私は(これ)で閲覧をやめました
まずはじめに。
いつかどこかで言った覚えがあるが、繰り返して言っておこう。
これはあくまで手記的なもので単なる独り言の枠を超えるものではないというものである。
「さて今日はこの作品を読んでみよう」
懲りずに浮かぶそんな意気込みと期待を見事真っ逆さまに頭から叩き落してくれる悪の象徴。
そいつが「(笑)」を始めとする現世屈指のキラーワードである。
その威力たるや世界津々浦々の死神達が二年前から予約待ちしてまでこぞってほしがる一級品。何の憂いもなくスパッと意識を断ち切ってくれる、切れ味抜群買って損なし是非手に取ってお試しあれ。
しかしまぁタイトル、あらすじという名の異世界ゲートを潜った後、待っていたのが断頭台という事実に何度打ちのめされたことか。
それこそかつては「…」が「・・」だっただけで読む気を失っていた私も、やがて成長し二足歩行から四足歩行へと進化順応をすることに成功したが、そんな現在をもってして「(笑)」や作中での顔文字使用にだけは適応不可能だといえる。というより適応する気がない。Bボタンを連打して進化しない道を選ぶ。
それを見た瞬間に感情が顔から抜け落ち、「あゝ無情」が頭の中で流れ出す。サングラスはかけていないけれども。
まず身に覚えのある作家さんに考えて貰いたいのはセリフ中で「確かに(笑)」としてある場合、このキャラが実際に口にした言葉は何なのか?ということだ。
「確かにかっこわらい」と実際に口にしているのだとしたら、そのキャラはさっさとネットをやめて小説世界に戻るべきである。
こちらの世界に毒されすぎて言語が狂ってしまっていることに気づいたほうがいいだろうし、このままでは奇人変人扱いされるのは目に見えている。
次に「確かに」までを口にしているのだとしたら「確かに、ははは」じゃダメだった理由を教えてほしい。
参考までに言っておくと(笑)をキーで入力すると(warai)で7キー+シフト2回で9タッチ必要であるのに対して「hahaha」ならば6タッチで済む。
辞書に単語登録してあるだと? だったら「ははは」も登録しておけばいいじゃないか。
そして更にいえば顔文字だ。セリフ中における顔文字の使用は殊更ひどい。作中キャラは顔文字をどうやって発音しているというのか?出来るものなら私にも顔文字の発音方法を教えてほしい、出来るものならだ。
さて、話かわって改めて身に覚えのある作家さんに言わせてもらう。
先述は作中セリフに対してだったが、今度は地の文中で使っている場合。
地の文というのは第三者視点による説明、心象、もしくは盛大な独り言であって、ネット上でのコミュニケーションとはわけが違う。誰かと会話しているわけではないという事はしっかりと理解してほしい。
自分や一部の人間だけが理解できるだけでは何の意味もなさず、幅広い年齢及び幅広い趣味嗜好を持った数多読者がしっかりと理解出来る表現を選ぶことが絶対である。
独自表現を用いる場合には補足的なものが必要となるし、それが拘りのある言葉なら尚更だ。読者は作家が思うほど賢くもなければ、作家が思うほど馬鹿でもない。
説明がなければ勝手に補完するし、説明してくれればそこが重要なんだなと理解している。
ゆえにそこが大雑把であると、読者が補完した世界と作家が創造した世界に大幅な乖離が生まれていく。
そして最終的には「こういうつもりで読んでいたのに、途中から全然違う話になった」という失望に結論づくことになる。
そんなことは作家も望んでいないだろうし、読者にしたって何の得にもならないのだ。
ここまで言えば改める必要もないと思うが、セリフ中だけでなく地の文でも顔文字を使うというのは最悪を超えて尚ひどい。形式に拘れ、「。」の後に一文字空白を入れろなどとは最早いうまい。だが顔文字と(笑)だけは本当に考え直せ。(泣)だの(汗)も含めてだ。
それが許されるのは現世ネット上における書き込みを表現した場合であったり、メールに書かれた文章をそのまま転写した場合。
もしくは異世界にやってきた現代人が、後に来る現代人に対してだけわかる暗号として使用する場合。
つまりそれを使用することに大きな意味を含んでおり、代用が利かないとされる場合だけだ。
そうでない場合は現世物だろうがいかなる場合でも許されるべきではないし、私は一切許容しない。その作家さんの作品は永劫読むことはないだろうほどの拒絶まで覚える。雰囲気から世界観から何から何までの一切全てをぶち壊してしまうものなのだ。
そこの作家さん、あなたはどんな拘りを持って顔文字や(笑)を使用しているのだろうか?
是非振り返って考えてもらいたい。
とまぁ、書けば書くほど荒ぶってしまうのが先述に対する私の思いである。
どこまでいえば気が済むのかと聞かれれば、あと数万文字分ぐらいの不満はあるのだが、それでも文字にするのはここまでとしたい。何より、文字に起こしたことで若干の気が晴れた。まさに自己満足の極みである。が、これは最初からそういうものだと前提を打ってあるので良しとする。
おわりに、地の文というのは物語、世界を構築するに当たって重要な部分である。これを疎かにするとたちまちのうちに世界が分裂してしまうし、作家の意図や意思は読者にまで届かなくなってしまう。
だからじっくりと考えてほしい。そして楽をしないでほしい。
笑っていることを表現するにしろ、微笑んでいるのか、口を開けて笑っているのか、声を出して笑っているのか、多種様々でありその一節がキャラの人格を構築するに重要な一節と成り得るのだと自覚してもらいたい。
そしてそれを表現することに楽しみを感じて貰いたいのである。
キャラを生み出す楽しみ、世界を構築する楽しみ。そしてそれを読者に伝えていく楽しみ、騙していく楽しみ。
それこそが作家だけに許された大いなる特権であり、作家の腕の見せ所だということを、自覚して欲しいと常、私はそう思っているのである。