あの夜ー3月22日
その日はたくさんの星達が私を迎え入れるかのように綺麗に輝いていた。
私の名前は吉備 美琴、今年の春からこの町にある鬼桜高校へ通う15歳。そして今日は3月22日。…違う。日付が変わってもう23日だ。時刻は深夜1時。今日からちょうど2週間後に入学式があるのか…。などを寝起きの頭でぼーっと考えながらドアガラスに重たい頭をくっつけ後部座席から流れゆく車の外の景色を見つめる。小さく縦に車が揺れるたびに隣に積み乗せられた段ボールの山のてっぺんが崩れ落ちてこないか心配になるけど、それもあと少しの辛抱。あと少しで新しく住む家に到着する。長かった引越しの旅もようやく終わる。とはいうものの、さっきまで寝ていたから全然長旅した実感が湧いていない。それに…、生まれ育った街から、この新しい町へ引越してきたんだという実感もなかった。なんだか…。
「美琴。着いたよ。」
助手席に座る母が私に声をかけた。車はまだ動いている。もう到着するから準備しなさいということだろう。母が私に声をかけてから3分もしないうちに車はゆっくりと住宅街の歩道横に停車した。
父がハザードランプのスイッチを押した後、ドアロックを解除し、車のドアを開けて降りる。父がドアロックを解除した後、母も貴重品などが入った手荷物を持って車から降りた。
誰もいなくなった車内にはハザードランプのチッカ、チッカという一定のリズムを刻む音だけが聴こえる。寝ぼけた頭をドアガラスから離し、ドアを開けると外の冷たい風が車の中に入り込んできた。私の口から自然と「寒ッ」という口癖のような言葉が飛び出し、身を縮こめるように車を降りた。
長時間車の中に閉じこもっていたせいか外の空気がとても新鮮に感じた。体をほぐすように伸びをし、冷たく新鮮な外の空気をふんだんに吸い込む。ゆっくりと吐き出そうとしたその時だった。私の目にあれが映ったのは…。
私の目に映ったのは異形の姿をした化け物。あっけにとられてしまい、吐き出すつもりだったたらふくの空気を…飲み込んでしまった。少しあっけにとられた後、目を強くこすってみるが映り込んだあれが消えるわけでもなく何も変化がなかった。ほっぺたを強くつねってみても、自分の頬を思いっきり叩いてみても、車のドアガラスに何度も何度も頭をぶつけてみてもそれは消えなかった。
「ちょ、ちょっと美琴!何やってるの!!」
夢なんかじゃない。これは現実。あれは…本物。ドアガラスに頭をぶつける私を止めにきた母に言葉を詰まらせながらもあれを見てと化け物を指を差す。母は不思議そうな顔をして私が指差す方へ顔を向けるが、特に驚く様子もなく、変わった反応もしない。
「月がどうしたの?」
月?確かにここから見る化け物の後ろには月が見える。が、そんなごく当たり前に見える月なんかじゃなくて、もっとこう…馬鹿げてて、自分の頭が狂ったんじゃないかと思うようなものが眼に映るはずなのに…。
「長旅で疲れたのよ。ほらっ。家に入るわよ。」
母にはあれが見えていない。私にしか見えていない。私はそうすぐに理解した。けれど母の言う通り、長旅による疲れで変な幻覚を見ているだけかもしれない。そうだ。夢じゃなければきっとそうに違いない。と、あくまであれは一種の幻か何かの類だと自分で自分に言い聞かす私。そんな私を他所に幻は私の五感をさらに刺激する。あれが人の形をしているというのなら、肩と思われる部分から腕を何者かによって斬り落とされたのだ。何故、「何者かによって斬り落とされた。」と思ったのかはわからない。ただそう感じたというしか答えはない。
いつの間にかさっきまで寝ぼけてぼんやりと霧がかっていた私の頭の中も、今ではすっかり快晴。脳内フル稼働状態へと切り替わっていた。普通の人間ならこういうときどうするのだろうか。そもそもあれが見えている時点で私は普通の人間なのか?そんなことを考え出すと止まらなくなる。が、結局答えは出ない。私にわかるのは、あれを感覚のどこかで感じているということだけだ。
「わ、私!マボッ…、じゃなくて、眠気覚ましにちょっと散歩してくるね!すぐ帰るから!」
真夜中、車に積まれた引越しの荷物を家に運ぶ父と母に一言告げて、私は惹かれるように正体不明、異形の化け物の元へと向かって歩き出した。
「待ちなさい!何もこんな日のこんな時間に行くこと…、」
母の呼び止める言葉を遮るように一方的な約束を押し付け、住宅街を歩き出す。
自分でも自分のしていることが不思議で仕方なかった。けど実際、不思議なことが目の前で起きているのだから自分がとる行動が不思議でもおかしくはない。心のどこか片隅にあった小さな好奇心に拍車が掛かってしまい、自身をどうすることもできなかったのだと思う。
とりあえず恐る恐るだが、あれの近くまで行ってみることにする。電波塔ぐらいの大きさ、目立っていたので見失うことはないと思っていた。そう思って住宅街から突き出たように見える化け物の頭にふと視線をやると、らしき頭上には月下の元、月明かりに照らされた人影が見えたと次の瞬間、雷鳴轟くかの如く、奇声でも、わめき声でも、呻き声でも、鳴き声でもない、闇深く痛みに悶え苦しむ数多の声が重なったような声で化け物が叫んだ。
地響きと錯覚するような激しいその咆哮は静まり返る町の静寂を一瞬で吹き飛ばした。鼓膜を突き破るような大音量の激しい声に耐えきれず、反射的に手が耳を塞いだ。私は歯を食いしばり止むのをただ待つ。そうせざるおえない…、音が止んだのはそう思った一秒後だった。泣き…止んだ…?耳を塞いでいた手をゆっくりと下げ、辺りを見渡す。案の定、何事かと慌てて家の中から飛び出すような人は一人としておらず、町は何事もなかったのように夜の静寂に包まれていた。
やっぱり…。私の中でそれは確信に変わろうとしていた。
「一体、どうなっちゃったのよ…私。」
今の自分が正常かどうかをもう一度確かめるために、力の限り全力で頬をつねってみるが、目の前の景色が変わったりすることはなかった。正常でありながら狂っている私。
「ゔぅー…。ほっぺた痛い…。」
赤くなった頬から伝わるじんじんとした痛みを堪えながら、わからない何かを確かめるために前へと歩き出した。この角を曲がればきっと何かわかるはず。角を曲がったそこで、私が目にした光景。
横たわる影が浮き上がってできたような真っ黒な化け物らしき化け物と、その上に立つ巫女さんの格好をした一人の女の姿。それは、あまりにも現実味がなく、何度も疑ってきた自分の目をさらに疑わずにはいられなかった。
特撮の撮影?いや、違う。特撮の撮影現場に迷い込んだなんてそんなものじゃない、ハリウッド映画のような、CGという創られた世界の中に迷い込んでしまったような未知の感覚。ちなみに映画の作品名を挙げるなら「指輪物語」。ア×ゴルンよりもレ×ラス派だ。『…って!何考えてるのよ私!』と頭の考えを振り払うように、顔を横に降る。
なぜかはわからないのだけど、今私が見ているこの光景は、全て現実で本物なんだとそう感じた。ただ、あの横たわる化け物は何?あの女の人は何者?それに何か言ってる…。何を言ってるの?なんで箒背負ってるんだろう…。頭の中に降り注ぐ疑問の雨は止まず、疑問が疑問を呼びさらに疑問を呼ぶ。そんな私を他所にその場から立ち去ろうとする女の人。
『どっ、どうしよう…。あの人帰っちゃう!と、とりあえず…尾行を…。』
…と、思った時だった。女の人の背後に近づく一人の少女。少女が女の人に声をかけている。その声に反応して立ち止まる女の人。何を言ってるのか少し遠くて聞き取れないが、二人はどうやら顔見知りのようだ。そして、よく見ると少女もまた巫女装束を身に纏っている。
『この町では巫女さんのコスプレが流行ってるのかな?巫女さんが深夜に化け物退治する町興し的な?けど、それじゃ説明がつかないこともありすぎる。』
そんなことを考えながら物陰から彼女達の様子をこっそりと観察していた。すると突然、巫女少女が棒のようなものをどこからか出して構えた。ここからはほんの数秒の出来事だった。
私の視界から巫女少女の姿が消えたかと思うほどの速さで女の人までの距離を縮め、その勢いのまま、女の人目掛けて棒を振り下ろす。女の人は箒を手に取り襲いかかる少女目掛けて薙ぎ払うように振り抜いた。大きな力と大きな力が衝突した瞬間、その間から一点に圧縮された力が解放され衝撃波を生んだ。衝撃波は綺麗な弧を描くように一瞬で広がり、私の体をいとも簡単に吹き飛ばした。私は少し宙に舞い、そのままアスファルトに叩きつけられるように落ちた。
運が良かったのか悪かったのか、私は落下した時の当たりどころが悪く意識を失ってしまった。気がつけば次の日の朝を新しい自宅のダンボール箱が山積みの部屋で迎えていた。
窓から入ってくる心地よい風がカーテンをなびかせ、その度に出来る隙間から風と一瞬に入り込んでくる日差しに起こされた私。
「…あれ?私…なんでこんなとこに…。」
寝起きのかすれた声、落ちてくる瞼をこすりゆっくりと起き上がる。まるでホームドラマのようにカーテンを全開にし、入り込んでくる日差しを目一杯浴び、伸びをする。
『私、確か…。この町に引っ越してきて、それから…車から降りて…何してたんだっけ?』
そう、私はたった数時間の記憶を失くしてしまったのだ。夢だった。幻だった。ではなく、忘れたのだ。けど何かが引っかかっていた。例え夢、幻だったにしても忘れられないようなそんな大きな出来事。だけどそれを思い出そうとすると頭の中で何かが笑って邪魔をした。が、ニ、三日すればそれも私の中からすっかり消え、完全にあの日の夜のことは記憶から無くなった。
私があの夜のことを思い出したのは、日が流れ入学式当日のことだった。