の先鋭的な音楽を幻視させる音に聴こえる。本作に収められているのは、暗いのに明るい、閉じているのに開いている、不思議な矛盾をはらんだ楽曲群だ。


#5「BLUETRUTH」のアウトロの前半では、YMOの要素も感じた。過去に未来を幻視させたバンドへのリスペクトの表れだろうか。


#11「NO!」ではラップが入る。Dragon Ashの「Grateful Das」を真似た歌詞とフロウなのだが、これがいい。笹口騒音ではない人がラップしていると思うのだけど、誰がラップしているのだろう? イントロの吹奏楽器の音色には、笹口騒音オーケストラを思い出した。様々な音楽へのオマージュとそれを元にしてのコラージュに過去から未来を見渡す視線を感じる。


『2020』の一週前に笹口騒音ソロの『YAOYA』が発表されているが、フリーフォームで弾き語る『YAOYA』も自由度が高いが、電化という制約もしくは制約解除を受けた『2020』も想像力が自由に縦横無尽に駆け回っているように思う。笹口さんのねじれた愛が未知の領域のねじれた音楽を作り出している。


笹口ソロで歌われ、うみのて時代の代表曲の一つでもある「東京駅」も#3「NEO TOKYO STATION」として生まれ変わり、全く違う輝きを放っている。うみのてでの不穏な響きが不穏なままにユーモラスに聴こえもする。ユーモラスに聴こえる理由は、チップチューンのようにも聴こえるピコピコ音もサウンドの一端を成しているからだろうか。


新しいサウンドでも叙情性があって、#4「SECRET SHADOWPLAY」は特に顕著な叙情性を感じる。この曲の中にあるギターサウンドからももちろん叙情性を感じるけれど、同じくこの曲の中にある打ち込みのサウンドからも叙情性を感じる。#10「STRANGE NEWS FROM ANOTHER STAR」も笹口ソロを彷彿とさせるような叙情性のある曲だ。曲名は同名のBlurの曲が由来だろうか。Blurの同名の曲にも叙情性がある。


#12「NO MUSIC.NO DANCE」のように不穏ながらも楽しい曲もある。リズムの打ち込みの上に乗るギターはフランツ・フェルディナンドみたいだ。


突出した曲がないのも魅力の一つだ。言いかえれば、どの曲も突出している。突出した曲がないからこそ、アルバムを通して何度も聴ける。アルバムで突出した曲があれば、その曲ばかり聴いてしまうもんな。


●ディスコミュニケーション、オールライト!


アルバムを聴いてみて「気持ち悪い」と思う人もいるだろう。それは、アルバムの最後を飾る#12「EUREKAGO」の歌詞のように、僕が僕であり、あなたがあなたであることを訴え、そうであるためにはコミュニケーションを取れないことも厭わない姿勢のアルバムだからだ。難しい音楽だと思われることをためらわない笹口さんの姿勢がここにはある。


しかし、全ての音楽がそうであるように、音楽は他者とのコミュニケーションを取るものという性質がある。『2020』は、ディスコミュニケーションの姿勢を取りつつ、それによってコミュニケーションも取ろうとしているのだ。僕はこのアルバムがたまらなく「気持ち良かった」。ディスコミュニケーションの姿勢が、同じくコミュニケーションに不全感のある僕の疎外感を埋めてくれるようで。


中高生時代に実はひねくれた音楽であるスピッツや変態的な音楽も作るくるりにハマったことが音楽好きになったきっかけである僕からすれば、笹口騒音&ニューオリンピックスのひねくれた音楽を愛さずにはいられるかっていう話。ここには、ひねくれた音楽の究極形態と未来の形がある。


アルバムの音の中には他者の鳴らした音への愛がある。ディスコミュニケーションの中にある泡沫の愛に東京オリンピックが開催される2020年を僕は夢見る。


Score 9.2

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