キュー・プレイヤー
「ご注文のキューが届きましたので、都合のいい時に御来店下さい」
そんなメールが届いたのは、金曜日の昼休み中だった。代金は既に古賀さんに預けてある。
遂に相棒が届いたのである。即、上司に告げる。「今日は用事が有るので、定時に上がります!」ワクワク感が収まらず、同僚に不信がられながらも仕事を終え、家に帰って風呂に入り着替える。明日からは休みだ、時間はたっぷり有る!
もはや見慣れたガラスドアを開けると、
「お、日吉くん、来た!」
「待ってたよー、届いてるよー」
「コレTADだろ?奮発したなー」
何やらいつもより人が多いような・・
自分がタッドキューを買ったのを既に常連さんのほとんどが知っていた。
自分の撞いた事のないカスタムキューが目の前にあれば、試し撞きしてみたくなるのが人情というもの、しかし流石に持ち主より先に使うのは気が引けるので待っていた・・・という事らしい。
代わりに自分も常連さんたちのキューを貸してもらえるのだから、いいですけど。
「こちらが注文のキューになります」
簡易な運送用キューケースからキューを取り出すと、あの画像に有ったキューの現物が現れ、周りに集まったギャラリーから「おー」という声が上がる。
「いい、実物を見ると更に良い!」
早速キューを組み立てていると、古賀さんから一言、「そのキューは、ずっと使っていなかったわけですから、タップは交換したほうがいいと思いますよ?」・・・確かに。
タップとはキューの先についている革製の部品だ。直接手玉に触れる部分なので、ビリヤードをプレイする上でとても重要で、プレイヤーによって好みが分かれる。
周りでも好き勝手に論争が始まる。
「やっぱモーリだろ、基本だよ基本」
「積層がそれしか無かった時代じゃないんだから、モーリよりカムイじゃないか?カムイブラックのS、おすすめ、食い付きがいい」
「一枚皮もいいよ?俺はレイマックスのHを押す、球離れがいいし安定するよ?」
「最近出たG2タップを試して見るとかどうよ?」
「プロが使ってるのは斬タップが多いんじゃなかったけ?」
「高いけどビクトリーは本当に良いよ」
自分にはよく分からないが皆さんこだわりが有るようだ。
一通り話を聞くと、今は積層タップというのが主流で、それの元祖と言われるタップを作ったのは日本のメーカーらしい。うーん日本のモノ作りはこんな所でも未来に生きていたのね。
せっかくだから積層タップで、今言った人たちが誰もつけていなくて値段も手頃な「カムイオリジナル」というものを付けて貰う事にした。みんなで試し撞きするならその方がいいだろう。
待つこと10分程、リペアされてピカピカのタッドキューに新品のタップが装着され手渡される、テーブルに付き、センターに置いた一番ボールに向かって構える。周りの視線が集中する、気分は始球式だ。
センターショットを撞く。
無事ボールはポケットされた。ハウスキューとは比べ物にならないほど、ブリッジ部分の滑りがいい。そんな事は、このキューの本当の性能のごく一部なのはわかっているが、感動せずには居られない。
「ああ、これから自分はこの相棒と一緒に闘って行くんだ!」そのためにはこのキューで撞き込んで感覚の擦り合せをする必要があるだろう。相当苦労するだろうが、それさえも楽しみだった。
一通り自分が撞くと、後はお祭り状態だった。
次、俺に撞かせて!、日吉くんにはコレね、俺のはジョス・ウエスト、結構引きが切れるから気に入ってるんだ。
常連の田畑さんだ。流石にA級プレイヤーだけあって始めて使うキューでもギュんギュンに回転をかけた上でシュートを決め、「おお!めっちゃ切れる!」とか言って大喜び。
いつも相撞きに付き合ってくれる、B級の桜井さん、鈴木くんにも撞いてもらったが、ハイテク派の二人には「パワーは有るけどトビが大きい」という感想だったようだ。もちろん二人が使用している314シャフト搭載のプレデターのハイテクキューも撞かせてもらった。
確かにトビが少ないように感じるが、今までハウスキューでプレイしていた自分にはトビが少なすぎて違和感があった。要は感覚が古い人間に近いのだろう。正確さを求めるならハイテクに舵を切ったほうがいいのかも知れない。しかし、その感覚はむしろこれからあのレトロなキューと付き合っていこうという思いを強くした。
「あ、タッドだー!、撞かせてください!」
そうい言って、新たに参戦してきたのは、場にそぐわないような、ちいっちゃい女の子だった。
別にちっちゃいと言っても、幼女という訳ではない。彼女は古賀沙樹ちゃん、古賀さんの姪っ子だ。
年齢は17歳、現役JKではあるが、純粋に背が低く、はっきり言って中学生くらいにしか見えない。夏休みに入り、叔父で有る古賀さんの店に遊びにくる彼女は人当たりが良く、仕事に疲れたおっさん達の癒しになっていた。
しかし、中学生の時からビリヤードに触れていて、古賀さんの指導を受けているというだけあって、実力はB級、つまり現在の自分より上だ。
始めて合い撞きした時に、1セットも取れずボコボコにされたのはいい思い出である。
ちなみに使っているキューはエボニーのサウス・ウエスト、叔父さんから貰ったと簡単に言うが、サウス・ウエストもまた高級なカスタムキューの一つなのだが・・・
「じゃあ、ちょっと撞かせてもらいますね?」
キューを受け取りスタンスに入る沙樹ちゃん。
その足元は「アムラー」世代が履いていたようなゴツイ厚底靴。
女性のファッションにはまるで疎いので、またそんな流行りが来ているのかとも思ったが、そういう事ではなく、ビリヤードのテーブルは、基本成人男性の身長に合わせた設定になっているので、小柄な女性は体型とテーブルの高さが合わず苦労するらしい。
それに対する答えが、この厚底靴と言うワケだ、それでもテーブルの中央奥付近の手玉に届かずに、必死に背伸びしている姿に周りの男性陣は癒されていた。
・・何か古賀さんの視線が鋭くなった気がしたのでこの辺にしておこう。
沙樹ちゃんの感想も「切れるし、パワーもあっていいキューですね」と言うものだった。
ハイテク世代以外には概ね好印象と言っていいだろう。後はこのキューをいかに自分が使いこなせるかと言う事だろう。
古賀さんから、「日吉さん用のキュー置き場を用意したので、置いていってもらっても構いませんよ?」
と言われた。確かにそれは「常連」の証である。
キューケースすら持たずに、ふらっと店にやってきて、「ちょっと撞かせてもらうよ?」とか言って店のプライベート・キュー置き場から自分のキューを取り出して、颯爽とウォームアップを始める。その風景を想像し・・・いいな・・と思いつつ。
とても良いけど、今日だけはこのキューを家に持って帰る事にした。
家に帰った自分はまず部屋を片付けた、そしてのんびりと風呂に入り、風呂上り、用意したつまみとビールで一杯。
そしておもむろにケースからキューを取り出し、そのバットエンドのリングとインレイに見とれる。
「やっぱり、綺麗だよなぁ~」
タッド・キュー独特のボックスリング、そのリングに挟まれるようにして輝くクラシカルなインレイ。
「は~!」
今日の酒はいつもより美味い気がする。
「こんなん買っちゃったら、もう辞められないよな」
30万円の出費は確かに高額だったが、その事に関する後悔は無かった。
ただそれを只の記念だけに留めておく気も無い!
「・・・・・・・公式戦に出よう」
アマチュア公式戦
都道府県のビリヤード連盟に所属して、県内のキュー・プレイヤー達と戦う。
恐らく参加してくる人達は、ネットカフェで遊んでいる様な人達ではなく・・スポーツとして、競技としてビリヤードに本気で取り組んでいる人達が多いだろう、その中の一人になるのだ。
もはや「ちょっと真面目に練習すれば、周りで一番上手いくらいにはなれる」とは口が裂けても言えない。
簡単には勝てないだろうが、だからこそ挑戦してみたかった。
公式戦出場に必要なのはCSカードの取得、これはネットで申し込み、コンビニで数千円の決済をすれば済む。後は所属店舗、どの店に所属しているかという事だがこれは「クロス・ロード」でいいだろう。選手登録には1000円かかるらしいけど、試合前に会場で払えばいい。
クラスは、A級、B級、C級、レディースがあり、もちろん自分はC級戦からのスタートだ。
やる事が無くて、なんとなく始めたビリヤードだったが、気が付けば何だか凄いことになってきた!・・・と言っても傍から見たら、ただオッサンがやけに熱心に玉を撞いてるだけなんだけど、そんな事は関係ない。
店に行けば同じ趣味の仲間がいて、球について語りながらプレイ、上手く行ったり行かなかったり試行錯誤と練習を繰り返して、たまに良いショットが出ると上達を実感する。それで今度は大会出場で上を目指す?まるで中学、高校の部活じゃないか。
「中年」と言うのに十分な年齢になって、こんな「青春」っぽい気分を味わえるなんて!
酒が周り、ちょっとハイな気分のままもう一度マイ・キューのタッドをみる。うん、やっぱり格好良い。
明日はクロスで古賀さんに公式戦の日程を聞こう。日にちが解ったら試合に向けて練習しよう。
その日は、いい気分のまま、とても心地よい眠りにつくことができた。
ビリヤード物なのに、全然球撞いてませんね、次の話からはゲームに入れると思います。